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反省会とベーコンスープ

「あー……それじゃあ、今回の振り返りだが。河太郎。採点は?」

「及第点ぎりぎり、でしょうか」

 商人たちが周囲で野営の用意を始めている。その中で、河太郎たちはテントを張り、先ほどの戦いの感想を言いあっていた。この世界にやってきてから何度も繰り返している、習慣のようなものだった。

「その心は」

「最低限の目標である、〈大地人〉商人全員の救出には成功した。ピアニシッシモさん、細雪さん、うまるの3人の戦いも申し分ない。ただ、僕の判断が不適当だった」

 硬い表情で結論づける河太郎の言葉を、羅睺丸が茶化す。

「まーたはじまったよガタの自分いじめー。いじめかっこわるい!」

「羅睺丸くん、ひどいよ。河太郎くん真面目なのに」

「ちっちゃいこと気にしてガタガタいうからガタなんだよー」

「あー……まあいい。会敵時点で、巨人3体に戦士職(タンク)の羅睺丸が接触、回復職(ヒーラー)の河太郎がバックアップに回る。そして、保護対象の〈大地人〉たちを、魔法攻撃職の俺と、武器攻撃職のピアニシッシモがカバー、この河太郎の指示は妥当だったと思う。あの時点では、巨人3体さえ足止めできれば、あとは野獣系の中型モンスターがまず警戒すべき対象だから、火力の高い攻撃職が即駆逐する形で対応すればいい」

 枝で地面に絵を書きながら、細雪が解説していく。

 河太郎たち〈冒険者〉には、大きく分けて4分類12種のメイン職業の中からそれぞれ一人一つの職が与えられ、役割に応じた魔法や武技が使えるようになっている。

 一つ目の分類は、戦士職。羅睺丸のように、最前線に立ち、敵の攻撃を受け止め、敵の注目を引きつける能力を持つ、盾役。

 二つ目の分類は、回復職。河太郎のように、魔法で味方の傷を癒し、あるいは守りの力を高める加護を使って、戦い続けることのできる時間を伸ばす支援役。

 三つ目の分類は、武器攻撃職。ピアニシッシモがそれにあたる。彼女は少し毛色が違うが、多くの場合、武器攻撃職は武器を用いた技で敵を駆逐する、主砲だ。

 四つ目の分類は、魔法攻撃職。細雪のように、魔法で敵を一網打尽にする、殲滅役。

 さらにその中でも、職業によって攻撃職でも支援が得意なもの、回復職でも攻撃に長けたものがいたりもするが、主な立ち回りはこのようなもので変わりない。

 その前提において、細雪が分析したとおり、昼間、〈氷の巨人〉との戦いで河太郎の当初立てた作戦は何も間違ったところがないものだった。

 誤算があったとすれば、それは途中での戦況の変化。

「ただ、今回は安全なはずの街道沿いであるにも関わらず、別方向からも巨人が現れた」

 河太郎の言葉に、細雪が頷いた。

「ああ。……ただ、それでもあの陣形のままで対応できたはずだ。〈召喚術師(おれ)〉の〈巨石兵士〉は疑似的な戦士職としての立ち回りができる。広範囲攻撃の氷の吐息だって、ピアニシッシモの支援と合わせれば、巨体を生かして受け止めることができた。河太郎の〈四方拝・襲〉があったから、見送ったわけだが」

 魔法攻撃職の中でも、細雪の職業である〈召喚術師〉は、汎用性の高さが特徴だ。さまざまなモンスターと契約を結び、〈従者〉として呼び出してその力を借りる〈召喚術師〉は、呼び出すものに応じて幅広い戦術をとれる。本職ほどの能力は発揮できないが、短時間であれば、回復職や、戦士職のような立ち回りをすることもできるのだ。その分、単純な攻撃役としては火力不足と評価されることも多い。

 端的に言えば、河太郎がサポートに入らずとも、商隊は細雪とピアニシッシモだけで守れたのだ。むしろ、羅睺丸と強力して目の前の3体の巨人を倒すことに集中した方が、戦闘は効率よく片付いたことになる。

 それが、今回の戦いにおける河太郎の判断ミスだった。とはいえ決して大きな失敗ではない。仲間のフォローによって、商隊に被害が出ることもなかった。それだけの話でもある。細雪も、ピアニシッシモも、羅睺丸も、責める様子はかけらもなかった。

「〈四方拝〉だったらぎりぎり敵愾心(ヘイト)跳ねなかったんだけどなー。ガタ、慎重過ぎ」

「でも仕方ないよ、羅睺丸くん。〈大地人〉の人たちは、万が一があったらそれまでだし」

「あー……ゲーム時代と違って、今の戦闘は慎重になりすぎて困ることはない。ただ、河太郎はもう少し、動きの意図を俺たちに説明してもよかった気はするな。まあ、感想戦はそんなところか。あとは、商隊のメンバーから話を聞こう。ウィリアムたちが追ってる案件のヒントがあるかもしれないからな」

 細雪が締めくくると、羅喉丸が真っ先に立ち上がり、テントの外へと飛び出した。

 その背中を追うように、河太郎もまた、商隊がキャンプの用意をしている外へと出ていく。

「河太郎くん、しっかりしてますよね。お姉さんとしての自信がなくなっちゃうなあ」

 ピアニシッシモは小さな体をさらに縮こまらせて溜息をついた。

 細雪はその言葉に頷きかけ、内容を吟味して、思わず眉を跳ねあげた。どう見ても、彼女はあの少年たちより年下に見えたからだ。

「あー……ピアニシッシモ、河太郎より上だったのか」

「え? 見た目そうでしょう?」

 当然のように問いかけてくる彼女から目をそらし、細雪は立ち上がる。

「あー……河太郎はまあ、よくやっているが」

「スルー!? 細雪さんひどい!」

「あー……よくやってはいるが、なんだ。よくやろうとしすぎているな。昔のウィリアムと同じだ」

「昔の? わたしや河太郎くんたちが入る前の話です?」

「……昔の話だ。〈エルダー・テイル〉が、まだ、ディスプレイの中のゲームだった頃の」

「河太郎くんがギルマスと似てる? まさか」

「あー……外側(ガワ)は正反対だからな。でも、根っこは似ていると思うぞ。あの二人。……あと、〈茶会〉のシロエもか。ゲームだった頃なら、気づかなかったかもしれないけどな」

 ゲームだった頃。ディスプレイの中。

 何気なく口にされたその単語こそが、彼らの巻き込まれた異常を端的に示していた。

 遡ること数カ月前、〈大災害〉と呼ばれる事件があった。

 人気MMORPG、〈エルダー・テイル〉をプレイしていた人々が、ゲーム内のキャラクターの力と姿を持って、ゲームの舞台〈セルデシア〉らしき異世界へと迷い込んでしまった、超常現象である。

 ゲーム時代からの武技や魔法、超人的な肉体を得たプレイヤーたち。彼らはこの世界の英雄〈冒険者〉として、現地人である〈大地人〉とともにこの世界で生きながら、元の世界へ戻る手段を探している。しかし、ほぼ一年近くが経過した今でも、その手がかりは掴めていない。

 元の世界に帰れない以上は、この奇妙な世界で生きていくほかない。幸いにして、この世界はプレイヤーたちが慣れ親しんだゲームの世界とよく似ていた。身についた魔法や武術も、ゲーム時代とほとんど同じように使うことができた。地理も、歴史も、文化も、ある程度の基礎知識は持っている。

 さらに、〈エルダー・テイル〉の舞台は、現実世界の地球の地理を模して創られていた。〈ハーフガイアプロジェクト〉と称し、実在の地理と、各地の伝承になぞらえたストーリー展開で、プレイヤーが親しみを持てるように展開していたのだ。これにより、元の世界での土地勘、地理感覚もまた、この異世界では生かすことができる。

 河太郎たちが旅しているのは、現実世界でいう日本にあたる、〈弧状列島ヤマト〉最北の島、北海道に相当する〈エッゾ島〉の南部。この極寒の地は巨人が歩き回り、人類の生存圏は一部に限られている、ヤマトの中でも過酷な土地とされている。

 この地で、河太郎らは、巨人らを始めとする怪物掃討のために転戦を続けていたのだ。



 テントを出た河太郎たちは、〈大地人〉の商人たちと世間話がてら、ここまでの道中の状況を聞いていた。街道に巨人がでることなど、普通ならばめったにない異常だ。彼らの話から、その原因に繋がる手がかりが得られないかと考えたのだ。

「皆さんはどちらへ?」

「オベリで仕入をして、ススキノに向かうところでさあ。アトマムを出たとたんにあんなのが出てきて、肝を冷やしましたよ」

 商隊のまとめ役に話を聞きながら、河太郎は頭の中で現実世界の北海道の地図を思い浮かべた。オベリの街は、帯広のあたりに位置する都市だ。今いるのが、現実世界でいうところの千歳のあたりだから、この商人たちは北海道のど真ん中を横断してきたことになる。

 商隊は10名程度の小規模なもので、日持ちがする加工品を内陸の集落で売りさばいてきたらしい。

「お、いいもんめっけ!」

 積み荷を覗き込み、羅睺丸が歓声を上げた。どうやら好みの食材を見つけたようだった。肉好きの彼のことだ。ハムか腸詰めあたりだろうと河太郎は見当をつける。いずれにせよ、行儀のよい話ではない。

「うまる、商品なんだからダメだって」

 全体的に思考のブレーキが緩い悪友を止めるのは、この世界に来ても河太郎の役回りだ。しかし、ちょび髭の商人がその言葉を制した。

「構いませんよ。喰ってくださいな」

 この商隊のまとめ役、アントンというらしい男性に、他の商人たちも頷いた。

「いいんですか?」

「皆さんがこなければ荷物どころか命があったかもわからん。礼にしても安いくらいだ」

 確かに、河太郎らが駆け付けなければ、彼らの荷は守り切れなかっただろう。場合によっては荷を捨てて逃げたところで、全滅の可能性もあった。

 だが、それをいいことに商売の元手を受け取っていいものだろうか。

「そんな……悪いですよう」

 同行している少女、ピアニシッシモも同意見のようだ。彼女は河太郎よりも幾つか年上だと聞いている。羅睺丸のように単純に物事を考えているわけではないのだろう。

 〈シルバーソード〉は様々な人々の助けとなるような冒険をしている。だが、それが対価目当てであったという評判を生んでは後々のためにならないのではないか。悩む河太郎をよそに、羅喉丸は肉の塊を掴んで嬉々として馬車を降りた。

「いっただっきまーす!」

「羅睺丸、待て」

 そこに立ちはだかったのは、ローブをまとった巨体の男だった。

 河太郎と同行している〈冒険者〉の中でも最年長の〈召喚術師〉、細雪。いつも通りのしかめ面で燻製肉を死守する羅喉丸を見下ろす。

「な、なんだよう」

「細雪さん。言ってやってください!」

 そして、おもむろに細雪は焚火を指すと、

「しっかり炙って焦がした方がうまいぞ」

「なるほど!」

 しかめ面のまま、鉄串を刺してベーコンを炙りだした。

「ちょっと待ってください! 止めないんですかそこっ!」

 いつの間に用意したものか、料理用のエプロンを装着し、入念に表面の焦げ目を観察しはじめる。滴った油が薪へと滴り、香ばしい煙が周囲を包んでいく。細雪はそれをこまめに回転させながら、焦げ目がついたところをナイフで削り、商人たちへと皿を回した。

「こりゃどうも」

「ほら、ガキめらも喰え。大人のお節介を甘んじて受けてやるのも、若者の度量って奴だ」

「あっはい……」

「とりあえずそれ齧って待ってろ」

 河太郎はピアニシッシモと顔を見合わせると、諦めたように肉の薄切りを頬張った。

 塩気と焦げ目の香ばしさが口の中に広がる。元の世界のレストランで食べる料理のような、複雑な香辛料の味わいはないが、冷え切った体に、熱い肉汁と塩辛さは何よりのご馳走だ。

 小さな欠片を奥歯で幾度も噛みしめ、完全にふやけきったところで、二人はようやくそれを飲み込んだ。

「おいしい」

「ん」

「へへ、舌の肥えた〈冒険者〉様ご推薦って言えば、さらに価値も上がるってもんですわ」

 細雪は鍋を取り出し、別の料理に取り掛かっていた。雪を溶かして湯を沸かし、皮を剥いた小タマネギと燻製肉の薄切り、香草を放り込む。

「手慣れていらっしゃる。〈シルバーソード〉の魔法使い様らは料理もされるのですなあ」

「専門の料理番ほどじゃない。俺らだって飯は食う。あんたらと変わらんさ」

 湯気で隠れて、細雪の表情は見えない。ただ、その口調は、ぶっきらぼうな彼には珍しく穏やかなものだった。

「んだよ、ガタ。肉くわねーの? 冷めるぞ?」

 さりげない素振りで、羅睺丸が河太郎の皿から肉のかけらをつまみあげる。

「……当然のようにとってくよね」

「んーだーよー、冷めるまでぼーっとしてるのが悪いんだろー」

「いいけどさ」

「河太郎くんはちょっと羅睺丸くんに甘いと思うな」

「ガタはピアみたいに食い気大王じゃないんだよ」

「な、なんですってー!?」

 にらみ合う仲間たちを、商人達が遠巻きに眺めている。

 河太郎は曖昧に一礼すると、騒がしくしたことを彼らに詫びた。

「構いませんよ。里に帰ったみたいな気持ちになります」

「お子さんですか?」

「ええ。……まあ、〈冒険者〉の方々をつかまえて、うちの子どもらを思い出すなんざ失礼ですが。最近、里を出ちまいまして。今はどこをうろついてることやら」

 河太郎たち〈冒険者〉と、商人たち〈大地人〉には、大きな違いがある。

 21世紀の日本からやってきて、ゲームの英雄の肉体を持つ不死身の〈冒険者〉。

 剣と魔法、怪物の支配する世界で生き続けてきた、この世界に根差して生き、死ぬ〈大地人〉。

 先ほどのように怪物を相手どるならば、〈冒険者〉は〈大地人〉と比較して圧倒的に有利だ。

 〈大地人〉たちが〈冒険者〉を英雄として敬うのもわかる。

 だが、河太郎はそれがどうにも居心地が悪かった。

 商人たちは手慣れた様子で雪を除けて台を用意し、木を組んで、細雪が調理に使っているのとは別に幾つかの場所で火をつけている。

 防寒具の影響で暖を取るには心細い火だが、調理に獣除けにと、野営には欠かせないものだということを、ここ数カ月のエッゾ暮らしで河太郎たちも知っていた。

 焚火の周りに、商人らは次々と懐から取り出した石を並べていく。くすんだ灰色であったそれは、火に近づけるとほんのりと赤く輝きだした。

「これは?」

「赤雫石ですよ。〈冒険者〉の方らは寒さにも強いからいらんでしょうが、〈大地人(わしら)〉に必需品です。これがないと、エッゾでの行商はやってられませんよ」

 口ぶりからするに、懐炉のようなものなのだろう。少なくとも元の世界には、こういった鉱石はなかったように思う。このいびつな世界に迷い込んでから数カ月、随分と慣れたつもりでいたが、〈セルデシア〉では新たな発見が今でもある。

「何か刻まれてますけど」

「ああ、〈刻印術師〉が刻んでくれているんです。これがあると、火の性を蓄えやすくなるんだとか」

 赤く光る石の中央部に、小さく数本の直線で構成される印が彫り込まれていた。

 河太郎には、それがどこか、木を模したような、あるいは、見覚えのあるもののように見えた。

「まさか、〈冒険者〉、しかも〈シルバーソード〉に助けていただけるとはねえ。あんな街道沿いに巨人が出るなざ前代未聞だが、まあ不幸中の幸いというやつですな」

 アントンが上機嫌で河太郎に話しかけてくる。

 ここエッゾにおいて、河太郎とその仲間たち、ギルド〈シルバーソード〉はそれなりに名の知れた存在である。

 巨人をはじめとした人類の天敵と、極寒の過酷な環境によって、古くからエッゾの人々はその生存圏を守り抜くことが困難だった。そうした中で、〈シルバーソード〉は強力無比な魔物を次々と打ち倒し、また、ときには無法を働く〈冒険者〉に対する抑止となって、この地域一帯の治安を安定させたのである。だが、河太郎にとっては、その評価がどこかおおげさすぎるように感じられた。違和感の理由こそ説明できないが、どこかがずれた言葉のように思われたのだ。

「恐縮です」

 最年長の細雪と屈託なく人好きのする羅睺丸は調理に夢中。初対面の相手の対応には人見知りの激しいピアニシッシモは期待できない。やむなく河太郎が商人の相手をすることになった。

「ご謙遜を。〈シルバーソード〉が来てからというもの、エッゾは格段に住みよくなりました。”獅戦士の後継”だと、皆が噂していますよ」

「お役に立てているようならよかったです」

「いやはや、英雄殿はお若いのに落ち着いてらっしゃる」

 河太郎だって人慣れしているわけではない。元の世界では何の変哲もない高校生で、見知らぬ大人との会話の訓練など、受験用の面接対策くらいでしかしたことがない。それでも、数え切れないほどの引っ越しで身につけた処生術はこんな世界でも有効で、当たり障りのない会話程度ならばなんとかこなすことができた。

 その様子を気に入ったのか、商人は満面の笑みで河太郎に木椀を持たせ、水袋から透明の液体を注いだ。甘い香りが鼻をくすぐる。

「お酒は飲めないのですが」

「はは、違います。ハシカオプの汁を溶かした水ですよ」

 一口含むと、酸味が舌をくすぐる。ベリー系の風味だった。河太郎は一礼をすると、改めてハシカオプの水を飲み干した。

「”獅戦士”……〈古来種〉ルグリウスですね」

「ええ。まあ、あちらさんは、みなさんみたいに親しみやすい男ではなかったってえ話ですがね」

 ”獅戦士”ルグリウス。

 かつて、エッゾの人類を、巨人らから守り抜いた、セルデシア世界における過去の英雄である。河太郎たちの認識としては、ゲームにおける背景世界の設定だが、商人たちにとっては実在した歴史上の人物ということになる。

 怪物はびこる未開の地であったエッゾに帝国を打ち立てた〈大地人〉皇帝の求めに応じ、人類側についた無双の戦士。その力量は一人で巨人の大群を相手取るほど。あらゆる怪物から民を守る守り手として、”氷壁の英雄””獅戦士”と称された英雄。

 しかし、彼は同じく人類側の一勢力であった、春楡の民によって毒殺される。

 一説には、帝国以前からエッゾに住んでいた土着の春楡の民が、帝国に亀裂を入れるために仕組んだ謀略であったとも言われている。

「真面目すぎたんでしょうねえ。まあ、それでねじくれちまったんだから、こっちはたまりませんが」

 商人が言うとおり、ルグリウスは毒殺の憂き目にあった後、その性質を反転させた。守っていたはずの人類に裏切られた怨念が形をとり、祟りを為す怪物として、エッゾの地を彷徨するようになったのである。ゲーム時代風の表現をするならば、倒すべき強力なボスモンスターと化したのだ。

 シナリオ〈朽ちた勲〉の中で実装されたこのクエストにおいて、定期的に現れるその怨霊〈死戦士ルグリウス〉は、そのたびに〈冒険者〉によって退治されてきた。伝承通り、多くの敵に囲まれてこそ無双の力を発揮するこの怨霊との戦いは、歯ごたえのある戦闘を求めるプレイヤーたちにとって、根強い人気を誇る冒険だった。

 河太郎たちは、〈大災害〉後に一度だけ、その分霊と思われるエネミーと交戦している。本体と比べればはるかに力で劣る相手だったが、それでも無数に現れたその数は脅威だった。たまたま〈妖精の輪〉のせいでエッゾに迷い込んだアキバ出身の〈冒険者〉たちの助力がなければ、分霊の何体かは〈大地人〉の里に被害を出していたかもしれない。

 ともあれ、”獅戦士”とは、エッゾの人々にとって、英雄の象徴でもあり、”死戦士”は今なお残る脅威でもある。ルグリウスとは、そんな複雑な存在なのだ。

「最近、”死戦士”の分霊は姿を見せていないんですよね?」

「そうですね。〈冒険者〉様らが退治してくれましたから」

「ね、ガタくん……。プロメさんの言ってたこと聞かないと……」

 ピアニシッシモが河太郎の裾を引く。それに頷くと、河太郎は改めて商人らに向き直った。

「道中、何か異変などありませんでしたか?」

「異変?」

「普段からこの道を使ってらっしゃるのでしたら、見たことのない怪物が徘徊するようになったとか、気候の異常だとか」

「ああ、それでしたら色々と。道なりに歩いてあんな巨人に出くわすってのがまず妙ですな」

 商人の言葉は、河太郎の実感とも一致していた。

 エッゾは人類の生存圏の小さな島だが、それでも街や集落を繋ぐ街道は比較的安全とされている。ゲーム時代は、初心者の行動範囲を確保するための措置であり、世界観設定においては〈街道の守り手〉という一族が、人類の生存圏を担保するため、街道に魔除けの術式を張り巡らせ、人知れず危険な怪物を排除しているからだともされている。

 〈大災害〉後においてもこの原則は変わらなかったはずだ。

 それが、破られた。土地の痩せたこの地において、流通が滞ることは死活問題だ。もちろん陸路の一部が塞がろうと海路を選ぶ手はあるが、余計なコストが生じることになる。

「ああ、あと。妙な怪物を見かけましてねえ」

 と、河太郎の思考を痩せた商人の言葉が現実へと引き戻した。

「狼みたいな、四つ足の化け物で。なんだか黒い靄に包まれていて。小便で少し隊から離れたら森の中でばったりだったんですけどね。こいつぁまずいと思って息を殺したんですが、やっこさん、こっちに気づかないみたいにあっちをうろうろこっちをうろうろ。なんか探しもんでもしてたようで。まあ、危うく命を拾ったってえ次第で」

 もう一度、ピアニシッシモが袖を引く。

 一瞥すると、鍋を前にした細雪もまた、商人の言葉に耳をそばだてていた。

「いつのことです?」

「四日も前だったかな。何かお役に立てましたかね」

「ええ、参考になりました」

「ほーら、ガタもピアもめんどくさい話してんなよう。スープ冷めるぜい」

 木の椀に盛られた単純なベーコンのスープを、羅睺丸が皆に配って回る。

 容器ごしに伝わる熱が、冷えきった指に痺れるような感覚を呼び起こす。

「……ありがと、うまる。いただきます」

「いただきますね」

「いっただっきまーす」

「ん」

 タマネギの塊を木べらでくずすと、中からもう、と一際濃い湯気が立ちのぼった。

 シンプルな塩気まじりの熱が空っぽの胃の形をなぞるように広がる。

 仲間と囲む火と、温かいスープ。

 この時点ではまだ、河太郎と世界は日常の中にあったのだった。


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