『レストランマーロウ』での日々
それは今から数十年前のある春の日の事だった。葉山の大浜海岸でウインドサーフィンを愉しんだあと、そのまま愛車の紺色ボディのホンダに乗りR134を南下していた時でした。長者ヶ崎を過ぎ、横須賀市に入って秋谷の「立石」を眺めた直後、内陸側にお洒落な建物の建設が進んでいる事に気が付きました。こんな人もろくに通らぬローカルな土地に何を造るのかなあと、その時は気にはなりながらも、その後記憶からは消えていました。
それから何ヶ月か過ぎた日、僕はウインドサーフィンをするためにR134を、横須賀市内から長者ヶ崎へと向かって車を走らせていました。立石の駐車場出口の信号を過ぎて直ぐ、その場所を通ると建物は完成し店は開店していました。壁にはピンクとブルーのラインがひかれ、センターには小さな顔のイラストが描かれ、どうやらカフェレストランのようでした。それが、「カフェレストラン マーロー」との最初の出逢いでした。店の名前はチャンドラーの小説に出て来る、ダンディーな探偵「フィリップ マーロー」から来ているとの事でした。
その店は開業間もないようで店頭にはお祝いの花も飾られていたので、僕は帰りに立ち寄ってみようと思いその時はその場を通り過ぎ、午後の3時頃、海から上がった短パンTシャツの姿で車を走らせ、その建物の脇にある小さな駐車場に入りボードを積んだホンダを停め、店の玄関へと行きました。店は木のドアの余りにもお洒落な作りで有り、未だ全てが真新しく、僕のような薄汚れた人間の来るところではないと一瞬入店することに躊躇いました。
すると店の中から1人の中年の女性が出て来て僕を招いてくれました。しかし、ボクの姿は足元はサンダルであり、しかも足には砂がついたままで有り、とてもこのような店に入る姿ではありません。
僕は、「コーヒーを飲みに立ち寄りましたがちょっと躰が汚れたままですので入れませんね」というと、その対応してくれた女性が少し笑いながら「このような場所ですので海から上がっていらっしゃるお客様は他にもおります。テラス席でしたらご案内出来ますよ」と言ってくれたので僕はその開業して間もない店のパラソルの掛かった真っ白なテラスの席に座りました。
奥にはダンディーな背の高い男の人が頭を下げていました。そして、メニューを持ってそのダンディーな主人と思われる方が、外へと出て来て挨拶をしてくれました。「今の時間はティータイムで、コックが休憩しているのでお食事の注文は受けれないが、飲み物と、スウィーツ及び軽食だけならお出し出来ます」と上品な笑顔で話されたのでした。その日は僕はコーヒーだけを注文して飲みました。立石の散策路越しの海の香りが漂う中で戴いたコーヒーは何となく高級で美味しく感じゆっくりと時間が流れた気がしていました。
合間に女性が出て来て、店の紹介をしてくれました。マーローは、「白銀さん」という家族経営の本当に小洒落たレストランでした。店の中心にはグランドピアノもおかれ、ウッディーの床と白い壁、青いライトそして相模湾の風景が一体となり居心地の良い店でした。その後、秋谷や、葉山へとへと出掛けたときは必ず立ち寄るようになりました。奥様、そして少し高齢のおじいさんがホールの接客していました。そのおじいさんは矍鑠としる紳士であり、礼儀に厳しい人でした。僕が夜に女性同伴で出掛けたときには「着席は、レディーファーストですよ」といった具合に多少五月蠅かったが、僕のことをよく覚えていてくれて親切にして頂きました。
ある時、他のテーブルの客が花火を灯されたスウィーツを注文されているのを見て、その名前がチャイニーズパフェであり、自分で注文する勇気が無い僕は、男子大学生のグループと訪れた時にお薦めだと言って注文させてその花火が灯され出された時に恥ずかしさを覚える彼等の表情を見て愉しんだら、その彼はまた、他の友人を引き連れてくると、同じく友達を騙して?注文させると言った連鎖がおきたりしていました。
又、有るときは旅行雑誌に僕の停めた車が店の紹介とともに掲載されたり、多少自宅からは距離も有りましたが、ドライブの休憩に頻繁に立ち寄るようにもなりました。
その後、開店一周年の記念日のディナーに行きましたが、その頃から店は繁盛して混雑をするようになっていき、ランチタイムに立ち寄ることは遠慮するようにはなりましたが、チャンドラールームを借りての友人達とのパーティー等愉しい思いも一杯させて頂きました。
有るときに、マーローオリジナルビールを進められました。そのクラフトビールは素敵な商品でしたが、僕は酒を嗜まないので飲めず、また、秋谷は駅から遠く、中々歩きやバスでは客が来られない場所なので客の殆どが車での来店で酒は余り出なかったようにも感じてました。
しかし、その後に出来た実験用のビーカーに入ったプリンは相当美味しくて、その後持ち帰り用にも販売されるようになって間もない頃でした。夏の快晴のとても暑い昼下がりでした。車を店の脇の駐車場への道を上がった所、中2階の店の勝手口の外で、うずくまって御主人が何かをしていました。それは、並べた数多くのビーカーにせっせと手造りのプリンを流し込み詰めている所でした。僕が声をかけると、主人は
「最近、プリンが人気で作っても作っても間に合わないんですよ」と言って大汗をかきながら作っているその姿は微笑ましく思えました。そしてその後暫くしてこのプリンが爆発的に売れていくのであります。オリジナルから、カボチャ等色々なフレーバーの物が追加で出来て、僕は当初は「あずき味」が好きでした。しかし「あずき味」は、味はとても良いが色が悪くて見栄えが良くないと、その後は販売しなくなってしまい、それが残念でも有りました。
マーローにはそれから数年間通わせて頂きましたが、余りにも人気が集まり中々出掛けることは無くなっていきました。そして、僕がウインドサーフィンを引退するのと同時期に縁が無くなっては行きましたが、今でも秋谷本店の佇まいは変わらなくその場所に有るようです。
→その後、このプリンはマーローオリジナルのイラストの入った専用容器に入れられ「ビーカープリン」として有名になり、プリン専用の工場も設けられ、都内の百貨店の地下でも売られるようになったようです。しかし僕にとってのマーローの思い出は、あの創生期の家族経営の秋谷本店のシーンで一杯なのです。