第一話「長篠城の危機」
【お読みになる前に】
この小説に出てくる人たちは、あくまでもお話として大げさに書かれています。実際の歴史とはかなり違うところもあるので注意してください。
自然豊かな地方都市、愛知県新城市。
歴史に名高い長篠の戦い、正確には長篠城の近く、設楽原の戦いの舞台となった地だ。少し電車に乗れば、日本三大稲荷のひとつである豊川稲荷、さらに行くと、大河ドラマで何度も主人公になっている徳川家康の生まれた岡崎市、車づくりの本場豊田市、そしてドラゴンズやグランパスのホームタウンの名古屋市まで日帰りできる。
さて、そんな新城市のあちこちに、カタカナの「キ」の字型をした、十字架ならぬキ字架? にくくりつけられた、ふんどし一丁のおっさんが描かれた看板があるのを知っているだろうか。正直、夜道でいきなり見たらむっちゃビビる。
このふんどし男の名は、鳥居強右衛門。JR飯田線の鳥居駅の名前のもとになった、たぶん日本でいちばん有名な足軽……つまり、昔の殿様に仕えた、下っ端の兵隊だ。
なぜ彼は身分の低い足軽なのに、歴史に名を残せたのか。もしかしたらテレビの時代劇、それこそ大河で知っているかもしれないけど、そうでないなら、少しだけ私の妄想につき合ってくれたら嬉しい。
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「自分が死んだことは三年隠せ」
それが最後の言葉だった。
今から四百年以上前の一五七三年、その強さから「甲斐の虎」と呼ばれた、甲斐の国(現在の山梨県)の戦国大名、武田信玄は病で亡くなった。でも、三年どころか三週間も経たないうちに、彼の死は全国に知れ渡っていた。ネットどころか新聞もラジオもない時代だけど、人の噂はあっという間に広がる。
大きな大名家の下について守ってもらわないと生き残れない、地方の小さな豪族の中には、それまで武田についていたけど、「信玄がいなくなった武田は落ち目だ。徳川に寝返ろう」と、武田家と敵対していた三河の国(現在の愛知県東部)の大名、徳川家康に降参した人が何人も出た。飯田線の長篠城駅から歩いて行ける場所にあった(現在は城は取り壊されている)、長篠城の奥平氏もそのひとりだ。
昨日まで敵だった家康の家来になるのは、面白くないかもしれない。でも、家来や町の人たちを守り、できればもっといい暮らしをさせてやるためには、仕方のないことだった。多くの命を預かる者には、彼らのため、時には嫌な決断をしなければならない時もある。
ところが、武田は落ち目にはならなかった。信玄のあとをついだ息子の勝頼は、「俺は父さんより強い!」と言うかのように、まわりの国の城を攻めては、次々に落としてゆく。事実、武田家の領地が最大になったのは、勝頼の代になってからなのだ。
わずか五百の兵しかもたない奥平氏の長篠城が、一万五千人もの武田軍に攻められたのは、信玄が死んでから二年後、一五七五年のことだった。
長篠城は、小さいとはいえ武田と徳川の領地の境目にある。敵から攻められないため、あるいは敵を攻めるために必要な城だ。
それに、武田より徳川を選んだやつを放っておいてはメンツが立たない。勝頼は武田家のためにも、自分のプライドのためにも、長篠城を落とす必要があったのだ。
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ごう、と音を立てて火の手が上がる。長篠城の中は大混乱だ。ある者は「中の食べ物を運び出せ」と叫び、またある者は「火を消せ」と怒鳴る。
ミサイルも飛行機もない時代、城を攻めるのは大変なことだった。分厚く高い壁が、水でいっぱいのお堀が、固く閉ざされた門がある。でも、どんな城でも守るのは人間。水や食べ物がなくなればおしまいだ。武田軍は、食べ物を置いてある倉庫を狙い打ちしたのだ。
腹がへっては戦ができぬ。それまでなんとか持ちこたえていた長篠城は、一転、大ピンチになってしまった。
「このいくさは、敗けかのう」
「なに、そうなったら武田につけばいい。わしら足軽にとっちゃ、誰が殿様でも同じことじゃ」
「ほんに、ほんに。飯さえ食えればのう」
「まったくじゃ。こんな水みたいな粥では、出る力も出んわい」
夕暮れ時、敵がいったん引き返した頃。壁にもたれた足軽たちが、食べ物が残り少ないせいで薄くなったお粥をすすりながら話し合っている。
命を預かる者には、それを守る責任がある。それは殿様も足軽も変わらない。でも、足軽はいちばんの下っ端。守らねばならないのは、自分と家族だけだ。
なので彼らは、自分たちが助かるなら、あっちについたりこっちについたりは当たり前のことだった。何百、何千という人数なら、色々やっかいなことも増えて簡単に出たり入ったりできないが、少なければそれだけ動きやすい。
そんな足軽の中に、強右衛門もいた。
(食料庫がやられてしもうたから、城の中の食い物はもってあと数日。こりゃあ、長篠城はダメかもしれんな。殿様は武田に降参したら、腹を切るのかのう。武田から新しい城主が送られてくるだろう、今より少しは暮らしやすくなるとよいがなあ)
まるで他人事だが、足軽とはこんなものだった。
現代人の感覚なら……さっきドラゴンズやグランパスの名前が出てきたが、スポーツに例えるとピンとくるかもしれない。つまり、殿様が監督で、足軽は選手だ。
長篠城が戦に敗れるのは、いわばチームが最下位になったり、J2に降格したりするようなものだ。責任を取って、監督はチームを去る。これが戦国時代なら殿様の切腹にあたる。ていうか今でも責任とって辞めることを「ハラキリ」と言ったりする。
でも、監督がクビになっても選手はそのままチームに残る。そして新しく来た監督、つまり武田勝頼のもとでプレーできる。
もしかしたら、打順や戦術が勝頼のやりかたに変われば、もっと活躍できるかもしれない。だから監督が代わるのも悪くない……まあ、そんな感じだろうか?
この時点では、強右衛門もその他大勢のひとりに、自分と家族が助かればいい、どっちの殿様が勝とうが自分には関係ないと思っている、ごく普通の足軽のひとりにすぎなかった。
その時だ。足軽たちのところに、殿様の使いがやってきた。
「鳥居強右衛門はいるか?」
「へい、わしでございますが」
「すぐまいれ。殿がお呼びじゃ」
「ええ? 殿様が、わしをですか?」
強右衛門は驚いて声をあげた。これからほんの数日のうちに、彼は名もない足軽から、戦国のヒーローになることになる。