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第四話「弱き者の牙」

重ねてお断りしておきますが、このお話の人物は、あくまでも物語として少し大げさに書いてあります。

「強右衛門とやら。ここはひとつ、取引といこうじゃないか」


 勝頼のアイデア。それは強右衛門に、城に向かって「助けはこない。わしは岡崎城まで行ったが、家康は助けを断った。長篠城は徳川に見捨てられたのだ。こんな薄情なやつにつくのはやめて、武田の家来になろう」と言え、さもなくば殺すというものだった。


 つまり殿様や仲間たちをだませと、裏切れということだ。


「もちろんタダとは言わない。褒美もやるし、俺の家来の侍大将にしてやろう。そなたの家族も助ける。長篠城の足軽たちもだ」


「むむむ……」

 今度は、強右衛門がうなった。


 武田家は、織田や徳川にひけをとらない大大名だ。その侍大将になれれば、ちっぽけな地方豪族にすぎない奥平家の足軽とは、比べものにならない大出世だ。でも、その地位を手に入れる条件は、味方を裏切ること。


 もし降参したら、殿様はどうなるのだろう。責任をとって切腹するのだろうか。

 足軽の仲間たちは? ここで助かっても、「もう武田に逆らわないと証明してみせろ」と、誰もやりたがらない危険な役目を押しつけられるのがオチではなかろうか。

 自分だけ偉くなって、ひとり安全なところから、使い捨てにされるかつての仲間たちを見るのはどんな気分だろう? 彼らは何を思って死んでいくのだろう……。


「武田軍の前では、尾張の弱兵じゃくへいなどものの数ではない。もしそなたのお陰で長篠城を落とせたなら、この戦の一番手柄はそなただぞ」

 勝頼の言葉に、強右衛門は迷った。甲斐の国の兵隊、武田の兵隊は天下でいちばん強い。それはこの時代の常識だったからだ。

 一方で、尾張つまり信長の兵は、弱いと言われていた。家康も、二年前の三方みかたはらの戦いで、信玄ひきいる武田軍にこてんぱんにやられている。

 ましてや勝頼は、戦だけなら信玄より強いとさえ言われる猛将だ。いくら織田や徳川の数が多くても、武田が勝つ可能性はじゅうぶんある。


「こうしている間にも、信長めはこちらに向かっている。決めるなら今だ」

 確かに勝頼の言うとおりだ。いつまでも迷ってはいられない。


 みんなを、特に自分を信じてこの役目を任せてくれた殿様を裏切って、自分と家族だけが高い身分になり、たくさんのご褒美をもらうか。

 自分を犠牲にして、仲間たちのために役目をまっとうするか。


(どうする? どうしたらいい?)


 強右衛門はふと顔を上げた。勝頼の顔が見えた。

 その表情を見た瞬間、強右衛門の心は決まった。


 強右衛門は一度うつむき、そして顔を上げた。

「分かりました。その取引、お受けしましょう」


 ━━━━━


 強右衛門は縄で縛られ、長篠城の近くに連れてこられた。縄を持っている武田軍の武将、落合おちあい佐平次さへいじが叫んだ。

「長篠城の兵たちよ! これを見ろ~っ!」


 捕らえられた強右衛門を見て、長篠城はざわついた。

「あれは鳥居どのじゃ」

「岡崎城への使いは失敗したのか」

「では助けはこない?」

「それではわしらは終わりじゃ」

 ざわつきが収まるのを待って、ふたたび佐平次が叫ぶ。


「そなたらの使いは、このとおり我らが捕らえた! これからそなたらに伝えることがある! よーっく聞けいっ!」

 佐平次にうながされ、強右衛門は一歩前に出た。


「おーい! 長篠城のみんな~っ! 聞こえるか~っ! わしは岡崎城まで行った! 信長さまと家康さまに会った! 助けてくれと頼んだ! そして……!」


 助けは来るのか、それとも……。城内が、次の言葉を待って静まりかえる。強右衛門は、ここでふう、とひとつ息をはき、肺の中いっぱいに空気を吸いこんだ。


「お二人は、助けにきてくれると約束してくだすった! その数三万八千! すでに岡崎城を出発しておる! 皆の衆、あと少しの辛抱だ~っ!!」


 ━━━━━


 なぜ強右衛門がこのようなことをしたのか、もちろん四百年以上も経った今となっては知ることはできない。でも、想像することはできる。

 これは私の、まったく個人的な考えだ。考察というより、妄想と言ったほうがいいだろう。だから、あなたの考え、そして事実とはたぶん違ってると思う。


 強右衛門の迷いを絶ちきったもの、死を覚悟のうえで、助けがくると伝える気持ちを決定づけたもの。それは勝頼への反発だったのではなかろうか?


 ━━━━━


 話が違うじゃないか! 武田軍、とくに遠くに見える勝頼が慌てふためくさまを、強右衛門は満足げにながめた。ざまぁみろ。


 強右衛門がふと勝頼の顔を見たとき、彼は笑っていた。


 ニヤリと口の端をつり上げ、さも楽しそうに……。立派な鎧を身につけ、豪華な椅子に腰かけて、みすぼらしい身なりをした自分を見おろしていた。足軽にとっては大金だが、大名にとっては小銭でしかない褒美のために迷う目の前の男を、面白おかしく眺めていた。その目に、表情に、態度に……強右衛門を、というより、身分の低い足軽を見下みくだす気持ちが現れていた。


(ふん、な~にを迷ってんだか。おまえら足軽は、俺たち武将みたいな誇り高さなんてないから、ちょっと褒美をちらつかせれば簡単に寝返るくせに。ほらほら、カッコつけてないでさっさと俺様の命令を聞け。金ならくれてやるからよ。欲しくないのか貧乏人?)


 口にこそ出していなかったが、そんな()()()が、はっきり感じられたのだ。


 強右衛門はカチンと来た。身分の低い足軽だって、殿様や仲間のために命をかける根性があるんだと、勝頼に見せてやりたくなった。たとえ殺されようと、お高くとまった大大名さまを、一回でいいからギャフンと言わせてやりたい! という、ブチギレ上等の開き直りというか、捨て身のくそ度胸というか……


「やった! 助けはくるぞ!」

「これでわしらは救われる!」

 長篠城から喜びの声が上がった。やる気は強さに直結する。助けがくるという希望は、長篠城の仲間たちに、信長と家康が来るまで持ちこたえる力を与えてくれるだろう。ここに、勝頼のたくらみは水の泡と消えた。


 彼が命を捨ててでも守りたかったもの。きっとそれはひとつじゃない。

 家族、殿様、仲間たち。

 長篠城、新城の町、畑や田んぼ。

 そして、武士としての、人としての意地と誇り……。


 重ねて言うが、これは私の妄想にすぎない。この辺でやめておこう。

あと、実際には岡崎へ使いに出たのはひとりではありません。鈴木金七郎という人も同じ役目についています。長篠への帰り道は別行動を取っていたらしく、武田に捕まったのは強右衛門だけみたいですが。

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