A 共謀者の逢瀬
「おやおや」
監視役に半ば強制的に案内させ、辿り着いた非常用エレベーターの目前で凪咲が静止する。
「随分と奥にあるものだね〜。移動大変じゃないかい?」
「普段は立ち入り禁止区域だ。あまり嗅ぎ回るな」
子供達がいるガラスの空間から大きく外れ、曲がり角で上手く死角になっている。高すぎる程に高い天井にエレベーターの姿が反射していた。
「さて、と」
凪咲は裾を翻し、くるりくるり栩栩然と舞う。
エレベーター内の監視カメラ映像を閲覧することができるモニターや、エレベーター周辺の監視カメラ、監視役が存在するかを確認。監視カメラ映像が映し出されているモニターも、監視役、周辺に監視カメラも視認できない。
この警備の緩さ、エレベーターの監視カメラに対しての考えは当然ながら二つある。一つ目、中央管理室にて監視、録画。モニターは存在していないだけで視認できない監視カメラが存在しており、外部からは確認できない。二つ目、そもそも監視カメラが設置されていない。
エレベーターに設置義務は存在していない為、設置されていないというのも無きにしも非ず。とはいえ、この警備の緩さを見ると通常前者を疑いたくなる。
「うん、まだ確実ではないけどー、九分九厘無さそうだね」
「…?」
しかし、凪咲は非常用エレベーター内の監視カメラ、周辺に視認できない隠しカメラのようなモノは無いと予測している。監視カメラの点検を行う人間が、非常用エレベーター方向に向かった所を視認したことが無いからだ。
第一の園の第三層の課題は、一番に終えた者が抜けられる仕組みが多い。もしそうではなくとも、誰かが問題を解いた瞬時に終了する場合が殆どだった。その為、子供達が第三層の課題に取り組んでいる間に実施されている、監視カメラの点検を凪咲は散見したことが幾度もある。凪咲が行う課題の終了はまさに迅速の二文字である故に、その業者達の階段の上り下り、廊下の移動その殆どを把握していた。その中の業者に、この立ち入り禁止区域に近寄るような素振りは凪咲の目で捉えたことがない。
「まあーだからこそ、この立ち入り禁止区域のことを疑ってた訳だけど、ねー」
この立ち入り禁止区域であれば、核心に迫る話をすることができる。ただ、このエレベーター周辺に監視カメラは無くとも、曲がり角周辺に監視カメラは存在している為大きな声では話せない。監視カメラの性能も正確に把握していない以上は、音声があちらに入らないよう最大限の配慮が必須になる。
「さーて、監視役。ゆっくりじっくりと話そうじゃないか」
監視カメラについての思案を終えた所で、踵を返し監視役の目と目を合わせる。凪咲の間延びした声色に、緊張感の漂う空気感が監視役との懸隔を築き上げていた。
「……」
「あ、ちょーっと声量の調節はお願いねー?」
両手を出して、音を極力立てないようにしながら合わせた。片目を瞑りながら首を軽く傾けている。
「…何のようだ、No.1」
「すっとぼけなんていらないさ。お互い話したいことを素直に話そうよー。君もそれを望んでいただろう?」
凪咲が素直に話すよう促すと、監視役は一度瞑目し考え込む姿勢を見せる。少しの間間隔を空けると、意を決したように緩慢な仕草で目を開けた。
それを確認した後、凪咲が口を開く。
「君、施設側の味方じゃないよねー?」
「…何故そう思った?」
「昔から違和感はあったんだけど、ねー」
凪咲が過去を振り返りつつ、直近の記憶を幾つか引き摺り出す。
「確信を持ったのはここ最近、二つの理由さ。一つ目は結衣と図書室へ行った時のこと…覚えてるかな?」
「…」
『我々監視役は、少々距離を離そう』という図書室にて監視役が発言した言葉を記憶から呼び起こし、反芻する。
「何故、離れたんだい?」
「全体を見渡すことが監視する上で最適だと判断した」
「見通しの良い部屋ならわからなくもないけどー、障害物の多い図書室において離れるという判断は愚策だねー」
本棚や机など図書室には幾らでも死角になり得る障害物があり、見通すという理由で距離を取るのであればメリットとデメリットの天秤が釣り合っていない。遠くに離れたことにより聴こえづらくなる上に、本の内容を監視役は観測することができていなかった。実際、結衣と香奈の監視役を凪咲の監視役が会話により意識を惹きつけており、幾ら視覚で最低限監視していたとはいえ、凪咲と結衣の会話と香奈へ委ねた凪咲からの依頼を見過ごす形になっているようでは意味がない。
監視役失格の烙印を押されていても仕方のない失態。しかし、それがもしも作為的なモノだったとしたら。
「二つ目は蓮との会話の時のことだねー」
蓮と対話を行い、No.1の報酬について話し合っていた時のこと。監視役が廊下へ凪咲を引き摺り出し、部屋へ戻るよう促したあの言葉。会話を遮り、戻るよう促したということは会話が監視役にとって不都合なものだったということを示唆するのだが、もし監視役が施設側だったと仮定するとそれは破綻してしまう。監視役が施設側だった場合、わざわざ凪咲と蓮の会話を止める必要が無いのだ。
No.1の報酬の曖昧さは元々周知の事実、知性ある子供達が疑問を持ち始めるのは自明の理。子供を育てる施設である以上、子供が抱く疑問など殊更に分かりきっている筈。
それでも尚、監視役が凪咲の発言を止めたのは、
「施設側から目をつけられるような発言をして欲しくなかったんじゃないかい?私を君の都合の良い駒として利用できなくなる」
凪咲を誰よりも近くで観測し続けた監視役。それは即ち、数少ない凪咲を止めることができる優秀さを持つ人間であるということ。監視役とはどのような手順で雇われているのか。それはまだ凪咲にとって確かめようのない事実ではあるが、そう簡単に施設の組織内だけで片付けられる話でもない。
「君は施設側の組織に雇われた外部の人間なんじゃないかなー。私を止められる監視役って〜、そうそういないからさ?」
「…ああ、そうだ」
監視役が観念したように両手を掲げながら、聞こえるか聞こえないか瀬戸際の声量でそう呟いた。
「潔いねー」
「我々監視役…いや、ワタシが幾ら誤魔化した所で、確信を持っていることは変わらないだろう」
監視役の観念した姿は演技なのか素なのか。凪咲の目からするとどの動きも仰々しく嘘のようにも感じるが、確かに動揺している大人のようにも感じる。
監視役という存在はどちらにせよ、警戒の怠れない存在だということ。
「No.1…凪咲の推測通り、ワタシは組織に良い感情を抱いていない」
監視役の一線を超えることを示唆する、No.1から凪咲呼びへと変化した。
「ちなみに答えられなかったら答えなくて良いけどー、何故この施設…組織に唯々諾々と従ってるんだい?」
「唯々諾々ではない、それが現時点で最も効率的で合理的だと判断した。それだけの話だ」
炯然とした監視役の瞳に、凪咲の姿形を余すことなく映す。忌避感と葛藤の色が瞳の中の凪咲に投影されて、別人の幻影にすら想起させてしまう程だ。
「ここにいる人間は皆、狂っている。正面から戦った所で痛くも痒くもないと、倦厭する程よく理解しているのでな」
「…なるほどね〜」
口ぶりから察するに、監視役は第五層で行われている"何か"を知っている。
この施設の教育は確かに人間としての教育の観点で評価を下すのであれば、正しいとは口が裂けても言えない。しかし、有益な人材作りとして大きな貢献を齎していることを、凪咲の中で証明されているのは紛れもなく事実だった。
上と下、強者と弱者を作れば、予め定められた狭隘の一枠である強者を望み、失敗作の烙印である第五層へ恐怖を覚える。時には、躍起になって弱者を救おうと革命を企てる人間だっているのかもしれない。それこそが、人間社会の縮図だ。
その縮図は『非人道的行為』と一概に批評されるべき代物ではなく、寧ろ自然の摂理として認識すべき弱肉強食だと監視役が理解していることを凪咲は知っている。それを理解している上で非人道的だと、そう嘆くのは。
──第五層で行われる"何か"が、監視役を突き動かす非人道的行為に当たるのだろう。
そこまで考えて凪咲がひらひらと右手を掲げる。潮時に手の動きを止めると、監視役の趨勢を容易く定めるような言葉を一息吐いてから口にした。
「停電作業という名の呼称を持った、停電にしてくれる裏方が欲しいのさ。…協力してくれるかい?監視役」
「……」
「……」
静寂が訪れる。
視線が交錯する居心地の悪さを全身に享受し、冷たく探る目つきで凪咲は意志を問われた。
「…ふっ…どうやら、悪い冗談ではないようで非常に残念だ」
先に沈黙を破ったのは監視役だった。
瞠目が垣間見えた監視役を目の当たりにしておきながら、嫣然と口角を上げて凪咲は応える。
「本気以外の、何に見えるんだい?君には」
「道化の戯言」
「あれーなんだろう、涙が出そうだね〜?しくしく」
親代わりと言っても過言ではない監視役に鋭く刺され、美しくも儚い凪咲の愛の雫が頬を───伝ってはいない。
「くねくねするな、道化師」
「えーんえーん」
などと表面上口にしつつも、思考を紬繹へと戻す。
少し時を遡り、回顧する。凪咲が香奈へ耳打ちした依頼は『電気設備点検による停電作業の際、監視役を子供達から剥離させないこと』。
無論、停電作業なんてモノはその場しのぎの口実であり舞台装置。停電による子供達の混乱を防ぐため、施設側も子供達に危害を加えられない限りは愚直に『緊急事態』と口にするようなことはない。それを利用する。
とはいえ、舞台装置があっても動かす裏方の人間がいなければ、装置は単なる鉄塊に過ぎない。凪咲の望むがままに裏で動く駒が必要になる。
「随分と此方側の負担が大きいように思えるな。…脱出の糸口は全てワタシに託すつもりか?」
「んや?第五層に行くからね、脱出に関しての問題は君に関係ないとも。受電設備の電気さえ止めてくれればそれで構わないさ〜」
「『電気さえ』とは簡単に言ってくれるな。絶縁用防具、を……………は、」
たった数秒の硬直。毅然たる態度だった監視役が絶句し、思わずと言わんばかりに一牛鳴地程も離れず顔を近づけていった。
「第五層に、だと?」
「そうだね〜?」
「悪いのは前頭前野か?聴覚か?」
「失礼すぎやしないかなー?君?」
肺の底からそれはもう非常に過剰なほど嘆息し、呻吟の声を小さく溢した。
「正気を疑って何が悪いと言う。倒錯的な行動にも限度と言うものが存在する。悪いことは言わない、脱出を第一優先にすべきだ」
「それができない理由、君にはわかるんじゃないかい?私の友人の友人が攫われてるのさ、囚われの姫を助けにいかなくちゃ、ね〜?」
「…陽菜、という少女のことか。彼女には気の毒だが、やめておいた方がいい。一時的な感情に惑わされるな」
「いいや?一時的な感情じゃないよ?きちんと、最適で論理的な思考さ」
「脆弁で諮「結衣は君の娘だろう?」
凪咲が監視役の言葉を遮り、僅かな動作も見逃さないよう一歩後退する。対して監視役は表情筋を全くピクリとも動かさず、一切の隙を与えない。少しの間逡巡する素振りだけを大仰に凪咲へ見せつけていた。
「髪色も違うし〜、表情管理や雰囲気でわかりづらいけどねー。空を閉じ込めた瞳とか顔の造形とか…何処か面影がある気がするな〜ってね、結衣を見た時からずっと思ってたよー」
「何を言っているのか、ワタシには理解できないな」
監視役の言葉、態度全てに動揺どころか感情すらも凪咲の目で追えない。
「…あは、流石だよ〜監視役。突然のハッタリに動揺のどの文字もない、洗練された美しい鉄仮面だ〜。…だからこそ、怪しむには十分だよねー」
凪咲の瞳に映りこむ監視役の表情、態度は綺麗だ。完璧、完全無欠、理想像、無瑕疵──どれだけ言葉を尽くしても欠陥の一つも絞り出せない。
だからこそ、確信した。結衣は監視役の娘であると。
「綺麗すぎるよねー、その表情も態度もー。陳列棚に並べられた仮面でも見定めている気分だよ」
「それで?」
「もしここで私が脱出第一に逃げ出したら、結衣は間違いなく第五層に一人で飛び込むよー。そういうタイプだからねー、あの子。だから私もせめて、一緒に行ってあげようと思って、ねー?」
「いずれにしろ、変わらない。結衣という子供も即座に引き返すことになる」
「引き返す?どうやってだい?虎穴に入るどころか、お相手は準備万全お口を開けてさあさあいただきま〜す…で、待ち構えてるのにかい?そのまま胃袋に直行だよ〜」
脆弁を弄する監視役を、真っ向から全てを返り討ちにしてお返しする。やがて、凪咲の望む先を悟ったのか、監視役は肩を落として口から漏れ出す吐息を情報に変換しつつ出力した。
「『娘を助けてやるから、脱出した後の身柄を保護してくれ』…とでも言いたいのか?」
「うん、話が早くて助かるねー。いやはや、私からすればねー…ここで恩を一つでも多く君に売っておきたいんだよー、ママ♡」
「誰がママだ?」
「ツッコミの鋭さは遺伝するのかね〜…結衣と似たモノを感じるよ〜…?」
監視役は額に手を当てる。目を伏せて無防備に見えるその姿勢であったとしても、警戒は怠らず苦痛を伴う鋭さで凪咲の気配を穿っていた。
「凪咲からの依頼は正式にワタシが引き受けよう。それでいいな?」
「んん〜ありがとうありがとう〜。じゃ〜、言葉で伝える訳にもいかないし、作戦決行の合図決めよっかぁ〜…そうだねー、私がやっても不自然じゃない可憐なポーズが良いよね〜」
「安心しろ、基本的に凪咲が何をやったとしても誰も違和感は抱かない」
「ちょっとちょっと?それは〜、どういう意味かな〜?ん〜??」
「並べた言葉の通りだ」
奮い立っている凪咲が前屈みになり、監視役を下から睨め付ける。それを監視役は堂々と上から影という名の帷で覆って無力化。最終的に、空気の抜ける風船を連想させた声と共々凪咲が小さく萎んで、降参した。
「ふぅむ……可愛い可愛い乙女相手に、身長の暴力を振り翳した大人気ない監視役は置いておいて…このポーズはいかがかな」
「……?」
「キラッ」
「…あぁ、それか」
右手をピース、そして右目の目元へ運んだ。戯れの時の決めポーズ、凪咲が変人だと言われる所以でもあった──普段通りのポーズだ。
「これなら目立つし、私がいつもしている決めポーズだからね〜。どうだい?」
「今日ほど、凪咲が変人で良かったと思った日は無いな」
「え〜?変人?そうかい?可愛いよね〜?この片目ピース…」
凪咲は口を尖らせて監視役の右手に手を伸ばす。それを逸早く察知、左側へ身体を軽く捩り最低限の動作で避けた。
「やらせようとしないでくれるか」
「む…」
手を伸ばして諦めようとしない凪咲の手の甲を、ちょうど良い塩梅の痛みで監視役がはたいて凪咲が手を引っ込める。はたかれた手の甲を凪咲自ら優しく撫でて、手の甲を慰めた。
「そんなくだらないことに時間を使って良いのか。昼休みが終わるぞ」
「え、監視役渾身の片目ピースはー…?」
「諦めろ」
凪咲はえー?と小さく文句を垂れながら、監視役がこれ以上話すつもりは無いと意思表示した姿を確認する。つま先の進行方向は帰り道へと一致させて、足を一歩踏み出し───
「あぁ…そうだ。一つだけ聞かせろ、凪咲」
「ん?なんだい?恋バナかい?全然いいよー?」
背後の愉快な仲間に、目を爛々とさせた凪咲が足を止める。
「凪咲があの娘…結衣に関わろうとしたその時。ワタシは、運命の悪戯か何かかと思った。そんな都合良く物事が進むモノなのかと、軽く恐怖すら覚えるほどにな」
結衣を娘だと断定している凪咲相手には諦めを決心し、監視役は偽りなく本音を紡ぐ。
凪咲はその言葉の裏に、尋常ではない鬼気迫る何かを──意在言外という四文字を見抜いていた。
「それでも、ワタシは良かったと心の底から安堵したんだ。あの娘が泣いているというのにワタシが背中の一つもさすってやれない中で、凪咲が友人だとそう語っていたから。少しは心の傷に暖かい何かを注いでやれたと、そう思ってな」
凪咲は監視役へ振り返らない。
「……だが──、今になって思った。全て、本当に偶然だったのか?偶然、凪咲がワタシの娘に関わって。偶然、友人だと…そう語ったのか?」
トン、と静寂が支配する空間に靴の音を響かせる。凪咲の背後の気配は小さくて優しい足音の波紋を広げつつ、音とは対照的な声色で淡々と述べる。
「本当はもうとっくに、ワタシへの違和感を探り…何故ワタシのような人間が監視役を担当しているのか容姿含めて考察していて、そのうちに結衣を発見していて。…まさかとは思うが」
足音が止まる。
「───ワタシの娘を、利用したんじゃないだろうな?」
怒気を含む声が凪咲の耳元で囁かれた。
「….あは」
凪咲はくるりと裾を翻し、背後にいた監視役に露骨な投げキッスのリップ音を捧げた。嫣然と微笑み、何処を切り取ったとしても麗しい身体をくねくねと動かして仰々しい。
「あぁんもう〜考えすぎ、だよ。監視役ー?禿げちゃうよ〜?そんな被害妄想してると、さ。本当に偶然だったんだよ、結衣が私の元へ来たのは」
凪咲はねっ?と監視役へ一度人差し指を立ててから、監視役を視界から外そうとはせずに髪を靡かせてその場を去ろうとする。
凪咲を追跡する義務のある監視役は凪咲の髪の残り香を追いかけつつも、喉の奥に押し殺してクツクツと静かに笑うような笑みを浮かべた。
「『本当に偶然だったんだよ、結衣が私の元へ来たのは』…ね」
監視役はその身に宿る力と人間味の無さへ皮肉を込めて、目の前に存在する人間を『神童』と評価した。