〈黒の獣〉
雪の積もる森の中を、4人の男たちが歩いていた。
背格好も身につけているのも全てばらばらの、統一感のない一行だった。
強いて共通点を挙げるとすれば、そのガラの悪さだろうか。全員が全員、街のチンピラと言われても納得できそうな雰囲気を漂わせている。
彼らはエッゾでも有数の都市、ススキノの街を拠点とする〈冒険者〉ギルド、〈ブリガンティア〉のメンバーだった。
「うー……なんでオレは浮世さまのいるチームに入れなかったんだよ……」
学生服にも似た隠密用の布鎧に身を包んだ細身の青年、むちおが愚痴をこぼす。
「むしろどうして入れる理由があれば知りたいな」
頬に十字傷の侍が、むちおの言葉を混ぜ返す。侍の名前は、6割は曇り。ギルド〈ブリガンティア〉の現参謀といった立ち位置の男だ。
「へーへー。モテるものは違うよなーこの6割野郎!」
「マジか? 6割、テメェ彼女できたのか?」
ちょび髭の戦士、牛乳峠が思わず叫び声をあげた。
むちお、6割は曇り、牛乳峠。いずれも名前らしい名前と思えない響きだが、これは一応の理由がある。
〈大災害〉後の世界、〈セルデシア〉では、ゲーム時代のキャラクターのデータがそのまま、プレイヤーの体となっている。その際に、ゲーム時代にはさして珍しくもなかったふざけた名前もそのまま、この世界の名として登録されてしてしまったのである。
もちろん、現実世界でも戸籍と異なる通称名や芸名を名乗ることができるように、この異世界でも、登録されたものと違う名前を使うことはできる。それでも、ゲーム時代から引き続き行うことができるステータス確認や、フレンドリスト表示はどうしたって登録されたゲーム時代からのものが使われるため、彼らは諦めて珍妙な名前を使いあっているのだった。
「なんだそれ。俺みたいなのに引っかかるバカ女なんざいねぇよ」
「オレ知ってるもんね! テメェがシュバロの貴族の女の子と二人で会ったの!」
6割は曇りの反論を、むちおが即座に否定する。それを聞いて、6割の表情が露骨に渋いものになった。
「あれは、違ェよ。ただの、ケジメって奴だ」
「なんだよそれわけわかんねえ!」
「るせェぞテメェら!」
がやがやと騒ぐメンバーを、先導していた男が一喝した。一行のまとめ役、ギルド〈ブリガンティア〉のギルドマスター、デミクァスだ。かつては恐怖で有無を言わせず部下を引きずり回していた乱暴者である。しかし。
「でもギルマス。シュバロでいいかっこしてこっち、なんかこいつ〈大地人〉受けよくなってるんっすよー?」
「あー、デミの親分に続いて6割までこぶつきかよ。やってらんねーごちそうさまだ!」
雑談がしずまったのもほんの一瞬のこと。すぐに牛乳峠とむちおの二人が文句を言いだした。
デミクァスは舌打ちをすると、乱暴に雪を蹴って歩みを早めた。
ほんの半年も前ならば、ありえない光景だ。
エッゾを暴力と恐怖で支配したギルド〈ブリガンティア〉のトップ。その一喝で、乱暴者どもが見る間にひるみ、意のままになる。デミクァスはそんな絶対的な権力者だったはずだ。
それが今は、〈ブリガンティア〉に残るメンバーはほんのわずか。かつては圧倒的だった実力差も縮まり、まるで対等な相手のように振る舞われている。
今や、〈ブリガンティア〉は、ヤマトのどこにでもあるような、互助系小規模ギルドへと規模縮小を余儀なくされてしまったのであった。
こうなったのは、〈シルバーソード〉がススキノの街で〈ブリガンティア〉と一戦を交え、完膚無きほどに叩きのめしたことが原因だ。
〈ブリガンティア〉が好き放題できたのは、エッゾで最強の暴力を備えていたのが彼らだったからだ。その前提さえ崩壊してしまえば、彼らの凋落はいっそ劇的なほどだった。
まず、参謀だったロンダークが抜け、組織運営が体をなさなくなり、目端の利くメンバーほど、〈ブリガンティア〉の悪名から逃れるようにギルドを抜けていった。
数カ月もすると、デミクァスの傍に残っていたのは、数人の不器用な馬鹿たちと、家政婦代わりに拾ってきた〈大地人〉の女が一人だけだった。
それでもギルドを解散することがなかったのは、半ば意地のようなものだった。腕っぷしで負けて、看板を下げて、そのままではいられなかった。それだけのこと。
それから、〈ブリガンティア〉は、そして、デミクァスは、〈シルバーソード〉と行動を共にすることになった。〈シルバーソード〉、ウィリアムにあって自分に足りないのは、最難関の戦闘経験、そして、そこで得られるレアアイテムだと考えたからだ。
〈シルバーソード〉は、幾つかの条件をデミクァスに飲ませた上で、彼をレイドメンバーとして扱った。〈大地人〉への財産の返却、レイド以外のクエストへの助力要請に応じること……。
今こうして、エッゾ南部の森を探索しているのも、こうした条件によって〈シルバーソード〉から依頼があったからだ。
「しっかし、やつらもお人よしだよなあ。「俺らはレイドをやりにきた」って言っておいて、なんだかんだで厄介ごとに首をつっこむんだから」
「そこが俺らとあいつらの違いなんだろ。ヒーローなのさ、あいつらは」
メンバーたちの軽口を聞き流しながら、6割は曇りは、〈シルバーソード〉から受けた指示を思い出していた。
今、〈シルバーソード〉が追っているエッゾの異変は主に二つ。
一つは、エッゾ南部で発生している巨人たちの行動範囲の変化。
これまでは、基本的に山や森の奥を出ることがなかった巨人が、ここ数カ月間で人里や街道近くにまで姿を見せるようになり、〈冒険者〉への救援依頼が増加しているのだ。
それに備えるべく、〈シルバーソード〉の中から、比較的若いメンバーが中心となって、街道近辺をパトロールしている。〈ブリガンティア〉はそのサポートとして、行動範囲異常が報告されている地域の中心点に派遣されたのだ。
外様にも関わらず重要な任務を任されたと思えるほど、デミクァスは単純ではなかった。
〈ブリガンティア〉はエッゾの〈大地人〉にとって、かつての暴君とその残党だ。いくら謝罪をしても、いくら弁済をしても、その事実が消えることはない。表だって唾を吐かれることがないのは、〈冒険者〉としての実力と、〈ブリガンティア〉の身元保証人として〈シルバーソード〉があるからだ。
だからこそ、直接〈大地人〉と接する可能性の高い街道や人里の護衛を任されることはない。だからこそ、人気のない森の探索を指示された。適材適所。それだけだと理解していた。
「アトマムの話なんざ、明らかにお節介だろ。〈冒険者〉が介入する話じゃあない気がするがねえ」
そして、エッゾで〈シルバーソード〉が追っているもう一つの異変が、アトマムという町で発生している〈大地人〉の失踪事件であった。
アトマムはエッゾの中でも小さな町で、ゲーム時代からほとんど話題にのぼることのない僻地である。その領主によって、自警要員として外から雇われた若者が、何名か行方不明となっているのだ。
それ自体は特別おかしいことではない。この世界には亜人や巨人といったモンスターが脅威として存在しており、町を統治する領主は傭兵団や自警団を編成してこれらに対応する。突発的な理由で、〈大地人〉だけで対応できない場合には〈冒険者〉に救援依頼がされるが、基本的には〈大地人〉の戦力で街を守るのだ。そうした中で犠牲者が出ることもまた、珍しくはない。まして、人里に巨人が現れる異常事態の最中だ。その影響だろう。少なくとも、デミクァスはそう思っていた。
しかし、〈シルバーソード〉の参謀役、プロメシュースが「うん。なんか怪しいね。ちょっと現場見に行こうか」などと言い出したのだ。
もしもその思い付きがなければ、この地域の探索は、ウィリアムやディンクロンらが行っていただろう。面倒なことだと、デミクァスは足元の雪を再び派手に蹴飛ばした。
「……旦那。ちょいと妙なゾーンに入っちまったみたいだぜ」
6割は曇りの言葉に、デミクァスは改めて周囲の様子を確認した。
相変わらず周囲は鬱蒼とした森だ。人気はなく、陰気な雰囲気が支配している。
空中にステータスウィンドウを展開し、ゾーン属性を見る。
はじまりたる春楡の森。戦闘可能区域。聞き覚えのない地名だった。
たいそうな名前の割にはただの森だ、と言いかけたところで、デミクァスは視界の端にあったあるものに気が付いた。
それは、巨大な切り株だった。もしも切り倒されていなければ、相当な古木であったのだろう。現実世界であれば、御神木などと名付けられて、観光名所にでもなったかもしれない太さの幹だ。
「こいつが、ゾーン名の「はじまりたる春楡」って奴ですかねえ」
「気を付けろよ。イベントのトリガーがあってもおかしくねえからな」
「あいよ」
切株の切り口は、ひどく雑なものだった。この世界で何度か目にした、木こりが時間をかけて切ったようなものではない。力任せに無理矢理折ったような、乱暴な跡だった。
「……けど、今回の件には関係なさそうっすねえ」
むちおの言葉に、デミクァスは無言で同意した。この切り株は相当古いものだ。ここ数年のうちに切られたものですらないだろう。であれば、この木が折れたことが最近の異変の直接の原因とは考えにくい。
「ギルマス、敵出現1!」
さらに切り株へ近づこうとしたところで、哨戒役のむちおが叫んだ。
彼の視界の先には、四足の獣がいた。体長2mほど。黒の体毛……というより、靄のようなものに包まれた、およそまっとうな生物には見えない外見だった。
「エネミー名〈黒の獣〉。パーティ……35? こんなとこに?」
「新規エネミー? 初見っぽいな」
「にしちゃ弱すぎないか?」
これまで遭遇してきたエネミーの強さと比べると、数段低いレベルのモンスターだ。
拍子抜けしつつも、〈ブリガンティア〉のメンバーは 武器を構えた。
デミクァスが地面を蹴り、一瞬で〈黒の獣〉との距離を詰めた。そのまま間髪入れず、身を翻しての回し蹴りを靄で覆われた獣の胴体に叩き込む。デミクァスと〈黒の獣〉のレベル差は60近い。圧倒的な実力差だ。まるでボールを蹴飛ばすかのように地面と水平に獣は吹き飛ばされ、雪でけぶる視界の向こう側へと消えていった。
「……一撃。特殊な能力もなし、か」
その様子を見て、6割は曇りが呟いた。
「何かあるのか?」
デミクァスが問いかける。ロンダークが抜けてから、〈ブリガンティア〉の頭脳労働は、この、頬に十字傷の〈武士〉の担当となっていた。
「この時期にこの場所で新エネミーがポップ。で、巨人の異常出現の目撃情報の中間地点がこのゾーン。なら、この〈黒の獣〉が元々このあたりをうろついていた巨人らを追いやったんじゃないかと思ったんですがね。今の様子じゃ追いやるどころか、巨人に一蹴されておしまいだなと」
〈エルダー・テイル〉がゲームだった頃は、ゾーンごとに出現するエネミーは決まっていて、特定のイベントが発生したときや大規模なパッチが当てることでもなければ、その分布が変わることはなかった。
しかし、〈大災害〉後のこの世界は、そんなルールなど存在しないのだ。理由があればモンスターは移動する。人型で知恵があるものならばなおさらだ。
面倒な世界になったものだ、とデミクァスは足元の雪を強く踏みつけた。
「ギルマス、ちょっと」
あたりを探索していたむちおが、首をかしげながら戻ってくる。
「なんだ。また、今のエネミーか?」
「いや、向こうに……〈大地人〉が」
「……は?」
むちおに案内され、一同が駆け寄った先には、胴がひび割れた鎧をまとった〈大地人〉の男が倒れていた。
「生きてる……よな?」
「HPは残ってる……ステータスは……なんだこれ?」
「ギルマス……こいつの名前!」
むちおがステータス画面を確認しながら、デミクァスを見上げる。
〈大地人〉の名前は、イーヴァン。アトマムの街で行方を消したとされる〈大地人〉男性の一人だった。