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痕跡  作者: 三矢 由巳
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三 過去への出張

 その病の名は、天然痘。

 1980年にWHO(世界保健機関)が根絶を宣言した病。

 古くから存在しており、エジプトのファラオのミイラからも痕跡が見つかった病である。

 ネットや、Wikipediaなどで調べれば、いかに恐ろしい伝染病かわかると思う。

 免疫のない人間がウイルスに接触すると、罹患率は80パーセント以上、発症後の死亡率は40パーセントを越える。全身に膿疱を生じ、治癒してもあばたと呼ばれる痕が残る。感染力が強いので、患者の膿疱の瘡蓋(かさぶた)でも一年以上感染力が持続する。

 日本でも仏教伝来の頃に広がった記録があり、八世紀には平城京で流行、政治の中枢を担っていた藤原四兄弟が罹患し死亡している。その後も身分の上下を問わず、流行すれば大勢の人々が亡くなった。

 1796年にイギリスのジェンナーが牛痘法を考案し、多くの国に広まった。日本でも1849年に種痘が実施され、1909年には「種痘法」が制定されて、ようやく予防ができるようになった。

 日本国内では1955年を最後に患者は確認されていない。アジアでも1975年にバングラデシュで患者が出て以降確認されていない。1977年、アフリカのソマリアで最後の自然感染の患者が報告され、三年後に根絶が宣言されたのである。

 というわけで、現在、種痘を行なっている国はない。

 日本でも1976年以降、基本的に接種は行われていない。






 それで、五十の俺が選ばれたわけである。面接で俺の肩の種痘の痕を確認していたのだ。無論、血液検査で免疫も調べたようだった。山根氏の話では抗体が規定以上に存在したので、大丈夫とのことだった。

 ちなみに俺のコンプレックスである身長と英語の能力の無さも採用の決め手になったらしい。現代人の平均身長でも当時は大男の部類になるので、目立たないためには低い身長がいいのだ。英語が堪能だと思わず口から英語が漏れる恐れがある。怪しまれたら大変である。また、キリスト教徒だと怪しまれた際に踏み絵などということになると、ややこしい話になるので、送る時代が限定されてしまうので、採用が難しいらしい。

 無論、新卒も採用するらしいが、なかなか条件に合致する者は少ないらしく、今年度も新規採用はなかったそうである。

 さて、天然痘の話に戻ろう。

 山根氏は、行った先の時代から、DNAの検体以外は絶対に持ち帰ってはいけないと言った。どこにウイルスが付着しているかわからないからである。

 俺は天然痘の抗体を持っているからいいが、息子をはじめとする若い世代は種痘を受けていないので、もしわずかでもウイルスに接触したら、感染する恐れがあるのだ。若者でもスタッフとして新規採用された場合のみ、ワクチンの接種が受けられるようになっているとのことである。

 バイオテロなどに備えて、天然痘ワクチンが国内に備蓄されているとはいえ、今の医者で天然痘の患者を診察した者はほとんどいない。麻疹と間違われてしまったら大変である。潜伏期間も7日から16日ということだから、その間に接触した他人に感染する恐れもある。そうなったら、手が付けられないことになる。種痘を受けていない若い世代は壊滅状態である。

 過去から帰ったらすぐに衣類はすべて焼却処分し、一か月間は協会の施設で検疫を行なうとのことだった。それで年に三か月と区切っているのかとわかった。長期間行けば、それだけその時代の物質を取り込むことになる。ある程度期間を区切らないと、検疫の期間も長くなるのだろう。

 検疫が終わっても、家族の健康状態を常にチェックしなければならないとも言われた。 

 俺は息子に種痘を受けさせられないか訊いてみた。

 山根氏は言った。


「そうするべきだという意見もあったのですが、家族に感染させないように意識することで検疫が徹底されるということで。これまで家族への感染例はありませんので、検疫をしっかり受けていただけば大丈夫です」


 なんだか、息子を人質に取られているような感じがした。息子が可愛ければ、規則を守って職務を遂行せよと言われているようだった。まあ、息子だけでなく現代の人々のことを考えれば、検疫を真面目に受けるのは当然のことなのだが。






 一か月の研修終了後、俺の初仕事が決まった。

 関東の通路を使い、江戸時代に行き、本州のツキノワグマのDNAを調査する研究者に同行することになったのだ。通路の出口のある地域から熊のいる山地まで歩いて旅をし、さらに山に入って熊を麻酔銃で撃って、血液のサンプルを採取し、また歩いて通路の出口に戻るという仕事である。無論、初めてなのでベテランのスタッフがついていく。生類憐みの令があるのではないかと心配になったが、将軍綱吉の時代が終わり、廃止されているとのことだった。

 期間は二週間。意外と短い。最初の仕事だからということだが、拘束されるのは二週間の事前準備と一か月の検疫機関を加えると合計二か月ということになる。

 帰宅できるのは息子の二学期の授業が始まる九月ということになる。夏休みまるまる息子と過ごせないのは初めてのことだった。これはちょっと困った。いくら息子がしっかりしていても、一人で夏休みも含めた二か月間を過ごさせるのは問題だった。

 そこで山根氏に相談した。すると、その点はお任せくださいと言われた。息子の学校のサマースクールで三週間過ごしてもらい、残りの出校日以外の期間は当協会でアルバイトをしてもらえばいいとのことだった。

 息子にできるアルバイトがあるのかと言うと、山根氏はお任せをと言った。






 泊まり込みの研修の始まる数日前、俺は息子に海外へ長期の出張に行くことになったと告げた。夏休み期間のことは勤め先の山根さんが面倒見てくれると言うと驚いていた。


「一体、どういう団体なんだよ。出張中の家族のことまで世話するって」

「そういう方針のところなんだ。サマースクールのある時以外はアルバイトだけど、いいか」

「いいよ。なんか面白そう」


 好奇心旺盛な息子は協会の仕事内容に興味深々のようだった。日本科学学術振興協会という名称だから、アカデミックなことに関係があるのだろうと推測しているらしい。山根氏の話では、過去への通路とは全く関わりのないアルバイトになるとのことだった。






 

 泊まり込みの事前研修は首都圏から離れた場所にある、協会の研修施設で行われた。参加したのはベテランの森下氏、動物学の研究者、助手と俺の四人である。

 当時の習慣や言語を学習するほか、護身術の実技や施設の背後にある山を一日十キロ以上歩く訓練が行われた。六十歳だという森下氏が一番健脚で、ゴールの足取りは軽々としていた。研究者と助手もよく山道を歩くということで俺ほどへばらずに歩いていた。

 とはいえ、筋肉痛に悩んでいた俺も十日ほどで、少しは慣れてきたのだが。

 夕食後は四人でそろってミーティングを行なった。現代とは違う環境で過ごすのだから、四人が一致団結しなければならないことも多い。円滑なコミュニケーションは大事だった。

 四十代の研究者は饒舌だった。


「今度は江戸時代に行くんで楽しみにしていたんですよ。前は北海道で、人気のない山林をずっと歩き回るばかりでしたからね。しかも今度は江戸に近い場所を通るっていうし。吉原のそばまで行って覗いてみたいもんですが」

「おいおい、下手な真似するんじゃねえやい」


 森下氏が江戸っ子のように言う。森下氏は研修初日、自前の髷を結って現われたので、俺はてっきりその時代の人かと思ってしまった。なんでも元自衛隊員だという。

 吉原が出て来たついでに言うと、現地の人間との会話や食事以外の交流は禁止されている。歴史を改変することにもなりかねないからだ。それに病気の予防もある。吉原で遊ぶなどもってのほかである。

 俺はこの際だからとあれこれ質問した。


「通路のこと、他の人に話したくなりませんか」

「そんなことしたら、学会を除名されるし、大学もクビになる。それに、外国の工作員なんかに話したら、とんでもないことになる。僕の後輩に有能なのがいたんだが、まあ、その……」


 饒舌な研究者は言葉を濁した。


「工作員て、スパイですか」


 俺の間抜けな問いに森下氏は答えた。


「そうだ。通路の噂はいくつかの国に漏れてる。奴ら、その入り口を必死に探しているが、見つからねえようにこっちもあれこれ工夫してるのさ。ばれたらえらいことになるからな。江戸時代にやって来てみろ。幕府をつぶして、自分の国の植民地になるように工作しかねないぞ。それこそ明治維新に関係する地方に行って明治時代に活躍した人間の祖先を暗殺しかねない」


 物騒な話である。そんなことをしたら、歴史が変わるどころか、現代の人が消えてしまいかねない。


「面倒なことも多いけど、僕ら研究者には有難いんだよ。二ホンオオカミや二ホンカワウソのいる時代に行けるんだからね。そうそう、あっちでは秋に九州の火山が噴火するということで、火山関係の学者が団体で行くことになっているんだ。九州まで怪しまれないように行くために、皆山伏の恰好で行くとかで、今からお経の練習してるらしい」


 山伏に扮装するとは、なんとも凄い研究者魂である。


「でも、火山の噴火に巻き込まれたりしたら」


 俺の心配に、森下氏はうなずいた。


「一応、危険のない場所で観察することになってる。現地で死ぬと厄介だからな。前に、現地で病気になったスタッフがいたんだ。二回目の仕事で慣れてきたってんで油断したのがまずかった。こっちから救援に行くはずが手違いで、そいつの行方が知れなくなってな。後で死んだことがわかったが火葬された後でな。遺族には海外出張先で死亡したということで弔慰金を出してる」


 そんなことがあるのかと、俺は驚いた。


「あんたにはまだ高校生の息子がいるんだろ。死んじゃ駄目だぞ。弔慰金もらっても、遺族にはかけがえのない家族だもんな」


 森下氏の声はどこか、しんみりとしていた。

 ともあれ、皆仕事に真面目で癖のある人もおらず、初めての出張は俺が失敗をしない限りはうまくいきそうな気がした。






 研修終了翌日、俺たち四人は別々の車で時間をずらして通路の入口へと向かった。これも秘密を守るためである。

 その場所は首都圏の中の鉄道沿線の駅に近いハイツの中にあった。

 ありふれた木造二階建ての建物の中に過去への通路があろうと誰が思うだろう。

 無論、ハイツと周辺の土地は国有地になっており、ハイツには協会や防衛省の関係者が住んでいるということだった。

 管理人の男性を見て驚いた。松木氏ではないか。にっこり笑った松木氏は二階の空室まで案内してくれた。

 部屋にはすでに森下氏と研究者と助手がいて、すっかり支度を整えていた。俺も髪型を変え、商人の出で立ちになった。

 髪は最初の研修の時から伸ばすように言われていた。昨日のうちに頭頂部を剃られていて、ここまで来るのに鬘を付けていたのだ。鬘を取ると、松木氏があっという間に俺の頭を町人風に結ってくれた。

 外は薄暗くなってきた。


「それでは、皆さんお気をつけて」


 松木氏は奥の洋室にある物入れの戸を開けた。その奥に作られた人ひとり通れるくらいの大きさの重い扉を松木氏が開けた。扉の向こうは壁に見えた。だが、森下氏は扉をくぐってその壁を突き抜けた。その後、研究者、助手と続いた。俺も思い切って、壁に向かった。ぶつかるんじゃないかと頭を下げた。だが、何にもぶつからず、目を開けると、そこは野原の真ん中だった。通路という名称の割に短いものだった。目の前には森下氏らがいた。


「ここが出口だ。そこの石垣と銀杏の木が目印だからよく覚えておけ。もし何かあってばらばらになることがあったら、必ずここへ来るんだ。そうすればあっちから救助が来た時すぐわかる」


 俺は周囲を見回した。遠くに藁ぶき屋根がいくつか見えた。他は一面の野原と畑である。

 ここで森下氏は俺たちに印籠を渡した。地磁気の計測装置で、通路の出入り口に近づくと、振動して教えてくれるらしい。

 電源を入れると確かにブルッと震えた。ふだんは電源を切っておいて、戻る際に目安として装置を作動させるということだった。

 根付に印籠を取り付けて帯に引っ掛け、俺たちは宿場へと急いだ。






 仕事は恐ろしく順調だった。過去に旅した人達がノウハウを蓄積してくれたおかげで、行商人の一行ということで俺たちは目的の山地まで順調に旅ができた。

 道中手形は当時の紙を使って偽造したものだが、怪しまれることなく関所も通過できた。

 何より驚いたのは、当地に協力者がいることだった。彼らは俺たちが未来から来たかどうかは知らないが、何らかの事情があるらしいと察してはいるようだった。

 身を守るためのもの以外、現代にしかないものを過去に持っていくのは原則として禁じられているが、当時も存在した紙や陶磁器、ガラスの製品を土産として持って行き、その代りに便宜を図ってもらっているということだった。確かに協力者から宿を借りて、当地の事情を聞いたりするだけでも、ずいぶんと行動がとりやすくなる。たとえば、大名の参勤交代やお茶壺道中の情報などは大切だった。大規模な武士の集団と宿場でかち合うと宿がとれないのだ。森下氏は俺のことも現地の協力者に紹介してくれた。

 目的の山地まで予定通り四日で行けたのは協力者のおかげだった。

 山に入ると、今度は野営ということになる。これは研究者が手慣れていた。熊や猪などのけだものに襲われたらとびくびくしていたが、獣除けの装置を野営用のテントのまわりに巡らすようになっていた。

 六日目には目的の熊と遭遇。麻酔銃で熊を眠らせ、血液を採取することに成功した。七日目にも別の熊を見つけこれも採取に成功した。次の日には、山の管理をする山番と遭遇してトラブルになるかと思ったが、森下氏は道に迷ったと話し、山番とすっかり意気投合、なぜか山番小屋に泊まることになった。

 研究者も助手もいやな顔一つせず、山番と酒を飲んでいた。しかもしっかりと、熊が山には何頭いるかとか、餌になる山の木々の実の出来はどうかといった話までしているのだから、大したものである。

 勿論、俺も一緒に現代とは一味違う酒を酌み交わした。今も昔も、仕事にはコミュニケーションの能力が必要なものらしい。






 こうして俺たちは十四日目には、元の場所に戻っていた。印籠型の装置の電源を入れ振動を確認し、通路に向かって、俺たちは歩いていた。

 目印の石垣と銀杏が見えた。これで現代に帰れる。空気がきれいで、親切な人も多い江戸時代だが、やはり現代のほうが自分の生きる社会だと感じる。


「ここだな」


 日没近く、昼間周辺にいた農民たちの姿はない。一見、何の変哲もない野原だが、その中にぽっかりと黒い穴が見える。松木氏が物入れの扉を開いたのだ。

 先に研究者と助手が黒い穴へと入って行く。

 森下氏と俺も入ろうとした、その時だった。


「森下あ、よくも」


 背後から凄まじい声が聞こえた。

 振り返った俺は息を呑んだ。この時代で幾人か見かけたことのあるあばたのある顔だった。恐らく天然痘に罹患し回復したのだろう。ぼろぼろの服なのか布裂なのかわからぬようなものを身体にまとっていた。


「おまえ、先に行け」


 森下氏がそう言って、俺を穴に押しやろうとした。だが、俺は男の怒りの形相に立ちすくんだまま、動けなかった。


「よくも、俺を置き去りにしたな」


 男の手には短い刀が鞘から抜かれた状態で握られていた。

 置き去り。どういうことだ。

 森下氏は護身用の短刀を抜いた。男と森下氏の一騎打ちになるかと見えたが、男の刀は俺に向かって来た。そんな。

 急に俺の脇腹に痛みが走った。男の顔が目の前に迫っていた。

 そこで俺の記憶は途切れた。






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