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〈森祝使い〉の少女

 エッゾ南部の街道から少しばかり離れた森の中。雪を踏みしめながら、木々の間を河太郎はゆっくりと歩いていた。

 街道で巨人たちに襲われていた商人たちは、今キャンプをたたみ、出発の用意を始めている。その間に、河太郎は森の探索をしていたのだ。

  河太郎は口元を手で覆いつつ、大きく息を吐いた。吐息の暖かさが、冷えた指先をじんわりと温める。〈冒険者〉の体は丈夫で、暑さにも寒さにも強い。指がかじかむことも、元の世界の体と比べればあまりない。それでも、慣れ親しんだ動作はつい出てしまうものだ。

(……また、失敗しちゃったなあ)

 河太郎は背筋を丸めたまま、ぼんやりと歩を進める。

 河太郎は、同行している羅睺丸、ピアニシッシモ、細雪らをまとめる、パーティのリーダー役を任されている。河太郎自身はとても自分がまとめ役になど向いていないと思うのだが、ギルドの参謀役、プロメシュースの指示には逆らえなかったのだ。

 パーティメンバーは協力的だ。羅睺丸はギルドに入る前から気の置けない親友だし、細雪もピアニシッシモも、年下の河太郎を支えてくれている。それでも、そもそもの話として、河太郎は誰かに指示を出すことが、苦手なのだった。

 河太郎が元の世界で別の名前の、ただの生徒だった頃も、そうだった。人にものを頼むのが苦手で、話しかけることをためらって、色々なものを取りこぼしてきた。

 そのたびに落ち込んで、一人で近所の神社の周りの林を歩き回ったものだった。この世界に来て、考え事をするときに森に入るようになったのも、その頃からの癖だ。

(……でも、それじゃあダメなんだよなあ)

 〈シルバーソード〉はレイドギルドだが、今はエッゾのトラブルシューター役にもなっている。今回のように、少数メンバーのグループに分かれて行動することも増えてきた。

 それは、ウィリアムやプロメシュース、東湖や浮世といった、指示に慣れたメンバーといつも行動できるわけではないということでもある。

(もっとしっかりしないと。みんなの役に立てないといけないもんなあ……)

 河太郎は両の手で顔を挟み込むように、ぱん、と軽く頬を叩く。冷えた肌にてのひらの衝撃が突き刺さった。その痛みで気持ちを切り替えると、河太郎は森に入った本来の目的に取りかかることにした。

 ステータス画面を展開、習得済みの特技リストから、サブ職業の特技群を選択する。

 〈冒険者〉が使うことのできる特殊能力である魔法や特技は、戦闘スタイルを規定するメイン職業と、その他の部分に影響を及ぼすサブ職業によって決まる。

 河太郎であれば、先ほどの戦いで使用した〈禊の障壁〉や〈四方拝・襲〉といった魔法はメイン職業である〈神祇官〉由来のものだ。

 河太郎のサブ職業は〈木工職人〉。木材を加工して、様々な道具を作ることを得意とする、生産系のサブ職業だ。

詠唱キャスト、〈緑の瞳〉」

 河太郎の瞳に緑の輝きが宿る。〈緑の瞳〉は高レベル〈木工職人〉が習得できる特技で、森の中で希少な木材などの採取率が上がるものだ。特技には「木の性質を見極め、その力を借りる特技」という解説文が付記されていて、〈大災害〉後は、視界内の木の名前やおおよその古さまでもがわかるようになっていた。

 この特技を使用して、こまめに植物系の素材を集めるのが、河太郎の日課だった。〈シルバーソード〉のメイン活動である大規模戦闘……レイドには、とにかく資材が必要だ。高性能な武器防具は修理に貴重な材料を要求するし、ギルドマスターであるウィリアムや河太郎のような弓使いは、湯水のように矢を消費する。その材料費を抑えるために、河太郎はサブ職業に〈木工職人〉を選んだのだった。

(ハルニレの若枝……木なのに、火属性なのか。エッゾは氷属性のモンスターが多いから、矢に加工すれば使い道が多そうだな)

 目ぼしい素材を拾い集め、河太郎はふと周囲がかげっていることに気が付いた。思ったよりも長い時間こうしていたのだろうかと慌てて顔を上げたところで――

「うひゃああああ! どきなさいそこのアンタ!」

「そんな無茶ぶはっ!?」

 河太郎の視界を埋め尽くしたのは、小さな靴の底だった。

 衝撃。空から降ってきて河太郎の顔へと綺麗な角度で着地する「誰か」。

 その「誰か」は倒れた河太郎のそばに駆け寄ると、その顔を覗き込んできた。

「ああもう、なんでこんなトコに子どもがいるのよ! 危ないじゃない!」

 それは、若い女性だった。河太郎よりやや年上だろうか。少女と呼んでもさしつかえない年代かもしれなかった。無造作に短く刈り込んだ栗毛は少年のように飾り気がない。泣きぼくろが可愛らしい。釣り目がちで勝気な雰囲気は、口調とぴったりだなあと河太郎はぼんやり考えた。

 というか、ずいぶんと勝手な言い分だ。唐突に空中から飛び蹴りでヘッドショットを決めておいて、危ないじゃない、と文句を言うのは理不尽な話だ。

「ほら、立てる? この森、今は危ないんだから早く離れ――」

 手を差し伸べてきた彼女の言葉が、途中で不自然に止められた。少女の瞳が細められ、眉がつり上がる。

「……遅かったか」

 少女の視線の先を、河太郎も追う。そこには、黒の靄をまとった四足の獣が数匹、木々の間からこちらを伺っていた。ステータス表示を確認する。エネミー名称〈黒の獣〉。レベル35。聞いたことのないモンスターだった。

「くそっ。奴らは5匹。術で3匹、1匹はいなして……一手足りない」

 少女は獣と河太郎の間に割って入ると、腰から短剣を抜く。

「え……えーと」

「だから、危ないって言ったでしょ!」

 少女の言葉に、河太郎は混乱する。彼女の意図がわからなかった。 

「その、僕は……」

「黙ってて! ちゃんと助けてあげるから。ごめんね。アンタ、これに懲りたらもうこんな森なんてうろつかないこと。あと、これからは喧嘩も絶対しちゃダメ。いいわね? 大怪我さえしなければ、アンタは一生普通に暮らしているんだから……」

 目の前の女性が何をまくしたてているのか? 河太郎の困惑はさらに深まる。

 助けてあげる? 〈大地人〉の女の子が? 〈冒険者〉の自分を?

 それでも、彼女は大真面目で、まるで弟を守る、姉のようだった。

 そこで、ようやく河太郎は気がついた。彼女は、河太郎が〈大地人〉だと思っているのだ。戦う力のない、ただの少年だと誤解しているのだ。

 それだけなら、別に彼女に河太郎を守る理由などありはしない。つまり、この少女は、たまたま出会ったひ弱そうな男の子を、目の前のバケモノから逃がそうとするようなお人よしだということだ。

「あたしが合図したら、一目散に後ろに走りなさい。その先に商隊がキャンプしてるから、そのままキャラバンに合流すること。いいわね。そうしたら、アレはアンタに追いつけはしないから」

「いえ、僕は」

「何も言わなくていいから。舌かむわよ!」

 少女の指が、河太郎の左手に触れた。

 紋様を描くように細くてなめらかな指が動く。その軌跡がぼう、と赤く輝いた。

 赤い光の線が描く紋様。河太郎には見覚えがあった。

 それは、いつか、〈氷の巨人〉との戦いで、少女を避けるように動いた木々に刻まれていたもの。

 そして、商人たちが持っていた保温のためのマジックアイテム、赤雫石に記されていたもの。

 まるで木を模したように見えた、刻印。

「――カムイ・アウヌ・イカ・オピウキ・ワ・イコレ」

 意味の理解できない呪文。この異世界を覆っているはずの自動翻訳の効かない詠唱。

 どくり、と、何かが河太郎の中へと流れ込む。

 皮膚がふくらんで、周囲の森と繋がったような錯覚。

 そして、その直後。木々から流れ込む温もりとは全く異質の、粘りつくような黒が、河太郎の左手を刺し貫いた。

「逃げなさい! 今のアンタの足なら、奴らも追いつけないから――」

 そう言って少女は一歩踏み出した。すなわち、〈黒の獣〉の方へと。

 その動きに呼応するように、〈黒の獣〉たちが少女へと飛びかかる。

 どくん。

 河太郎は意識が研ぎ澄まされるのを感じていた。時間がコマ送りのようにゆっくりと経過していくような錯覚。その中で、これからとるべき動きを組み立てる。

 どくん。どくん。

 少女はいったい自分になにをした? 不明。分析している余地はない。では、少女の言うとおり逃げる? 否。その理由がない。この少女を、守る。ならばどうする?

 どくん。どくん。どくん。

 今の自分は無手。武器を取り出している暇はない。だが、レベル差は圧倒的。少女と獣の間に割って入り、拳で牽制して、〈神祇官〉の数少ない攻撃魔法で敵を殲滅する――。

 どくん。どくん。どくん。どくん。

 思考がまとまった瞬間、停滞していた体感時間が再生を始める。

 鼓動が妙に耳を打つ。左手がかじかむ。わけのわからない衝動が全身を巡る。吼えたくなるような高揚感。

 どくん。どくん。どくん。どくん。どくん。

 移動のために地面を蹴る。それだけのことで、雪が吹き飛び、木の根が裂け、地表がむき出しになり亀裂が走った。

 

 ――オマエハ、ヒトリダ。


 獣のような速度で少女の脇をすり抜けると、河太郎は左の拳を握り、飛び込んでくる〈黒の獣〉目がけてそれを振り下ろす――。

 大気が、悲鳴を上げた。

 轟音。衝撃。そして、振動。

「――え?」

「なに、これ――」

 河太郎と少女の戸惑いの声が重なる。

 拳は〈黒の獣〉の鼻先を掠めて地面へと突き刺さった。原因はただ、それだけ。

 だが、その行為が生んだ結果は、甚大なものだった。まるで武器攻撃職が攻撃用特技を叩きつけた後のように地面が抉れ、地形が変容している。

 河太郎のメイン職業は〈神祇官〉である。ただの拳の一振りで、こんな破壊力を生み出せるはずがない。

 想像もしなかった結果に河太郎が呆然としているうちに、〈黒の獣〉たちは森の奥へと姿を消していた。

 少女はモンスターが周囲にいないことを確認すると、短剣をぎこちなく腰の鞘へと納めた。

「アンタ、何者? いや、それを言うなら、私から名乗らないとね。私は、……シーナ。旅の〈森祝使い〉よ」

「あ、僕は、中居河太郎と言います。〈シルバーソード〉の〈冒険者〉です」

「ぼうけんしゃ? 伝説の〈古来種〉みたいな力だったけど……」

「ええと、それが、僕にもどういうことかよくわからなくて」

 河太郎は自分の左の手を眺め、手の甲に見慣れない痣を見つけた。

 黒いシミのような、だが、奇妙に輪郭がはっきりとした、刺青のようにも見える痕。

「……あれ?」

 レイド中に身体の異常を発見したときと同様、反射的にステータス画面を展開する。

 中居河太郎。神祇官/木工職人。見慣れた記述の脇に、その表記はあった。


 バッドステータス:〈孤獅(こし)の祝福〉レベル98

 ……他者への回復・支援特技、アイテム使用不可(HP40%以下で発動)

 ……物理攻撃の与ダメージ増加(HP40%以下で効果増)

 ……基礎ステータスボーナス(HP40%以下で発動/半径20m以内のエネミーの数に比例して効果増)

 ……侵食深度1

 ……自然回復:なし


「なんだこれ……」

「……感染したのね。わかった。取引よ。私がそれを治してあげる。だから、カワタロ? だったかしら。アンタは、私を守りなさい。あの〈黒の獣〉たちから……あれ?」

 少女は言葉の途中で、ぺたん、と雪の森に座り込んでしまった。

「……シーナ、さん?」

「わ、悪い!? 腰が抜けたのよ! 膝が笑ってるのよ! 察しなさいよ! 正直死ぬと思ったんだから!」

 視線をそらしてまくしたてるシーナを見て、河太郎は思わず吹きだした。


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