同志悪役令嬢は懲罰する! ~乙女ゲーム世界に転生してきたのがやべー奴揃いだった件~
作者も特に深く考えずに書いております故、お読みになる方も特に深く考えずにお楽しみください。
「ロミルダ・ローテファーネ嬢。あなたとの婚約を、この場を以て破棄させていただきたい」
リライア王国の第二王子であるレオン・リライアがそんなことを宣言したのは、王立魔法学園の卒業パーティーの最中だった。
静まり返る会場で、彼の横に並び立つ愛らしい男爵令嬢、グレーテル・グリューネヴァルトは内心ほくそ笑んでいた。
彼女は前世の記憶の持ち主だった。
自分が日本という異界の国で生まれ育った日本人であり、そして今居るこの世界が日本で発売された、女性向け恋愛シミュレーション――所謂乙女ゲームの世界だと知っていた。自分が、そのゲームの主人公であるとも。
――ふふ、固まっちゃってる。流石に断罪イベントの回避が出来なかったことには焦ってるみたいね。
今しがた、目の前で王子から婚約破棄されたのはローテファーネ公爵令嬢ロミルダ。ゲームでは王子と仲睦まじくする主人公を疎み、数々の嫌がらせをし、最終的には暗殺者まで雇って主人公と王子の恋路を妨害する悪役令嬢である。
グレーテルは彼女も自身と同じ転生者であると気付いていた。魔法学園に入学した時から漏れ聞こえる噂は彼女が到底ゲーム通りのロミルダとは思えない善良さの持ち主であることを示していたし、実際にゲームのような嫌がらせを受けることもなく、ましてや暗殺者を差し向けられることもなかった。
しかし、グレーテルは王子の婚約者であるロミルダの排除を画策せざるを得なかった。
ロミルダが変わったことによって、ゲームでは蛇蝎の如く彼女を嫌っていたレオンが、入学時点では然程ロミルダを嫌っていなかったのだ。
幸いにしてロミルダ側がレオンとの結婚に全く乗り気でなく、寧ろレオンを避けている節すらあったので彼の好感度を稼ぎに稼いで心を奪うことには成功したが。
どうやらこの断罪イベントを避ける為にロミルダは色々してきたようだが、こうして実際に起こすことが出来た。これで自分は晴れて王子妃様だと、グレーテルは口角を上げる。
前世の彼女は、結婚詐欺師であった。
未婚・既婚問わず男性に取り入り、結婚を匂わせて金銭を騙し取り、結婚する直前に姿を消すということを繰り返していた。
そんな人生は窃盗犯を追いかける男とぶつかり、転んだ先が用水路だったという奇妙な死に方で幕を閉じ、気付けば異世界の男爵令嬢になっていた。
それが以前遊んでいた乙女ゲームの世界で、自分が主人公だと気付くと、彼女の人生の方針は即座に決まった。その培った手練手管を駆使してのレオン王子の攻略である。
彼はゲームでは所謂メイン攻略対象であり、攻略がしやすかったのもあるが、何よりグレーテルにとってレオンは最高の優良物件といえた。顔も良く、声も良く、お金もあれば仕事も出来るし、この国一番の権力者一家だ。
なので、彼の婚約者であるロミルダは邪魔だった。彼女を排除しなければ、一夫多妻を認めていないこの国ではレオンと結婚することが出来ないのだ。
しかしロミルダの排除は至難の業だった。
典型的な悪略令嬢転生モノかというくらいロミルダは善人だったのだ。いや実際この状況は典型的な悪役令嬢転生モノに他ならないのだが。
グレーテルはそうした作品でありがちな「ゲームの主人公への転生者が愚行の末に敗北する」という結末だけは避けようと努力しつつ、ロミルダの断罪イベントを起こす為に様々な手を打った。
例えば教科書を隠す等の嫌がらせを受けた際には、その罪をロミルダに擦り付けた。当然ながら彼女がそんなことをする人物ではないことはグレーテルにも分かっていたが、「嫉妬に駆られてやったに違いない」などという理由をつけてしつこく噂を流せばそれは徐々に真実として広まっていった。グレーテル自身「いや無理があるだろ」と思った工作もいくつかあったが、元々ゲーム主人公に有利になるように世界が設計されているとしか思えないくらい彼女の工作は順調に進んだ。
勿論その間レオンの攻略も進めた。先述の通りこの世界はグレーテルに有利になるように仕向けられているようだったし、レオン攻略の為の答えも粗方知っていたし、前世の結婚詐欺師としての経験が大変役に立った。何よりロミルダがレオンとの結婚に乗り気でなかったことが彼女の思惑に有利に働いた。
レオンの婚約破棄宣言が冒頭のような少し自信なさげなものに留まったのは彼女の中に一抹の不安を抱かせたが、断罪イベント自体は起こすことが出来たのだ。もうここまで来たらどう転ぼうが進むしかない。
「理由を、お聞かせ願えますでしょうか」
王子の婚約破棄宣言によって会場が静まり返って数秒。
最初に言葉を発したのは、ロミルダであった。
その鋭い声色にレオンは若干怯みつつ、口を開いた。
「ここに立つグレーテル・グリューネヴァルト嬢……彼女の私物が、度々盗まれているのは君も知っている筈だ。それは、君の指示によって行われたのだろう? 証拠も残っているし、実行犯も捕まって自白した」
周囲の令息、令嬢達が怪訝な顔をする。
グレーテルの私物の窃盗は時々あることだった。
ただ、被害者は彼女一人ではないし、実行犯も一人ではない。ある時は幾人かの令息に懸想される令嬢への嫌がらせとして、またある時は倒錯した嗜好の赴くままに。
――俺が盗ったのも入ってねぇか?
周囲の令息達の中でも、一際爽やかで明るい雰囲気の青年が、内心で焦っていた。
ブラウヒッチュ侯爵令息バルトルトである。
彼はリライア王国の名門ブラウヒッチュ家の三男であり、学園ではその甘いマスクと紳士的かつ飄々とした態度で数々の令嬢と浮名を流してきたプレイボーイである。
ゲームでも攻略対象として登場した彼だったが、結婚詐欺師グレーテルは彼と付き合おうとは考えず、特に眼中に入れていなかったので気付かなかったのだ。
彼もまた、日本からの転生者であることに。
ただ彼の場合は、自身が今居る世界が乙女ゲームの世界だとも気付いていなかった。前世でそういったジャンルのゲームをやらなかった為だ。彼の前世の性格は奇跡的にもバルトルトとマッチし、グレーテルは結局彼が転生者であることに気付かなかったし、彼も自分以外に転生者が居るとは夢にも思っていなかった。
「例えば何を盗まれたと?」
「色々盗まれましたが……例えば1年前には、ハンカチを盗まれました。初めて自分で刺繍した、大切なものだったのです……」
ロミルダの言葉に、俯いて答えるグレーテル。
証拠類や犯人像、果ては窃盗被害そのものにも捏造は多いが、ここに挙げたハンカチの例は彼女の嘘偽りない本当のことである。実際に大切にしていたし、実際に盗まれた。犯人は分からなかった。
――やっぱ入ってるゥー!?
傍から見ていたバルトルトは、内心焦っていた。
前世の彼は、連続窃盗犯であった。
空き巣、置き引き、万引き。彼は兎に角、人のものを盗むことがやめられなかった。
その技術にも強い拘りがあり、引ったくりや強盗は彼の美学に反し、一方でスリを芸術だと本気で信じていた。
それによって金銭を得るなどということには特に興味がなく、兎に角「窃盗」という行為を愛しており、時には留守中の家に忍び込んで物色するだけ物色して金品に手を付けず何の価値もないものを盗んだこともある程の筋金入りの倒錯者であった。
そんな彼の人生は、置き引きをうっかり目撃されて持ち主に追いかけ回される羽目になり、その末に頭上から乗用車が落下してくるという意味不明な最期で幕を閉じた。そして気付けば異世界の侯爵令息となっていたのである。
転生したからといって彼の盗み癖――というより倒錯した性癖が留まることはない。
寧ろ誰からも注目される高位貴族という立場が窃盗の難易度を上げ、それがまた彼を興奮させた。
王立魔法学園に入学してからもそれは留まることを知らず、数々の窃盗を行い、そしてその被害者の中には当然グレーテルも入っていた。
彼にとって相手が誰であるかは関係ないし、盗むものが何であるかも重要ではない。
しかしそれは被害者からしてみれば堪ったものではないのだ。大切にしていたものを盗まれれば嫌でも気付くし、怒りもする。
彼とてそれは承知しているので、一応誰から何を盗んだかはある程度覚えているのだ。同じ相手から何度も盗むのは彼の美学に反することの方が理由としては大きいが。
だがまさか、自分の犯行がこのような政略に使われるとは考えてもみなかった。
そして、それはまた彼の美学に反していた。
「待ちたまえ、グレーテル嬢」
バルトルトは一歩前に出て、声を上げた。
周囲の注目が彼に集まる。
「君のお気に入りのハンカチを盗んだのは、私だ。その……辛抱出来なくてな。本当にすまない」
数人の令嬢が悲鳴を上げた。
彼がグレーテルのハンカチを盗んだのは、確かに我慢出来なかったからだ。自分の窃盗欲求を。
だが、悲鳴を上げた令嬢達は、彼が我慢ならなかったのはグレーテルへの恋情だと解釈していた。数々の令嬢と浮名を流すあのバルトルトが、懸想する少女の気を惹こうとして私物を盗んだのだという想像が瞬時に彼女らの中を駆け巡ったのである。
一方でグレーテルは言いようのない違和感を覚えて固まっていた。
バルトルトが甘い言葉を恥ずかしげもなく囁く遊び人であることは学園内ではよく知られており、同時にグレーテルに袖にされたことも学園内では知られている。
それ自体はゲーム内でもあったイベントで、グレーテルは彼のルートに入らない選択肢をなぞっていた。その後も何度か言い寄ってきていたが、3度目で「脈なし」と判断して言い寄ってこなくなることもゲーム通りだったので何の違和感も覚えなかったのだ。
その後グレーテルがお気に入りのハンカチをなくすイベントは、本来彼とは何の関係もない。彼のルートに入っていれば一緒に探してくれるのだが、レオンルートだったので当然その役目はレオンが果たした。結局見つからなかったが、それもゲームとしては確率イベントだったので気にしていなかったのだ。
それなのに、その窃盗犯がバルトルトだという。そのような描写はゲームに存在しなかったし、そもそも一体どんな理由で彼がグレーテルのハンカチを盗むというのか。
周囲の令嬢達が想像したような理由は当然グレーテルの中にも過ったが、それはあり得ないとも同時に判断していた。彼は3度断った女性にしつこく言い寄ってはこない。ゲーム通りの彼ならばグレーテルが3度断った時点で彼女をその対象から外している。
――じゃあ何で名乗り出たのよ。
グレーテルは内心悪態をついた。
盗んだのが事実だったとして、グレーテルに本当に恋い焦がれているのでもない限り、彼が名乗り出るメリットは全くない。寧ろハンカチの窃盗犯として幾人かの不信を買っただけである。
彼女はバルトルトの性癖など知らなかったので、本当に理解不能だった。
「そ、そうですか。それは、失礼しました」
なんで私が謝っているんだろうと思いながらも頭を下げると、バルトルトは下がっていった。本当に自分が窃盗犯であると告白しただけだった。
兎も角、大切なハンカチを盗まれたというカードはもう使えない。
寧ろレオンの愛のライバルとしてバルトルトが立ち上がるような構図を齎した、混沌の原因ともいうべき存在になってしまった。グレーテルにしてみればバルトルトが彼女に恋心を抱いていないのは明らかであったが。
他にも使えるカードは用意している。というより窃盗被害はハンカチ以外にもあるので他のものを挙げても良い。だが、先程のように変な輩に名乗り出られても困る。犯人に行き着くことが出来たのはほんの僅かであり、いずれもロミルダとは全く関係がなかった。
なので彼女は窃盗ではなく別の容疑を使うことにした。しかもこれから切るカードは嫌がらせ如きではない。
「ヴィルマを……ヴィルマ・ヴァイセン様を、あんな目に遭わせたのは、ロミルダ様ではありませんか?」
その言葉を紡ぐ間にも、グレーテルの声は徐々に震えてくる。周囲の貴族子女達も息を吞んだ。
これは本当に、グレーテルにとっても非常にショッキングな事件であり、重大犯罪であった。
ヴァイセン子爵令嬢ヴィルマは、グレーテル達が3年生に進級する直前の春休み中に失踪し、その後遺体で見つかった同級生である。遺体はバラバラにされて学園の演習場の隅に埋められており、遺体が発見されたのは魔法演習の授業中に偶然にもグレーテルが地面に大穴を開けた為で、その身元がすぐに分かったのは布に包まれた遺体の内、顔は綺麗なままだった為である。
ゲームにこのようなイベントはなく、まさかヴィルマが死亡するなどとは夢にも思っていなかったグレーテルはあまりの衝撃に数日間寝込んだ。ゲームでもそうだったが、彼女はグレーテルの親友だったのである。
「グレーテル、それは……」
レオンが苦々し気にグレーテルを見遣る。
王家は威信をかけて事件の捜査に当たったが、未だに犯人は判明していない。ヴィルマは近年平民の間で高まっている革命の機運に感化されていた節があり、有力な貴族の恨みを買っていたのではないかという噂もあった為、政略的な暗殺の可能性もあって捜査は難航したのだ。
だが、グレーテルはある種確信を持ってロミルダの関与を疑っていた。
ゲームではヴィルマが革命の機運に感化されているような描写はなかったし、そもそも革命の話など聞いたこともなかった。だが、ゲームと違ってこの世界では平民の間に「万人が平等に暮らせる世界」や「人民の人民による人民の為の政治」等といった言論が飛び交っている。
ゲームと違うこの世界へ変な影響を齎しているのは一体誰か?
自分以外の転生者――ロミルダに違いない。
ヴィルマ殺害の容疑は、本当はここで使う気はないカードであった。
ロミルダ断罪に使えるカードの一つだと割り切れれば良かったのだが、それが出来る程の冷酷さを持ち合わせてはおらず、どうしても感情的になってしまうと自覚していたのだ。それは冷静な判断力を欠いて何らかのミスを犯す可能性を示唆していた。
そもそもロミルダを疑うには根拠が弱過ぎるのだ。
確かにヴィルマは革命運動に感化されて高位貴族を嫌っていたが、成績優秀で容姿も端麗なロミルダのことは尊敬していたし、レオンと結ばれたいと努力するグレーテルのことも親友として応援していた。
逆にロミルダはヴィルマのことをヴァイセン子爵令嬢でグレーテルの親友であること以外には特に認知していないようだったし、よしんばロミルダが変わった影響でこの事件が起きていたのだとしてもそれは結果論で、彼女はヴィルマの死など望んだことはないだろう。
それでも、ロミルダが変な影響を与えたに違いないと、グレーテルは確信していた。
――本当に僕だってバレてないんだなぁ。
剣呑な雰囲気になった会場内で、そんなことを暢気に考えている令息が居た。
ゲルベンシュタイン辺境伯令息ゲオルクである。
リライア王国の東部国境地帯を鎮護するゲルベンシュタイン辺境伯家の長男で、端麗な容姿と物静かな性格、そして時々見せる柔和な笑顔は学園の生徒だけでなく教員にも人気だ。辺境伯家という武門の出だけあって、優秀な成績の中でも特に実技系はトップクラスでありながら、温厚な性格であることもポイントが高いらしい。
当然の如く、ゲームでは攻略対象の一人だった。グレーテルは攻略する自信があったのでレオンを選んだのだが、もし両方に自信がある、もしくはなければ、ゲオルクの方を選んでいたというくらいの好人物だ。
しかしそんな彼もまた、転生者であった。
「ちょっと嫌な気分だな……」
「ゲオルク?」
「いや……何でもないよ」
つい呟いてしまい、隣に立っていた友人に突っ込まれたが、すぐに誤魔化す。
自分の仕事を、他人によって更なる他人の仕事だと言われるのは、それが重大犯罪であっても気分の良いものではない。
前世の彼は、快楽殺人鬼だった。
優れた容姿と穏和な性格、裕福な実家、そして医者という職業に釣られて言い寄ってくる女性を惨たらしく殺害することを至上の喜びとしている倒錯者であり、日本のとある地方で行方不明になった女性の内7人は彼が手にかけたものであった。
そんな殺人鬼の人生は、車で走行中に視界の端で起きた建物の爆発に気を取られて陸橋から車ごと落下するという迂闊な死に方で終わったわけだが、その倒錯が乙女ゲーム世界へ攻略対象として転生した程度で消えるわけもなく、彼はこの世界で既に4人の女性を手にかけていた。
ヴィルマ・ヴァイセンは直近の被害者である。それまで手にかけた3人は女中や女給等の平民ばかりで、貴族令嬢は初めてだった。
しかし、彼の哲学にはそれが貴族令嬢であろうが女中であろうが関係なかった。彼は平等主義で博愛主義である。
ヴィルマを選んだのは、ただ単純に彼女がゲオルクに言い寄ってきたからというだけだ。強いて言うなら、これまで殺めた女性達のように彼の金銭や地位を目当てに寄ってきたのではなく、自身の思想を広める為に勧誘してきたのが多少は気になった程度か。
また、彼はこの世界がゲームの世界であると知っていた。プレイしたことはないが、実家に帰った時に妹がプレイしているのを見たことがあったのだ。
逆に言えば知識はその程度だった為、詳しい内容も知らない。丁度ゲオルクの攻略ルートだったので彼に転生した直後にここが乙女ゲームの世界だと気付けたのと、ある程度ゲームのゲオルクのような振る舞いを心掛けることが出来た程度か。また、ヴィルマが主人公の親友であることも知っていた。
無論、ゲームのゲオルクには殺人鬼の設定などなかった筈だし、ヴィルマを殺害した時点でゲームシナリオ自体が破綻してしまったのではないかと彼は考えていたが。
因みに彼もグレーテルとロミルダが自身と同じ転生者であるとは気付いていた。もしもどちらかが自分と接触を図ってきたら打ち明けるつもりではあったが、遂に誰も転生者として接触してくることはなかった。誰も彼が転生者だと気付いていなかったのだから。
「……私も、あの事件については痛ましく思っております」
「痛ましく!? よくも……よくも抜け抜けと!」
ゲオルクが思案している間に、グレーテルはヒートアップしていた。
直接的にせよ間接的にせよ、彼女の中ではロミルダが原因で親友が死んだという図式が成り立っているのだ。
いっそのこと申し出た方が良いだろうか。だが、さっきのバルトルトと違って、今度は恋心によるいじらしい窃盗などではなく、残忍な殺人だ。先程のように曖昧に済む筈がない。
「それで、何を根拠に私が原因だと仰りたいのですか」
ロミルダの静かながらよく通る声に、グレーテルは思わず口を噤む。
彼女も頭では分かっているのだ。ロミルダが間接的要因であっても、その根拠を示すのは自身も転生者であると明かさざるを得ないということであり、しかしそれはこの場では何の根拠にもならないことを。寧ろ正気を疑われてしまう。
何より、実際的にロミルダがヴィルマの死に関わっていないのは明らかだ。バタフライエフェクトで出た死人についての罪を問うことは出来ない。
グレーテルが黙り込んだのを見て、ロミルダは目を伏せた。
「心を痛めているのは本心です。彼女は――我々の同志の1人でした」
彼女の言葉に、今度はレオンがピクリと反応した。否、レオンだけではない。
他の幾人かの高位貴族が、信じられないものを見るかのような目でロミルダを凝視している。凝視されている当人は全くの無反応だが、近くにいるグレーテルが気圧される程の重圧だった。
「ロミルダ、まるで、その、最近話題の、革命運動家のような言葉を使うんだね」
恐る恐る、震える声でレオンが問いかける。
昨今国内の平民の間で流布されている「人民の人民による人民の為の政治」は、段々と過激な方向に進んできており、革命の機運が高まってきている。
中でも過激な集団は衛兵や貴族を襲撃している為、彼らが仲間と「同志」と呼び合うという情報が王都の治安に携わる関係者や一部貴族の間で共有されている。
無論、ロミルダにもそれは共有されている。高位貴族であり、学園生である関係上外出の多い彼女も襲撃の対象となる可能性が高いからだ。
しかし、今の彼女は寧ろその過激な革命運動家のように「同志」という言葉を使っていた。それを疑うレオンの言葉に、薄らと微笑んですら見せた。
まさか、公爵令嬢であるロミルダが――と、祈りにも似た思いでその場の誰もが彼女の言葉を待っていた。
「……そうですね、もうこうなってしまえば仕方がないでしょう。本来思っていたのとは違う展開なのですが」
グレーテルの顔が引き攣った。
「人民よ、団結せよ!」
ロミルダがこの場においては初めて声を張り上げる。
それは革命運動家達が度々口にするスローガンであった。
そしてそれを合図に、数人の貴族子女達がロミルダを背に庇うようにして周囲の人々との間に立つ。
「ロ、ロミルダ……まさか、革命運動は、君が……!」
レオンは最早確信していた。
昨今民衆の間に広まりつつある革命の機運は、ロミルダによって広められたものだったのだ。
狼狽するレオンの横のグレーテルは、これまた狼狽する高位貴族の令息達と居並ぶベルトルトは、そして少し離れたテーブルで様子を窺っていたゲオルクは、ほぼ同時にあることに思い至った。
――あの女、王政を打倒してこの国を赤化する気だ!
前世の彼女は、テロリストだった。
熱心な社会主義者の両親の間に生まれ、幼少期から一億人民総決起を夢見て成長し、学生時代にはそれを目標とした政治闘争に身を投じ、成人してからは数々の政治的テロリズムに関与してきた。
その活動の中でも最も過激な手段であった爆弾テロに初めて成功した日、少し離れた用水路の縁から爆発を確認している最中に頭上から人が落下してくるという、実に不可解な死によって彼女の夢は潰えてしまったのだが。
しかし、その夢は異世界の公爵令嬢に転生しても変わらない。
彼女は高位貴族の令嬢に上手く擬態する傍ら、平民や下位貴族にこっそりと接触し、自らの思想を広め、人民結社なる秘密結社まで作り上げていた。勧誘活動は学生時代から慣れており、この世界の住民達は面白いように社会主義思想に染まっていった。
ヴィルマ・ヴァイセンは人民結社の勧誘部長であり、いつか来たる人民総決起と本格的な革命闘争の為の戦力拡充を担っていた。ゲオルクに接触したのも、国境防備の為に国内でも有数の軍事力を保有する辺境伯家を味方につけるか、せめて敵に回らないようにする為だ。
「人民の人民による人民の為の政治の実現には、革命闘争が不可欠なのですわ、殿下」
「何を……ッ! 衛兵! 衛兵!」
レオンが衛兵を呼ぶが、彼の声に反応した衛兵は僅かだった。
おかしい――そう思った時には、その違和感の答え合わせが始まっていた。
「同志! 街でも蜂起が始まりました!」
そう言ってロミルダに駆け寄るのは、副衛兵隊長だった。そこそこ裕福な平民出身で、学識もあり、貴族出身の衛兵隊長や、一般市民からも信頼の厚かった男だ。
レオンを始めとした高位貴族達は目を見開く。人民結社は、既に衛兵隊にもかなり浸透していたのである。否、衛兵隊だけではない。
「団結せよ、人民達よ! 今日こそが、革命の日である!」
ロミルダの鼓舞に、彼女の周囲の下位貴族や革命派衛兵達が歓声を上げ、それに対して高位貴族や染まっていなかった衛兵達は狼狽した。
そこでレオンは違和感の正体に気付く。
事前に周到な準備をしていたのは分かる。だが、大規模な武装蜂起ともなれば、その決行日は事前に決めておかざるを得ない筈だ。
「まさか、ロミルダ、君は初めから……!」
王立魔法学園の卒業パーティーの日。
それは王族が王立学園の校舎に集う日でもある。
国王夫妻は先程挨拶をして、次の公務の為に会場を出ていったのでまだ移動中の筈だし、第二王子であるレオンはここに居る。しかも、王太子も王国第二の都市の視察に出かけている最中だ。王宮に居るのは幼い王女のみであり、彼女には全く以て政治的権力などといったものはない。
王族を片っ端から始末するのに、これ程良い日があるだろうか。
思えば、彼女が最初から婚約に乗り気ではなかったのも、そして近寄ってくる男爵令嬢を実質的に放置していたのも、最初からこのことを計画していたからなのだ。
自信ありげに微笑みながらも瞳の奥に冬の如き冷たさの宿るロミルダを前に、レオンは膝から崩れ落ちた。
* * *
数週間の内乱の末、リライア王国はリライア人民共和国となった。
人民結社改め国家人民委員会の委員長となったロミルダ・ローテファーネは、人民の人民による人民の為の政治を宣言し、手始めに内乱時に拘束した王族を一人残らず処刑すると、押収した貴族の資産の全国民への再分配を断行。視察や激励も多く行って国民の支持を得た一方、秘密警察を新設して不穏分子となる旧貴族や王党派を厳しく取り締まった。
農業革命や急速な産業振興も行い、功績による人徳と秘密警察による恐怖で国民と役人を掌握していった。
更に、それら3年間の準備の後、内乱中に領土をかすめ取った東の隣国に対して、領土奪還と懲罰を名分に宣戦。ロミルダによって人民軍に導入された新兵器や新戦術は相手国の軍隊を効率的に粉砕し、共和国を勝利へと導いただけでなく、東の隣国の解体にまで繋がった。
その件で南の隣国との関係が少々悪化したが、彼女が立ち上げた諜報機関の活躍により、寧ろ南の隣国の社会主義化と同盟にも成功した。
して、それらの功績には幾人かの立役者が存在している。
「ありがとうございます。皆さん、更なる活躍を期待していますよ」
かつて王宮であった国家人民委員会本部庁舎の秘密会議室で、ロミルダは面々に首を垂れた。
あの後、バルトルトは逸早く実家と縁を切り、自身の窃盗技術を諜報技術として人民結社に売り込んだ。
その際にロミルダと直接話す機会を持ち、そこで自身が転生者であると打ち明けたことによって、彼女に委員会内でのその地位を保証された。
続いて辺境伯家ごと寝返ったゲオルクによって、この世界が乙女ゲームの世界であるとも知った彼らは、その主人公であるグレーテルも確保した。
よく知っているゲームの展開をぶち壊された挙句に王子を処刑されて怒り心頭だった彼女だが、本来は長い物には巻かれろという気質の持ち主であった為、すぐにロミルダに恭順した。それどころか結婚詐欺の技術をこれまた諜報技術として活用され、最終的にロミルダが組織した諜報機関のエースとして活躍することになる。
バルトルトはそんなグレーテルが所属する諜報機関の長となり、元辺境伯令息としてかなりの武力と個人的な趣味と知識で高度な拷問技術を持っていたゲオルクは秘密警察のトップとなった。
しかしこの4人が前世では全員犯罪者だったなどとは、人民党の誰もが想像すらしていないことだろう。
「やっぱ犯罪者は犯罪者とつるむのが最適ってこったな」
「誰が犯罪者ですか、ただ公権力に対する革命闘争を行っただけです」
「非合法である以上それは犯罪なんだよ、人民委員長」
「それより次は何するの? 最近南の方が騒がしいけど」
「反動主義者が騒いでいる件でしょう。あれなら――」
犯罪者達の企みと、それによるリライア人民共和国の躍進は続く……。
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