1話 妹という存在
9月2日
「お兄ちゃん……早く起きてよ!」
茜色をした雲で色づいた西空が窓から見えている。
眩しい。
俺は窓から視線をそらすようにし、壁にかかっている時計のほうに目をやった。
すると時刻は18時前。
それだけを確認すると、俺は先ほどの声の主のほうへ顔を向ける。その先にはとある人影があった。
身長はそれほど大きくもなく、標準的といったところだろう。顔にはまだ少し残るあどけなさが印象的な、まるで天使のような女の子が立っていた。そんな天使とは何と驚き、我が妹なのである。名前は美結。よーし、美結の名前をみんなで呼んでみよう! せーの……って、
「わぁ!」
美結がいきなり近づいて来たせいで、驚いてしまう。
「お兄ちゃん! 聞いてるの⁉︎」
美結は尖った声でそう言ってきた。
「待て待て、そう焦るな我が天使美結よ。どうしたんだ?」
そんな俺の態度を見た美結はあきれたような表情で、
「今日はお父さんとお母さんが戻るの遅くなるから、二人で夜ご飯作るって話ししてたよね?」
そう言ってきた。
俺の家は中華料理屋で、両親はそこで働いている。1階が店で、2階が現在いる居住スペースとなっている。
「そういえば今日は日曜か。忘れてたな、すまない」
うちの店は、通常は20時までの営業だが日曜日だけ22時まで営業している。日曜は他の日と比べてお客さんの数が多いかららしい。そのため毎週夜ご飯は俺と美結で作ることになっている。
「早く買いに行かないと商品がなくなるから、急いでね!」
美結は寝起きの俺の袖をぎゅっとつかんで、部屋から飛び出していくのであった。
家からスーパーまでは約10分、普段から買い物に行っている店である。その店に行くまでに大きな交差点が一カ所ある。まさに現在その交差点の目の前におり、二人で渡り始めようとしているところだ。
信号が点滅し始めた。
俺は少し小走りになり、横断歩道を急いで渡ろうとした。ふと、横を見るとそこにいるはずの美結の姿がなかった。後ろを振り返ると、美結が息を切らしながらこちらに向かって走って来ている途中であった。そんな美結の姿を見た俺は、慌てて駆け寄る。
「大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ」
俺は美結の右手を手に取り、優しく声を掛ける。
「ありがとう……お兄ちゃん。いつものことだから、大丈夫だよ」
なぜ横断歩道を渡るだけでこんなに苦しんでいるかというと、我が天使こと美結は幼いころから体が弱く、運動全般をすることができない体なのだ。そのため、このように少し走ろうとしただけで息切れしてしまう。
呼吸が落ち着いてきたのを見計らって俺は美結の手を引いて横断歩道を渡り切った。
「普段からこのくらい気遣いができると最高なんだけどね……」
美結は笑いながらそう言った。
「ふふっ。俺の力は美結の命が危険になった時にのみ発揮されるのだ!」
すると美結は「何その痛い設定……」と、まるでゴミを見るかのような視線で俺のことを見た。
道中いろんなことがあったが、ようやく目的のスーパーへと着いた。今夜の献立はカレーだ。
小学生の頃に「家が中華料理屋なのになんでご飯が中華料理じゃないの?」と聞かれたことがあったが、俺はそいつはアホなんじゃないかと思う。いくら中華料理屋でも和食や洋食は食べる。「うさぎは人参しか食べないんでしょ?」と聞いているようなもんだ。しかもウサギの主食は人参ではなく牧草だ。
店の入り口に立つ、すると自動ドアがぎぃぃぃと音をたてながら開いていく。かなり劣化してきている。このスーパーは俺が子供の時からあり、よく母親と散歩しながら来たこともあった。
俺たちは無事に買い物を済ませ、家に帰ってきた。早速カレーを作り始める。何回も作ったことがあるからお手の物だ。しかも俺は小さいころから両親に料理を教えられたこともあり、将来は料理人になろうと思っているくらいだ。カレーの1つ作れなかったら笑われる。
「美結、味見をしてくれないか?」
俺は手が離せなかったので美結に頼む。お玉でぐつぐつ煮えているカレーを少しすくい、口に運ぶ。
すると、
「あれ、なんか味が薄くない? いつもと違う気がするんだけれど……」
美結が不思議そうな顔をしながらそう言った。俺は作業していた手を止め、「どれ、兄ちゃんに貸してみろ」と言いお玉をもらう。俺は恐る恐るお玉を口に運ぶ。内心不安だったのだ。将来料理人になろうものが味付けを間違うはずがないと。俺は意を決して飲み込んだ。
「ん、あれ? いつもと変わらないじゃないか」
よかった、いつもと変わらない味だった。
「えっ⁉︎ ホントに?」
美結は驚いた表情で言った。
「もしや、兄ちゃんのことをだまそうとしたな美結。引っかからないぞ~」
「そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……おかしいなぁ」
美結は首をかしげている。何はともあれカレーは完成した。キッチンの横には4人掛けのテーブルがある。そこに俺の目の前に美結がくる形で座る。
「それじゃあ食べるか。いただきます!」
俺は手を合わせて、食事を始める。料理人たるもの食材の命には常に感謝しなければいけない。うむ、やはり今日のカレーもおいしい。さすが俺、完璧だ。
「そういえばお兄ちゃんも明日から学校でしょ? 宿題は終わったの?」
美結がカレーを口にしながら聞いてくる。そう、今日は9月2日の日曜日、夏休み最終日なのだ。
「あー、完全に忘れてた。そういえばあったな」
俺は完全に宿題のことを忘れており、今思い出したわけだが大して驚かない。これが恒例行事だからだ。
「もう、またやってないの⁉︎ そんなので本当に大丈夫なの? もう高校生活も終わりだよ?」
俺は高校3年生。そして美結が高校1年生である。その差は2歳。高3になってもなおシスコンというのはいかがなものかと思われがちだが、これがまた治らないのである。美結最高!
「高校最後の夏くらいゆっくりしたいんだがなぁ」
俺は明後日の方角を見ながら答えた。
「もう、先生に怒られても知らないからね」
美結は俺のことを心配してくれている、というより世話好きなだけだ。俺の母親と同じ性格である。血は抗えないとはこのことか。
「明日から学校か、ならさっさと風呂入って早く寝るとするか」
ふと時計の方に目をやると20時ちょうど。少しカレーを作るのに時間がかかってしまったようだ。
「でもお兄ちゃんは今夜も深夜アニメ見るんでしょ」
美結は嫌そうな顔で言った。
「当たり前だ、俺から生きがいを奪ってどうするつもりだ」
すると美結がすかさず、
「そんな可愛い子しか出てこないアニメばかり見てるからいつまでたっても彼女ができないんだよ」
と美結からもし魔王がアニオタであれば一撃で殺せるような攻撃を受けた。
「ふっふっふっ。彼女などできなくても俺には美結がいるからいいんだっ!」
俺はドヤ顔で言った。
「気持ちわるっ!」
今度美結から放たれた一撃は神すらも殺せそうな攻撃であった。
そして9月2日が終わり9月3日が当たり前のようにやってくる。俺は明日から煩わしい学校生活を普通に送るのだろう。その時はそう思っていた。むしろ、煩わしいで済むならそっちの方が何倍もマシであることになるとは、この時の俺は微塵も考えていなかった。