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Love so bitter

 四方に脱ぎ捨てられた靴。流しに溜まった洗い物や生ゴミ。そこかしこに脱ぎ捨てられた服。湿った生暖かい空気が、まだ人が住んでいる事を示す。奥の小さな六畳間にある雑多なベッドには一人の女性が埋もれていた。


 窓から朝を告げる鳥のさえずりが聞こえ始めた。女は顔を布団に埋め、自分を真っ暗な世界に閉じ込めた。


 それから約十分後。頭を抱え、もそりと起きた。散らかった床の足場を探し、無ければ足で道をつくる。そうしてキッチンまでの道のりをよろよろと頼りない足どり向かった。


 やかんに入ったままの水を沸かしながら横で顔を洗う。彼女は頬をなぞり、いつもよりもむくんでいることを感じた。洗面所やリビングには鏡があったが、彼女はそれで確認しようとはしなかった。そのままさえずりのするベランダへ向かい、カーテンを開けた。だが、そうしたところで日の光を拝むことはできない。先日立てられた大きなマンションに遮られてしまったのだ。日を浴びることができず、弱々しく枯れていった植物が、片隅に放置されていた。植物の世話は彼女の楽しみの一つだった。彼女はそれを尻目に煙草のふかす。彼女は愛煙家ではないが、ストレスが溜まった日にはよく煙草を吸っていた。おじさんたちの言う“うまさ”というものは彼女には分からなかった。ただ、こうして体に良くないものを摂るということが、自分に向けての反抗で、ある意味自己の存在を確かめる手段だったのだ。


 一服すると、彼女はさっさと支度を始めた。特に用事があるわけではない。今日は休日で仕事はない。寝間着の上からパーカーを被り、ボサボサの髪を手櫛で適当に掻き分ける。黒縁の伊達眼鏡をかけて玄関に向かった。


 天気は曇りだった。層が薄いせいだからなのか太陽の光が明るく雲を照らす。なんとも曖昧な空模様。


 階段を下りと、入り口のごみ捨て場に人影があることに彼女は気づいた。気づかれないようできるだけ背中を丸め、反対側によって歩く。


「あら? 大西さん」


 彼女の努力も虚しく声を掛けられた。


「そんな格好で、どうしたの? 確か今日は──」

「彼、仕事みたいで……」

「そうなの? 残念ねえ、楽しみにしてたのにねえ」

「……しょうがないですよ」


 彼女はそう言うと足早にその場を去った。


 彼女は、コンビニでビールを3本とタバコ一箱を買った。当てもなく、ただ足の向くままに歩き続ける。外を歩くには、少し堪える寒さだった。曇り空がそれをまた助長させる。すれ違う人々は、日課となっている散歩の折り返しを向かえたご年配の方々ばかりだ。彼女は、一人それに逆らうかのように公園の中へ入っていく。


 中央には大きな湖とその中心に噴水が上がっている。彼女は、ベンチに腰掛け、定期的に高く上がる噴水を眺めていた。



  プシュッ



 彼女の手にひんやりと冷たく肌を弾く感覚を覚えた。手もとを見ると、缶の口から泡が溢れ、手を伝って地面を濡らしていた。


 彼女はため息をつくと、缶を逆さにし残っていたビールを捨てる。足元には小さな水溜まりが出来上がった。


 彼女は、タバコを一本口に咥えて空を見上げた。先ほどまでの曖昧な明るさはなく、どんよりとしていて今にも雨が降りだしそうだった。


 ずっと、ずっと彼女は目を閉じて考えていた。彼は何が気に食わなかったのだろうと。そして、次第に一方的な彼に対し苛立ちを覚え始めた。しかし、沸々と沸き上がっては消え、また沸き上がっては消え、と繰り返すばかりだった。


「吸わないなら、そのタバコもらってもいいかい?」


 男の落ち着いた太い声に彼女はゆっくりと目をあける。コートのポケットに手を突っ込む男性が目の前に立っていた。見覚えのあるマフラーをしていた。


「タバコ、吸ってたっけ?」


 と言いつつ男の人は首を傾げた。


「……気分よ、少なくとも、貴方と一緒だった時は吸っていなかったわ。貴方こそタバコは嫌いなんじゃないの?」


 男はそれには答えず、彼女の隣にどかりと座り、彼女の口からタバコを取り上げ、口に咥えた。


 ライターを点すジェスチャーをする。


「無いわ、家に忘れてきてしまったの」

「じゃあ、ただ苦い棒を舐めてただけかい?」


 と、男は笑った。


「貴方の物より何倍かマシだわ。咥える度に顎が外れるかと思ったもの」

「はは、誉め言葉として受け取っておくよ」


 男は、彼女の買ってきたビールを袋から取り出した。


「ちょっと、勝手に触んないでよ!」



  プシュッ



 軽快な音と共に中身があふれでる。男は慌てて口をつけ、ズズズッと吸った。


「ビール三本にタバコとは、女性一人でやるには少々きつくないかい?」

「……一つは飲まずに捨てたわ。何か用?」

「いや、通りかかっただけさ」

「だったら、さっさとどっか行ったら?」

「うん……そうなんだが、これ、飲み始めたからね」


 彼女は、深いため息をついた。


「まだ……そのマフラーしてたんだ」

「うん? ああ、まあね」

「嫌じゃないの? 元カノのプレゼントなんて」

「いや、別に」

「今の彼女は?」

「特段聞かれもしないし──」

「サイテー」

「そうか? 実用性があるなら捨てるのは惜しいと思うんだが……そういうところがお前は嫌いだったよな」


 彼は苦笑した。


 彼女は、最後のビールを手に取り、今度は気をつけて開ける。


「そういや……今日、お前の誕生日だったろ? 彼氏とデートとか行かないのか? イベント事は好きだったろ?」


 彼女は一瞬押し黙り、彼に鋭い視線を送った。


「そういう、づけづけとプライベートに入ってくるところが嫌いなのよ!」

「……そうか」


 二人はしばらくの間黙って酒を飲んでいた。公園には水の音と枝の擦れ合う音だけが聞こえる。体操や散歩していたおじさんやおばさんはもうどこにもいない。三度目に噴水が勢いよく上がった時だった。


「……振られたの、昨日」

「……」

「私、何がいけなかったんだろ? 理由も分からない」

「彼から何か言葉は?」

「無いわ。電話越しの『別れよう』だけ。聞こうとしたけど一方的に切られちゃった。折り返しも繋がらない」

「……そうか」


 彼はそう言いながら若干笑っていた。


「何よ! 何が可笑しいの? づけづけはいるなって言って、結局、貴方に打ち明けたことが可笑しいの?」

「いや、まあそれも可笑しいが、振られ方さ」

「何? 惨めだなとか思ってるわけ?」

「いや、まあそうかもしれないが、お前が俺を振った時と全く一緒じゃないか」


 彼女は言葉に詰り、俯いた。また彼女の足もとが湿り始めた。しかし、それは残った酒を捨てているからではなかった。


 彼女は泣いていた。夜中、目一杯泣いたにも関わらず、次から次へと溢れてくる。


「……だから、俺は今でもお前に未練があるんだぜ」


 彼は首に巻いていたマフラーを外し、彼女の首にかける。声を殺して泣く彼女のそばで、彼は静かにビールを飲み続けた。


「……やったことは形を変えて帰ってくんだな」


 不意に、彼は空を見上げながら呟いた。恐らく、彼女の耳には届いてはいないだろう。彼女は泣くことに必死で、呟きはとても小さかった。

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