1話 32歳の赤ん坊はタイムトラベラーになれるのか?
イメージソング
ミッドナイトシャッフル/近藤真彦
Hello/YUI
The stray sheep's no more./橘花くらげ
佐藤:今回の依頼人
小夜子:依頼人の妻、行方不明
南出:探偵事務所所長
若田:探偵事務所の助手
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南出:異常は案外、日常を装うのが好きらしい。
:だが、扉ひとつ開ければ、そこは“正しさ”の通じぬ世界。
:ほら、画面の中の彼。隣にいる彼女。あるいは、鏡の中の貴方……
:そう、獣はいつだって、内から貴方を見ている。
:ねぇ、貴方がその名を呼ぶのを、ずっと待っている。
:さぁ恐れずに踏み出して――
:「変態の世界へ、ようこそ」
:
:
:
0:ガチャ【探偵事務所の扉が開き、依頼人が依頼に来る】
佐藤:……あ、あの。南出探偵事務所ってこちらですか?
若田:はい!ご依頼ですか?
佐藤:あっ、はい
若田:いらっしゃいませ!私は若田と申しますが、お名前伺っても……
南出:おや、依頼人かな?【奥のキッチンからでてくる】
若田:よく分かったな
南出:あぁ。君の声のトーンがいつもより高かった
若田:……悪かったな。あ、失礼しました。こちら、南出と申します
佐藤:南出……というと
南出:ご推察の通り、私が所長です。佐藤さん
佐藤:えっ……。あ、あの……私、名前を言いましたっけ?
南出:あぁ、当たってましたか?佐藤は日本で一番多い苗字でしょう?当たる確率が一番高いかな~と
若田:おまえなぁ
南出:フフッ、冗談だよ。彼は佐藤夢月氏。数年前に、ベンチャー企業を立ち上げた若き実業家さ
佐藤:えっ、なんでそれを……
若田:し、失礼しました。浅学で存じ上げず……ってお前はなんで知ってんの?
南出:フフッ、前に『ピヨッコ俱楽部』で特集されてたのを、ちょっとね
若田:(なんでそんなもんを……)
南出:彼は、たった3年で『蒸れないオムツ』を開発しその特許をとった天才。しかも、彼が育った孤児院に、自社のオムツを寄付されてる人格者でもある
若田:(しかも読み込んでやがる)
佐藤:たいしたことでは。ただ、少しでも育ててもらった恩返しができればと思って……
南出:さて、立ち話もなんですから、よかったら座って。あぁそうだ、今ちょうど豆を挽いた所なんです。コーヒーは?
佐藤:あ、はい。飲めはします……一応
南出:素晴らしい!
若田:すぐお待ちしますね。砂糖とミルクはどうされますか?
佐藤:あ、砂糖は5個……ミルクも、お願いします
若田:カフェオレもできますけど
佐藤:あっ!じゃあそれで!
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:
0:コトッ【若田が三人の前にコーヒーカップを置く】
若田:それでは佐藤様、ご依頼の内容を伺っても?
佐藤:……実は、その前に気になることがあって
若田:気になる事ですか?
佐藤:いえ、その………………こちらのHPに『変態依頼大歓迎!』と書いてあったので……どういった意味かなぁと
若田:っ!あ、いやその……それはですね
南出:あぁ。それは、私が基本的に変態の依頼しか受けないからですね
佐藤:えっ……それはどういう?
若田:ご安心ください!普通の依頼も受けてます!
南出:私の夢は、世界が人類総変態時代になることなので……
若田:おいっ、依頼人の前なんだから止めろって
佐藤:あ、いえ大丈夫ですよ
南出:ほら、彼もそう言ってることだし
若田:本当ですか?言わされてません?
佐藤:いえ、興味深いお話です。それに、私はその変なHPを見て来てるんです。それぐらいじゃ驚きませんよ。それにエルキュール・ポワロに、ホームズ……名だたる探偵は総じて癖のあるものです。南出さんもきっと……
若田:いや、比べる相手、間違ってますよ?コイツはただの変態です
南出:フフッ、光栄だね。それに、何も変なことじゃないさ。人は誰しも、好きなものに囲まれて生きていたいものだろう?
若田:その、モノが問題なんだよ
南出:まぁ、そんな時代に向けて、色々と変態のことを知っておきたいなと思いまして。さしずめ私は、変態コレクター変態といったところでしょうか
佐藤:ハハハ……
若田:お客様に愛想笑いさせるなよ。……大体、変態コレクター変態ってなんだ。変態に挟まれたコレクターの気持ちになれよ
南出:やだなぁ若田君。コレクターはただの文字。心なんてありはしないさ
若田:急に正論を言うな
佐藤:お2人は……実に仲が良さそうで羨ましいですね
南出:えぇ。彼とは高校からの付き合いでしてね。頼りになる相棒です
若田:俺は認めてません。強いて言えば相方です
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:
佐藤:っ!……相方、ですか……。【辛そうに顔を歪める】相方……いや人生の相棒と言ってもいい。私と、行方不明になってしまった小夜子も、お2人のような関係だった
若田:行方不明!?……失礼ですが、小夜子さんとのご関係は?
佐藤:小夜子は、私の妻です。結婚してまだ一年も経ってない。関係も良好なはずでした。それなのに、一昨日の夜、この紙を置いて消えてしまったんです
0:パサッ【机上に一枚の紙を置く】
若田:『貴方にはもう、うんざりです。少し頭を冷やさせてください 小夜子』ですか。……何かきっかけがあったとも読み取れますが、ちなみに心当たりは?
佐藤:それが、ないんです。今まで、大喧嘩どころか口喧嘩さえなかった。もちろん、前の晩もです。本当に急に……
南出:ふむ。警察には?
佐藤:いきましたが……ただの夫婦喧嘩と取り合ってもらえず。お願いします!小夜子を探してください。警察に断られた今、私には他に手が……
若田:(嘘ついているようには見えない……でも、女心と秋の空なんていう位だ。夫が妻の不満に気づかないなんてよく聞く話……助けてあげたいのは山々だけど、事件性も低そうだし……こんなありふれた依頼を南出が受けるとは思えないよなぁ)【チラッと南出をみる】
南出:なるほど【キラキラとした目で話を聞いている】
若田:(えっ?)
佐藤:……【うつむいて肩を震わせ絞り出すように続ける】小夜子は、私にとっての女神なんだ!彼女がいなければ、私は生きていけない!
南出:ほぅ、女神……だいぶ仰々しい言い方ですが、何か理由でも?
佐藤:理由も何も、そのままです。私は彼女の存在のお陰で救われた。そう、小夜子とは、会社が軌道に乗り始めた頃に、友人の紹介で出会いました。笑顔が可愛くて、ほがらかで……なにより包容力があった
若田:素敵な人だったんですね
佐藤:私は孤児院の産まれです。だから普通の暖かい家庭というものを知らなかった。それを与えてくれたのが彼女でした。私のためだけに作られた温かいご飯、仕事で折れそうだった時には『いつも頑張ってるんだから辛い時には私に頼ってね』って……
若田:(うっ、俺ちょっと泣きそうなんだけど)
佐藤:私のことだけを考えて与えられる、私だけの愛情。何もかも初めてだった。恥ずかしくて隠していたのですが、私は元来甘えたがりなタチで……でも!小夜子のおかげで、私は徐々にその殻を脱げるようになりました
若田:お互いを信頼しあっていたんですね【ウンウンと頷く】
佐藤:そう……私の癖も笑顔で受け入れてくれた。私は……小夜子の前でだけ本来の私でいられた!
若田:……ん?癖?
0:バッ【佐藤がズボンをぬぐ】
若田:ちょ!佐藤さん何して……って(オ、オムツ!?)
南出:シッ、若田君、今いい所じゃないか
佐藤:そう、もちろん赤ちゃんプレイです!僕は気づいてしまったんだ……子どもは大人になれるけれど、大人は子どもには戻れない。でも、赤ちゃんプレイなら戻れる!つまりコレこそ現代のタイムマシーンといっても過言ではないのではないか!?と!
南出:なるほど!赤ちゃんプレイとは、君にとって時を逆行する試みということか……哲学的だね!
若田:いや、哲学じゃねぇんだよ、性癖なんだよ……
佐藤:おお、君達もわかってくれるのかっ!
若田:やめろ!ジリジリ近づくな!わからない!わからないですから!
佐藤:う、うぅ
0:ボスッ【諦めたように座る変態】
若田:ハァ……貴方の癖を否定はしませんが……とりあえずズボン履いてくれますか?通報しますよ
佐藤:うっ!……はぁ~【溜息をつき、大人しくズボンを履く佐藤】失礼しました。少々エキサイトしてしまって……それで依頼は?
若田:そ、それは……
南出:もちろん、お受けしますよ。仮にも探偵、失せもの探しは基本中の基本ですからね
若田:っ!?
佐藤:本当ですか!?ありがとうございます。
南出:では、こちらに連絡先とご住所を
佐藤:はい!
若田:【ひそひそ声で】おい南出……マジでうけるのか?どうみたって、変態に愛想つかした奥さんが出てっちゃっただけだと思うけどな
南出:なんで?そうとは限らないさ。彼の話によれば、彼女は女神のような人物、しかも関係は良好だったそうだ。そんな人物がなぜ心変わりしたのか……気にならないか?
若田:……ハァ、わかったよ
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佐藤:あの〜書き終わったんですが……
若田:ありがとうございます。いただきますね
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南出:さて、今から出ましょう。調査開始です
佐藤:へ?今からですか?
南出:えぇ、善は急げと言いますからね。貴方だって、早く小夜子さんに会いたいでしょう?
佐藤:そ、それはまぁ
南出:さぁ、そうと決まったら現場に行きましょう
若田:現場?
南出:もちろん。彼の家だよ。手紙以外にも、失踪の手がかりが残されているかもしれない
若田:(なるほどな、一理ある)すいません。こういう人なもんで。お時間とか大丈夫ですか?
佐藤:はい、まぁ……
南出:若田君、車を
若田:……はいはい、わかったよ
若田M:こうして俺達は、車に乗り依頼人の家に向かうことになった
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:
0:ブルルッ〈若田の運転で、佐藤の家へ向かう道中〉
佐藤:なんか……妙に、警察が多いですね
若田:あぁ、3日前の事件のせいだと思いますよ
佐藤:事件?
若田:あれ、全国ニュースにもなったんですけど、ご存じないですか?
佐藤:……最近は仕事が忙しくて。その……中々ニュースを見る機会も無かったものですから
南出:この1カ月、この日多根市で起きている連続不審火事件……最初は1丁目のビルのにある1階『いろりや』という飲食店、次に2丁目のビルの2階『ニルヴァーナ』というガールズバー……これらの事件では幸いにも、大きな怪我人は出ていない。共通しているのは、事前に脅迫状が送られていたということ
若田:(客商売だと、どこで怨みを買うかわからない。警察はやりづらいだろうな)
南出:そしてもう一つの共通点が、「法則性」だが、これは……
佐藤:法則ですか、そしたら次は3丁目が怪しそうですね。さしずめ、3階建ての建物の「さ」から始まる何かが燃やされるといったところでしょうか
若田:っ!よくわかりましたね
佐藤:かなり意味をもった犯行に見えますからね。まるで、アガサクリスティの『ABC殺人事件』のような
若田:あー確か、A、B、C、の名前の人物を殺害してく連続殺人事件でしたっけ?確かに似てますね
南出:……そうだね。警察も同一犯として捜査を進めていた。そんな最中に起こったのが今回の事件。だが、不幸にも前の2件とは違った点があった
佐藤:……亡くなったんですね?
南出:えぇ。不審火があったのは3丁目の『ベルハイツ日多根』の3階、現場からは住人と見られる男、松武雄と、身元不明の女性の遺体が見つかったらしい。判別もできないほど黒焦げの状態でね
若田:(ほんと酷い事件だよなぁ)
南出:奇妙なことに、現場も被害者の頭文字も「さ」ではない。こういうタイプの犯人はこだわりが強い。偶然ではなく、他に「さ」から始まるものが燃やされたと考える方が自然だろうね。例えば……
佐藤:身元不明の女……
若田:【南出を軽く睨んで】安心してください。佐藤さん。事件は3日前、奥さんが出て行ったのは一昨日の夜なんですよね?その身元不明の女性が小夜子さんってことは、時系列的にありえませんよ
佐藤:……人が亡くなってホッとするのもおかしい話ですが……あっ、そこ右にいった奥です
若田:はい(……ってデカっ!こんな家に住んでるなんて、若き実業家ってホントなんだな)
若田M:こうして俺達は、依頼人の家を捜索しはじめた
:
:
0:〈日多根市5丁目 佐藤宅 玄関〉
佐藤:靴はそこにどうぞ
若田:(うっ、靴置く所に、わざわざ線引いてある……こりゃ大分几帳面なタイプだな、佐藤さん)
南出:では、お邪魔します。こっち失礼しますね【ノータイムで】
佐藤:あっ、そっちは……
0:ガチャ
若田:お前、もう少し遠慮し、って大分……荒れていますね
佐藤:あ、あの……私も結構探しましたし……今更、何か見つかるとも思えませんが……
若田:(にしては、床に壊れた花瓶が転がってるし……まるで空き巣が入ったみたいな荒れようだ……それだけ必死だったってことか?)
南出:それを見つけるのが我々の仕事ですよ。好きに見ても?
佐藤:え、えぇ
南出:『猫の手も借りたい貴方に!キャットハンド』これは?
佐藤:あ、あぁ家政婦さんの領収書ですね。
若田:(紙束みたいになってる。だいぶ常連だな、まぁ、コレくらいのお金持ちならね)
南出:ふむ【リビングに飾ってある、大量の男女の写真に目を止める】……彼女が?
佐藤:はい、小夜子です
若田:(うん。素朴で優し気だ。包容力があるというのも頷ける……。2人とも幸せそうな感じだが、この写真の佐藤さん……)
南出:これ全て、古いもののようですが
佐藤:あ、はい。これは出会った当時撮ったもので
南出:一応、今の写真も見せてもらっても?
佐藤:今のですか?あったかなぁ……ちょっと探してみますね【スマホをいじり始める】
若田:しかし、佐藤さん。ずいぶんその~
佐藤:あぁ、痩せたでしょう?ハハッ……健康に気を使い始めましてね
若田:(というより、ゲッソリって感じだけど……仕事忙しいって言ってたもんな)
佐藤:あっ、ありました
若田:あっ、写真、ありがとうございます(うわっ、ブランド服に濃い化粧、派手な装飾品……なんて言うか成功者の嫁っ!って感じだな……さっきの領収書と合わせてみても家事とかやってないんだろうなぁ)
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佐藤:それより、よろしければ、飲み物でもいかがですか?
若田:え、えぇと……(まだ来たばっかりなんだけどな)【チラリと南出を見る】
南出:若田君。もらおうじゃないか。家主のお誘いを断るのも失礼だ
佐藤:よかった!さきほど、実に美味しいコーヒーをいただきましたが……実は私もホットチョコレートには一家言ありまして。ほら、名探偵とえばポワロ、ポワロと言えばチョコレートですからね!お二人に振舞ってみたかったんですよ
若田:チョコレートですか?ポワロって、確かロンドンが舞台じゃなかったですっけ?
佐藤:そうなんですが、ポワロ自身はベルギー出身で大の甘党でしてね。気取った英国人の中で、自分の好みを貫く様子はかっこよかった……
南出:ずいぶん……お好きなんですね?
佐藤:えぇ、孤児院で最初に貰ったプレゼントが、アガサクリスティの『ABC殺人事件』だったんです。擦り切れるほど読み倒しました……それからのファンです
若田:(子どもに渡すにしては中々、ヘビーな読み物だな……)
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佐藤:さぁさ、こちらに!
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若田M:俺達は、佐藤さんに案内されて、ダイニングのテーブルに座った。
佐藤:では、少々お待ちくださいね【台所に入っていく】
南出:……じゃあ、後は頼んだよ若田君【佐藤がいなくなったのを見て、ゆっくりと立ち上がる】
若田:ちょ、どこいくんだよ
南出:なに、ちょっと気になることがあってね。少し、この家を探索してくる
若田:なっ!?そ、そんなのダメに決まって……【ひそひそ声で】
南出:ABC殺人事件
若田:は?
南出:……3件の放火事件が『ABC殺人事件』を模倣しているのなら、この事件はまだ終わらない
若田:え?どういうことだよ。大体それと佐藤さんと、どういう関係が……
南出:まだ、わからない。だからいくんだ【さっさと部屋から出ていく】
若田:ちょ、みな……
佐藤:【台所から顔をのぞかせる】若田さ~ん、南出さん、砂糖はいくつ……あれ?南出さんは?
若田:ちょ、ちょっとトイレに、お腹壊したみたいで
佐藤:え!場所分かるかな?南出さ……【後を追おうとする佐藤】
若田:あっ、大丈夫です。トイレぐらい一人で探せます。あいつ探偵なんで!
佐藤:か、関係ありますか?
若田:大ありです!あっ、それよりチョコレートありがとうございます。いただきますね!【豪快に飲む】っって、にがぁ!
佐藤:カカオから作ってるんで苦めなんですよ。よかったら【砂糖をスッとよせる】
若田:あ、ありがとうございます(とにかく話、繋がなきゃ……)それより、佐藤さんって、やっぱりオムツとかってこだわってらっしゃるんですか?
佐藤:えっ
若田:さきほど拝見したオムツなんですが、その……色がついてましたよね……だから、その……
佐藤:そうなんですよっ!いや~そこ気づいてくれましたか~。中々お目が高い
:
0:5分後
佐藤:でね、長年やってきて、ふと思ったんです。オムツって、ずっと同じままでいいのかなって……赤ちゃんも成長したらサイズ変えるでしょう?だから僕も細かく変えるんです。そうするとね、『あ、今、自分は赤ちゃんなんだな』って……思える。そう言った丁寧さが大事なんです
若田:へ、へぇ〜そうなんですね(ヤバ、なんか眠くなってきた。耐えろ!)
:
0:10分後
佐藤:母親役が嫌々やってる~って感じがしたらそりゃ、萎えますね。……でも、少し放任というかリアルな母親感?っていうんですかああいうのは意外と燃えるんですよ。もちろん、甘やかされるのが一番好きなんですけどね、ハハッ
若田:は、はぁ……(ダメだ、眠気が……)
0:ドサッ【若田が机の上に倒れる】
佐藤:……若田さん?…………お~い若田さ~ん?……
0:【ピクリとも動かない若田を一瞥すると、真顔になる佐藤。静かに立ち上がり、部屋を出ていく】
:
:
:
0:一方その頃。佐藤家のガレージ。高級車には毛布に包まれたポリタンクが積まれていた。それを前にした南出が難しい顔をする
南出M:(整頓されたガレージに残る腐臭、日多根市の不審火と小夜子さんの失踪、神格化された妻とかけ離れた現状、玄関の綺麗さに反して荒れた部屋、高級車に雑に積まれたポリタンク……何もかも歪だ。そして何より、あの時の反応)
:♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢
南出:『奇妙なことに、現場も被害者の頭文字も「さ」ではない。こういうタイプの犯人はこだわりが強い。偶然ではなく、他に「さ」から始まるものが燃やされたと考える方が自然だろうね。例えば……』
佐藤:『身元不明の女……』
:♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢
南出M:(彼に見えたのは焦りでも不安でもなく、怒りだった……)
佐藤:っ!【考え込む南出の頭に、大きな塊を振り下ろす】
0:ガッ
:
:
:
:〈日多根市4丁目、プラネタリウム『夜の星』〉【薄暗い中、椅子に縛り付けられた南出が目を覚ます】
南出:っ……ここ、は
佐藤:あぁ、起きましたか。ほら、綺麗な星空でしょう?……偽物ですけどね
南出:やっぱり、貴方だったんですね
佐藤:…………”やっぱり”……ですか。いつから、分かってました?
南出:ABC殺人事件……
佐藤: ……
南出:……貴方は、不審火の事件を『アガサクリスティの『ABC殺人事件』のようだ』と言いました
佐藤:ハッ、だからなんですか?アレは世紀のベストセラー。『ABC殺人事件』ぐらい誰だって知って……
南出:ちょっと知ってるぐらいの人の発言なら不審には思わなかったでしょう。だが、ポワロをこよなく愛する人物の発言としては不自然だ
佐藤:……その心は?
南出:ABC殺人事件は、計画的にABCの頭文字の被害者を殺しているように見えて、犯人の狙いはCの頭文字の人物の命……つまり、秩序殺人を装った、無秩序殺人なんです
佐藤:……
南出:今回の不審火は、怨みを持った人物の秩序的な連続犯だと……世間一般では考えられていた。そのため、この例を出すのは本来は不適当です。でも、この一連の犯行が3丁目で小夜子さんを殺す為だけに仕組まれた、無秩序放火だとしたら?
佐藤:……まさに、ABC殺人事件を模倣した無秩序殺人ですね
南出:そう。そして、それを知っている人物は、真犯人しかありえない。……つまり貴方ですよ。佐藤さん
佐藤:はぁ、あれだけ念入りに計画を立てたのに、やっぱり上手くいかないもんですね
南出:それは、自白ととってよいんですよね?
佐藤:えぇ、構いませんよ
南出:動機は小夜子さんへの怨み、ですか?
佐藤:あぁ、そうですよ。アレは女神なんかじゃなかった。悪魔ですよ。結婚してから……豹変した
南出:……
佐藤:最初のうちは家事もやってくれてたのに、それもあっという間にやらなくなりました。夜の生活も少なくなって、なのに格好はドンドン派手になって、喧嘩が増えて、その度、アイツ家を出ていって……ついに帰らなくなりました
南出:……
佐藤:僕は!小夜子が幸せなら、なんだってやったのに、アイツは搾取するばかりで……それでもいつか元に戻ってくれると信じて……
南出:だけど一昨日……いや、本当はいつなんですか?貴方の我慢できない何かが起こったのは
佐藤:あれはもう1ヶ月前のことです。あいつ、久々に帰ってきてなんて言ったとおもいます?
:♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢
0:ガチャ【深夜、玄関のドアが開く】
小夜子:げっ
佐藤:小夜子、一体どこに……ってお酒飲んでるのか?とりあえず中に入って、水でも……
小夜子:あーちょうどいいわ、別れましょ
佐藤:……は?
小夜子:あたしさぁ、好きな人ができたんだわ。それにさぁ、元々お金目当てだったのよ。だいぶ楽させてもらったしぃ
佐藤:な、何言って
小夜子:別に、慰謝料とか請求してもいいわよー?ザイサンブンヨ?とかで払うからさぁ
佐藤:小夜子、まって!そんなこと言わないで……考えなおしてくれ
小夜子:ちょっと、さわんないでよ!大体ずっと嫌だったのよ!あんたの気持ち悪いプレイに付き合うの!
佐藤:うっ……そんな……小夜子、なんで……
小夜子:男の癖に何泣いちゃってんの、ほんとキモい。本当のママに慰めてもらってくだちゃいね〜。ってあんた孤児院産まれか、アハハッ。かわいそ〜
佐藤:ふざ、けんな…… 【玄関の置物を、つかみ振りかぶる】
小夜子:え……ってヤダ!ま、まって?ちょっといいすぎちゃった?謝るから、謝るから、ね?……キャーー
0:ゴッ
:♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢・♦︎・♢
佐藤:その先はご存知の通り。荷物から浮気相手の住所を調べて……
南出:あの計画を立てた
佐藤:アハハッ、あのクソ男のアパートが3丁目の3階、それと小夜子の名前の関連性に気づいた時は笑えましたよ。……あぁ、できるなって、神様もあのゴミを燃やせって言ってるんだって
南出:これ以上、罪を重ねるのはやめましょう
佐藤:残念ながらそれはできない相談ですね。ABC事件には……
南出:Dの町で殺された、不幸な「E」がいる
佐藤:知ってましたか。あぁ、やっぱり貴方は僕に相応しい!ならわかるでしょう?4丁目のこの『夜の星』で、「さ」藤*夢月と、「み」なみ出……この2人が殺されることで僕の計画は完成する!
南出:最初からそのつもりだったんですね?
:
:
0:【佐藤が床に灯油を撒く】
佐藤:フフフッ、最初から間違ってた。小夜子じゃない、僕の真の女神は貴方だった。もう一人の方はダメだ。なんの素養もない
南出:そうだね。私もそう思うよ
佐藤:そうでしょう!?あぁ、やっぱり変態同士ならわかり合えるんだね。貴方に会えてよかったっ!
南出:……不足があるのは君の方だよ。佐藤さん
佐藤:えっ……
南出:それに、若田君が泣いちゃうからね……君と一緒には死ねない
佐藤:…………
南出:こんな月並みなこと言いたくはないが……もっと早くに君を見つけられていればよかった。……取り返しがつかなくなる前に
佐藤:【ピクッと体を揺らす】オマエモッ!オマエモボクヲウラギルノカッ!!!!!【獣のような声で叫ぶと南出に掴みかかる】
南出:ウッ!……じ、しゅ、するべきだ。いまなら、まだ
佐藤:うるさいうるさいうるさいうるさい!
0:シュボッ【南出の首から手を話し、ライターに火を灯す】
:
南出:……
佐藤:お前はここで死ぬんだよ!僕と一緒に!これで、僕はもう1人じゃない!
南出:フフッ
佐藤:何がおかしいっ!
南出:無駄だよ
佐藤:ッ!……【佐藤の体が、混沌とした南出の目に吸い込まれるように固まる】
南出:それじゃ、君の中にいる獣……その狂おしいほどの渇きは癒えやしない。わかってるはずだ。君が、1番……それに聞こえるだろう?
佐藤:な、なにが……
:
0:バンッ【プラネタリウムが開け放たれる音】
佐藤:あっ、なんで、なんでお前がここに
若田:……【ズカズカと近づく】
佐藤:やめろ!こっちにはライターがあるんだぞ!火をつけるぞ!
若田:……【無視して近づく】
佐藤:あっ……あっ
:
0:ジュワッ【佐藤の手の中の、ライターの火が若田の手の中で握りつぶされる】
若田:貴方だったんですね。佐藤さん。警察には連絡してあります。もうこれ以上罪を重ねるのはやめてください
佐藤:なんで……どうして、ここが
若田:こちらの方が聞きたいですね。あんなに愛してた奥さんをなんで?
佐藤:ハッ、なんで?私が愛した小夜子は死んだんだ。残りカスを燃やすことに、なんの憂いがあるというんだ?
若田:残りカス!?ふざけるなっ、人の命をなんだと思ってるんだ!【つかみかかる】
佐藤:はっ、なんだその顔は? そうさ、お前らはいつもそんな目で見やがる。見下してんだろ!?僕らを!アンタみたいな凡人にはわからんさ、全てを費やして手に入れた物がゴミ屑だったときの、あの時の絶望は!
南出:君が……変態?
佐藤:なにがおかしい!?アンタだって変態なんだろ!?……僕と同じだって言ったじゃないかッ……!それなのに、なんでアンタのそばにはコイツがいて……ボクには何もないんだ?なんで、僕だけが!!いつも……あんな思いしなきゃいけない!?僕が何かしたか!?
南出:……
佐藤:何黙ってんだよ!変態が!気持ち悪い!お前だって一緒だろ!
若田:てめっ……っ!【南出が遮る】
南出:そうだよ。君のいうとおりだ。私は変態だ。
佐藤:じゃあ偉そうにしてんじゃねぇよ
南出:……私は、“変態”ってこと自体恥じる必要はないと思ってるよ。けどね、己の欲望の解消のために、他人を歪めて無機質な道具に変え消費する、君のような変態は、ただの異常者だ。
君が愛していたのは、自分の妄想の中の小夜子さんだ。現実の彼女じゃない
佐藤:なっ
南出:私も君も、この世界の"外れ値"だ
佐藤:……
南出:君はその意味を噛み締めなきゃいけなかった。変態には、変態なりの誇りと節度がなきゃ、人の世界を生きられない。……自分の中の“獣”の飼い慣らし方を知らなきゃいけなかったんだ。…………変態こそ、帰る場所を健やかに保たなきゃならない。引き金を引いたのが小夜子さんだとしても、貴方はそれを自分で壊したんだ
佐藤:……じゃあどうすりゃ良かったんだよ……やれることはやった。でも、僕の知ってる小夜子はもう戻ってこなかった……だから僕は……
南出:……もっと早くに貴方に会えればよかった。
0:【サイレンの音が響くと、佐藤が悲しげに笑った】
佐藤:ハハッ、そうなればよかったのに……できることなら戻りたい。小夜子と幸せだったあの頃に……
南出:貴方が現実と向き合い、罪を償って――なおもウチの扉を叩くなら。また新しく探しましょう。貴方の渇きを埋める何かを
佐藤:……そうですね。プレイはあくまでプレイ、どんなにリアルな小説も結局は小説……大人が赤子に戻れぬように、時間は後ろには流れない……私はタイムトラベラーにはなれなかったようです
若田M:遠くに響くサイレンの音が、徐々に高さをましていく。この事件の終わりを、告げるかのように。
佐藤:ありがとうございました。……それでは、また
:
:
0:【佐藤が、警察に引き取られてく背中を見つめる2人】
南出:…… 彼と私は、紙一重の先にいる同類だ……
若田:変に感傷的になるなよ。異常者と変態は違う。お前は、あぁはならない。絶対に。
南出:本当に、そうだろうか……私には彼の気持ちがわかるんだ、痛いほど。……自分が異質だと分かった上で、自分を偽らずに生きたい。でも、ありのままの自分を受け入れても欲しい。そんな心の渇きが……誰も私を理解しない世界になった時、私が彼のようにならない保証なんてどこにもない……居場所がない獣は脆いんだ
若田:そんなの普通だ。俺だって……
南出:……若田君、その普通は誰にとっての普通かな?
変態にとっての普通が、君の普通と同じだと胸を張って言えるかい?
若田:それは……
南出: 私にとって、君たちの言う『普通』や『常識』は努力して手に入れるもの……居場所を得ることだってそうさ
若田:居場所なら探偵事務所があるだろ
南出:違う……私の居場所は君だ……若田君
若田:っ!
南出:ずっと思っていた。私にとって君は唯一無二だ。だが君にとっては……私は、君を縛りつけてやいないかい?
若田:……あの日、お前が強引に俺を誘わなきゃ、俺は今ここにいないよ
南出:……
若田:そりゃ、振りまわされてばっかだけど……前よりずっと楽になった……居心地だって悪くはないし。結構、お互い様なんじゃないか?
南出:だから気にするなって?……君は本当にお人好しだ。いつか壺を買わされるんじゃないかと心配になる
若田:……アホな事ばっか言ってないで"帰るぞ"
南出:うん
:
若田M:建物から出ると雪がハラリと落ちてきた。南出はそれを手のひらで掴もうとして呆気なく体温で溶け落ちる。それをみてアイツは軽く笑った。
南出:……ハハッ……今日は寒いねぇ若田君。夜ご飯は鍋にしようじゃないか
若田:いいけど、誰が作るんだよ
南出:もちろん君さ!またキッチンを血だらけにしたくないだろう?
若田:わかったよ。で、なに鍋がいい?
南出:闇鍋の気分かな
若田:腹壊すぞ……キムチ鍋でいいなら作ってやるよ。今日、近所のスーパー特売日だからな
南出:本当かい?それは急がなきゃ
0:ピロンッ【若田のスマホの通知音が鳴る】
若田:あっ、ちょっと待って……【スマホの画面に目を落とす】
0:【《電池残量が少なくなっています!》対象が近くにいます。位置共有アプリの使用をやめますか?】
若田:……【ゆっくりと「いいえ」を押す】
南出:ん?どうかしたかい?若田君?
若田:【スマホを覗き込もうとする南出を手で制す】いや、なんでもない。ほら、いくぞ
若田M:俺たちは、ゆっくりと歩きはじめる。心の中にざわめく異常を抱えたまま……続いてく日常に向かって
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若田:異常は案外、日常を装うのが好きらしい。
:だが、扉ひとつ開ければ、そこは“正しさ”の通じぬ世界。
:ほら、画面の中の彼。隣にいる彼女。あるいは、鏡の中の貴方……
:そう、獣はいつだって、内から貴方を見ている。
:ねぇ、貴方がその名を呼ぶのを、ずっと待っている。
:さぁ恐れずに踏み出して――
:「変態の世界へ、ようこそ」




