『小動(こゆるぎ)の悪夢』
僕は19才から40才になるまでの間、海の近くで育ったという地の利も有って、サーフィンを愉しんだ。夢中な時代には仕事の休日は勿論のこと、平日でも波のある日には出勤前に4時頃に起きて海へと出掛け早朝サーフィンを愉しんだりもしていた。
サーフィンでは、伊豆半島先端の多田戸浜の限りなく透き通った海へと出掛けたりオアフ島ワイキキのヨットハーバー沖で長乗りを愉しんだりも出来た。
逆に台風近付く伊豆七島の新島で無謀にも数メートルの高波に入り溺れかけたり、色々危険な目にもあったり、知り合いは亡くなったりもした。しかし、自分自身が本気で死ぬかもと覚悟したのは1度だけ有ったんだよね。
それは春の終わりから初夏にかけての出来事だった。鎌倉の七里ヶ浜の最も西側、腰越寄りの端に「小動」と呼ばれる場所がある。ちょうど江ノ電が、海岸線から離れ、内陸に舵を切って腰越駅へと向かう信号のある三叉路のところだ。海岸に降りると、本当に小さな防波堤と港が有り、季節になると漁師がその日揚がったばかりの釜揚げシラスを売る場所でもあるのだが、サーフポイントとしても名高い。
僕が七里ヶ浜へとサーフィンにやって来たその日、海岸線を七里ヶ浜のパーキングから見わたしていると、その小動の防波堤の直ぐ横で、ものすごく乗り頃な波が立っていた。ちょうど胸位だろうか?遠くから眺めると絵に描いたような芸術的に綺麗な堀のある波だった。僕と友人は七里ヶ浜のパーキングに車を入れ身支度を整えると、そこからちょっと距離はあったが、七里の砂浜をシングルフィンのドロップアウトのボードを小脇に抱えながらずっと小走りで急ぎ鎌倉高校前の駅下を過ぎた場所から海へとエントリーした。
周りには不思議に人も少なく、そのポイントには誰も入っていなかった。その事を奇妙に思いながらも、僕達はひょっとしてラッキーなのかもと思い、波のブレイクポイントへと寄ってゆく。そして間もなく人の居ない理由が明らかになったのだ。
パドリングで沖へと向かっていくと途中からスケグにやたらと何かが引っかかり、ブレーキが掛かるようになった。辺りを見回すと海面には何かが浮いてざわめいているのが判った。その正体は長さが2メートル以上は有ろうかという海底から伸びる「海藻」だった。それが辺りにびっしりと生えていたのだ。僕等はその場所を通過するとき、「ウワッ」と小声を上げたが、そのまま更にその沖へと過ぎると海藻は無くなったので、そのまま波待ちをしていた。
そして間もなくベストな波がセットでやって来た。僕はなんのためらいも無くその内の良い波を捕らえて気持ち良く乗ったのだが、その快感は十数秒後見事に打ち砕かれていたのだ。ボードが海面を滑りだして間もなく、スケグが海藻に引っ掛かりストップし、その惰性の勢いに任せるままに僕は躰を海へと投げ出されて飛んだ。そして海中へとドボン!僕は海中でブレイクした波にもまれ、息を継ごうと海面に顔を出そうとしたのだが、その生えた海藻に下半身が絡まって水面まで浮かび上がれない。息が出来ない僕は焦り慌てたが、絡まる海藻はまるで海底に引き摺りこむように僕をしっかりホールドして放してくれない。僕は海中で(助けて~)と神に祈り、正に躰をバタバタさせて「藻掻いた」状態だった。僕は必死だった。このまま僕は溺れるのか…こんな形で情け無く死んでゆくのかと負けそうになったところで、僕は最後の力を絞り出すようにして脚を強く蹴ると、その最後の足掻きで海藻が切れてやっとの思いで顔を海面に出し危うくいところで命辛々助かったのである。
その日以来、僕はいくら良い波が立っていたとしても、小動のポイントには一切近付かなくなりました。この時の恐怖心はほろ苦い思い出と成り、その後もR134を自転車や自動車で小動を通過するときは、身震いがするのです。