第86話 戦前の仕込み
遅れました。
「数は......ざっと二万って所かな」
私はウィルガルムの協会の尖塔の天辺で片足立ちをしている。
何故そんなことをしているかと言うと、まだ魔力が四割程しか回復していないから、風魔法で空を飛ぶのは遠慮しているのだ。いや、皆まで言うな。聞きたいのはそっちではないことくらいは手に取るように分かっているとも。
真の目的は、360度囲うように迫る飛行型魔物達を眺めること、ではなく魔物の数を確認するためである。十数メートル程の防壁なんてのは意味を成すことは無いだろうね。
宿屋の方はしっかりと土魔法と水魔法と火魔法を駆使して簡易の煉瓦壁を立てておいた。それさえあればどこをどう見ても怪しくは見えないだろう。一辺約五メートルの煉瓦なんて作れるもんなんだね。
フラットな思考を切り替えて自分の胸に手を当てる。
「それじゃあ......『喰らい尽くせ』」
瞬間、内側へと、深い深淵へと引き摺り込まれるような感覚を覚える。意識が混濁してきて、短い呻き声を上げるが決して意識を手放す事は無い。
更に胸を突き刺すような悲鳴や泣き声が耳を劈く。
段々手足の先が冷たくなるのが分かる。このまま凍えてしまいそうになる......。
私を喰らう者は続けて怨嗟や嫉妬と言った負の感情を流し込んでくる。抵抗を試みてみるが、それらは一切の抵抗を許さず流れ込んでくる。そしてそれらが脳を蝕むかのように思考が黒く染まる。このまま堕ちてしまおうかと思ったその時、胸の奥で光が見えた。希望の光だ。
それは、淀みない澄んだ小川のような笑い声、そして数人に囲まれた時の太陽のような暖かい微笑み。そして......
――行ってらっしゃい。
それは音となって、蝕む黒を全て剥がしてくれた。
「はぁっ、はぁっ......! すーー、ふぅーー......。死ぬかと思った......」
意識がはっきりしてくると、呼吸を思い出したかのように肺に空気を送る。
額から流れた汗が顎から落ちたことで、私はかなり大量の汗をかいている事に気付いた。
「うぇ、ぐしょぐしょだ......お風呂入りたい......」
愚痴りながらアイテムボックスからフェイスタオルサイズのの布を取り出して全身を拭く。人目が無いので少し大胆だが致し方無いだろう。
ローブは暑かったので仕舞っておいた。
失った水分を取るために水分補給をしていると、遂に目的のモノが現れた。
「凄いね、あそこまで精神を喰われたのに、そこから戻ってこれるなんて思ってもなかったよ。この短時間で随分と精神力が強くなったようだけど......どうやって戻って来たんだい?」
影だ。空中に地面があるかのように悠々と歩きながら話し、私の前で立ち止まった。
私によく似た影だが、その姿は全身黒一色。しかし口元だけは気味悪く裂けている。
まぁ、そんな見た目はどうでも良いので影の質問に答えてあげよう。
「......行ってらっしゃい。この言葉にどんな意味があるか分かる?」
「質問に質問で返すのは無しじゃ無かったかい?」
影はそう言いながら、考える素振りすらなく肩を竦めてお手上げのジェスチャーを取る。
なんだか一つ一つの動作が気に障るがそれに突っ込んだら話が進まないのでなるべく気にしないようにしよう。
「この言葉にはね、『あなたの帰りを待っている』って意味があると、私は思ってる。
反対に、行ってきますの言葉には『あなたの元へ無事に帰ってくる』って意味があると思う。これが正しいかどうかは知らないけれど、私はそう思ってるの。
だから、私は絶対にみんなの元に無事に帰らなきゃいけないんだよね」
「なるほど、ね......。それは分かったけど、ならどうして無理をしてまで私を呼んだのさ? 無事で済むかどうか分からない行為なのに」
確かに、今しがた言った事と行動が矛盾している。
影はそれを指摘しつつも、答えは知っているかのように呆れた口調で質問をしてきた。
「実際に無事だったんだから問題無かったでしょ?」
あるはずの無い目を覆うような仕草で溜め息を吐く影。なんとも人間味溢れる仕草である。
「......それで、何の用で私を呼んだんだい? 私が表に出ている間の記憶は残るはず無いんだけどねぇ」
そう、今回はこの影に、スキル:UNKNOWNに用があるのだ。
そもそも、スキルと言うのは魂に結ばれた能力である、ってシュバルが言ってたような言ってなかったような。
その中でも特例のスキルがUNKNOWNである。私の転生特典(笑)だね。転生させた本人シュバルすら知り得ないスキルみたいだったし、私としては勝手に住み着かれた厄介な居候って思ってた。
でも本当に厄介だったのは予想外だったよね。
まさか自我を持つスキルだなんて。飼い犬に手を噛まれるってのはまさにこの事かっ! て思ったよね。え? ちょっと違うって? 細けぇこたぁ、いいんだってばよ。
私がこのUNKNOWNのスキルを自分の意思で使ったのは過去に一度だけ。自分の意思でって前に付けるだけで意思外で使われたってのが分かるね。
まぁ、あれだ。ラ・ビールの壮大な親子喧嘩の仲裁に使ったのが初めてだね。
仕方なく使ってみたけど、使っている間の記憶が残らなくて、使った後には何も残らないトンデモスキルだって気付いてからは封印したんだよね。リサーナ達からも何事か聞かれたけど答えようが無かったもん。何も覚えてないんだからね。
封印して一安心、って思ってたら、今度はストレスでも溜まったのか私の内側から蝕んで来るわけ。お酒飲んでリラックスして寝たら収まったから良かったけどね。
こんな感じで過ごしてきたわけだけど、先程の襲撃で私の心が不安定になったところで隙を見て身体を乗っ取られてしまったわけですよ。
いやぁ、あれは困った。困ったね。意識はあったんだけど身体が勝手に動いていたんだもの。適当にやってくれちゃってさ、身体の制御が戻った時にはもう疲労困憊よ。なんなのあの戦い方は。小学生がチートを手にした時みたいな戦い方してさ。
その上遂には私の潜在意識まで手を伸ばしてきたもんだ。なぁにが「目の前の敵対する存在を殺したい」だ。
「アナタはあの時言ったよね。『お前は何がしたい?』ってさ」
「気付いたのはその時か......私が記憶の消去ではなく、記憶の片隅に追いやっていただけだって。
......確かに言ったけどね」
あ、そうだったんだ。
知らなかったや。断片的な事しか思い出せてなかったからそんな事考えてすらなかったってのは内緒にしておこう。
あ、心読まれてるんだっけ?
影からジト目ならぬジトっとした雰囲気を感じたからきっと聞こえているんだろう。
「私はみんなに教えて貰ったから、私が何をしたいのか。だから、アナタにも教えてあげようかと思って来ただけ」
「......そんな事のために来たっての?
呆れた。そんな事聞かされなくても知ってるよ。私はお前、お前は私だからね。中から全部見ていたさ。
......だが、あいつらの言葉が本当かどうかなんて信じられないね。本当に信じられるのは唯一人、自分自身だけなんだよ。だから私の言う事だけを信じればいい。そうだろう? また、また裏切られて見捨てられて、嫌な思いなんてしたくないだろう?」
表情は、無い。無いけど、焦っているような不安定な感情を感じる。
「そうだね......」
影の言葉に肯定的な返事をすると、影はニヤリと口の端を釣り上げた。
だが、私はそこから言葉を続けた。
「でも、私はみんなを信じてるから。
私を信じてくれてるみんなを信じなかったら、それはもう私じゃない気がするからね。
......私のやりたい事、それはね、家族みんなで笑って毎日を過ごせる事かな」
私は笑顔でそう答えた。しかし影は反対に、拳を握り締めて震えていた。
「......そう簡単に行けると思うなよ」
呪詛の様に呟くとこちらへゆっくりと近付いてきて、拳を振りかぶった。
そしてそれが私目掛けて振り下ろされる。
私は防ごうともせずただその場で佇んでいた。
「クソっ......!」
何度も何度も拳が振るわれるが、そのどれもが私の身体を通り抜けて一切の痛みも無い。
影は、物理的な接触が出来ないようである。
どの攻撃も私の身体を透き通る中、私は荒ぶる影の肩に手を置いて合うはずのない目線を合わせて語った。
......私の方からは触れるみたいだ。どういう原理だこれ?
「私はアナタも信じたい。ずっと一緒なんだから、信じてみたいよ。だからさ、そのためにもお互いにお互いの事を知り合おうよ。まずは名前からでも――」
「うるさいっ!」
影は掴まれた手を払おうと腕を振るうも、それは虚しく透過されるだけだった。真っ黒の影の中に怒りや悲しみ、悔しさが滲んでいるように見えた。
「ヒトはみんなそんな事を簡単に言うが、私が使えないと分かったらすぐに邪魔者扱いする。触れる事すら不可能な存在と相容れる事など不可能だ! ......私は知っている、ヒトの愚かさも、業の深さも無力さも全部だ! だから私がお前の全てを喰い尽くしてやる。せいぜい苦しむがいいさ、お前も、お前の周りの奴らも全部、全部喰い尽くしてやるっ!」
影がそう捲し立てると、次の瞬間、いくつもの悲惨な景色が脳内を駆け巡った。
それは苦しみ。幾度と無く封じられては歴史から消された過去の数々。身体的な痛みだけではなく、精神的な痛みの方が大きかった。
それは憎しみ。信じた者から裏切られ誰一人存在しない荒野で消えていきながらも残る憎しみが広がっていく様を。
それは悲しみ。信じ、愛した者が、関わった者達が次から次へと闇へと葬られていく悲しみ。やがて皆から忌み嫌われる存在になっても、人を信じようとしたが遂には触れる事すら不可能になっていた時の絶望が。
気が付いた時には私の頬を一筋の涙が伝っていた。
影の姿は既に無く、今まで水を打ったような静けさが一転し目下では悲鳴や絶叫が飛び交っていた。
「......いまのは?」
涙を拭いながら今しがた見せられた幻のような、目を背けたくなる光景を思い出す。
恐らくは誰かの記憶かと思われるが、見当がつかない。可能性としてあるとすれば......UNKNOWNであるが、スキルが記憶を持てるなんて考えられない。
だが既に自我があるのは確かだ。その線で考えてみよう。何事も否定から入るのは良くないもんね。
場所は様々だった。屋内でもあったし、屋外でもあった。どこか広い......荒野もあれば、狭く暗く汚い部屋もあった。思い出してはみたものの、共通点など一切無さそうな景色に何も思い当たらない。
「いや、共通点ならあるか......」
共通点ならあった。どのシーンでも血が流れていたし、誰かが泣く声が必ずあった。
それが意味するものとは一体――。
「うーん、考えてもわっかんないや」
考えても分からないものはいくら考えても分かる訳では無いのだ。時間の無駄である。
時間は有限。時は金なり。ならば時間は有意義な方へと使わないとね。
まだ魔物達が周囲を囲う外壁に辿り着くには時間があるので、もう少し考え事をしようそうしよう。
先程数えた時よりも魔物の数が増えているのには突っ込まないでおこう。数なんて数えてもどうせ全部死ぬんだし。死体になったら数なんて関係無いもんね。
折角なのであの影、UNKNOWNの名前を考えてあげよう。既にあるなら余計なお世話かもしれないけど......答えなかったあの子が悪い。そういうことにしよう。しておこう。
だけども、あのド腐れ眼鏡ビッチやパンデミアさんが時折零していた『破滅の願い』ってのは恐らくだけどUNKNOWNを指す言葉だと思う。名前としてはちょっと可哀想だし、聞かなかった事にして私なりのかわいい名前を付けてあげよう。私に似てかわいい影だったからね!
......自分で言ってて、ないワーって思う。
あの子が言うには、私はあの子であの子は私だそうだ。であれば、私に似た名前とかがいいのかな。
双子みたいでなんだかワクワクしてきた。
なんで私がこんな時間潰しみたいな事をしているかと言うと、ぶっちゃけると魔物達が集まってくるまでの時間潰しでもある。
後パンデミアさん待ち。あの人にも色々聞かなきゃいけない事あるしね。色々な面倒事を後回しにしていたツケが回ってきたんだろうか。
精神統一とUNKNOWNの新しい名前を考える事を同時進行しながらパンデミアさんを待つ。精神統一なんてのは名前だけの見せかけだがやらないよりはずっとマシだ。何せ瞑目してじっとしてるだけで魔力の質が跳ね上がるんだもんね。実はこれはアルテリアさんに教えて貰った事でもある。あの人は本気で精神統一してたけどさ。
そんなことを胸の内でボヤいていると、私に近付く反応があった。こんな現状で私に近付いてくるのはパンデミアさんしかいない。
音も無く斜面に降り立つパンデミアさんの様子を片目だけ開けてチラ見する。
音も無く着地とかどんな技術だそれ。暗殺術か何かか?
「待たせたな。人の流れが予想以上に邪魔であった。あと少しでもステラが提案するのが遅ければ魔物達の蹂躙よりも先に我が皆殺しにしてしまうところだったわ。がははは!」
笑えない冗談をかましてくるのはよしてくださいな。
「そろそろ時間であろう? 数はどれくらいだ?」
「さぁ? さっき見た時より増えてるし、数えるのも飽きたよ」
「がっははは!! いくら数えても全て撃墜するのだ、数など関係無かろう? 久しぶりの大暴れだ、遅れるなよアスカ?」
「私は最近良く戦ってるから全部任せたいところだよ......」
うん、確かにそうだ。自分で言ってて納得してしまった。ただまぁ、全力を出したのは竜魔王の時だけだし、不完全燃焼と言ったら不完全燃焼だ。
先程までのド腐れ眼鏡ビッチの手下達はUNKNOWNが面になってたし、あれは燃費が悪すぎる戦い方だよね。
自分の事は自分が一番良く分かる。自分の得意な魔法も、戦い方も。
「まぁそう言うな。殲滅ついでにお主の拙い立ち回りを指導してやるのも吝かでは無いぞ?」
「拙いって......自分なりに考えた結果、あの動き方なんだけどなぁ」
お喋りしながらも外壁から魔法兵達の迎撃が始まったのを確認し、自分達の準備も整える。
「より強い力で捻じ伏せるなんてのは効率が悪すぎる。相手の力を利用して倒すのが最も効率が良いぞ」
「うっわぁ......こっちの世界にも効率厨ってのはいるんだなぁ......」
「は? こうりつちゅう?」
パンデミアさんが聞き慣れない言葉を聞いたようで鸚鵡返ししてくるが、私はそれをなんでもない、と手振りで返す。
そしてウィルガルムの周囲全てが魔物達に囲まれたのを確認して立ち上がる。
「それじゃあ、1つ勝負と行こうか」
「む? わかりやすいので頼むぞ」
「簡単簡単〜。どっちが多く落とせるか、だよ。負けた方は勝った方の言うことを1つ聞くってやつ」
「がははは! 至極簡単で分かりやすい! 我は殲滅は得意中の得意でな。負ける気はせんぞ?」
よっぽど自信があるようで、その横顔には自信が満ち溢れていた。
ふふふ、私は手加減なんてする気は無いからね。勝ったらパンデミアさんが知っている『破滅の願い』もといUNKNOWNについての事を全て話してもらうんだから。
パンデミアさんは南、私は西から殲滅を始めることにした。
「終わったらみんな所でね」
「無理だと思ったら我に任せて先に帰っても良いのだぞ〜?」
「あら、魔物より先にパンデミアさんが落ちたいのかな?」
「冗談だ、我の分も少しは残しておけよ?」
「お喋りが過ぎたかな、大分中まで入ってきてるや。さっさと終わらせようね」
どうやら話に花を咲かせすぎたみたいで、既に魔物達は外壁を超えてきてしまっている。
パンデミアさんは「これくらいのハンデは必要だな!」なんて言って飛び出していった。
私は胸を叩いて聞かせるように口を開いた。
――さて、誰かさんのせいで奪われた八つ当たりをしてこようかなっ!
久しぶりにかぶる魔女ハットを深くかぶり直して、魔法を構築しながら魔物の軍勢目掛けて特攻を仕掛けた。




