第八話
冷え切った事務所を出ると、夜の風が顔を打った。
壊れた壁から吹き込む風はひどく冷たく、どこか湿り気を帯びている。
「……で、どうやって館に入る?」
ジークが煙草をいじりながら俺に問う。
「正面は避ける。見張りも厳しいだろうし、内部に直結してる地下道を使う」
俺はそう答え、視線をアイリに送った。
「地下の解析はどうだ?」
「お任せっす!」
アイリは端末を操作し、空中に光の投影を浮かべる。
地図上に赤い線が走り、点滅するアイコンが表示された。
「館の真下から入るとモロバレっす。でも、少し離れた下町の下水からなら潜り込める。
流路が複雑っすけど……途中で別の地下水道と交わってて、そこにヴァルドさんが合流できるルートがあるっす!」
「ほぉ……抜け道を見つけるとは、さすが情報担当だな」
俺は自然と口にした。
「頼りになるぜ、アイリ」
「えっ……」
アイリは一瞬固まり、顔を真っ赤に染める。
「や、やめてくださいよそんな真顔で褒めんの……///」
気恥ずかしさを誤魔化すように、隣にいたジークの肩をバシンと叩いた。
「いってぇ! 何すんだ小娘!」
「ち、ちがっ、違うっす! 反射的に……!」
「俺は関係ねぇだろ!」
「す、すみませんほんと……!」
リリィはけらけら笑い、カゲロウは小さく首を振る。
場が少し和らぎ、冷えた空気に微かな温度が戻った。
その時、端末に低い声が響く。
『……聞こえるか』
「ヴァルドさん!」
アイリがすぐに応答する。
「今どこに?」
『北側の廃工場跡を抜けたところだ。正面は敵が多すぎて塞がれてる』
低く響く声の向こう、何かを踏み砕く音が混じる。
「心配いらないっす。あたしの解析だと、東の下町から入る下水道を通れば……途中で南北ルートが合流する地点があるっす。そこで合流可能!」
『……なるほど。ならばそこで落ち合おう』
『お前たちが先に潜って進め。俺も匂いを辿って行く』
通信が途切れると同時に、アイリは満足げに胸を張った。
「――これで大丈夫っす!」
下町の外れ。
打ち捨てられた倉庫の裏に、苔むした鉄格子が口を開けていた。
湿った風が吹き上がり、溝腐れと鉄の渋みが鼻を突く。
「……ここか」
俺は仲間たちを見回す。
「館の地下に通じるルートはここだけだ。ヴァルドとも途中で合流できる」
「げ、やっぱり臭っ……」
アイリが顔をしかめる。
「正面からよりマシって言われても……胃がひっくり返るっす」
「安心しろ。お前の鼻より、俺の胃の方が先にやられる」
ジークがぼやき、コートを翻した。
「じゃ、決まりだね~」
リリィが笑顔で両手を合わせる。
「さ、行こっか!」
ヴァルドとの合流を信じ、俺たちは暗い下水道へと足を踏み入れた。
錆びた鉄格子をこじ開けると、下水の闇が口を開いた。
湿った空気が吹き上がり、鉄と瘴気の臭いが鼻を刺す。
「……くっさ! 最悪っすよここ!」
アイリが鼻をつまみ、涙目で端末をかざす。
「ボス、絶対髪に臭い付くっすからね!?」
「文句言うな。こっちの方が足は速ぇ」
ジークが肩をすくめ、濡れたコートを翻した。
「正面から突っ込むよりマシだ」
「わたしは大丈夫だよ~」
リリィが微笑み、風魔法で自分の周りの空気をさらりと清浄化する。
「ほら、こうすればいい匂い~♪」
「お前なぁ……」
俺は苦笑し、帽子を押さえる。
「俺の分もやれ」
「はいは~い♡」
リリィが指をくるりと回すと、俺の周囲の臭気も一瞬で晴れた。
カゲロウは無言のまま前を行き、赤い瞳が闇を射抜く。
「……声を抑えろ。下水は響く」
石造りの通路を抜けると、空気が変わった。
湿気の奥に混じる、濃い血と獣臭。
「……来たか」
重低音の声と共に、巨大な影が立ちはだかる。
漆黒の鱗を持つ竜人――ヴァルド。
二メートルを超える体躯が水路の天井すれすれに収まり、黄金の瞳が鋭く光る。
「待たせたな。遅えぞ」
牙を覗かせ、不敵に嗤う。
「こっちは臭気に耐えながら歩いてたんだよ」
ジークが肩をすくめ、溜め息を吐いた。
「お前は相変わらず余裕だな」
「ハッ! ここに来るまでに三十は片付けたからな。体も温まった」
ヴァルドは足元に転がる異形の残骸を踏み砕いた。
「ひぃ……やっぱりヴァルドさん豪快っすね」
アイリは端末をいじりつつ、引き攣った笑みを浮かべる。
「……これで全員揃った」
カゲロウが短く告げる。
俺は一歩前に出て、仲間たちを見回した。
「拠点はこの奥だ。下水を抜ければ地下施設に直結する。――攫われた二人を取り返す」
「おう! 久々に派手にやれるな!」
ヴァルドが豪快に笑い、爪を鳴らす。
「俺の胃は持たねぇけどな……」
ジークがぼやき、煙草を取り出しては下水を思い出し、舌打ちして戻す。
その時――。
「シャアアアッ!」
水路の奥から異形が群れをなして飛び出した。
鱗に覆われたリザードマン、硬い甲殻を持つ魔獣、そして黒仮面をかぶった人間の兵。
その兵たちは、不気味なほど揃った歩幅で一斉に首を傾げる。
合図もないのに同時に踏み込み、同時に引く――生身の癖が一切ない。
「お出迎えっすか! マジで最悪!」
アイリが叫ぶ。
「いいじゃねぇか!」
ヴァルドが獰猛に笑い、前へ飛び出す。
爪が閃き、一撃でリザードマンの首をへし折った。
「ほら来いよォ!」
「チッ……!」
ジークも構え、背後から迫る敵を拳で迎え撃つ。
泥に足を取られながらも、顎を砕き、胴を打ち抜いた。
「まだまだ、老いぼれじゃねぇぞ!」
「風よ!」
リリィが声を放ち、突風が水路を逆流させる。
濁流が敵を薙ぎ払い、甲殻の魔獣を壁に叩きつけた。
「ナイスだリリィ!」
俺は掌に炎を灯し、水を巻き上げる。
火と水が混ざり、蒸気が爆ぜる。
「まとめて吹き飛べ!」
爆炎が一帯を覆い、黒仮面の兵を弾き飛ばす。
「……やりすぎ」
カゲロウの低い声が響く。
その足元から伸びる影が、逃げようとする敵を絡め取り、音もなく沈めた。
敵の悲鳴が消え、再び下水道に静寂が戻る。
「ふぅ……ったく、戦闘開始から全力とか胃に悪ぃ」
ジークが荒い息を吐く。
「マジで……うちの火力、規格外すぎっす」
アイリが端末を閉じ、苦笑い。
「派手でもいい。進めるならな」
ヴァルドが爪を払って血を落とし、口元を歪めた。
俺は深呼吸し、前を見据える。
「……よし。この先が本番だ」
湿った石壁に囲まれた通路を進む。
明かりは苔の淡い光だけ。息を潜めても、水滴の音が不気味に響く。
ジークが立ち止まり、拳を床に当てた。
「……ここから先は俺の出番だ」
淡い光が波紋のように広がり、石壁に文字のような模様が浮かび上がる。
「――《クロノ・レコード》」
模様は過去の残滓を再生するかのように揺れ、直前まで通路を歩いていた兵士の姿を映し出す。
「十人……三分前に通った。武装は剣と簡易銃。……ただし、水流のせいで残滓が薄い。長くは追えねぇ」
「おおっ、ジジイの能力だ!」
アイリが目を輝かせ、手を叩く。
「記録をなぞって“行動の残影”を読むっすよね? やっぱ便利!」
「便利って言うな。体力持ってかれるんだよ」
ジークは苦笑しながら拳を上げた。
「じゃ、あたしもやっとくっすか!」
アイリが端末を掲げ、指を走らせる。
魔法陣とコードが混じった光が空中に浮かび、蜘蛛の巣のように張り巡らされる。
「《インフォ・スプライサー》展開!」
蜘蛛の巣は通路全体に広がり、かすかな震えを拾った。
「敵の通信網に割り込み完了っす。監視塔の合図も全部筒抜け。……ただ、ノイズが多すぎて処理落ち気味っすね」
「ほう……」
カゲロウがわずかに赤い瞳を光らせる。
「情報の流れを“裏返す”か。小娘の癖にやるな」
「だから小娘言うなっつの!」
「匂いも嗅げるぜ」
ヴァルドが鼻を鳴らし、鋭い爪を壁に立てた。
「……南に五十、北に二十。通路全体で百を軽く超えるな。血、人間の汗、魔族の瘴気……全部混じってやがる」
「げ……マジかよ……」
アイリが青ざめて端末を叩く。
「数多すぎて処理落ちっす……」
「じゃあ、わたしの番かな」
リリィがすっと手を掲げる。
「――《エレメンタル・アミティエ》」
緑の光が舞い散り、風と木の精霊が現れて仲間一人ひとりに寄り添う。
それは淡い加護となり、体を包んだ。
「これで気配はもっと薄くなるし、足も軽くなるよ~」
「おお……体が軽いな」
ジークが腕を振り、驚いたように言う。
「……ほら、みんな能力見せたんだし、ボスもやれって!」
アイリがジト目で端末を叩く。
「そーだよ~! ボスの番~!」
リリィがわくわくしながら手を叩く。
「……めんどくせぇな」
俺は頭をかき、仕方なく手を前に突き出した。
――空気が震えた。
掌の先に淡い光の円環が浮かび、それが仲間全員へ広がっていく。
「――《オーバーリンク》」
瞬間、互いの感覚が繋がる。
敵の気配、仲間の呼吸、石壁の冷たさまでもが一斉に流れ込んできた。
「……ほぉ」
ヴァルドが拳を握り、牙を剥いて笑う。
「力が研ぎ澄まされる。悪くねぇな」
「……影の流れが鮮明だ」
カゲロウは低く呟き、目を細める。
リリィはふらりと揺れながらも、にこっと笑った。
「わぁ……ちょっとクラクラするけど……慣れると楽しいね~」
だが――。
「ぐっ……頭が……!」
ジークが眉をひそめ、拳でこめかみを押さえた。
「情報が……雪崩れ込んで……吐き気がする……」
「わ、わたしもっす……! 端末が勝手に暴走してるみたいで、脳まで引っ張られる……!」
アイリは膝をつき、必死に息を整えた。
俺はため息をつき、もう片方の手を掲げる。
「……ったく、無理すんな。《フィード・ステイブル》」
淡い緑の光が二人を包む。
遠くの滴が一拍遅れて響き、波のうねりが平らに戻る。
「……ふぅ。楽になった……」
ジークは額を押さえ、深く息を吐く。
「支援のくせに、便利を通り越して拷問だぞ」
「ほんとっすよ! 脳みそショートするかと思ったっす!」
アイリが頬を膨らませる。
俺は肩をすくめ、帽子を深くかぶった。
「強い奴らは勝手に馴染むが、普通の奴には負荷がデカい。……だから《リンク》と《安定》はワンセットだ」
「だが長くは保たんだろう?」
カゲロウが問う。
「ああ。十五分が限度だ。それ以上やれば全員の思考が焼き切れる」
俺は淡々と告げ、端末にタイマーを落とす。
表示は 15:00 で止まり、静かに減り始めた。
一瞬、沈黙。
それでも仲間たちは頷き合った。
リリィは笑顔でぽんと手を打った。
「でもこれで、みんな一つになったみたいで楽しいよ~!」
「……楽しいって言えるの、お前くらいだぞ」
ジークが呆れ顔で吐き捨てた。
俺は小さく笑みを浮かべ、前を見据える。
「――よし。準備は整った。行くぞ」
仲間たちは頷き、濡れた石壁の先へと足を踏み出した。




