旗の担い手
ほんの短い期間だけ、すでにできあがった友達の輪の中を潜って入って抜けていく。
積んで、崩して、また積んで。全部最後は崩れて終わり。
そんなことの繰り返し。そんなことだけの繰り返し。
『メールするから。あっちでも、元気でな』
メールはあって二往復。半年したら忘れられる。
偶然数年後に帰っても、気づかれもせずすれ違う。
『……中井? ああ、こっち、戻ってたのか。悪い、これから塾あっから』
ザシキワラシのようだ、と太郎は思った。
人の輪にいつの間にか入り込む。誰も気にせず一緒に遊んでくれる。
人の輪からいつか消えている。誰も気にせず遊び続ける。
『ああ、いただろ? 中井って地味な奴。帰ってきててさ。でも今さら、なあ』
弾かれず、溶け込めず。
いても迷惑ではないけれど、決していなくてはいけないものにはなれない。
ザシキワラシはそういうものだ。結局出せた答えは一つ。
自分は、誰かの役に立たないと。そうすれば、必要とされるのだから。
『なあ、ガタ。おまえの爺ちゃんちweb繋がってるだろ。なら――』
少なくともその間は、縁が切れない。ひとりには、ならな――。
「グッモーガターキャンセルドロップキック!」
「むごっ!?」
腹部に落下する質量攻撃によって、河太郎は強制的に目覚めさせられた。
本体重量60kg前後、装備重量込でプラスアルファの急降下爆撃という、〈冒険者〉の体でなかったら大惨事間違いなしの暴挙を河太郎の腹部に叩き込んだのは、屈託もなく人の上に直立して見下ろしてくる悪友、羅睺丸だった。
河太郎は努めて平坦な口調で疑問を投げかけた。
「……うまる。なにか言うことは?」
「おはようございます?」
「違うよ! このアグレッシブな起こし方についてなにか申し開きは!? っていうかいつもこんな暴力的な起こし方しないよね? 昨日僕なんかした? いびとかうるさかった? にしてももう少し平和的な抗議の仕方とかあると思うんだけど!」
「なんかおまえの顔みてたらそんな気分だったんだよー許せ!」
「理不尽! 言い訳が雑!」
河太郎は勢いよく体を起こして羅睺丸を振り落とす。羅睺丸は軽々と身を捻ると、体操選手の床演技のような動きで寝袋の脇に着地した。
「それより、飯だぞー。ガタが寝坊なんて久しぶりじゃね?」
その言葉に、河太郎は慌ててテントから顔を出した。すでに細雪とピアニシッシモが鍋からスープをよそっている。いつもならば河太郎も朝食の用意を手伝っているはずの時間だ。
「う……ごめんなさい」
「おう。早く着替えて来いよー。連れてきた女の子も、おまえがいる方が安心するだろうしな」
その言葉に、河太郎は改めて状況を思い出した。
昨日、森へ素材採集に行った最中に出会った、謎のエネミーと少女のこと。
左手の痣、ステータス画面の〈孤獅の祝福〉の表示は変わらない。
握りしめた左手に違和感はなかった。体の動きに支障もない。大丈夫。いつも通り、回復職としてみんなの役に立てる。着替えながらそれを確認すると、河太郎はテントから抜け出した。
「河太郎様、おはようございます」
焚火の周りでスープを商人達に配っていた栗毛の少女、シーナが、河太郎の方へと微笑みかけてくる。
「お目覚めですね、中居様。すぐにスープをご用意しますね」
「……へ? あ、はい」
向けられた満面の笑顔。強烈な違和感が河太郎を襲う。
朗らかすぎる。
――「うひゃああああ! どきなさいそこのアンタ!」
――「ああもう、なんでこんなトコに子どもがいるのよ! 危ないじゃない!」
昨日出会ったときの、あの、叫んでばかりいた姿と一致しない。危険な状況下で慌てていただけで、こちらが彼女の素なのだろうか?
「どうかされました?」
実は目の前にいるのは、昨日あった娘の双子の妹だ、とでも言われた方が納得できそうな豹変ぶり。それに、河太郎は一瞬首をかしげ、そして、その理由に思い当たった。
彼女は、警戒しているのだ。満面の笑みで、100点満点の品行方正さで、突然連れてこられたこの集団を値踏みしているのだ。敵を作らぬよう、弱みを見せぬよう。そして、誰が味方になりうるか、どこに自分が立つべきかを探るために。
何か根拠があったわけではない。けれど、河太郎はなぜかそう思った。
転校のたび、見知らぬ人間関係の中に飛び込んで、笑顔の大安売りをして居場所を探していた元の世界の自分に、シーナという少女の姿が重なったのだ。
「……なにか、私の顔についてます?」
ぺたぺたと頬を触る彼女に、河太郎は首を横に振ってその勘違いを否定した。
「ありがとうございます。すみませんね、色々手伝ってもらってしまって」
「御厄介になる身ですから、お役に立てることはしないと」
「なーんだよこの娘さん、ガタみたいなこと言ってるぜー。ウォータースメルがぷんぷんするぜー」
シーナと河太郎のやりとりを見て、一足先に焚火の脇に陣取っていた羅睺丸が足をばたばたしながら茶化した。
シーナが怪訝な顔で首をかしげる。
それもそうだろう、と河太郎は思う。羅睺丸の言い回しはいつも独特だ。なんでも、兄たちが聞いていた洋楽の影響らしいのだが、妙に横文字を使いたがるのだ。そのくせ英語の成績がいいわけではなくて誤用も多いものだから、よけいに意味がわかりにくくなっているのである。
「羅睺丸くん、失礼だよ! 女の子にスメルとか軟体さんでも言わないよ! もう、ごめんなさいね、シーナさん」
ピアニシッシモにいさめられ、羅睺丸がとりあえず口を閉じた。
話の区切りを見計らったのだろう。細雪が全員に炙ったパンを配る。
「ガキめら。せっかくの食事が冷めるぞ。商隊と移動するなら俺らもペースを合わせないといかんだろう」
そうして始まった朝食中の会話は、最初ほとんどがシーナへの質問に占められた。
昨日は河太郎とシーナが〈黒の獣〉に襲撃された後、危険だとして商隊ともどもあわただしく街道を移動して、ほとんど彼女の事情を聞くことができなかったからだった。
彼女は森の奥の小さな集落で育った〈森祝使い〉という術師で、集落が〈黒の獣〉に襲われて逃げてきたのだという。
驚くべきことに、彼女は〈シルバーソード〉はおろか、〈冒険者〉や、〈大災害〉のことすら知らなかった。よほど世間から隔絶された里だったのだろうと河太郎は思った。
「私たち〈森祝使い〉は、〈黒の獣〉が感染させる〈孤獅の祝福〉という呪いの解除方法を知っています。それで、〈黒の獣〉たちは私たちの集落を襲ったのだと思います」
「〈森祝使い〉? 〈森呪遣い〉とは違うのか?」
「〈森呪遣い〉……というものが何かはわかりませんが、〈森祝使い〉は、木々の力を借り、木々に力を分け与える互助共生の術を使います」
「……ごじょきょうせい?」
「助け合うってことだよ、うまる」
「おー、うぃんうぃんってやつだな!」
「羅睺丸くん、意味わかってる?」
ぽん、と手を叩く羅睺丸に対し、細雪は普段の眉間の皺をさらに深くしていた。
「……細雪さん?」
河太郎の問いかけに細雪は答えず、さらにシーナに尋ねる。
「それで、シーナさん、だったか。おまえさんの知る〈孤獅の祝福〉ってのは、どうやって解除するんだ?」
「我々の一族に伝わる秘薬があります。ただ、希少な材料が多く、私一人では全て揃えることが難しいと悩んでいたのです。……助けていただいた上、私の巻き添えで中居様までが〈孤獅の祝福〉にかかってしまい、厚かましいお願いであることは承知しています。ですが、どうか、解呪の秘薬の材料集めを、手伝ってはいただけないでしょうか?」
胸元で手を組み、シーナはそう言って河太郎たちをぐるりと見まわした。
「その前に、もう一つ聞かせてほしい」
なおも問う細雪の様子に、河太郎は違和感を覚えた。普段の彼はこんなに細かく物事を気にするようなことはなかったはずだ。このシーナという少女の言葉のどこに引っかかっているのだろうか。
「〈黒の獣〉ってのはなんだ? なぜ〈孤獅の祝福〉っていうのを感染させて回っている? あんたら〈森祝使い〉の宿敵とか、そういう奴なのか?」
シーナは小さく息をつくと、ゆっくりと首を横に振るう。
「アレが何なのか、私にもよくわかってはいません。ただ、私の祖先に〈孤獅の祝福〉を癒そうとした者がいて、とある賢者から秘薬の調合方法を授かったと。それを私は継いでいるだけです。申し訳ありません」
沈黙。シーナの視線と細雪の視線がぶつかる。先に目を逸らしたのは細雪の方だった。
「だ、そうだ。どうする、リーダー」
リーダー。あえてそう呼ぶことで、細雪は意志決定を河太郎に任せたことを伝えた。
河太郎には、自信がない。経験も、知識も、覚悟も足りない。
細雪の方が思慮深く、羅睺丸の方が決断力があり、ピアニシッシモの方が思いやりがあると思っている。
けれど、それ以上に、任された役目を全うできないことの方が恐かった。
それに何より。目の前の少女は、自分を助けようとしてくれたのだ。
少なくともあのときは、何の損得勘定もなく、手を差し伸べてくれたように見えたのだ。
「僕は、シーナさんに協力しようと思います」
シーナの表情が、わずかに緩んだ。これまでずっと微笑みを絶やさなかった彼女だが、それが緊張と処世のための表情であることを、河太郎はなんとなく察していた。それがほんの少しだけ和らいだだけでも、この選択はましだったのではないかと思った。
「ガタが……ガタガタ言わなかった……だと?」
「うまる、その扱いひどくない!?」
「ふふ、よかった。それじゃあ、シーナさん、わたしの装備から適当なのを差し上げますね。しばらくいっしょにがんばりましょう!」
「ありがとうございます。……ほかにお聞きになりたいことはありますか?」
そう言ったシーナに対して手を挙げたのは、意外なことに羅睺丸だった。
「なんでしょう、羅睺丸さま」
「シーナさんだっけ。なんでそんなに猫かぶってるのさー?」
「ぶふっ」
シーナの笑顔がそのまま硬直し、口からスープを吹きかけた。
「ちょっとうまる! 何言ってるのさっ!」
「羅睺丸くん失礼すぎだよ!」
「だってさー、このねーちゃんずっとピリピリしてるんだもんよー。もうちょっとリフレクソロジーしてもいいんじゃね?」
「明らかに足裏ツボ押し関係ないよね! リラックスって言いたいんだよね!?」
「……シーナさんが? ピリピリしてる? 猫かぶってる? え? え?」
「ピアニシッシモは気にするな。おまえさんはそれでいい」
「な、なんか盛大にバカにされた気がします! お姉さんなのに! 沽券にかかわります!」
焚火の脇にわいのわいのとやりとりしている〈シルバーソード〉のメンバーを尻目に、シーナは強張った笑顔のまま、河太郎に向き直った。
「……アンタ、よけいなこと、この人らに言った?」
トーンを落とした凄みのある声に、ああ、こちらが彼女の素なのだなあ、と河太郎は納得する。正直こわい。〈シルバーソード〉の仲間の一人、ギルドの風紀違反への制裁行為をするエルフメイドの迫力を思い出しながら、河太郎は首を小刻みに横に振った。
「違うって。うまるはそういうの敏感だし、細雪さんは大人だから。……大丈夫。みんな、たぶんシーナさんが素でいても、大丈夫だと思うよ」
「……っ」
シーナはスプーンを握りしめ、長く息をつくと、観念したようにうなだれた。
「おひとよし。……私がなにかも知らないくせに」
最後の言葉は焚火がはぜる音に消え、河太郎の耳には届かなかった。
「少しいいですかね、〈シルバーソード〉の大将」
食後、キャンプを畳む用意の最中に、商隊のリーダーが河太郎へと声をかけた。
ちょび髭の男、アントンという名前だったはずだ。
「昨日拾ったってえあの娘ですがね。あまり、気を許さない方がいいんじゃないかと」
離れたところでピアニシッシモから防具を見繕われているシーナを一瞥して、アントンは囁いた。
「〈冒険者〉を知らない〈大地人〉なんざ、あまりに怪しいでしょう。それに、中居様が呪いを受けたのも、ある意味ではあの娘のせいだ。警戒するに越したことはない」
「ですが……」
「商人殿の言葉にも、一理はある」
いつの間にか背後に立っていた細雪が、河太郎の反論を遮る。
「〈森祝使い〉。聞いたこともない職業だ。「NPC固有職業」だろう」
〈エルダー・テイル〉がゲームであった頃、NPC、すなわち〈大地人〉には、それぞれの職業が設定されていた。それは、この世界にも引き継がれている「設定」だ。通常は〈貴族〉や〈農民〉、〈狩人〉といった生業が職業として設定されている。だが、特殊な設定や能力の持ち主は、他には見られない固有の職業が設定されている。たとえば、〈古来種〉の英雄エリアス・ハックブレードの〈刀剣術師〉や、ヨシノの外れに住まう最も古き吸血鬼の一、イツナリ姫の〈真祖〉などが有名だ。
こうした特殊な職業の持ち主は、そのほとんどが何らかの大きなイベントのきっかけとなる存在だ。ゲームの中で何の価値もない一般人NPCに特殊な設定が盛られる必然性がないので、当然といえば当然のことである。
だからこそ、河太郎は細雪の言わんとすることが理解できた。
そんな人間が関わっている騒動が、単純なものではない、と。だからこそ、細雪は柄にもなく念入りにシーナに質問をぶつけていたのだろう。
「ただ、だからこそ、俺はおまえの選択は正しかったと思うぞ」
細雪の大きな手が河太郎の肩に置かれる。
「あの娘さんの意図がどうあれ、イベントのフラグを踏んだなら突っ走るのが、〈シルバーソード〉だろう」
掌の温もりと重さが、ずん、と河太郎の体の奥に沈み込んでいく。
そんな二人の様子に背を向けると、ちょび髭の商人は足早に部下との打ち合わせへと戻るのだった。