9話:散歩へ
イーサは起きてこなかった。布団も乱れていないし、苦しそうな顔をしている訳でもない。
いつも通りの眠った顔なのに、ただ目を覚まさなかった。
どうしてなのかは分からない。
分からないまま、その後のことがぼんやりとしている。皆が忙しく動き回っているのに、私だけ何故か体が動かない、視界がぼんやり霞んで皆の声もよく聞きとれない。
気づいたら夕方で、秋の風が冷たくて、どのくらいそこにいたかわからないけど、皆でイーサを見送った。
ミスティとイーサの子供夫婦と4人の小さい孫たちも時折涙を見せるけど、気丈にふるまいお手伝いをしている。
なのに私は泣き叫ぶことしかできない。
「どうして!!イーサの周りには優しい気がいっぱいあって、皆もイーサが大好きだったのに」
「リン、人間は精気を力に変えられないの…」
「知ってるけど。分からないわ。どうしてずっと一緒にいられないの?一緒にいたいの!」
私は本当は答えを知っている。知っているけど分からないし、涙も止められない。
サニーは明るく振舞い、ミスティが背中を撫でてくれた。アークが手をつないでくれて、皆も優しい言葉をかけてくれる。
私は他にも知っている。ミスティはイーサとは兄妹で、サニーも私よりずっと前からイーサと一緒にいた。
アメリアとアルヴァは血が繋がった家族を亡くし、私よりずっと小さい子供たちも悲し思いをしている。でも泣いて叫んでどうしようもないのは私だけだ……。
それからも毎日、日は昇って夜になると眠る。イーサがいなくても畑の世話をするし、皆でご飯を食べる。
そんな日常を過ごすうちに、泣き叫ぶことはなくなったけど、テーブルは一人分空いたままだし、待っていてもイーサが帰ってくることは無い。イーサとは二度と話せないし、姿を見ることはないと認めるしかなかった。
私はイーサにスープの作り方をたくさん教えて貰った、あのスープを食べたい。なのに作り方が分からなくなってしまった。
「ミスティ、私イーサの教えてくれたスープの作り方がわからなくなってしまったの」
「美味しく作れてるわよ」
「なんだか砂みたいな味で、イーサのスープと全然違うわ」
「大丈夫よ、リン。イーサが教えてくれたスープの味は、時間が経てば、また美味しいねって思い出せるから、少し外に出て気分転換しましょうか」
「そうね。私、少し散歩してくる。帰って来たら私はちゃんとして、今度はイーサ直伝の美味しいスープを作るわ。シュワシュワに合うとびっきり酸っぱい果実も採ってくるからみんなで食べましょう」
皆は少しほっとしたように笑ってくれた。
散歩と言って家を出たけど、竜の姿に戻って久しぶりに空を飛ぶことにした。
竜の姿に戻った時にアークに見つかってしまったけど『少し飛んでくるから内緒にして』と言ったら、キラキラした笑顔で送り出してくれた。
昔、同じように悲しくて怖い気持ちで飛んだような気がする。
でもあの時とは違う。イーサは幸せに過ごしていいたし、私も幸せな気持ちをずっと貰っていた。
父さんに逃げろと言われて逃げたあの日、尽きるはずだった命の力をイーサとみんなにずっと補充してもらった。
「楽しいことがいっぱいあったわ。でも人間の命は短いのね」
思わず口から出た言葉で今頃気づくなんて笑ってしまう。
空は青いだけでなにもなかった。少しだけすっきりしたからもう帰ろうと思い、帰る場所があることに気づいてまた笑ってしまう。
やっぱりあの時とは全然違う。イーサにはもう会えなくても、貰ったものは無くならない。
なんだか笑ってばかりで、これなら帰れそう気がした、けれど向こうの方からなんだか懐かしい感じがする。
ここがどこなのかわからないけど、自然にそちらに向かっていた。
土砂降りの雨を抜けると深い谷があった。谷底に降りると雨は薄くなり温かいものに変わった。
見上げると太陽の陽が差し、虹がかかってキラキラしている。
「綺麗……」
なんだか疲れてきた。結構遠くまで来たのだろうか。
ここは安心できる場所だと思ったので、少し休むことにした。
休んだらあの家へ帰ろう。
きっと笑顔で帰れる。