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秋長豊 童話シリーズ

金のすずり

作者: ムレイ・G

 数えきれない雲を抜けていくと、やがて墨に金粉を散らしたような淡い世界が広がった。星が手に届きそうなところに美しい雲の島が浮かんでいる。

 島には朱色の立派な火ノ御殿ひのごてんが立ち、竜人たちが暮らしている。御殿の竜祖、鋼束はがねつかと三ノ和子みのわしには清竜ノせいりゅうのわという1人の美しい娘があった。


 清竜ノ和が竜人の数え年で250歳を迎えた時、御殿で盛大な誕生会が開かれた。三ノ和子は、清竜ノ和に金色のすずりと、同じく金の筆、金の炭を与えた。

「このすずりで炭をすれるのは、心が素直な者だけ。他人を貶め蔑んだり、慢心した者には一滴たりとも墨を生み出すことはできません」

「お母さま、私に炭はすれますか?」

「すずりに聞いてごらんなさい」

 宴が始まった。大広間ではお膳料理が並び、芸者たちが踊りを披露する。これから始まる歌詠み大会では、誰もが清竜ノ和の美しい歌を楽しみにしていた。

 清竜ノ和は披露する前に一度炭をすってみようと思った。さっそく自分の部屋に戻ってすってみると、どういうわけか墨は一滴も生まれなかった。

「お困りのようですね」

 1羽の白いハトが窓の縁に止まっていた。

「この金のすずりを見てください。素直じゃない者には炭をすれないのだそうです。どうしたら炭がすれるでしょう」

「簡単な話ではありませんか。従順になればよいのです」

 ハトは得意げに続けた。

「私は立派な大賢人さまからこんな話を聞きました。しばらく目を閉じて、数を数えるだけで従順になれるのだと。だから私の言う通り数えてごらんなさい、10秒を6回ほどね」

 清竜ノ和は言われた通り目を閉じて数え始めた。

「なんてお優しいハトさん。鳥とお話しするのは始めてですがよきお友達になれそう」

「さぁ、話すと効果が薄くなってしまいますよ」

 ハトはそそくさと部屋の中を飛び回りながら、隠していた本物の金のすずりを入れ替えて置いた。

「もう1度、炭をすってごらんなさい」

 目を開けて言われた通り炭をすってみると、今度は金色の墨が生まれた。

「素晴らしい、あなたの言う通りです。どんなお礼をしたらよいでしょうか?」

「では、その金の筆で私のために文字を書いてください」

「そんなものでよろしいのですか?」

「えぇ。それから、書くときはこの私が持ってきた特別な和紙でお願いします。入レ替ワリ、という文字を書いてみてください」

 清竜ノ和は言われた通りハトからもらった和紙に筆を走らせた。

「書きましたよ」

「その紙をください」

 ハトは清竜ノ和からくちばしで和紙をつまむと、すぐさま彼女の顔に張りつけた。紙は顔に強く張りついてはがれず「ハトさん?」と呼んでみても返事はない。ようやくハトにいたずらされたのだと気付き、清竜ノ和は恥ずかしくなって部屋を出て行こうとした。 

 ところが、さっきまで手が届いたはずのドアノブに手が届かない。一生懸命手を伸ばそうとすると、白いフサフサしたハトの羽が目の前に見えた。姿見の前に立ってみると、さっき見た白いハトがこちらを見ていた。右に動くと、鏡に映るハトも同じ動きをした。

 そこへ母親がやってくる。

「そろそろ歌詠み大会が始まります」

「今参りますわ、お母さま」

 さっきまでハトと話していた自分の姿が高い位置に見えた。

(お母さま! その人は私ではありません。どうか気付いてください)

 

 クルックルッポ

 ポッポー

 

「さわがしいハトですこと」

 三ノ和子は娘がハトと入れ替わっていることに気付かず、ハトになった娘を捕まえると窓の外へ放り投げた。清竜ノ和は空を真っ逆さまに落ちていく。最後に見たのは母に肩を抱かれ一緒に部屋を出て行く自分の姿だった。

(私がハトの言葉を信じたせいで、こんなことになってしまった)

 風に流されるまま落ちていくと、ふんわりやわらかい雲の島に行きついた。丘の上にある家には1羽のカラスが住んでいた。お花畑で水やりをするカラスはハトを見たとたん、持っていたジョウロを落として飛び上がった。

「なんて美しいハトでしょう。どちらから?」

「あの遠くの空にある御殿から落ちてきたのです。でも、あまりに悲しいことがあってすぐには戻れません」

「それはかわいそうに。あなたはお美しいハトですから、御殿で暮らされていると知っても驚くことはありません。純白の羽に澄んだガラス玉のような瞳、私はあなたのような方が家にくることを夢に思っていました。どうやら運命に選ばれた私の伴侶となる方なのでしょう。お疲れのようですから、外でお茶でもいかがですか?」

 カラスはおいしいお菓子とお茶を出してくれ、いろいろな話を聞かせてくれた。清竜ノ和は自分が人間でいる時よりもはるかに自由で、なによりカラスが話し上手なので面白くて時間がたつのも忘れていた。しばらくすると、かごを抱えた1羽のフクロウがやってきて言う。「カラスさん、お届け物です。サインをください」

「今忙しい」とカラスは言う。

「私は構いませんよ」

 清竜ノ和が言うとカラスはしぶしぶ立ち上がり、フクロウからペンを取ってサインをし、ポイと乱暴に投げ捨てた。困った顔で帰っていくフクロウの後ろ姿を清竜ノ和は申し訳なく見送った。庭のきれいな花についてカラスが自慢げに話していると、今度は足首にリボンをつけたスズメが1羽やってくる。「北にある滝の雲島はどちらでしょう?」

「さぁ」とカラスは言う。

 諦めたスズメが帰っていった後で、カラスは上機嫌になって言う。「滝の雲島はここから北に10分飛んだ先にあるきれいな場所でして、あなたと一緒に行きたいものです」

「知っていたのですか?」

「あぁいうスズメは薄汚くてかないやしませんよ。あんなやつと話している時間があるなら、いつまでも夢のようなあなたと話していたい。あなたにはどんなスズメやハクチョウよりも特別に優しくしたいのです。大切に思う相手には、誰だってそうするでしょう? それが優しさというものです」

「私をこんなにもてなしてくれたんですもの。確かにあなたはお優しいですわ。でも、それと同じだけ他人にはひどく冷たいお方」

「あなたには優しいじゃないですか。それに美しいハトさん、あんなスズメよりも私だけを見ていればいいのです。そうすれば幸せになれますよ」

「カラスさん、あなたとは一緒になれませんわ」

「私はあなたを大切にします」

「お茶とすてきなお話をありがとうございました」

「どうか行かないで」

「さようなら」

 清竜ノ和ははっきり言って、羽ばたいてカラスの家を後にした。

 次に訪れた滝の雲島は、細い滝が雲に落ちる美しい島だった。池の水を飲んでいると、偶然さっきのスズメを見つけた。他の鳥たちと仲良くおしゃべりをしながら楽しそうに過ごしている。

「さっきのスズメさん」

「こんにちは、ハトさん」

 清竜ノ和とスズメは自然と一緒に話すようになって、池のほとりで水浴びをしたり飛び回ったりして遊んだ。遊び疲れてクルミの木の下で休み、落ちているクルミをつついて食べた。初めてつつく殻の堅さに苦戦していると、スズメが丁寧に一つずつ割って中の実を食べさせてくれた。

「ありがとうございます、ご親切に」

「いいんです。いくらでもむいてあげますから」

 スズメはこんな調子で、むいた殻に水をくんで持って来たり、花の王冠を作ってくれたり、断る間もなくいろんなことをしてくれた。

「スズメさん、大丈夫ですよ。私、そのくらいできますから」

 それでもスズメは清竜ノ和に手伝わせようとせず、今度は木の枝を集めて特製のソファをこしらえた。少しお尻がはみだしたが、かわいらしい出来栄えだった。すっかりスズメと仲良くなった清竜ノ和は、自分が本当は竜人でハトと入れ替わったのだと話した。

「あなたになりすましたハトは、ひどいやつですね」

「お母さまが気付いてくれるといいのですけど。今戻ったらまた窓から放り出されてしまうでしょう」

「かわいそうに。しばらくはここにいるといいですよ。あなたは美しくて優しい。そんなハトさんには、よいことがなくては。お近づきの印に私のリボンを差し上げましょう」

「あなたのものですからいただけません」

 清竜ノ和は断ったが、スズメは「いいんです」と言って自分のリボンを外し足首に巻きつけてくれた。清竜ノ和は竜人の姿をしていたころを思い出しながら歌を詠った。


 あなたの優しさは月沈むかすみのよう

 クルミに花束スズメさんのプレゼント

 あなたがさえずれば 鳥の群れに咲く一輪の花


「歌もお上手ですね」

「楽しい時間をありがとう、スズメさん。私はそろそろ行かなくては」

「もう行かれるのですか? もう少し一緒にいましょうよ」

「ありがとうございます。でも行かなくては」

 スズメはひどく落ち込んで目から光を消した。

「そう気を落とさないでください、スズメさん」

「ハトさん、私はがっかりしました」

「それはどういう?」

「だって、私はクルミの実を何個も割り、水を運び、王冠を作り、ソファまで作ってあげたんですよ? 大事なリボンだってあげた。ハトさんのために、こんなにたくさんのことをしてあげたのに。もっとたくさんお礼をしてくれてもいいじゃないですか。それでも行くというのなら、私があげたリボンを返してください。あなたは優しい鳥だと思っていましたが、どうやら私の見る目がなかったようです。あなたはただの恩知らずなハトだ」

 スズメは怒って清竜ノ和から王冠もリボンも取り上げると、口も利かずに去っていった。取り残された清竜ノ和はむなしい気持ちになり、羽ばたいて次の島を目指し飛んでいった。

 次に訪れた木々の生える緑の雲島では、カラフルなインコたちが歌を歌っていた。低い木に止まって羽休めしていると、スイスイ川を泳いできた1羽のアヒルがインコたちの群れのそばを横切ろうとした。

「ここから先は俺たちの川。立ち入り禁止」と大きなインコが現れて言う。

「川は誰のものでもない」アヒルは主張した。

 癪に障ったのか大きなインコは目の前の岸まで下りてきた。

「君は若いくせに生意気だ。俺に口答えするつもりか」

 清竜ノ和も同じ岸に下り立った。

「インコさん、どうしてあなたはそんなに偉いのですか?」

「俺はこの森のボスだからだ。つねに敬語で、俺のことはインコさまと呼び、決して逆らわないと約束するのなら、通してやってもいいだろう」

「一緒に仲良く暮らせばいいじゃありませんか」

 インコはものすごい剣幕で清竜ノ和をまくしたてた。

「この俺に口答えするならこうだ!」

 大きな鋭いくちばしが清竜ノ和に襲いかかった時、アヒルがクワックワッと大声を出して前に飛び出した。インコはアヒルに爪でピシャリとひっかいた。

「とっとと消えうせてしまえ!」

 インコは勝ち誇ったようにばせいを浴びせた。清竜ノ和はアヒルに寄り添いながらインコたちの森から離れて広場に逃げかえった。

「私のために、本当にごめんなさい」

「このくらい大丈夫だよ。あなたこそ、僕のために立ち向かってくれた」

「あの川の向こうにはなにが?」

「実は赤色の帽子を川に流してしまったんだ。取りに行こうと思ったけどインコたちがいるから先に進めない」

「私が探しに行きましょう」

「あなただけでは危険だ」

 そうこうしていると、大きな影が2羽の元に差した。空を見上げると、さっきのインコの3倍はある大きなワシが舞い下りてきた。立派な黄色のくちばしと脚に、鋭い眼光を放つ目は王さまのような威厳が感じられた。

「お困りですか」

「川の向こうに流された赤い帽子を探しに行きたいのですが、インコのボスが見張っていて近寄れないのです」

 清竜ノ和が困り果てて言うと、ワシは2羽を大きな足に乗せてくれた。ふわりと舞い上がり、さっきの川べりに戻ってきた。

「インコのボスとやらはおられますかな?」

 ワシが尋ねると、大きなインコが小さくなってやってきた。

「ワシさま。私にご用ですか?」と、小さな小さな声で言う。

「なんでもここから先に行くには、あなたに逆らってはいけないとお聞きしました。どんな理由で逆らってはいけないのでしょう?」

「いやぁ、その、えぇと」インコはとたんにたじろいで変な汗をかいた。「とんでもない! さぁ、どうぞお通りください」

 3羽は誰にもとがめられることなく川の流れに沿って進んでいった。

「あのインコは臆病なのです」ワシは言った。「鳥の辞書には、臆病な鳥ほどよく鳴くということわざがありましてね、きっとそのインコはあなた方を安心して下の鳥だと思いたいのです。それに、本当に強い鳥というのはそうやすやすと自分の爪を見せたりはしませんよ」

 やがて赤色の帽子が岩に引っ掛かっているのを見つけた。アヒルは大喜びで、清竜ノ和もうれしくなってワシにお礼を言った。

「それではみなさん、ごきげんよう」と言ってワシは飛び立った。

 清竜ノ和はアヒルとも分かれ、また1羽で次の島を目指し旅立った。

 長い間飛んでいると、今度は小さな雲の島に粗末な家がポツンと見えた。窓が開いていたので縁に止まってみると、台所からひよわそうな竜人の青年が現れた。彼はハトを見つけるとうれしそうに「こんにちは」と話し掛けてきた。もう長いこと竜人と話していなかったので清竜ノ和はうれしくなった。

(こんにちは)


 クルッポー


「あいさつに応えてくれた。ありがとうね、お客さん。木の実がいくつかあるんだ。よかったら召し上がれ」

 と言って青年は小皿にクリやクルミの実を置くと、小さなビンに水まで入れてくれた。清竜ノ和がごちそうになっている間、青年は他の小鳥たちにも同じようにご飯を恵んでいた。鳥たちを見る彼の目は実に穏やかだったが、一方でどこか悲しそうにも見えた。

 しばらく青年のことを観察してみることにした。彼は1人暮らしで、小さな家の中はこぎれいに整理されている。戸棚には難しそうな古書が並び、小さなランタンがテーブルの角に置かれている。彼はいつも小さなベッドの上で寝転んでいた。

 見守るようになってから数日たったある日、青年は清竜ノ和に近づいて頭をなでてくれた。

「君はいつもそばにいてくれるんだね、白いハトさん。みんな、ほとんど渡り鳥だから長くは残ってくれないんだ。本当は長くそばにいていろんなお話を聞かせてあげたいのに。ねぇ、よかったら君とお友達になりたいな。そんなこと言ったって、僕の言葉は分からないよね」

 清竜ノ和はこの穏やかな青年のことが好きになっていた。シロツメクサの白い花を一輪つんで彼の手にのせると、青年はにっこりほほ笑んだ。

「うれしいな。庭にある見慣れた花も、君が運んできたものはすべて愛の贈り物に変わるんだ。白いハトさん――そう呼びたいところだけど、ありきたりだよね。そうだな、君にはシロツメヒメって名前がピッタリだと思うんだ。どうかな?」

 清竜ノ和はすっかり気分がよくなって青年の家の周りを飛び回った。

(すてきな名前)

「君が喜んでくれてうれしいよ」

 清竜ノ和は来る日も来る日も青年のそばに寄り添い続けた。どれだけの時間が過ぎたのかは分からなかったが、この日も彼はベッドで眠っていた。あまりに長く眠るので、ついに目を覚まさないのではないかと心配になるほどだった。

「シロツメヒメ」

 いつもより数倍弱った青年の声が聞こえた。

「ずっと昔、僕には竜人のお母さんがいたんだけど、僕が治らない病気だと分かって捨てていったんだ。とても身分の高い家に生まれたから、僕のことをみんなに隠しておきたかったんだろうな。この小さな浮島に1人置いていかれて、僕は死ぬのを待つだけなんだ」

 清竜ノ和は青年の目じりからこぼれる一滴の涙をくちばしですくった。

「君は優しいね」

 青年は弱々しくハトを自分の胸に引き寄せると、今度は力を緩めた。

「でも、あと数日したら出ておゆき」

(なぜ?)

「もうじき寒い風が吹く。僕はそれまで生きていられないだろう。君のことを本当に大切にしてくれる者を見つけなさい。空は君のためにいつも開かれている」

 清竜ノ和は勢いよく窓の外に飛び出した。悲しくて涙があふれたが、ハトの姿のままでは彼を救えないという思いだけが羽を強く動かしていた。清竜ノ和は真っすぐ御殿目指して飛び続けた。ある時はハクチョウやカモに道をたずねながら、火ノ御殿に着くと真っ先に母親の元へ飛んで行った。

 母親はすべてを知っていたのか、小さな白いハトになった清竜ノ和をそっと抱き締めて何度も謝った。話を聞くと、あの後入れ替わったはいいがハトは歌詠み大会でハトポッポーという歌しか詠めず、周囲はすぐに様子がおかしいと分かったらしい。ハトは白状し、入れ替わった清竜ノ和を捜しに何人もの竜人が外へ繰り出したそうだ。

「さぁ、元に戻してあげます」

 母親が文字の書かれたお札を清竜ノ和とハトにそれぞれ張ると、自分の指が思うように動かせるようになった。向かいにいたハトは大急ぎで空の彼方へ逃げていった。

「お母さま! どうか彼を助けてください。彼は昔この御殿に住んでいたというのです。でも、ひどい母親が彼を雲島に1人置き去りにしたのです。あんなに心優しい人が孤独でいるのを放ってはおけません」

 清竜ノ和は母の遣いが走らせた馬車に乗り込み、あの雲島へ真っすぐ向かった。気の遠くなるような時間を馬車の中で耐えると、やがて彼の小さな家が見えた。小さなシロツメクサの咲く庭の上で、青年があお向けになって寝転んでいる。清竜ノ和は靴を履くのも忘れ、すあしでやわらかい草を踏み鳴らして青年のそばにしゃがみこんだ。

「どうか起きてくださいな」

 かすかに動いたまつげの奥にキラキラした青年の瞳がのぞいた。

「妖精?」青年はかすかにほほ笑む。

「いいえ、私はあなたに世話になった白いハトです」

 清竜ノ和は青年の身を起こすと、庭のシロツメクサを一輪つんで差し出した。

「シロツメヒメ、あなたは私にそう名前を与えてくださった」

「あなたが僕のお友達の?」

 青年はぼやけた目の奥に光を取り戻して言った。

「私の本当の名は、清竜ノ和」

 平穏な沈黙が2人の間を心地よく埋めた。

「僕の名は、晴臣はれおみ

 でも、やっぱり青年の顔はどこか悲しげに見えた。

「どうして僕のために戻ってきたんだい」

「あなたを大切に思うからです」

 長いこと見つめ合い、青年は清竜ノ和の頰に落ちる涙を指で拭った。そして2人は頰を近づけ優しく抱き合った。

 2人を乗せた馬車は走り出し、美しい星空を横切ってすい星のごとく飛んだ。清竜ノ和はこれから待つ御殿での生活を素敵な物語のようにして、一つ一つ丁寧に話して聞かせた。青年はにこやかな顔で清竜ノ和の話を聞いてくれた。途中、少し疲れたのか清竜ノ和の肩にそっと寄り掛かって目をつむった。清竜ノ和は隣で安心して眠る青年の顔をいつまでも見ていた。

 美しいまどろみから目を覚ますと、馬車のドアが開いて御殿の竜人たちが出迎えた。腰を低くする家臣たちの奥から、偉大な竜祖が裾を払って向かってくるのが見えた。

 父である竜祖の鋼束は娘の膝上で眠る青年の額に大きな手をかぶせた。

「かわいそうに、まだ若い男ではないか」

 その瞬間、青年が握っていたシロツメクサがひらりと静かに落ちた。


 それ以降、清竜ノ和が金のすずりを使うことはなかった。

 本当に光り輝くものは胸の奥にあるからだ。


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