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水面に落ちた小石  作者: 此道一歩
第二章  母の思い
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下種(げす)の勘違い

 和也は何とか土曜日を利用して、母に綾と触れ合う機会を創ることができないかと考え、エリカに連絡をとった。


 四月の第一週目の木曜日であった。

 店から一キロほど離れたカフェモカという店で待ち合わせた二人は人目を忍ぶように話し始めた。


「母さんの様子はどう?」

「うん、二週目まではお昼帰りだから会いに行けるって、でもその後はやばいかもね……」

「そうかー、お前にばかりに迷惑かけて申し訳ないなー」

「それは仕方ないと思っているけど、何か考えておかないと目に見えているからねー、あんなに綾ちゃん、綾ちゃんって言っていたのに、全然会えなくなったらねー……」

「そのことなんだけど、土曜日は買い出しにはいかないけど、二週に一度ぐらいは家にいないようにするから、何かあったらよろしく頼むよ」

「そうね、それができればどうにかなるかもしれないね」

「うん、申し訳ないけど…… だけど母さんは、俺が母さんに気づいていること、知らないんだよね?」

「うーん、口にはしないけど…… でもわかっているんじゃないの?」

「えっ、そうだろうか」

「だって、あなた方親子はいつもそうだったじゃないの、お互いに思ったり考えたりしていることがわかっているのに、お互いそれに気づかないふりして、そうやって来たじゃないの……」

「えー、そうなのか?」

「私は小さい時から、ずっーとそれを見てきたのよ! 『この親子は何なのよ』っていつも思っていたわよ」

「すごいところ見ていたんだなー」


「お互いに出たり引いたり上手にバランスをとって…… でもね、綾ちゃんのことについては次元が違うような気がするよ。兄さんの居場所が解らなかったり、理穂さんを一目見たくてイライラしたりしていたのとは、全く次元が違う。何か起きれば大変なことになるような気配がある……」


「おい、脅かすなよ」


「脅かすつもりはないけど、だけどね、綾ちゃんに会った日はすごいんだから! 『私を見て笑ったの』とか『小さな手だからそっと握るのよ』とか、とにかく一時間ぐらいは話を聞かされるから……」 


「すまないなー」


「兄さんが人生の流れを大事にしているのはよくわかるのよ、でも私から見ると、その流れは全てを理穂さんに話すべき時が来ているように思うんだけど…… 

兄さんだってそれを感じているけど、できることなら会社に関わらずに生きて行きたいって思っているから、無理やりに理屈つけて、『今はまだその時じゃない』って自分に言い聞かせているんじゃないの?」

 エリカはここまで言いたくても我慢していたことを口にした。 


「さすがに母さんの血を継いでいるだけのことはあるなー、鋭いところついてくるね」


「それにねー、会社のこともちょっと心配なのよ、色々調べてみると、けっこう訳わかんない社長命令が出ていて、あり得ない人事異動があったり、突然、海外へ飛ばされる人がいたりで、ちょっとおかしくなっている感じがするの、まあ、専務、常務がいるからとんでもないことにはならないと思うけど、父さんにももうちょっと、しっかりしてもらわないとね」


「そうなのか……」和也は苦笑いしてふと遠くを見つめた。


 兄がこういう仕草をするときは、他人の意見に耳を傾けて懸命にそれを考えている時であるということを知っているエリカはこれ以上彼を責めなかった。


 テーブルの上に両手を出していた和也の左手の上に、エリカはそっと右手を添えると、

「兄さん、大丈夫! 理穂さんは絶対に兄さんについて来てくれるって!」

 微笑みながら彼の目を見つめた。


 それを離れた所からそっと見ていた者があった。

 斎藤グループ人事部人事課長の小橋である。

 会長の娘に気付いた彼は、最初は気にも留めていなかったのだが、見ているうちに深刻そうに、そして親密にこそこそ話している二人にただならぬ気配を感じ、加えて手を添えて見つめ合っている二人を見て彼は不倫かと一瞬思った。

 よく見ると男性の左薬指には指輪が入っている…… 

 不倫に間違いないと直感した彼が、ただちにそのことを会長秘書の町田にご注進し、隠し撮りした写真をメールで送ると、エリカのことが目障りでならなかった町田は喜んでその日付と時間、場所をメモに残した。

 写真は和也の左斜め後ろから取っていたので微笑んだエリカが和也の左手に自らの右手を添えていて、その隙間から彼の薬指の指輪がはっきりと見えてはいたのだが、肝心の和也の顔は写っていなかった。


 そんなことには気づくこともなく、二人は話し続けていた。


「ありがとう、お前がいてくれるから俺は何とか生きて行けるよ」

「おおげさに言わないでよ」

「ごめんな、母さんを取ってしまって…… 血のつながっていない俺が母さんを独占してしまって……」


「なに言ってるの今頃、そりゃー小学校の頃は腹が立って、ぐれてやろうかって思ったこともあったわよ。でもね、六年生になった時だったかな、クラスに母子家庭の女子がいて、その母親は男ができる度に彼女を一人にして出て行ったのよ」


「そう言えば、何か事件があったような気がするなー、どんなことだったかな?」


「その子が帰る途中でしゃがみ込んでいて、ちょうど用事があってママが迎えに来ていた時だったら、ママが慌てて車に乗せて病院へ連れて行ったの、空腹のあまり腹痛を起こしていて、親に連絡したけど電話には出ない、とりあえず家に連れて帰って、胃に優しいものをママが何か準備していたのを覚えているわ。そしたら夕方担任の先生が来て、やっと事情がわかったらママの目が怒りに満ちていたわ」


「そんなことがあったなー」


「そしたら翌日迎えに来たその子の母親捕まえて、まあすごかった。『母親が子供から目を離してどうするのっ、犬や猫だって子供の面倒は見るのよっ』って言ったら、その母親も『裕福だからそんなきれいごとが言えるんだ』とかなんとか言って反論したの、そしたらママが目を吊り上げて『子供への愛情にお金なんて関係ない、私は一人になっても私の二人の子は命を懸けて守っていく! それだけの覚悟を持って毎日生きているのよ!』ってすごい迫力だった」


「ああ、そんな話は後から聞いたような気がするなー」


「私は茫然(ぼうぜん)としてそのやり取りを見ていただけだったの、ただ、夜、ママは私のことも見ているんだ! そう言えば何かあるたびにいつもやって来て何か言って出て行った。それで悩んでいることが馬鹿らしくなって、いつも不安がなくなって…… そう思ったの。兄さんの事情は知っていたから、兄さんへの接し方と私への接し方が違うだけなんだって思ったらなんでもなくなったわ」


「あの人のすごさだよなー、俺はどうやって恩返しすればいいんだろう……」思い込むような独り言だったのだが

「笑顔で生きて行けばいいんじゃないの……」何気ないエリカの言葉に

「えっ、それでいいのか?」彼は驚いた。

「以前にママが言っていたの。兄さんの居場所がわかって、兄さんの顔が見たくなって一度お店に行ったらしいの……」


「そうなのか?」


「もちろん窓越しに見ただけらしいけど、その時の兄さんはとても楽しそうにお客さんと話しながら焼きそばか何か焼いていたらしい。あんな笑顔見たことないって、小さい頃から笑わない子だったから、ちょっとでも笑ってくれたらうれしくてうれしくて仕方なかったってよ、その兄さんがあんな見たこともないような笑顔で生きて行けるんだったらあそこで生きて行ってもいいって……」


「……」ほとんど感情を表すことはしない和也であったが、さすがにこの話を聞くと目頭が熱くなるのをどうすることもできなかった。

「だけど、あの人のことだから、場面が変わると何言いだすかわかんないよ」

「そうだな、それでもいいよ……」

「それから、私も結婚しようと思っているの」

「えー、そんな人いたのか? お前は男に興味ないのかって思ってたよ」

「何よそれ! 男女に関係なくすごいと思う人には魅かれるけど、結婚するのは男性よ!同性愛者じゃないんだから……」

「ははははっ」

「笑い事じゃないわよ、これからが大変なのよ」


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