第十三話
湖畔の霧がほどけはじめたころ、ログハウスの玄関に四……いや、五つの影が並んだ。
アイリは買い出し用の布バッグを肩に、リリィは籐のカゴ。ミリアは腕を組んでそっぽを向き、エリスは玄関柱にもたれてストレッチをしている。
最後尾には――帆布の大袋を片手に三つ、もう片手に折りたたみ木箱を四段積んだトウマ。無言で荷のバランスだけを確かめていた。
「――よし、買い出し班、出発っす!」
アイリがぱん、と手を叩く。
「今日はボスを除く男衆が魚担当。こっちは野菜とパンとハーブを――」
「肉は?」
エリスが即答して、あくびをかみ殺す。
「今日は魚メインっす。……っていうかエリ姐、今日は遅刻じゃないんすね?」
アイリが目を細める。
「腹筋とシャドー終わった。最初から行く」
エリスは紅金の髪をまとめ直し、顎で玄関先を示した。「さっさと歩け」
視線が自然と最後尾へ移る。
トウマは荷の山を軽く持ち直し、短く告げた。
「俺は運搬か...」
「便利なワープ運送、今日もフル稼働っすね」
アイリがニヤリ。「落としたら減給ですよ、ボス」
「減給制度、うちにあったか?」
トウマは首を傾げると、手の中の木箱をふわりと放った。――空気がさざ波のように揺れ、箱はそのまま消える。
「先に台所の棚へ入れた」
一拍遅れて、玄関の奥――台所の方角からトウマの声。すぐまた目の前にふっと現れる。
「反則じゃない?」
ミリアが半眼で睨む。「泥棒が泣くやつ」
「泥棒は泣いていい」
トウマはさらりと答え、残りの大袋も指先ひとつで空間の縁へ滑り込ませた。
「はいはい、反則でも役に立てば正義っす」
アイリが肩をすくめる。「じゃ、行くよ。うるさい昼の台所、開店準備!」
リリィが「は~い」と微笑み、エリスは「肉も忘れるなよ」とぼやき、ミリアは小さくため息をついてから一歩踏み出した。
五つの影は、朝の光に押されるように市場への小道へと伸びていった。
******
湖から伸びる小道の先、境界の市場は今日も雑多で色とりどりだ。
人間の野菜屋、魔界の香辛料屋、神界の神器露店、冥界の布商――看板の形も値切りの作法も全部違う。匂いだけは仲良く街路に溶け合っていた。
「はーい、まずは野菜!」
アイリが前に出る。「まとめ買いで値切る、これ鉄則っす!」
「お嬢ちゃん、今日は高いよ」人間の八百屋の親父が肩をすくめる。「昨夜の風で葉物が――」
「じゃ、風抜けの畑のやつだけで組む。束の大きさはそのままで単価を一段下げる。うち、次から専属で回すっす」
口と手が同時に動く。品質を撫でて見、量を弾き、落としどころを射抜く。
親父がうなりかけたところで、後方からトウマがぼそり。
「先週の北畑は被害軽い。端もの混ぜれば赤字は出ない」
親父が目を丸くする。「あんた、また来てたのか。……へいへい、負けたよ」
鉛筆が走り、札が一枚下がった。
「交渉完了」アイリがウインク。「勢い八割、情報二割っす」
「インチキくさい」ミリアは呟きつつ袋を覗く。「でも筋は通ってる」
トウマは買い込んだ袋を片腕にまとめると、軽く指を鳴らす。袋はふっと霞み、視界から消えた。
「置いてきた。次」
ハーブ屋の露台。
リリィが葉を撫でると、緑の香りがふわりと立つ。
「このタイムは強いから半分は茎だけ煮出して……ローリエはこっち。香りがまだ生きてる」
彼女の指先は、葉脈の向こう側まで見通しているようだった。
「お姉ちゃん」近くの子どもが裾を引く。「ここ、痛いの」
「うん、すぐ終わるよ~」
リリィの手のひらがほのかに光り、擦り傷の縁がなめらかに閉じていく。子どもの表情がふっと緩む。
「がんばったね」
トウマが屋台の主に小銭を渡し、「蜂蜜飴を一つ」と短く告げる。紙包みを受け取って、子どもの掌へそっとのせた。
「甘いのは元気が出る」
子どもは目を丸くし、「おじさん、魔法使い?」
「ちがうよ~“やさしいおじさん”」とリリィ。
アイリが小声で肘でつつく。「ボス、お金ちゃんと払っててえらいっす」
屋台の主が笑って頷き、子どもは「ありがとう!」と手を振って母親のもとへ駆けていった。
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器屋の軒先。棚は高く、上段の白磁は大人でも指が届きにくい。
「届かねぇ」ミリアがつま先立ちで唸る。
「肩、貸す」
トウマが無造作にしゃがむ。
ミリアは一拍だけ迷ってから、軽く跳ねて肩に乗った。
「視界、高っ……。――言っとくけど変なことしたら殺すから」
「しない」トウマは即答。
「したら私が先に殺す」エリスがぶっきらぼうにかぶせる。
「二重に殺されるな」トウマが素直に頷く。
「そこは止めろよ」ミリアが肩の上で小声のツッコミ。
ミリアは上段の皿を一枚ずつ軽く弾き、鳴りで土を確かめる。
「……これ」
飾り気のない白い平皿。縁に金の点がひとつ、控えめに光る。
「魚の色が映える」
「センスいいじゃん」アイリが会計へ向かう――が、店主が先に会釈した。
「旦那、いつもどうも」
「まとめて、こっちで」
トウマがさらりと言い、ミリアを下ろしながら片手で合図する。
「ちょ、経費はアタシが回してるんすけど!?」アイリが振り返る。
「回してくれ」
「雑ぅ!」
エリスはパン屋の袋をぶら下げて戻り、もぐもぐしながら一瞥。
「さっさと帰って仕込むぞ。塩、ニンニク、オリーブ、ハーブ――以上」
「エリ姐、戦闘指示みたいな献立やめて」アイリが額を押さえる。「でも採用。ミリアちゃん、いける?」
ミリアは生成りの麻布を胸に抱え、こくり。「……任せて」
「その布、洗う前に塩水につけると色が長持ちするよ」リリィが微笑む。
「三百年分の生活の知恵だな」エリスが感心して、パンをもう一切れ。
ミリアは一瞬だけトウマを見上げる。
「……どこでも顔効くのね、あんた」
「顔じゃない。通った道を忘れないだけだ」
トウマは袋を指先で弾き、空間の縁へ落とし込む。
「――先に台所、温めてくる」
ふっと消える。
「便利だなぁ」リリィが目を丸くし、
「便利すぎて腹立つ」アイリが肩をすくめる。「でも助かる」
エリスは顎で路地を示した。「次。布の店、寄る」
******
白木の什器に淡い光をはね返すアクセサリー、整った縫い目のワンピース、細身のベルト。扉のベルがちりんと鳴る。
「店内一周、気になったの各自3点ピック。試着室前に五分で集合っす!」
アイリが入店一秒で仕切った。
「了解~」リリィは小花のイヤーカフへ一直線。
ミリアは鏡沿いに白シャツワンピと黒の細ベルト、小粒の金ブローチ。
入口脇で腕を組むトウマに、アイリがくるりと振り返る。
「ボス、必要経費で落ちます」
「落ちない」
「交渉用装備」
「落ちない」
「福利厚生:可愛いは正義」
「なおさら落ちない」
三人が顔を見合わせ――包囲は三方向から静かに狭まる。
「お・ね・が・い」
「ね~、ちょっとだけ~」
「買って」
トウマは目を閉じて一拍、「……くっ、ダメだ」――そしてすぐに目を開けた。
「全部、包んでくれ」
「よっしゃ!」アイリが小さくガッツポーズ。リリィが跳ね、ミリアは耳の先だけ赤い。
試着室のカーテンがしゃっと開く。
出てきたエリスに、場の空気が一瞬だけ止まった。
彼女が纏っているのはダークネイビーのスタンドカラー・シャツワンピ。
ウエストに極細のゴールドベルト、裾はアシンメトリーに膝下で揺れる。
カフスには極小の金糸(太陽モチーフ)が一針、耳には片耳だけのスリムなイヤーカフ。
強さはそのまま、線だけがやさしく整えられていた。
「……見るな。殴るぞ」エリスは耳まで赤い。
「似合う」トウマが短く言う。
「最強」リリィが両手を合わせ、
「モード×姐御、優勝っす」アイリが親指を立て、
ミリアはほんの少し口角を上げる。「……悪くない」
「じゃ、それも包んで」トウマの一声で店員が慌てて会計へ。
「待て、いらねぇって――」
「“似合う”は命令っす」
「可愛いは正義~」
「戦場で着ろとは言ってない」
観念したエリスが鼻を鳴らす。「……一着だけだかんな」
紙袋はトウマの指先でふっと空間の縁に吸い込まれ、全員手ぶらになった。
「……はぁ。また出費だな。最近、俺の財布よく泣く」
「乙女の必需品っすよ~。ね? リリィちゃん、ミリアちゃん」
アイリが涼しい顔で肘でつつく。
「うん、必要~♪」リリィが満面の笑み。
ミリアはそっぽを向いたまま、耳だけ赤い。「……仕事用」
トウマは肩をすくめて、ほんの少しだけ笑った。
「まぁ――お前らが可愛いから許してやるか。……特にエリス、可愛げが一つ増えたのは収穫だな」
「誰が可愛げだコラ」
エリスの拳がゴチンとトウマの頭を軽く小突く。
「いて」
「なかよし~」リリィが拍手。
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湖沿いの帰り道。
袋はすべてトウマの“空間の縁”に預けて手ぶら、足取りは軽い。器がかすかに鳴るような気配だけが、買い物の余韻を連れていた。
「……ねぇ」
リリィがふいに口を開く。
「私、ボスに出会えてよかった!」
「いきなりどうした」トウマが横目をやる。
「エルフの中でも、私ね――“ならず者”って言われてたんだ」
リリィは笑ってみせるが、目の奥だけ少し潤む。
「拾ってくれなかったら、今ごろどうしてたか……」
「お前の故郷の奴らが見る目がなかっただけだ」
トウマは短く言い切る。
「はいっ! アタシも!」
アイリが負けじと手を挙げる。
「ボスに拾ってもらえてよかったっす! 学園でひねくれてたアタシが元気になれたの、ぜ~んぶボスのおかげ!」
そう言って横から抱きつく。
「だから――ずっと一緒にいてくださいね」
「あぁ。ずっと一緒だぞ」
トウマは当たり前のように応える。
「……アタシもだ」
エリスがそっぽを向いたまま、ぼそっと。
「施設跡で拾って、飯食わしてくれたの……感謝してんよ。だから、これからも――いっぱい食わせろ」
頬がほんのり赤い。
ミリアは前を向いたまま、小さく息を吐く。
「……変なことに巻き込まれてたの、助けてくれてありがと」
「ガキを見放すわけにゃいかんだろ」
トウマは肩をすくめるだけ。
「――はい! じゃあ記念に写真撮ろー!」
アイリが端末を掲げ、ギャルっぽくピース。
リリィは花みたいに両手を頬に、ミリアはさりげなく髪を耳にかけて視線だけカメラへ。
エリスは……しかめっ面。照れ隠しだ。
「ボスも入って!」
「了解」
トウマが一歩寄り、軽くピースを添える。
カシャ――。
湖面の光がにじむ。画面には、ぎゅっと肩を寄せる五人と、どこか緩んだエリスの口元が小さく写っていた。
「……よし」
アイリが満足げに保存マークをタップする。
「帰ったら、うるさい台所再開っす!」
笑い声が、波のきらめきに溶けていった。




