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"氷壁の英雄"と"春楡の娘"

 男は、孤独であった。

 氷壁の英雄、エッゾの守り手、〈イズモ騎士団〉の”獅戦士”。

 数々の名声、賛辞を受けながら、それでも男の魂は、彼の操る呪氷の鎧に似て凍てついていた。だからこそ揺るがず。だからこそ怯まず。だからこそ恐れず。男は単身、エッゾ帝国を襲う無数の巨人たちに立ち向かい、勝ち続けてきたのである。

 いつしかエッゾの貴族たちは男を”孤獅”、あるいは”死戦士”と呼ぶようになった。

 蔑み交じりの言葉は男の耳にも届いていたが、彼は意に介することもなかった。

 一人で戦えば、巻き添えで死ぬ者もいない。

 一人で戦えば、守るために意識を割くこともない。

 一人で戦えば、全ての害意を一身に集めることができる。

 一人で戦い、一人で死ぬ。

 男にとっての戦とは、そういうものであった。

 ゆえに彼は誓いを立てた。

 味方を必要とせぬ。味方の助けを受けぬ。味方を助けることもせぬ。

 ただ一人で敵を倒しつくすための戦をすると。

 誓約の魔力は男に無双の力を与え、そして、さらに男を孤独にした。

 制約の果てに男は夢想の民となり、結果、男は蠱毒の壺に身を沈めた。

 そんな彼を、人々は恐れた。笑顔もなく人々との交流もなく、返り血を浴びて一人戦う男の姿に、天敵であるはずの巨人とは別の不気味さを感じたのである。

 それでも、彼は気にせずに戦い続けた。

 親しみなど持たれれば、自分と共に戦うと言い出す者もあろう。

 親しみなど持たれれば、自分を嫉む者の企みの標的となるやもしれぬ。

 氷のように冷たく。壁のように揺るがず。

 そうして、男は、百年の年月、氷壁の守り手として生き続けた。

 エッゾの人々が、彼の守った土地で笑っていた。

 笑顔が彼に向けられることはなかったが、それが彼にとっての報酬であった。

 隔絶と諦観に凍てついた心の壁。それ故に完成した英雄。

 だが。そんな男の壁に、爪を立てた者がいた。

 ”春楡の娘”。

 エッゾで人と自然を繋いできた先住の一族、春楡の民の若き長。木々の声を聴き、祭祀を行い、巨人から隠れ生きてきた者の一人であった。

 春楡の民はかつて帝国と距離を置いていたが、”春楡の娘”が長となってからは、エッゾの守り手として、その加護を存分に振るった。

 春楡の民は、己の生命力を他者に分け与え、木々と共鳴する力を持つ。もともと枯れかけた植物を芽吹かせるための加護は前線の兵士を支え、巨人との戦において大きな役割を担った。彼女らの助けなくしては、巨人を〈翡翠の庭園〉に追いやるまで、もう百年の時を要したであろう。

 有能な味方。だが、男にとってはそれ以上に、彼女は特殊な存在だった。

 あなたは、報われるべきだ。”春楡の娘”は、そう男に言った。

 あなたに救われた人がいる。あなたに守られた笑顔がある。その報いがないのは悲し過ぎる。

 安い同情のはずだった。ルグリウスは、〈古来種〉と呼ばれる存在だ。

 〈古来種〉は、〈大地人〉を、世界を守る使命を帯び、世界から特殊な才と絶大な力を与えられている。人々を守るための不死。そのための力。だからこそ、人々は彼が守り手として戦うことを当然だと考える。彼自身もまた、それを自然に受け入れていた。

 しかし、”春楡の娘”は違った。儚い物腰と裏腹の燃えるような言葉で、男の心の壁に爪を立てた。

 思えばそれが、終わりの始まりであったのだろう。

 はたして、彼女の炎は男の氷を溶かしてしまったのだ。

 ほんのささやかな幸せの日々。男が、戦の中で人らしき幸せを謳歌した数か月。

 そして、その日は訪れた。

 〈翡翠の庭園〉に巨人らを追い詰め、封印まであと一息という戦の終わり。

 祝宴にて、”春楡の娘”は彼に杯を勧めた。

 一息に呷ったそれが、男の体から誓約による無双の力と、制約による夢想の不死性を奪い去った。

 物陰から襲い掛かる無数の刺客に為す術もないまま、男は、”春楡の娘”を見上げた。彼女が何を叫んでいるのか、どんな表情をしているのか、朦朧とした意識ではわからなかった。

 男は、自分に毒を盛った女に叫んだ。

 ”春楡の娘”。春楡の民。貴様らの加護を受けたものに全て我が祝福(じゅそ)がもたらされんことを。

 この身は”死戦士”となり、この地をさまよい汚すであろう。

 かくて、”獅戦士”ルグリウスは斃れ、エッゾは再び巨人の反撃を受けることとなる。

 彼を毒殺したとされる”春楡の娘”ストゥイナウのその後を知る者は、いない。


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