00.プロローグ 彼女の名は魔法少女ソードダンサー
なぜこうなってしまったのだろう。
何時ものように仕事をして帰ろうとしただけなのに。
地面に蹲った女性は自分の身に起きたことをまるで夢のように見ていながらそう思った。
自分が今倒れている場所は人通りが少ない薄暗い裏道。
街灯の明かりも時々点滅して、如何にも襲って下さいと言わんばかりの通りだ。
普段であれば人通りの少ないこの道を通らないが、残業で帰りが遅くなったため近道としてこの道を選んだ。
今日だけではなく残業で遅くなったときはこの近道を使っていたので、慣れてしまったため危機感が薄れていたのかもしれない。
そしてそんな裏道を通る彼女の前に一人の男が現れたのだ。
やや背の高く痩せ細った身の20代に見えた。
一見すると好青年のようにも見えるが、場所が場所だけに薄気味悪さを感じた。
そしてそれを裏付けるかのようにその表情もニタニタと見下したような薄笑いを浮かべていた。
そして戸惑っている彼女に近づいたかと思うと何やら言葉を紡ぎ、気が付けば彼女は地面に倒れ込んでいたのだ。
「ふへへ、あんたがいけないんだぜ。俺の気持ちを無視するからさ。だから俺は復讐する。その力も手に入れた。
どうだ? 麻痺の魔法を喰らった感想は?」
男の言葉通り彼女は体が麻痺したように動かなくなっていた。
何とか視線を男に向けると何処か見たような覚えがあった。
男が言う気持ちを無視するとはどういう事なのか。その言葉に記憶をたどるとようやく男の正躰に思い至った。
数日前、男は彼女に付き合ってくれと告白していたのだ。
但し、彼女には男の面識は一切なかった。
だが男の方は彼女の事を良く知っていた。
曰く、今日はどこそこのコンビニで野菜ジュースを買ってたよね。
曰く、今日のスーツは鮮やかな赤で、昨日のベージュよりも似合ってるね。
曰く、昨日は仕事場の上司にセクハラをされていたよね。俺が傍に居たらそんな事はさせないのに。
彼女は男をストーカーだと判断した。
そして男を気持ち悪いと罵倒し、すぐさま警察に駆け込んで対応した。
まぁ、警察は初見であり事件性が無いと判断して直ぐには動かなかったが、それでもストーカー対策にあるマニュアルに乗っ取って捜査してくれることだろうと彼女は思い、仕事が多忙な事もありそれっきりそのストーカーの事は忘れていた。
そのストーカー男が目の前に居た。
「ふひひ、最高だな。魔法の力は。こうして俺を無視した女を思い通りに出来る。
さて、今度は俺のテクで悶えてもらおうか。俺があんたの一番だってことを体で分かってもらう。
――感度上昇の魔法」
そう言いながらストーカー男は彼女の体をまさぐる。
這いずる男の手に嫌悪するが、体が麻痺した状態ではどうする事も出来ない。
今の彼女に出来る事は、この人通りの少ない裏道に誰か助けが来ることを望むだけだった。
「あれ? おかしいな。感度上昇の魔法を掛けているのに全然反応しない。ちょっと触っているだけでも敏感になるはずなのに」
思った反応が得られず、ストーカー男は恐る恐る触っていた手を次第に乱暴にし始めた。
「体が麻痺してるんだもの、反応があるわけないじゃん」
唐突に聞こえた女の子の声。ストーカー男は思わず彼女の前から離れ、声のする方を見た。
するとそこには1人の魔法少女が居た。
ピンクのフリルの衣装に身を包み、両手には可愛い意匠を凝らした2本の剣を携えていた。
衣装と同じくピンクのリボンで括られた黒髪のツインテールのヘアスタイル。
手足のグローブとブーツも可愛いピンクで統一されている。
両手の剣を除けは何処からどう見ても魔法少女だった。
ストーカー男は思い出す。最近ネットで噂になっている魔法少女が居ることを。
最近魔法の存在が囁き始められ、ネットでは眉唾物とされてきたのと同時に魔法少女の存在もネットで囁かれていた。
魔法を使えなかった頃のストーカー男だったら信じなかっただろう。
だが今の自分は魔法を使える。ならば目の前にいる少女は――
「誰だ、お前は」
分かっていてもストーカー男は聞かずにいられなかった。
「わたしの名は魔法少女ソードダンサー。貴方のような魔法を使う悪党を倒す正義の味方よ」
「ふふざけるな! 俺は正当な行為をしているだけだ! その女は俺を拒否したんだ! だから俺にはその女を自由にする権利がある!」
「彼女があんたを受け入れなかった時点であんたのやってることは犯罪よ。まぁ言っても分かるくらいなら最初からこんなことはしていないだろうけど」
ソードダンサーはストーカー男と会話しながらさり気なく女性の前に出てストーカー男が手を出さないように庇う。
「フェル」
「わふ!」
ソードダンサーが合図すると1匹の犬が現れ女性の前に陣取る。
するとフェルを中心とした小さな半球状の結界が女性を包み込む。
「あ!? てめぇ! その女は俺の物だって言ってんだろ!」
「あんたの御託はどうでもいいの。さっさとこんな下らない事終わらせるわよ」
「下らないだと!? お前に何が分かる! いいさ、そこまで言うなら相手してやるよ。この魔法の力を手に入れた俺様がな!
――火炎の魔法!!」
ストーカー男の両手にバレーボール大の火球が生まれた。
魔法の力に目覚めたストーカー男が魔法と言えば火球だと最初に覚えた魔法だ。
それ故に一番使い慣れた魔法でもある。
ストーカー男は得意げに左右の火球をソードダンサーに放つ。
そしてソードダンサーは事も無く両手の剣で迫りくる火球を斬り裂いた。
「で?」
「う、嘘だ。俺の火炎の魔法が……」
「来ないならこっちから行くよ?」
「う、うわぁぁぁっ! 来るな来るな!
氷結の魔法! 雷の魔法! 烈風の魔法!」
戸惑い慌てふためくストーカー男。
自慢の火球が通じず迫りくるソードダンサーに恐怖するストーカー男は様々な攻撃魔法を放つ。
だが、火炎の魔法よりも使い慣れていない所為か精度が悪く、悉くソードダンサーに阻まれた。
「どうやらまだ成り立てみたいね。悪いけど……って悪くも無いか。あんたのその魔法の力、消させてもらうわよ」
そう言ってソードダンサーは呪文を唱える。
「剣舞烈斬!」
ソードダンサーの左右の剣に淡い光が灯り、ストーカー男に一気に近づきステップを刻みながら無数の斬撃を放った。
「がぁ……うぐ……」
斬られたはずのストーカー男は何故か傷一つなくその場に崩れ落ちた。
「はぁ~やっと終わった。何で今日に限って3件も同じような事件が起きるのよ……」
そう文句を呟きながらもソードダンサーは倒したストーカー男には目もくれずフェルが結界で守っている女性に近づいた。
ソードダンサーがストーカー男と戦っている間にフェルは女性の治癒の魔法を消し去り、ついでに魔法少女の存在をおぼろげにするため眠りの魔法を掛けて大人しくさせていた。
「もう少し危機管理を持ってほしいわね。何でわざわざこんな危険な通り道を選ぶんだか……
まぁいいわ。フェル、いつも通り保護の方をお願いね。あとあの男の情報も警察の方に上げておいてね」
「わふ!」
フェルは一鳴きすると女性と共に光に包まれ消えた。
ソードダンサーはフェルと女性が消え去った後、人払いの結界を確認してからその場を立ち去った。
地面に倒れたままのストーカー男を一瞥しただけで放置しておいたのは言うまでもない。
魔法の力を手に入れた事で増長し女性を襲うような男だ。酌量の余地は無いに等しい。
それに魔法の力を消し去った今、その喪失感によりストーカー男には大したことは出来ないだろう。
人知れず悪用する魔法の被害を防ぐため戦うその魔法少女の名はソードダンサー。
今はネットで囁かれるだけの存在だが、その名は徐々にだが世間に広まっていた。本人の望む望まないに関わらず……