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痕跡  作者: 三矢 由巳
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四 帰還

 気が付くと、俺は周囲を透明なテントで覆われたベッドに横たえられていた。

 テントの外では、息子が叫んでいた。宇宙服のヘルメットのような物をかぶり白い防護服らしいものを着ていても一目でわかった。


「お父さん、お父さんが」


 すぐに医師と看護師がテントの中に入って来た。彼らの恰好もものものしかった。全身まるで宇宙服のような恰好だった。

 どうして、俺はここにいるのか。さっぱりわからなかったが、生きていることは事実だった。





 一か月後、俺はテントから出され、普通の個室に移された。男に脇腹を刺されたことまでは思い出せた。だが、それ以降の記憶がはっきりしない。

 あれから森下氏とあばたの男はどうなったのか。

 翌日病室にやって来た山根氏の口から、やっとそのあたりの事情が聞けた。

 山根氏は本当に申し訳ないことをしたとまず謝罪した。今回の件は不測の事態であったが、鈴木さんの受けた損害については規定の手当てだけでなく、相応の補償をすると言った。

 まず、なぜこんなことが起きたのか。

 あのあばたの男は、俺と同じようにガイド役のスタッフとして森下氏と一年前にあの時代に行ったということだった。

 男は種痘の接種も受けており、免疫力もあったのだが、運悪く天然痘に感染し、帰還直前に発病してしまったのだった。そんなことがあるのかと驚いたが、慣れない環境下での一か月近くの生活で体力が落ち、免疫力が低下してしまったために、発病してしまったらしい。

 ともあれそのまま現代に戻すわけにはいかず、森下氏はすぐ戻って助けに来るからと言って、あの部屋に戻り、緊急事態を協会に知らせたのだった。

 協会はすぐさま感染予防の対策をして、ハイツに急行、部屋全体を密閉状態にしてから、森下氏が再びあの場所に行くと、そこに彼の姿はなかった。他のスタッフと手分けして探したが、見つからない。数日後、現地の協力者から、あの男らしい者が、行き倒れの病人ということで寺に運ばれたと聞き、寺に行くとすでに死亡し他の死者とともに一緒に埋葬されたということだった。遺品にあの印籠型の装置があり、男は死亡したと断定された。他の遺体と合葬であり、掘り返してスタッフがウイルスに感染する恐れもあったことから、遺体を持ち帰ることはできなかった。男には母親しかおらず、出張先の海外で死亡し、遺体は現地で荼毘に付されたという説明をしたと言う。

 だが、男は生きていた。あの場で倒れ伏していたところを盗賊に襲われ、印籠やその他の金品を奪われたのだ。だが、盗賊も感染しており、じきに発病してしまった。近辺の親切な人が二人を見つけ、行き倒れとして寺に運び、盗賊は死んだが、男はなんとか命は取り留めた。

 回復した男が寺を出た直後に、協会のスタッフが寺へ来て行き違いになってしまったらしい。

 男は置き去りにされたと森下氏を逆恨みし、物乞いをしながら、森下らが来るのを待っていたのだった。

 そして、一か月前のこととなる。

 男は森下氏を刺そうとしたが、よろけて、俺の方に倒れかかり、誤って俺を刺してしまったということだった。

 俺が刺された後、森下氏は俺を先に扉の向こうへ押しやった。その後、男と格闘になった。

 怪我をした俺が扉をくぐったことで異常を察知した研究者は戻ると、持っていた麻酔銃で男を撃った。森下氏は意識を失った男を現代へ運び出したのだった。

 とはいえ、麻酔銃は熊などの動物に使用するもので、人間にはダメージが大きく、男の回復にはかなり時間がかかったらしい。彼の口からこれまでの経緯を聞き出すのに、二週間かかったと言う。

 男の身体にウイルスが残っている恐れもあるので、男は引き続き協会の施設で検査を受けている。

 俺もまた男と接触しているからウイルスに感染しているかもしれないので、一か月の間、テントの中に入れられていたのだった。

 そういうわけで、念のためということで、不測の事態に備えて、息子にもワクチンが接種された。息子には俺は海外の出張先で強盗に遭ったという話になっている。その土地の風土病に感染したかもしれないということで、息子に接種したのだった。息子は種痘を知らないから、風土病ということで納得したということだった。

 森下氏はいつもより念入りに検疫を受けているということだが、異常は今のところないと言う。俺もあと二週間ほど様子を見て検査で感染の有無を確認後、無ければ家に戻れるとのことだった。


「あの印籠のように過去の時代にあり得ない物を残してはならないのです。それは人間も同じです。インフルエンザのウイルスなど、毎年のように変異していますから、それを持っている恐れがある現代人を過去に残したら、大流行が起きて大変なことになります。死なない限りは必ず現代に戻ってもらいます。死んでも、今後はできるだけ誰かDNAで特定できる部分だけは持ち帰るようにと、規則を変更することになりました」


 過去の病を現代に持ってきても厄介だが、現代の病を過去に持って行くのも厄介ということだった。






 二週間後、検査で異常のない事が確認され、俺は協会の施設を出て帰宅した。すでに二学期に入って二週間以上たっており、体育祭の練習もたけなわということで、息子は日に焼けていた。

 退院の祝いということでビールと牛乳で乾杯した。


「本当に心配かけてすまなかった」

「ほんと、驚いたよ。出張先で強盗なんて。お母さんに電話しようと思ったもの」


 息子は妻が別の家庭を築いていることを知っているから、遠慮したのだろう。だが、こういう時くらいは頼ってもいいんじゃないかと思う。妻が息子の母親であることは変わりないのだから。


「お前ひとりに心配させて済まなかった。お母さんに連絡とってもよかったんだぞ」

「いいよ。俺、この前、体育祭があるって電話して、ついでにお父さんのことも伝えようと思ったんだ。でも体育祭の話しても、なんかノリが悪いんだよね。あ、来たくないんだなって思ったから、お父さんのことも言わなかった」


 ケロッとした調子で言うけれど、それは子どもにとってかなりつらいことなんじゃなかろうか。俺は妻にはせめて母親らしい態度を取って欲しかったのだが。息子に対する煩悩というのがないのだろうか。


「あ、お父さん、もしかしてお母さんのこと怒ってる? お母さんてそういう人だったんだと思うよ。でなきゃ、お父さんを捨てるわけないだろ」

「人にはそれぞれ事情があるんだ。お母さんにはお母さんの都合があったんだろ」

「お父さん、人良過ぎ。なんか心配だな。悪い女に騙されそうで」

「おまえこそ、男子ばかりの学校だから、大学入ったら、ころっと騙されるぞ」

「大丈夫。騙されないって。俺工業系行くつもりだから。女子少ないんだよね」

「今も少ないのか。俺の頃よりは増えてるはずだが」

「理学部はね。工学部はそれほどでもないって。サマースクールに来てた卒業生が言ってた」


 息子は二か月余りの間にずいぶん大人になったように思えた。進路まで決めたとは。


「工業系って、またどういうわけで」

「アルバイトがさ、学術関係の論文の整理だったんだけど、結構面白そうだったんだよね。江戸時代の技術って凄かったんだね。旧暦って結構複雑で時計も季節ごとに人が調節しないといけなかったらしいんだけど、人が調節しなくても季節ごとの時刻の変動を自動で変えられる仕組みの時計があったんだって。こういうの作るって本当どうかしてるよ。だけど、それを自分で設計して部品も自分で作って実現するって物凄いことだと思うんだ。そういうの、研究してみたいんだ」


 ふと俺は思った。息子がいずれからくりや時計の研究で、あの通路を使い江戸時代へ行くことになるのではないかと。

 山根氏はもしかすると、それを意図して、アルバイトをさせたのではないかと思ったが、それは考え過ぎだろう。学術論文なんて、山のようにあるのだから。


「面白そうだな」

「でしょ。それで山根さんが時計のレプリカがあるって教えてくれたんで、夏休み中に見に行ったんだ」


 息子は嬉々としてレプリカの話を始めた。まるで小さい子どものように目を輝かせて。






 山根が緊急に協会本部に呼び出されたのは、一週間後の土曜日の昼前のことだった。

 協会の理事の青ざめた顔を見て、山根はいやな予感を覚えた。

 遅れて来た松木も、理事室の不穏な空気を感じ、緊張していた。


「先日の一件だが、彼の検体を精査した結果、今朝驚くべきことが判明した」


 理事の横にいる協会の施設に勤務する医師はこう言うと、拡大したウイルスの写真を彼らに見せた。


「アメリカとロシアで保管しているウイルスとは違う型のウイルスが見つかった。分析の結果、これは当時変異した種類で、広範囲に流行することなく収束したタイプと考えられている。恐らく二十世紀までには根絶されたウイルスだ」


 山根と松木は顔を見合わせた。


「つまり新種、いや古いタイプがよみがえったということですか」


 山根の恐る恐るの問いに医師はうなずいた。


「現在のワクチンで果たして対応できるのか、彼の瘡蓋(かさぶた)から取り出したウイルスを使って検証しているところだ」


 患者の瘡蓋にもウイルスは付着していて、長期間感染力を保つことがあると山根も知っている。

 松木は敢えて尋ねた。 


「もし対応できなければ」


 医師は考えたくないことだがと俯いた。理事室の中に重い空気がどっしりと居座ったようだった。

 山根は医師に尋ねた。


「退院した鈴木さんの検体にはなかったんですよね」

「退院の時点ではね。実は彼と格闘した森下さんの唾液からは同じウイルスが見つかっている。どうも、着ていた物に付いていた瘡蓋に付着していたウイルスで感染したようだ。森下さんは引き続き隔離病棟にいる。今のところ発病はしていない。ただ、もう一度鈴木さんは調べたほうがいいと思う。たまたま検体から発見されなかっただけかもしれない。それに、彼の現地での発病の際の記録を見ると、潜伏期間が一般的なウイルスよりも長いようだ。万が一ということもある」


 山根は自分のスマホの電話アイコンをタップした。






 中学の体育大会は平日開催だったので仕事で行けなかったが、高校は土曜日開催ということで、俺はいつもより早起きして弁当を作り、息子が家を出た一時間後に電車で学校へ向かった。高校生にもなって来てくれなくてもいいよと息子は言ったが、俺としては夏休みの埋め合わせもあると思い、行くことにしたのだ。それに仕事の都合で来年、再来年は体育祭を見ることができないかもしれない。

 満員の電車を降りて、駅から歩いて十五分ほどの学校に向かった。

 途中で家にスマホを忘れていることを思い出したが、まあいい。今日一日は仕事のことは忘れよう。

 校門の近くで息子の担任を見つけた。入学式で見たから顔は覚えている。


「おはようございます。お世話になっています、鈴木の父です」


 スポーツウェア姿の担任もにこやかに挨拶を返した。

 保護者席に行くと、同じ中学から入学した同級生の父親がいた。


「鈴木さん、お久しぶり。少し日焼けしたんじゃないですか。ゴルフですか」

「海外に出張したものですから」


 保護者席が次第に埋まって来た。間もなく開会式ということで生徒達がグラウンドに出て来た。俺は息子の姿を探した。

 不意にくしゃみが出たので慌てて口を手で覆った。そういえば今朝少し頭が痛かった。季節の変わり目だから風邪を引いたのかもしれない。

 その時、息子のひょろりとした姿が見えた。風邪になど負けてはいられない。息子が学校を卒業して一人前になるまでは。息子が夢をかなえるまでは。



   完






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