あとがき
お読みいただきありがとうございます。
鳥居強右衛門を主人公とした小説はなろうにも複数ありますが、いずれも大人向けで書かれている感じだったので、ひとつ趣向を変えてみるかと、今回の習作は児童向けをイメージして書いてみました。話を盛り上げるため通説をねじ曲げたところもあり、上手くいったか自信はありませんが。
特に、推敲してて「あ、ここ説明が足りない。コレじゃダメだ」と直したのは一度や二度ではありませんでした。自分が知っているから、無意識に相手も知っているものと決めつけてしまうんですね。児童向けの難しさです。
しつこいようですが、本作の強右衛門や勝頼はあくまで小説として誇張および脚色して描いたものであり、この人物像が正しいと主張するものではありません。一般に認識されている、あるいはあなたが考えている両者を否定するつもりもありません。
それでも、序盤の強右衛門の描写には不満も多いでしょう。彼は忠義の士、烈士とされていますから。はい、筆者の力不足です。つーか素人にそれを求める方が悪い。
しかしながら、人は必要に迫られなければ楽な道を選ぶ生き物です。それは強右衛門とて同じはず。
また、立場が人を作るともいいます。極限状況でその人の本性が現れるとも。なので話の都合もあり、こんな展開になってしまいました。
ヒーローも、最初からヒーローなわけじゃないってやつですね。
さて自分で書いといてなんですが、私は本作の描写だけでなく「彼はなぜ『援軍は来る』と叫んだのだろう? こうだったのか? いやこうかもしれない」と、複数の考えを持っています。
ひとつ挙げてみましょうか。私は強右衛門は、計算高さと利他的な自己犠牲精神という、一見相反する特性を併せ持った人物だったのでは? とも考えています。
彼は頭の中で両軍の戦力差、勝敗、戦後の状況など、綿密に算盤を弾いたうえで、自らは処刑されても「援軍は来る」と伝える決断に至ったのではないか、と。
一説に、彼は鉄砲足軽だったと言われています。当時の人間の中で、鉄砲の恐ろしさを最もよく知っていた一人です。
岡崎城はそんなに大きくありません。あそこに三万八千人も集まったらすし詰めですよ。馬もいますし物資もかさ張りますし。当然、強右衛門は織田や徳川の軍勢を見ているし、三千丁の鉄砲も直に見たか、少なくとも説明は受けたはずです。
鉄砲のプロとして、彼は「あ、こりゃ織田が勝つわ」と確信したのではないでしょうか? なら武田についても、数日後に織田が勝ったのち信長が「せっかく助けに来たのにさっさと寝返ったか。こんな頼りない味方なら要らん」と考えたら、既にズタボロの長篠城は……。
武田への徹底抗戦。それが生き残る唯一の道と、彼は見抜いていた。そんな可能性も考えられるかと。
その一方で、勝頼に足軽への蔑視があったのでは? という疑念はあります。
彼は強右衛門に一杯食わされ、激怒したと言われて(その一方で、強右衛門を忠義の士と称えたとする説も。真逆じゃん! どっちなんだよ!)います。そしてそれを聞いた家康は「敵だろうが身分が低かろうが、忠義の士には礼節を尽くすのが武士である。勝頼は将の器にあらず」と言ったとも。
人は自分より下だと思っている相手にやり込められたとき、意のままになると思った相手がそうならないときに、きわめて強い怒りを覚えるといいます。もし勝頼がキレたというのが本当なら、そこには「足軽の分際で!」という感情の爆発があったのではないでしょうか?
まあ、私は歴史学者でも何でもありません、これだって素人の妄想にすぎないので、広い心で華麗にスルーして頂けるとありがたい。
最後になりましたが、もし現地に行きたくなったなら、長篠の戦いとは関係ありませんが、近郊の豊川稲荷にも参拝するのをオススメします。
美味しいですよ、おきつねバーガー。
【追記】
強右衛門の息子が主人公の短編も書きましたので、気が向いたらそちらもよろしくお願いします。タイトルは「烈士の子~鳥居信商、安国寺恵瓊を捕らえる」です。作者の名前をクリックして移動できるはずです。
【追記2】
これを書いてる2025年7月時点では、店舗建て替えのためおきつねバーガーは一時販売中止らしいです。新店舗の完成は初詣に合わせた12月だとか。でも、いなり寿司や宝珠まんじゅうも美味しいですよ。