第九話
石造りの小部屋。
壁は冷たく湿り、鉄錆の匂いが鼻を刺す。
頭上で燭台の炎がかすかに揺れ、遠くから水滴の音がぽたり、ぽたりと響く。
鎖の擦れる音だけが、自分たちの存在を証明していた。
レオンは膝を抱え込み、肩を震わせる。
「……父さんの鍵……」
呟いた声は、すぐに石壁に吸い込まれた。
「取られたままだ……僕が守らなきゃいけなかったのに」
胸の奥にぽっかり穴が空いたような感覚。
幼い頃、父が鍵を差し出してくれたときの笑顔が一瞬浮かぶ。
それを思い出すたびに、喪失感が鋭く胸を刺した。
「……しけた顔すんじゃないよ」
壁に背を預けていたミリアが、乾いた声で言った。
レオンが顔を上げると、彼女は薄暗い中でも平然とした笑みを浮かべていた。
「そんな顔してたら、余計に舐められるだけさ」
「でも……父の形見なんだ」
レオンは唇を噛む。
「僕には……あれしかないのに」
「形見なら、取り返しゃいい」
ミリアは短く言い切り、鎖に繋がれた両手首を軽く振った。
その仕草は、不思議と軽やかで――どこか頼もしかった。
「……でも、どうやって?」
「こうやってさ」
ミリアがにやりと笑うと、唇の端から小さな金属片を取り出した。
「舐めんなよ、盗人の基本装備」
彼女は器用に指先へ移し、錠前に差し込む。
カチャリ、と乾いた音が鳴り、鎖が緩む。
「よし、っと」
ミリアは立ち上がり、レオンを見下ろす。
「ほら、ガキでも自由になれるんだよ」
鎖から解き放たれたレオンは、目を見開き、息を呑んだ。
「すごい……!」
「惚れんなよ」
ミリアが肩をすくめ、軽口を叩きながら彼の鎖も外す。
不思議と、レオンの胸にこもっていた冷たさが少し和らいだ。
――その瞬間、外の廊下から怒号が響く。
「おい! 檻が開いてるぞ!」
二人は顔を見合わせた。
次の瞬間、ミリアがレオンの手を引く。
「行くよ!」
鉄格子が、鈍い音を立てて開いた。
ゆっくりと、きしむように。
その音すら、牢獄の奥ではやけに大きく響いた。
レオンは喉を鳴らす。
――出られる。
けれど、たった一歩を踏み出すだけで全てが壊れる気がして、足がすくんだ。
「……行くぞ」
ミリアが短く告げ、先に踏み出す。
裸足が石畳に触れる瞬間、冷たさが足裏から心臓にまで走った。
レオンも慌てて続く。
外の通路は、思った以上に暗く湿っていた。
燭台の火は壁に貼りつくように揺れ、石造りの壁がざらりと不気味な影を投げている。
鼻を突くのは、古びた鉄の匂いと、血と汗が染み込んだような酸っぱい臭気。
「はぁ……はぁ……」
レオンの呼吸が速くなる。
鼓動が早鐘を打ち、耳の奥で響いて止まらない。
「静かに!」
ミリアが鋭く囁いた。
その瞬間、通路の奥から規則正しい靴音が近づいてきた。
カン……カン……と金属の響き。
まるで地獄の門番が歩み寄るかのように重く響く。
レオンは思わず息を止めた。
肺が焼けるほどに苦しい。
それでも声を出したら終わりだと、本能が告げていた。
「……右だ」
ミリアが顎をしゃくる。
石壁の影に、幅の狭い脇道が口を開けている。
二人は足音を忍ばせて駆け込み、背中を壁に貼りつけた。
冷たい石が背骨を押し、心臓の鼓動をさらに際立たせる。
次の瞬間――。
「おい! 檻が……開いてるぞ!」
怒声が響いた。
通路に反響し、壁や天井を震わせる。
レオンの背筋に氷の刃が突き立つ。
「ちっ……バレたか!」
ミリアが小声で吐き捨て、ナイフを逆手に握る。
「走るぞ!」
二人が飛び出すと同時に、金属鎧をきしませて仮面の兵士たちが現れた。
火光に照らされ、仮面の無機質な目孔が一斉にこちらを射抜く。
その瞬間、通路が生き物のように動いた気がした。
「捕らえろ!」
一斉に響く怒号。
ドンッ――!
石畳を蹴る音が、雷鳴のように迫ってくる。
「こっちだ!」
ミリアがレオンの腕を掴む。
二人は全力で駆け出した。
狭い通路に響く自分たちの足音が、まるで敵に居場所を告げる鐘の音のように耳にまとわりつく。
息が荒れ、喉が焼ける。
背後では鎧の金属音が追いかけてきて、すぐそこまで迫っていた。
「はぁっ……はぁっ……!」
レオンは視界が揺れ、足元の石畳が滲んで見えた。
心臓が胸を突き破りそうだ。
それでも――走るしかない。
「絶対に……捕まらない……!」
レオンは震える声で呟き、前を見据えた。
石造りの通路を、二人はただ必死に駆け抜けた。
足音、呼吸、鎧の軋む音――すべてが混じり合い、脳を締め付ける。
「止まれ!」
背後から怒号。
黒仮面の兵士たちが、松明を掲げながら通路を塞ぐように迫ってきた。
「クソッ……!」
ミリアが舌打ちし、ナイフを抜く。
次の瞬間――刃は仮面の眼孔を正確に射抜いた。
兵士が呻き、後ろへ倒れる。
だがすぐに別の兵が押し寄せる。
「くっ……!」
ミリアはレオンを庇い、盾を奪って受け止めた。
だが鈍い音と共に、肩口に剣がかすめる。
「ミリア!」
レオンが声を上げる。
「大丈夫だ……走れ!」
ミリアは歯を食いしばり、血を流しながらもレオンの背を押す。
それでも数は多すぎた。
狭い通路に、次々と黒仮面が現れ、じわじわと二人を追い詰めていく。
石壁に囲まれた一本道。
前も後ろも敵。
出口はどこにもない。
「……終わり、か」
レオンが唇を噛み、震える拳を握った、その時――。
ズゥゥゥン……。
地の底を這うような重低音。
通路全体が震えた。
石の壁がきしみ、天井から砂がぱらぱらと落ちる。
「な、なんだ……!?」
黒仮面の兵士の一人が声を上げた。
再び、ズゥゥゥン……。
奥の闇から、禍々しい気配が溢れてくる。
「下がれ! 全員下がれッ!」
先頭の兵が恐怖に声を裏返らせた。
次の瞬間――。
闇を割って現れたのは、漆黒の鎧を纏った巨影。
赤い双眸が闇を裂き、瘴気が蛇のように溢れ出す。
「ゲ、ゲヘナ……ガーディアン……!?」
兵士たちの声が震えた。
巨躯の一撃が振り下ろされる。
轟音。
石畳が砕け散り、数人の兵が悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされた。
「邪魔だ」
低く響く声が、通路を震わせる。
「我の前を塞ぐな」
黒仮面の兵士たちは恐怖に駆られ、散り散りに逃げ出した。
鎧の音が遠ざかる。
残されたのは、ただレオンとミリア――そして怪物だけ。
「あ、あいつはなんなの…!」
ミリアが血の滴る肩を押さえ、震える声で呟く。
「今度こそ、本当に……逃げ場はない」
赤い双眸が二人を射抜く。
ゲヘナガーディアンが、ゆっくりと一歩を踏み出した。
ズゥゥゥン……。
通路全体がうねるように震えた。
天井の石粉がぱらぱらと降り、闇の奥から瘴気が溢れ出す。
赤い双眸が暗黒を裂いた瞬間、空気が変わった。
冷たさと重さが同時に押し寄せ、肺の奥まで瘴気が入り込んでくる。
巨影が腕を振り下ろす。
轟音。
石畳が粉砕され、衝撃波が通路を薙ぎ払った。
「うわぁぁぁっ!」
仮面兵が数人まとめて吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、血を吐いて動かなくなる。
レオンとミリアも避けきれず、床に転がされた。
肺が押し潰されるような衝撃。
視界が一瞬、白く霞む。
「……ぐっ……!」
レオンが咳き込みながら立ち上がる。
手のひらに光を集め、必死に放つ。
「返せ……僕の鍵を……!」
光弾が一直線に走る――が、鎧の胸に当たり、煙一つ上がらない。
「無駄だ」
低く響く声が、通路を震わせた。
赤い双眸が冷たく二人を射抜く。
「その程度で、我を揺るがせると思うな」
「クソッ……!」
ミリアがナイフを投げる。
だが、爪の一閃で弾き飛ばされ、逆に衝撃波が二人を吹き飛ばす。
「ち、ちくしょう……!」
レオンが必死に膝を押さえ、立ち上がる。
背後から、黒仮面の兵士たちの声が上がった。
「おい……こいつ、俺たちまで巻き込む気か……!?」
「バカ言うな! 退くぞ! ここは奴に任せろ!」
兵たちは互いに顔を見合わせ、次の瞬間、一斉に退いた。
鎧の金属音が通路を遠ざかっていく。
残されたのは、ただレオンとミリア――。
そして漆黒の怪物だけ。
「……逃げ場が……ない」
ミリアが肩の傷を押さえ、震える声で呟いた。
ゲヘナガーディアンが、一歩踏み出すたびに石畳が沈む。
瘴気が通路を覆い尽くし、光がかき消されていく。
赤い双眸が二人を射抜いた。
「……ここが終焉の地だ」
その時――
ドォォォンッ!!
轟音と共に、天井が崩れ落ちた。
瓦礫が雨のように降り注ぎ、土煙が通路を覆い尽くす。
粉塵の中、まず一人――
軽やかに舞い降りた女の影。
揺れる髪は金色を基調に、炎のように鮮烈な紅が走っていた。
灯火に照らされたその髪は、煙の闇の中で揺らめく焔のよう。
その瞳は、黄金に輝き、怪物を睨み据えて揺るがない。
続いて、静かに影を滑らせた青年。
黒を基調に、深い青がさりげなく差し込まれた髪が、光を受けて微かに煌めく。
眠たげな双眸は、半ば閉じられているのに、どこか獲物を計る鋭さを秘めていた。
足音は柔らかい。だが、一歩ごとに石畳が軋むほどの圧を残す。
土煙がようやく晴れた時、二人の姿が闇に浮かび上がる。
金と紅、黒と青。
異なる色彩が交わりながら、どちらもただ立つだけで周囲の空気を塗り替えていた。
レオンはミリアを抱えたまま、息を呑んだ。
その心に浮かんだのはただ一つの疑問。
――誰だ。
――何者なんだ。
絶望に閉ざされていた通路が、音もなく、確かに揺らぎ始めていた。
瓦礫を踏み砕き、エリスがゆっくりと前へ歩み出た。
黄金に紅を走らせた髪が揺れ、その瞳は獲物を見つけた猛獣のように爛々と光る。
「……いい獲物、発見じゃねぇか」
唇の端を吊り上げ、不敵に笑う。
その横で、カインが首をかしげながら怪物を眺めた。
黒に青を散らした髪がわずかに揺れ、眠たげな瞳が細められる。
「んー……姉貴。あれってさぁ、アイリが言ってた“事務所ぶっ壊した怪物”と特徴一致してるぜ」
「……は?」
エリスの表情が一瞬で変わった。
ぎらりと怪物を睨み据え、怒気が空気を焦がす。
「あぁ? てめぇか……! うちのシマ荒らしたボケはよォ!!」
声は爆ぜるように響き、拳が鳴った瞬間、通路全体の空気が震えた。
その殺気の横で、カインはふと背後を振り返った。
「ん? ……なんでこんなところにガキがいんだ?」
視線の先に、レオンとミリア。血に濡れた肩を抱えるレオンの姿を認めて、目を丸くする。
「あー!? もしかして保護対象の子供か、お前ら?」
レオンは息を切らせながら叫んだ。
「そ、そうです! 僕たちです! どうか、助けてください!」
「へっ……」
エリスがにやりと笑みを浮かべ、肩を回す。
「助かりてぇなら――もっと下がってな!」
次の瞬間――エリスが疾風のように駆け出した。
轟音。
拳が振り抜かれ、ゲヘナガーディアンの胸甲を直撃した。
金属の悲鳴のような音が響き、分厚い鎧に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「なっ……!」
レオンが息を呑む。
拳だけで、あの鎧を……!
「……チッ」
怪物が低く唸り、反撃の爪を振り下ろす。
空気を裂く斬撃――だが、そこにカインの影が滑り込んだ。
「遅ぇ」
軽やかな足音と共に、残像を残す蹴りが関節へ突き刺さる。
膝が砕けるような鈍い音。
怪物の巨体がよろめき、片膝をついた。
「おぉ……!」
ミリアが痛みに顔を歪めながらも、声を漏らす。
「足を……折ったのか……!」
カインは眠たげな目を細め、肩をすくめる。
「姐御の正面突破に合わせりゃ、こんなもんだ」
「うるせぇ、調子乗んな」
エリスが笑い、もう一度拳を握り込む。
「まだ始まったばっかだろ!」
二人の呼吸が、自然と噛み合う。
正面をエリスが圧倒的なパワーで押さえ、背後をカインが超速で削り取る。
それは、訓練や打ち合わせではなく、ただ「戦場で染みついた」動きだった。
ゲヘナガーディアンの赤い双眸が揺れる。
「……人間ごときが……!」
瘴気が溢れ、通路の空気が黒に塗り潰されていく。
それでも二人は臆さなかった。
「さぁ、暴れ足りねぇ分、ここで全部晴らしてやる!」
エリスが拳を構え、踏み込む。
「姐御、足止めよろしく。俺は好き勝手やらせてもらうぜ」
カインが笑い、残像を残して側面へ消えた。
――戦いは、完全に「人間側の反撃」に転じた。
「……調子に乗るな」
ゲヘナガーディアンの低い声が響いた瞬間、通路全体の空気が一変した。
赤い双眸がさらに濃く燃え、漆黒の瘴気が鎧の隙間から噴き出す。
背中に――黒き翼が形を成した。
羽ばたきと共に、風圧が爆ぜ、通路の瓦礫が宙に浮かぶ。
「うっ……!」
レオンが腕で顔を庇う。
肺に瘴気が流れ込み、息をするだけで焼けるように苦しい。
次の瞬間、斬撃の風が奔流となって走った。
「――姐御っ!」
カインが声を張るも、風は容赦なくエリスを巻き込んだ。
轟音。
石壁に叩きつけられ、紅と金の髪が宙を舞う。
瓦礫が崩れ落ち、視界が揺れた。
「エリス姐……!」
ミリアが声を上げる。
だが、土煙の中から響いたのは――
「……っはぁ~~……効くじゃねぇか」
エリスは血をにじませながらも、涼しい顔で拳を鳴らしていた。
「久々に骨のある一撃もらったぜ。気分上がるなぁ!」
口元に不敵な笑み。
その姿は、むしろ楽しげですらあった。
「はっ、バケモン女め……」
カインが苦笑しつつも、次の瞬間には音もなく走り出す。
影のように滑る。
疾駆の速さは残像を残し、視線で追えぬほど。
瘴気の翼を裂くように背後へ回り込み、連撃を叩き込む。
「数は取らせねぇぞ!」
関節へ、背へ、膝へ――
青い残光を伴う蹴りが、巨体に雨あられのように打ち込まれる。
「チッ……鬱陶しい!」
ゲヘナガーディアンが爪を振り回す。
だがカインはすでに別の位置。
残像が消える頃には、次の蹴りが走っている。
「ほらよッ!」
最後の蹴りで巨体がよろめいた瞬間――
「そこだァッ!」
エリスの拳がうなりを上げた。
黄金と紅に光る髪が、風を切って翻る。
拳に宿る光が爆ぜ、鎧の腹部へ直撃。
轟音が響き、鎧がさらにひび割れる。
「ぐぅぅ……!」
怪物が呻き、膝をつきかける。
「……やるじゃねぇか」
レオンが呆然と呟く。
彼の目に映るのは、互いに声を掛け合うでもなく自然に噛み合う、二人の戦いの舞。
「俺が足を止めりゃ、姐御がぶっ飛ばす」
カインが肩をすくめ、眠たげな瞳のまま笑った。
「それだけの話だ」
「バカ言え。お前の速さがあるから、拳が届くんだろうが」
エリスが鼻を鳴らし、拳を構える。
二人の言葉に、迷いも不安もなかった。
――人間の力だけで、伝承の怪物を追い詰めている。
だが――。
「……人間ごときが」
ゲヘナガーディアンが膝を突いた姿勢から、再び翼を大きく広げた。
瘴気が爆ぜ、斬撃の嵐が通路を埋め尽くす。
レオンとミリアは息を呑んだ。
さっきまで「勝てるかもしれない」と錯覚しかけていた希望が、一瞬で霧散する。
「こいつ……まだ、全然……!」
レオンの声が震える。
絶望と希望が交錯する戦場。
再び、空気は「人間では抗えない領域」へと引きずり込まれていった――。
瘴気の翼が広がり、刃の風が通路を切り裂く。
瓦礫が宙を舞い、壁が裂け、石片が雨のように降り注いだ。
「チッ……キリがねぇな」
エリスは血を拭いながら拳を握り、肩を鳴らした。
口元には、闘争に飢えた笑み。
「……埒が明かねぇ」
その瞬間――。
エリスの両腕に、紅の文様が浮かび上がった。
炎のように脈打ち、彼女の血流と共に刻まれた古代の紋章が輝きを帯びていく。
レオンは息を呑んだ。
「な、なんだ……光ってる……!」
ミリアも目を見開き、声を失った。
空気が震え、紅の紋様から溢れた光が、周囲の闇を押し返す。
「……見せてやるよ」
エリスは拳を開き、虚空に手をかざした。
刹那。
空間が裂け、黄金の光が集束していく。
粒子が奔流のように溢れ、彼女の手に形を与えた。
現れたのは――黄金の大剣。
刃全体に古代の文様が走り、紅と金の光が絶えず流動している。
圧倒的な存在感は、「武器」というより「太陽そのもの」だった。
「――《ソル・ルミナス》」
剣名を告げる声は静かだが、確信に満ちていた。
怪物の赤い双眸が揺れる。
「……その剣は……!」
「知ってるのか? なら話は早ぇ」
エリスは肩に大剣を担ぎ直し、獰猛な笑みを浮かべた。
「てめぇごときが背負える代物じゃねぇって、今から証明してやるよ」
彼女が地を蹴った瞬間、石畳が爆ぜた。
黄金の残光を残し、大剣が唸りを上げる。
「――《ラディアント・ブレイカー》!!」
閃光。
通路全体が白金の光に呑まれる。
振り下ろされた剣は、瘴気の翼を一瞬で焼き尽くし、鎧ごと巨体を叩き割った。
「ぐぉぉぉ……!」
ゲヘナガーディアンの咆哮が地下を震わせる。
鎧に奔った亀裂は、蜘蛛の巣のように全身へ広がった。
瘴気が霧散し、巨体は自ら崩れ落ちていく。
レオンとミリアは、ただ呆然と見つめるしかなかった。
光に包まれ、怪物の姿は塵と化し――完全に消滅した。
……静寂。
残るのは、白金の残光と、瓦礫に立つ女戦士の背中。
「っはぁ……」
大剣を肩に担いだまま、エリスはゆっくりと息を吐いた。
やがて剣は粒子となり、光の中へ消える。
紅と金の髪が闇の中で揺れ、彼女は笑った。
「これで借りはチャラだな。――うちのシマを荒らした落とし前は、きっちり取らせてもらったぜ」
……静寂。
瓦礫の崩れる音と、煙の漂う匂いだけが残っていた。
エリスは拳を軽く振り、髪をかき上げて息を吐く。
「ったく……骨のある化け物だったな。腕が鳴ったぜ」
笑いながらも拳に残る血を拭うその姿は、豪快そのもの。
「いやー、姐御。俺の足のほうはもう鳴りっぱなしだよ」
カインが眠たげな顔のまま、苦笑しつつ肩を回す。
「何十回蹴らされたと思ってんだ。俺、明日歩けるかな」
「知るか。文句言う前にもっと鍛えろ」
エリスが鼻で笑い、拳で彼の肩を軽く小突いた。
二人のやり取りに、レオンとミリアの緊張が少しずつ解けていく。
そのとき、カインがこちらに歩み寄った。
「……っと、そういやガキども放っとくわけにいかねぇな」
しゃがみ込み、ミリアの肩の傷に目を向ける。
「ふむ、深ぇけど致命傷じゃねぇ。止血はしとく」
手際よくポーチから包帯と薬を取り出し、軽口を挟みながら処置を始めた。
「ほら、ちょっとしみるぞ。泣くなよ?」
「だれが泣くかっての……っ」
ミリアは歯を食いしばりながらも、必死に耐えた。
その横で、レオンはただ見つめていた。
傷を手際よく抑え、笑いながら処置を進めるカイン。
豪快に戦い、そして何事もなかったかのように佇むエリス。
二人の姿が、恐怖で押し潰されそうだった胸の奥を、不思議と温めていた。
「おい坊主」
不意に声を掛けられ、レオンは顔を上げる。
黄金と紅の髪を揺らし、エリスがにやりと笑っていた。
「ビビってションベン漏らしてるかと思ったら、意外と根性あるじゃねぇか」
「……そ、そんなこと……!」
レオンは顔を真っ赤にして反論しかけ――だが、その言葉は笑みに変わった。
不思議と怖さが消えていく。
この人たちとなら――。
(この人たちとなら、きっと――父の鍵を取り戻せる)
胸の奥で、確かな確信が芽生えていた。
通路に残るのは、瓦礫の匂いと煙、そして仲間への新たな信頼の息遣いだった。




