第84話 リサーナ
「私は、貴女に付いて行きます......」
震える声を絞り出すように口を開き、弱々しい足取りで止まったのは謎の美女の隣。
その予想だにしていなかった結果に、私の思考は追いつかなかった。
「ぇ......リサー、ナ、ぁ、ぇ......?」
この時、きっと私の表情はひどかっただろう。
リサーナは俯いたまま、一切こちらを見ようとはしなかった。
私は、セラを見捨ててまでも「リサーナを助ける」と覚悟を決めた。そしてそう答えようとした。しかし、私が答えるよりも早くリサーナは目の前で愉快そうに目を細めている美女の元へと近寄ったのだった。
――理解できない。
それが、最初に頭に浮かんで発しようとした言葉だった。だがショックが大きすぎたのか、私は情けなくその場に腰から崩れ落ちて言葉にならない声を上げていた。
そのショックは、裏切られたと思ったことか。それともリサーナならばこの結果を素直に受け入れてくれると、私のことを信用してくれていると言う思い込みがただの自惚れだったと気付いてしまったことか。
「アナタの答えも楽しみだったけれど、当人がこう言っているのだもの、この子は私のモノね」
心臓が締め付けられたような感覚がする。胸が苦しい。
この痛みが、苦しみが、涙となって流れ出てくれればいいのにと思うが、まるで涙が枯れてしまったかのように乾いた声が漏れるだけだった。
「あぁ、そうね。自己紹介が遅れたかしら? 私はネイ。ネイ・ルルリアーナよ。これからよろしくね、リサーナ。この子は、もう要らないわね」
「......はい、よろしくお願い、します」
ネイの挨拶に、歯切れの悪い返事をするリサーナ。それでも、言質を取ったと言わんばかりの満面の悪い笑顔を見せる。
そして、セラを徐に放り投げた。軽く投げただけの動作に見えたが、セラの体は空中へと勢いよく放り出された。
この時、私は茫然自失していた。目の前の光景を認めたくなくて、現実から目を背け続けている私はセラの救出に動くことが出来なかった。......否、助けようとすら思わなかった。
しかし、黙っていたパンデミアは違った。床を捲る程の脚力で一直線に跳ぶと、その逞しい巨腕で難なくセラを捕まえ、屋根を跳び跳び戻ってきた。
ステラ達の隣へ静かに下ろすと、正面に周り肩に手を置き、真剣な眼差しで重々しく口を開いた。
「アスカよ、気を確かに持て。お主はこの程度で潰れるような柔な存在ではなかろう!」
「っ、この程度なんてっ、軽々しく言うなよっ!!」
リサーナがいなくなる事が、『この程度』という範疇に収まるはずがなかった。
ただの八つ当たりに過ぎないが、目を見開いてパンデミアさんに大きな声で怒鳴り、肩を掴む腕を振り払ってしまった。それは、パンデミアさんに対してなのか、私自身に対してだったのか――。
そんな中、ネイが緩みきった表情で更に煽るように喋る。
「そもそもぉ、リサーナはアナタの事を本当に信用していたとでも思っているのかしらね? それこそ、自惚れていたんでしょう? そ・れ・に〜......」
認めたくなかった事を心を読んだかのように突き付けてくるネイ。
ネイが更に続けようとした時、私は衝動に身を任せて地面を蹴っていた。
「黙れぇぇっ!!」
ネイへ迫ると同時に低い姿勢で地面に立つ短剣を抜きネイへと向けた。
しかし......
「現実どころか真実すら見れぬその曇った眼、オレが切り裂いてやるぞ?」
キィン! と甲高い音を響かせ手に持っていた筈の短剣が弾き飛ばされ床を転がる。何故か今の短剣では何も切れそうには無いような、不思議な手応えだった。
そして私とネイの間に現れたのは少年から美少女、そして青年へと姿の変わった吸血鬼クレイスが剣を構えて立っていた。
その表情と声色には、僅かな同情の念が混じっているような気がした。
「あぁ〜っはははは! 無様、無様ね、そして滑稽よ! 実に笑わせてくれるわ! 手加減していたんじゃなくて、力の使い方すら知らないとはね、こんな奴を恐れていたなんてちゃんちゃらおかしいわ。......まぁ、いいわ、本当の事を教えてあげるわよ。この子、リサーナの本当の存在意義ってやつを」
クレイスの後ろで、私を見て笑うネイ。
何を言っているのか、と言う私の表情を見て笑いを止めると、ネイが隣に立つリサーナの肩に手を置くと、リサーナは身体をビクリ震わせた。
そして、奇妙な事を言い出した。
「この子は、実験体よ。人と魔族を掛け合わせて作られた、人であり魔族であるが、人でも魔族でもないただの道具に過ぎないのよ」
「な、にを......!?」
その場にいた私とパンデミアさん、そしてリサーナ本人も驚愕していた。
こんな言葉、嘘だ、信じられない。と否定する事は簡単だ。だがクレイスはただ黙って頷き、ネイは面白いものを見るようにニヤついているが、その目は嘘をついているようには見えなかった。
それに、この現在圧倒的優位である彼女らが私達に対して嘘をつく必要など無いはずなのだ。
「嘘だと思うかしら? 信じるかどうかはアナタが判断すればいいわ。
この子は道具、アナタを......厳密にはアナタの持つ『破滅の願い』を永遠に封印するための鍵ってところかしらね。どう? 面白いでしょう?」
「まさかっ、ネイ、貴様......っ!」
「死に損ないは黙ってろよ」
パンデミアさんが何か理解したように声を上げるが、それを上からネイが黙らせる。どうやらネイは心の底からパンデミアさんを嫌っているようだ。
そんなことはどうでもいい。重要な事じゃない。
先程から何度も耳にする言葉、「破滅の願い」。私はそんなスキルか道具か分からないモノを手に入れた憶えは無い。それに、リサーナが道具であろうが無かろうが、リサーナを手放す事など出来ない。しかし、リサーナは自らの意思で相手側に付いたのだ......。
今まで見る事を避けていた現実に向かおうと、視線をリサーナへと向ける。そこには狼狽した様子のリサーナの耳元へ近寄り、何かを囁いているネイがいた。
「ぁ、あぁ......そんな、嘘......」
ぼろぼろと目から涙を溢れさせるリサーナ。ネイが何を囁いたのかは分からないが今までよりもずっと悪い笑顔を携えていた。
と、その時、部屋の隅から呻き声が漏れた。私はハッとしてその声の元へと向かった。
「ラ・ビール!!」
「あす、かっ、さまっ......私は、無事で、すからっ......りさぁ、な、をっ......!」
なんで、何よりも大事なことが頭から抜けていたのだろうか。私はここへ家族を助けるために来たというのに、なんでこんな大事なことをっ!
息も途切れ途切れで無事だ、と口を開くが、ラ・ビールの肌には無数の痣や傷跡が残っており、到底無事とは言い難かった。
すぐさま完治の魔法をかけようとするも、疲労故か上手く魔力が練れずにいた。
「ふふふ、見てご覧なさいリサーナ。貴女が信じた相手はこうも簡単に貴女ではなく他の者へと移ってしまうわ。これで分かったかしら? あの女は、貴女が『道具』と知って見捨てたのよ。そう、貴女は見捨てられたの......」
脳を痺れさせるような声で甘言をリサーナに対して語るネイ。
魔法を使おうと集中している所でそれを否定しようにも声を上げてしまえばまた一からやり直しである。
横目で見る限り、リサーナはその言葉に影響を受けてしまっている。普段の状態ならばこんな言葉、真に受ける筈など無い......いや、それも驕りだったと気付いたばかりじゃないか。
それでも、リサーナが正常に判断出来れば簡単に理解出来ている筈なんだ。彼女は私よりもずっと頭が良いからね。
中途半端な集中によりゆっくりと回復していくラ・ビール。どうやら今まで沈黙していたのは魔力を回復させる為の時間稼ぎだったようで、なんとか喋れるまで回復出来るようになってから動き出したみたいだ。
「あぁ、なんてかわいそうなリサーナなのかしらっ。でも安心していいわ。私は、貴女の味方だから......そう、私だけが貴女を守れる。さぁ、私に身を委ねなさい......」
「あ、ぁ、ぁ......わ、ゎた、しは......」
「リサーナ! そ奴の言葉に耳を貸すでないぞっ!! お主が愛し愛された者が誰か、それを思い出せっ!」
パンデミアさんが動けない私に変わって真実と嘘の狭間で揺れるリサーナを正気に戻そうと声を荒げる。
ちょっと恥ずかしいのは秘密だ。
それが功を奏したのかは分からない。リサーナは無意識だったかもしれないが、両目から止まらぬ涙を溢れさせながら震える手をこちらへ伸ばしたのだった。
私もラ・ビールが立ち上がれるまで回復した所で中断し、伸ばされた手を掴もうと駆け出した。しかし......
「リサーナ!」
「ふふ、もう遅い......」
こちらへ伸ばされた手を掴もうと、最後の希望を掴もうと私は手を伸ばす。
しかし、ネイの瞳が妖しく光ったかと思うと、リサーナの四肢から力が抜け落ちたかのようにだらんとなり、伸ばした手が掴んだのは何でもないただの空気だけであった。
私は、何も掴めなかった手を見つめて、最後に見たリサーナの言葉を思い出す。
「ここまで精神を不安定にしておけば後は引き出すだけ、簡単ね」
「貴様、誘惑を使ったのか? いや、今のは更に上位の魔法......禁呪すら使うか」
ネイはパンデミアさんの問には答えず、不敵な笑みを携えているだけだった。
魔法で浮かばされているリサーナの肌を鋭く尖った爪で遊ぶように傷付けた後、振り向いたその顔は目尻が吊り上がった鬼のような形相だった。
「お前は次の機会に殺してやるよ。お前のお気に入りを壊してからなぁっ! ......あぁ、そうだわ。言い忘れてた事が一つ。耳を澄ましなさい」
憤怒からのすました顔へと代わったネイ。
その言葉に従う義務も何も無いが、不利な状況で全力を出せない私がネイからリサーナを無傷で取り返す方法が無い今、それに従うしかなかった。
パンデミアさんは不快そうにしながらも目を閉じて気配感知をし、ラ・ビールに至っては敵意丸出しでネイの言葉に従う素振りすら見せないでいた。
私も警戒をしつつ気配感知で音を細かく拾うようにしてみる。
――■■
この付近には人払いがされているが、それも効果が無くなってきたのか雑踏や、この宿屋の惨状を見つけた者達のザワつきに混じって、何か違和感のある音が聞こえた。
それはくぐもっていて、どこから聞こえてくるのか判別出来なかった。
その為、パンデミアさんと同じように更に集中して耳を澄ませる。
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「これは、まさか......」
パンデミアさんが焦ったように声を上げて壊れた窓から外を見る。
「ふふふ、聞こえたかしら? 死の羽音と......血肉を貪り内より出でる絶望の音が......ふふ、ふふふふ、いいのよ、遠慮しないで。これは私からの、軽いプレゼントですもの」
「待てっ!!!」
ネイはそう言うと、まるで最初から存在しなかったようにその場から消える。リサーナやクレイス、クリルを連れて。それは消えたのではなく何年何百年と重ねた転移の流れるような動作が生み出した結果であった。
だがラ・ビールはそれを捉えられたのか、ネイ達がいた場所には鮮血が散っていた。
「ふむ......どうやら奴は厄介な置き土産をしていきおったようだな」
パンデミアさんが遠くの空を眺めて忌々しげにそう呟いた。




