変化を望む者
「あぁ〜、やっと勉強が終わったね〜」
凪咲の体内時計的に、昼食がそろそろやってくる。机の上を片付け、凝り固まった体を伸ばした。
「っていっても、私が勉強することなんてもう殆どない筈だがね〜…強いて言うなら皆に受けるギャグを知りたいくらいかな?」
凪咲がギャグを勉強し、パフォーマンスを披露する姿を思い浮かべる。
「………冷たい目で見られて、お終いな気がするね」
凪咲は一度、大きく身震いした。
昼食が一人一人丁寧に運ばれ、それぞれ机の上へと昼食が置かれる。周囲の人間には即座に食べ始める者、食欲がないのかベッドの上で横たわり、少しの間休憩を取る者で別れている。凪咲は前者、箸を手に取り食べ始めた。栄養重視で良くも悪くも素朴な味、凪咲からすれば食事など、生きる為に必要最低限なただの作業と等しい。凪咲自身の小さな咀嚼音だけを耳にする。
「食事を娯楽にしている者の気持ちが、よくわからないね」
施設の影響を少なからず受けている。外へ出れば変わるのだろうか、と凪咲は頭の隅でぼんやりと考えていた。
昼食を食べ終え、片付けの時間になり皿を片付けられる。昼食後は長めの休憩時間がある為、多くの子供達がリラックスできる時間だ。
「さて、私にはやるべきことが…」
凪咲がそう呟くと、直後に廊下から足音が聞こえる。どうやら、段々と凪咲へ近づいて来ているようだった。ガラス越しに見える人物は、凪咲が会いに行こうと考えていた人物そのものだ。
「…おやおや、私から行く必要はなかったか」
「……No.1の人、で合ってますか」
No.41、結衣。銀糸のセミロング、空を閉じ込めた瞳。廊下で泣いていた悲劇のお姫様だ。
「やあ、悲劇のお姫様。お会いできて嬉しいね」
「……馬鹿にしてるんですか」
結衣は顔を歪め、拳に力を込める。凪咲からすると微笑ましい動物の威嚇にしか見えず、笑いそうになった。しかし、笑いでもすれば、侮辱と受け取られ相手を怒らせてしまう。会話すらままならない事態になりかねない為、笑みを抑える。凪咲の表面上の真剣な顔を確認し、結衣は脱力した。
「……」
結衣が凪咲を観察、探るような鋭い視線を送るが動揺も…いや、不快感すら顕著に現れない。
凪咲はベッドの上で足を交互に動かす、何処か幼稚な仕草を見せている。凪咲を何も知らない人間は勿論、知っている人間が見たとしても警戒心も何も感じさせない甘ったるさ。懐に潜り込み、心を覗き込み、愛されることを許される。そんなものを感じてしまう気がして、結衣は足を自然と動かしそうになった。人間を手玉に取る凪咲の一面を垣間見ることとなり、胸焼けに近い気持ち悪さを伴う。
結衣が気持ち悪さと甘さを同時に処理し黙々と葛藤する中、凪咲が見かねたのかベッドの空いている所を軽く叩く。ポンポンと音を立て、凪咲は優しい声で誘った。
「立ちっぱなしもアレだろう?ほらほら、隣が空いているよ?」
「……長話はしませんよ…」
「まあまあ、座りたまえよ〜?照れ屋さんかい?」
凪咲の発言に唯唯諾諾と従うことへ抵抗感を覚えた。結衣は凪咲から少し距離を空けて、ベッドに腰を下ろす。凪咲が持つ妙な雰囲気に呑まれることが無いよう、何処か一線を引く形の態度を結衣は意図的に取っている。凪咲はそれを当然感じとっており、猫の警戒心を段々と解いていく面白さに似た愉悦を感じて結衣を品定めしていた。
「…」
結衣はどう話を切り出すか、と目を細める。
出入り口の前で待機する二人の監視役の耳がある限り、妙な言動をする訳にはいかない。結衣はもじもじと焦ったそうなわかりやすい態度をとる。すると、凪咲が話を切り出した。
「陽菜という少女は君にとってなんだい?」
「親友です」
結衣は即答する。用意していた答えでもなく、本心から言っているものだ。
演技か、素か。凪咲は何処か眩しいものを見るような、慈悲溢れる瞳を結衣に向ける。その瞳は誰がどう見ても慈母という生き物に見えるだろう。しかし、凪咲の奇妙な甘さを感じずにはいられない。心地悪さの違和感、噛み合わないそれにやはり気色悪さを匂わせる。
「唯一無二の親友ね〜。集団で視野狭窄に陥り、皆が狂信的なまでに力を比べ合う中友を作れるとは。それも一種の才能さ。誇りたまえよ」
「……」
ベッドのシーツを巻き込み、拳を握る。自分の感情を拳の中に封じ込めているような、痛みで誤魔化しているような。そんなそぶりだ。凪咲の妖しさにも劣ることのない恨みがましい冷たい笑みを向ける心意気で、痛みへの鎮痛剤とする。
「……才能…ですか。そんなことあなたに言われても、嬉しくありません」
「そうかい?悲しいね〜」
シクシクと仰々しく泣く演技。道化師でもない一人の少女が、わざとらしく演技をしている姿に嫌悪感を抱いたのか。結衣は距離を置いていた所を少し詰め、凪咲の頬を抓った。
「いててて…!酷いね〜…まったく」
「…私、あなたのこと嫌いです」
「え〜そうなのかい?こんな絶世の美女でもかい?」
「………そういう所です」
凪咲への期待が薄れているのか、何処か呆れを含む瞳へ変化しつつある。この人は胡散臭い、信用ならない人間だ。来るだけ無駄だった。なんて意識が見え透いている。
「ふむふむ、では美女だからといって友人になることはないと?てっきり、陽菜ともそういう関係だと思っていたよ。美女への対応は慎重に口説く派かと…」
「…私にとって、陽菜は人生で初めてできたお友達なんです。特別扱いしたっておかしくは無いお話でしょう。そんな関係と同じにしないでください」
「初めてできた、だけでここまで執着するとは思えないけどね〜」
「……」
図星だったのか、結衣は瞠目し動きを完全に止める。少しの間動きを止めた後に動き始め、わざと話すよう誘導した凪咲に対して睨む。しかし、反応を抑えられなかった自分の落ち度だとわかっている為、不満の言葉は吐かなかった。
「ああ、別に言わなくて良いさ。気になっている訳でも無いからね〜」
「……それなのにわざわざ口に出して指摘するのはどうかと思いますが」
「悪いね〜、思ったことは基本的に口に出す性分なのさ。正直者で好感が持てないかい?」
結衣が呆れで嘆息し視線を凪咲から外そうとしたが、凪咲がそれを感じ取り結衣の頬に触れる。
「…」
場の雰囲気が少し張り詰めた。結衣が手を振り払おうとしたが先に手を下へ動かし、結衣の頬から手を離す。
「結衣、君の言いたいことはなんとな〜く分かっているよ」
頭上にある照明が、ただ一人を照らしているように感じた。
「……!」
「君が言いたいのは…」
結衣が凪咲を止めようとする。監視役の前で話されるのは不都合だと考えたのだろう。実際、結衣の言おうとしていることは凪咲には察しがついているが、こんなことを口にしようものなら監視役に即警戒される。そもそも、このタイミングで凪咲の元へ来ている時点で少し怪しまれているだろう。
「私と知見を広げたいんだろう?」
「……」
凪咲の言葉に少しの間動揺するが、凪咲が結衣の言いたいことを察していることを改めて理解する。想定していた最悪の言葉を吐かなかった為、安堵し深くため息を吐いた。
「本を読もうじゃないか。知見を広めるには手っ取り早いだろう?」
「…そうですね」
「監視役。第三層の図書室、行っていいかい?」
監視役が承諾、頷く。監視役が子供の背後についていく。
「それでは、行こうか」
凪咲は悲劇のお姫様のエスコートをしようと手を差し伸べ、結衣はその手を取る。結衣を立ち上がらせるその手は片手にも関わらずかなり力強く、思わずたたらを踏む形で凪咲の元へと引き寄せられた。
「…No.1って、どれくらい力あるんですか…」
「No.1なんて堅苦しい名前はやめてくれたまえ。お友達だろうー?凪咲、でいいよ〜」
「それでは、凪咲さんで…」
他人行儀な態度を取り続ける結衣に凪咲は少々不満げな表情だが、そんなことを気に留める筈もなく結衣は歩き始める。結衣の後を追いかけ、凪咲はタタッと軽く駆けた。結衣の顔を覗き込み、凪咲が若干前屈みになる。
少しの間沈黙が場を支配するが、凪咲があ、と声を漏らし話し始めた。
「そういえば、今って監視役は結衣と私で二人ついているね」
「?はい、そうですね」
「優秀な子供、No.5からは一人ずつ監視役がいるが、No.41ともなると監視役は二人の子供に一人とかじゃないのかい?君のペアへの監視は?空いている間は新しい監視役…はいないか。階段の上り下りはなかったからね」
凪咲にとって素直な疑問を問いたかっただけであり、雰囲気から悪意なんてものは感じられない。しかし、結衣は優秀ではないと遠回しに言われ、怒りを瞳に滲ませる。凪咲の瞳には元々感情が乗らない為、誤解を招きやすい発言も相まって怒りを買うことが多々ある。
凪咲は瞳を僅かに開き、誤解を解こうと一言付け加える。
「いやいや、侮辱する為に聞いたものではなく、純粋なる疑問だ。気にしないでくれたまえ」
「………そうですか」
まだ恨みを感じられる声色だが、凪咲の疑問に答える。
「…私が留守の間は、確かに一人監視役が少なくなりますね。私とペアの子の監視は、隣の監視役が三人の子供を見張ることになります…そんなことも知らないんですか?」
若干煽りが入った疑問文、恨みを感じるが凪咲は気にしない。遠くを見ているような視線で、結衣には見向きもしておらず顎に手を当てている。
「んや、確かめておきたかったんだ。本人に聞いた方が確実だと思ってね?」
「……はぁ」
そんな話をしている間に階段を上り、瞬く間に図書室へ辿り着いた。勉強、趣味の主に二つの理由で利用者は多いが、図書室も広い為支障は無い。
「我々監視役は、少々距離を離そう」
結衣の監視役は背後につこうと結衣の元を離れなかったが、凪咲の監視役による言葉で二人の監視役は背後についていくことをやめた。聞こえる範囲で少し距離を離す。二人の様子を凝視しており、何か不審な行動をすればすぐに阻止、追跡はできるだろう。
「…?」
結衣は違和感を感じ、首を傾げた。
凪咲は結衣に背中を向けて本棚へ向かいあい、一つの本を手に取る。凪咲が立てた足音で結衣は凪咲へ視線を戻した。
「個人的にはこの本がオススメなんだ」
といって、特に有名でもなんでもない本を取り出した。結衣は元々本を読むことが好きなタイプの人間であり、有名か否かくらいはすぐに判別できる。本ではなく著者が有名なのかもしれないと著者を確認するが、全く知らない名前がそこには記されていた。
「知らない本ですね。著者さんも特に有名な方ではないようですし…」
「そうかい?勿体無いね。確かに有名ではないが……」
寂しさを表すように、本の表紙を優しく撫でる。結衣は凪咲にあまり良い感情を抱いてはいないが、読書家としてお勧めされた本を読んでみること。なにより凪咲という人物へ近づくことは悪くないと考え、凪咲へその本を読むことを伝えようとする。
すると結衣が口を開くよりも先に、凪咲が言葉を紡ぐ。
「よし、それじゃあ好きな所を紹介しようじゃないか。君に読んで欲しいからね〜。
……だが、図書室で本を読み上げることは煩く、失礼だ。私が指を差した所を読んでくれ」
凪咲が持っている本を開き、結衣が覗き込む。それを確認した後、凪咲は指を差した。
「…?」
しかし、凪咲が指を差しているのは特に面白い場面でもない、変哲もない言葉だけ。困惑していると凪咲が指で本のページをとんとん、と軽く叩く。その後他の文章、言葉へページを進めたり、指が動く。不規則で、場面が繋がっている訳でもない。
「面白いだろう?私はこの言葉を読んで引き込まれてしまってね。すっかり本の虜になってしまったんだ。有名ではないかもしれないが、イチオシさ」
監視役からすれば、本をただ紹介しているようにしか聞こえない。見ていても、本を開いてオススメしているだけだ。不審な行動とは思えなかった。しかし、文章を読んでいる結衣からすれば不自然でしかない。
「…!」
て 連 だ お う か ?
凪咲が指を差している文字へ目を遣ると、手伝おうか?という文章になる。結衣が必死に言葉を探し、指を差す。
「すみません。これって、なんて読むんですか?」
「これはね、魑魅魍魎と読むんだ」
う ん
「……ありがとうございます」
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凪咲と結衣が適当に時間を図書室で潰し、凪咲がパタン、と本を閉じる。
「そろそろ私は戻ろうかね〜。全てを読み切ってはつまらないし、後のお楽しみというものだ」
「…そうですか」
協力するという意思を見せてから、凪咲に対して結衣は不安と期待の入り混じった迷子の子供のような瞳をしている。
「私のことは信用できないかい?」
「はい」
「即答かい?これは手厳しいね…しかし、逆境こそ燃えるというもの!君に好かれるよう努力しよ「結構です、帰ります」
「うええ〜!待ちたまえよ〜!このせっかちさんめ!!」
結衣は凪咲から視線を外し、廊下へと歩いていく。凪咲はバッと仰々しく手を伸ばし、必死に追いかける人間の不安定さを含む歩調を再現して追いかけようとするが、肩を背後から掴まれることで阻止される。先程から視線を感じてはいた為、大して驚きは無い。
「…あんた、何をしているの?」
凪咲の肩を掴んでいたのは赤くストレートな長髪。黄色の吊り目を持つ椿を体現したような、精悍さを持ち合わせる顔つきの少女。No.3からNo.5へと変更になった、香奈だった。
「おや。香奈、君から話しかけてくれるなんて……ハッ…ついにデレ期かい!?」
「一つ一つの動作も言動も鬱陶しい。だから嫌われるのでしょう?」
ニヒルに笑う香奈が視線を送っていたのは、凪咲ではなく結衣に対してだった。結衣が凪咲をよく思っていないことを察し、わざわざ自ら引き剥がそうと動いたのだろう。
「なるほど、君は相変わらず優しいね〜。流石は姉御だ」
「いい加減黙りなさい?不遜極まりないでしょう」
香奈は現在No.5へと転落してしまっているが、一時的とはいえNo.3へと登り詰めた人物。元々優秀な人物であり、実際結衣と凪咲の会話を遠目から見ていただけで関係性を漠然と把握している。
「不遜、ね。ならわざわざ結衣と私に介入しなければ良いものを〜」
「弱者の努力を疎かにするような真似はしない、と決裁を下ろしているわ。お邪魔虫くらいは振り払う慈悲を下賜しないと、寛容である私の器を示すことすらままならないでしょう?」
「まさかのお邪魔虫扱いかい…?悲しいね〜…」
何故、ここまで優秀な香奈が前回の試験において活躍できなかったか。それは少し考えればわかること。香奈がNo.3へと登り詰めたその実力の本質は、求心力であるからだ。
弱者の救済に積極的であり、結果を出せなくとも努力をする者を決して馬鹿にすることはない。だが、弱者への救済を行うのは決して無欲によるものではなく、己の欲を叶える為の彼女なりの手段。弱者を無価値と考えていないからこそ、彼女についていく者は溢れる。生粋の姉御肌、理想を描いた女王の像そのものだ。
しかし、前回の試験では扱うことが叶わない力だった。要するに相性が悪かった、というものだろう。
「人の顔をジロジロと、穢らわしい。またお得意の考え事かしら?その間抜けな顔は」
考え事をしていると、力強い瞳がこちらを睨んでくる。高潔さを感じるその目は何処までも率いる者、女王としての格が備わっていた。頂点への野望がひしひしと感じ取れるが、不快にはならない不思議なものだ。
「うーん、良い匂いがするなあって考えていただけさ。香水でもつけてるのかい?それとも高潔な雰囲気に香りがつくフィルターでも開発したのかな?…結婚しないかい?」
「ハッ…本当に気持ち悪いのね、あんた。私に振り向いて貰おうなんて一生掛かっても無理でしょう。それとも貢ぐの?笑うくらいはしてあげましょうか?」
香奈が視線を動かし、完全に結衣が凪咲から遠ざかったことを確認した。役目を終えると同時に香奈が話を締め括ろうとする。
「やることが終わったら捨てるのかい?私とは遊びだったのかな?」
「遊びですらないでしょう?愉快どころか、苦行だもの」
香奈は凪咲への嫌悪感を隠そうともせずに、隣を過ぎようと迷いなく歩き始める。香奈の監視役も、いつの間にか凪咲の監視役の隣にいた所を離れようと動き出した。
香奈が凪咲のちょうど隣へ歩いてくると、凪咲は香奈に対して耳打ちをする。香奈は思わず足を止めた。
「もうじき、電気設備点検の停電作業があるらしい。監視役を子供から離さないよう、誘導頼むよ。君ならできるだろう?」
「…?…そんな話は聞いていないのだけれどね?……いや」
凪咲の表情を見て、香奈は何かを察知する。
目を細めた後、香奈は緩慢な動作で歩み始めた。思わず漏れてしまったというような、小さい独り言を間違いなく凪咲は拾う。
「………一体、何を企んでいるのでしょうね。この女狐は」