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最終回「時は流れても」

新城市のHPによると強右衛門は一五四〇年生まれ。年齢は数え年です。

 強右衛門は、冒頭で書いたキの字型の十字架(?)に縛りつけられた。これからわき腹を槍で突かれ、処刑されるのだ。


「最後に、いい残すことはあるか」

 佐平次が言った。強右衛門は答えた。


「天下に名高い、武田の軍団が敗れるところを見られないのは残念だ。あと、三千丁の鉄砲が一斉に火をふくところを、一目見たかったな。だが、わしはやるだけのことはやった。ああ、やったよ」


 槍が突き出された。

 赤い血がふき出し、地面に飛び散った。


「……長篠城のみんな、見えるか、聞こえるか。わしは裏切らなかった。最後まで、裏切らなかったよ……」


 鳥居強右衛門、死亡。三十六歳だった。


 その死を間近で見て、佐平次は感動したという。自分の旗に、はりつけにされた彼の姿を用いるほどに。それが例の、夜中に見たらビビるやつである。


 ━━━━━


 強右衛門の誇り高い最期を見た長篠城のみんなは、「城を落とされたら、あの世で強右衛門に合わせる顔がない。なんとしても守り抜くぞ!」と奮い立ち、かろうじて持ちこたえた。

 そして設楽原の決戦で、武田軍は一説には全滅に近い損害を出して敗れ、天下取りのレースから大きく後退することになる。後退どころか脱落だという人もいる。


 戦いを決定づけたのは、三千丁の鉄砲だった。長いこと、三グループが交代して絶え間なく撃つ、いわゆる「三段撃ち」によるものと言われていたが、最新の研究によると色々と違うらしい。数も三千丁でなく千丁との説もある。

 でも、とにかく鉄砲が勝敗の決め手になったことは確かだ。これは外国の軍事評論家にも、画期的なできごととして高く評価されている。


 戦いが終わったのち、信長は強右衛門が死んだときの様子を聞いて「惜しい男を亡くした」と、彼に敬意を表して立派な墓を作らせた。これは今でも新城市のお寺にあり、手を合わせに訪れる歴史ファンや地元の人は少なくない。


 家康は、「勝頼は立派な武将ではない。いずれ家来に見放されるだろう」と言ったそうだ。殿様や仲間のため、命をなげうって役目を果たした強右衛門には、敵味方や身分関係なく、礼儀を尽くすべきだと思ったからだ。事実、この戦いからわずか七年後の一五八二年、そのとおりになって武田家は滅ぶことになる。


 奥平の殿様は、長篠城を守り抜いたことで、のちに天下人となる家康のさらなる信頼を得た。そのため長篠の戦いを、奥平家では「開運戦」と呼んだという。


 強右衛門の息子は、奥平の殿様の家来になった。父の名に恥じないようよく殿様に尽くし、一六〇〇年の関ヶ原の戦いのあとでは、逃げて行方をくらませていた敵の武将を捕まえる手柄を立て、おおいに殿様を喜ばせた。


 強右衛門が命を捨てて守った長篠城は、この戦いでボロボロになったので取り壊された。でも、城はなくなっても、彼の勇気ある行動は、今も地元の人たちの誇りとして語り継がれている。新城市では、強右衛門は信長や家康に負けない人気のあるヒーローなのだ。


 現在、城の跡地あとちには資料館があり、当時の鉄砲や鎧などの展示物を見ることができる。


 ━━━━━


 ここまで読んでくれた暇人……いや辛抱強いあなたには、あと少しだけ私のたわごとにつき合ってほしい。


 長篠城跡や設楽原に限らないけれど、かつて歴史を動かす戦いの舞台となった場所の多くが、現在では普通の住宅地や公園、あるいは農地になっている。戦国時代は日本中が戦に明け暮れていたから、たぶんあなたの住んでいる町にも、何かしら史跡があるだろう。毎日そのすぐ側の道を歩いている人や、近くに住んでいる人もいるに違いない。


 毎日の忙しさから、普段はつい忘れがちになる。私もそうだ。


 でも、たまにはそこで行われた戦いや、起きたできごとに想いを馳せてみようではないか。資料館の中には、無料で見学できる(長篠城は有料)ところもあることだし。


 武士たちが命をかけて戦った場所、戦火に焼かれた場所にも、季節がめぐればまた草木が芽吹き、花が咲く。そこに日々の営みがあるかぎり、人はその土地に根をはって生きてゆく。

 天下人から足軽まで、乱世を駆けぬけた男たちの夢を、野望を、知恵を、勇気を、誇りを見届けた大地は、四百年以上の時をこえて、今も変わらずそこにある。


 私はそう考えるたびに、安らぎのようでもあり、もの寂しさのようでもある、不思議な気持ちになる。この感情を正確に伝える文章力は、残念ながら今の私にはないが。


 もしあなたがこれを読んで、長篠城や設楽原の戦いに興味を持ったなら、実際に電車を乗り継いで、現地に行ってみるのもいいだろう。きっとあの夜、強右衛門が耳にしたのと変わらない、川のせせらぎが聞こえるはずだから。


【おわり】

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