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痕跡  作者: 三矢 由巳
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二 過去への通路

 当団体、日本科学学術支援協会は総務省の外郭団体として十五年前に設立されました。その設立目的は名称の通り、我が国の科学、学術を支援すること。金銭面はもちろんのこと、研究環境の整備を通しての支援を行っています。

 特に研究環境の整備。これには力を入れております。

 当協会の支援を受けて、いくつかの医薬品が開発されており、現在臨床実験に入っております。

 他にも動物や植物の遺伝子研究等にも成果をあげています。

 これらの研究の支援をするためのスタッフとして、あなたにはこれから働いていただくことになります。安心してください。研究の助手ではなく、あくまでも研究環境の整備が仕事ですから、研究分野についての専門的知識はさほど必要はありません。研究について理解する程度には勉強していただきますが、さほど深い知識は要求しておりません。むしろ、あなたの学生時代の専門知識のほうが役に立つのです。






 山根氏の説明に俺は少しほっとした。大学の文学部史学科を出ている俺には医薬品とか遺伝子とかの専門知識はほとんどない。ただ、学生時代に勉強した日本史の知識も、卒業して三十年近くなった今では古びている。1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府なんて今は小学生でも言わないはずだ。






 あなたの歴史の知識も最新の知識を持つ者がフォローアップしますので、心配はいりません。

 さて、今から具体的な仕事について話します。これを聞いて、もしお辞めになりたいと思ったら正直におっしゃってください。その場合でもこの一か月分の給与は支払いますので、遠慮はいりません。自分に合わない仕事をするというのは、非常につらいものですからね。

 はっきり申し上げます。

 あなたの仕事は、絶滅生物等の遺伝子を採集する研究者とともに、過去の世界に行き、そのガイドと警護をするというものです。

 三十年前、ある研究者が地磁気の異常を調査している時に偶然、過去の世界へ行く通路を発見しました。詳しく調べると、そういう箇所が国内に数カ所あることが判明しました。彼は自分でその通路を使い過去に行き戻ってきました。信じがたい話ですから、彼は学会にも発表できず、さる官庁に勤める友人に相談しました。過去の世界で撮影した写真も見せて。当時はデジタルカメラのない時代ですから銀塩写真ですけどね。






 そう言うと、山根氏は持って来たファイルのページを繰った。御覧下さいと言われて見たのは、富士山のカラー写真だった。だが、よく見ると何かおかしい。見慣れた形ではない。


「これはどこから撮ったんですか」

「静岡県側。当時の駿河国からです」

「宝永山がない……」

「ええ、宝永の大噴火の前の時代の富士山です」


 俺はあまりのことに絶句した。いくらなんでも荒唐無稽過ぎる。

 写真をよく見ると、手前には人の姿が見えた。しかとはわからないが、洋服を着ているようには見えない。

 他にもとても現代の日本とは思えない景色が写真の中にあった。様々な形の髪型の女性たち、ふんどし一丁で荷物を担ぐ男、水路に沿って土蔵が並ぶ景色……。

 どう見ても、ドラマのロケ地のような作り物めいた感じがしないし、人の体形も顔つきも現代とは違う。


「信じていただけますか」


 山根氏は写真に見入る俺の顔を覗き込んだ。俺の困惑を見越したかのように続けた。


「私もここに入った時は信じられなかったのです。しかしながら、他にもいろいろと物証がありましてね。それは研修の過程でおいおい……。もしあまりに荒唐無稽で、こんな場所では働けないとおっしゃるのであれば、今の段階で帰ってくださっても構いません。次の就職先を斡旋します」

「あの、私の仕事というのは、過去へ旅するということなんですね」


 俺の質問に山根氏はにっこりと笑って答えた。


「はい、そうなります。ただし、その準備や終了後のケアまでも含んでの仕事です。身体への影響を考え、一年に三か月を限度に過去に行っていただくことになります。準備とケアで三か月、残りは当協会で業務を行っていただくことになります。職務の都合で過去に行く際は、土日も出勤となりますので、休みは業務の間に二か月、たとえばまとめて二か月、あるいは一か月ずつといったお好きな形でとることができます。ただ、職務の特性上、機密は厳守していただきますよ。そのための報酬です」


 山根氏が囁いた年間の報酬額に、俺はしばし絶句した。求人票に書かれた額より多いのはもちろん、前の職場と桁が一つ違う。


「息子さんの学校は私立でしたね。海外研修もあるとか」


 これからかかる教育費は俺の退職金でもぎりぎりというところだった。だが、この報酬があれば……。

 それに、断って次の就職先を斡旋されても、こんな報酬は得られないだろう。次の就職先で給与明細を見て、あの時断っていなければなどと後悔するのはちょっと悔しい。

 何より、学生時代、歴史を齧っていた俺にとって、過去への旅というのは魅力的だった。関西の古墳巡りをした時に感じた過去の人々の息吹を、生で感じられるとしたら!


「話を続けてもらえますか」

「それでは、よろしいのですね」


 山根氏は説明を再開した。






 山根氏の話をまとめるとこういうことである。

 過去の世界へ行く通路の話は研究者の友人である霞ヶ関の役人を通じて当時の内閣総理大臣にまで届いた。総理大臣はやはり最初は信じなかったが、写真をはじめとする物証を見て確信した。とうとう当時の防衛庁長官と協議し、自衛隊の精鋭部隊に通路を使って過去に行き調査するように命じた。

 複数の通路は場所によって様々な時代に通じていた。北海道にある通路は室町時代の初め頃、九州にある通路は平安時代の中頃、東北地方の通路は鎌倉時代の中頃、関東地方にある通路は江戸時代中頃につながっていることが研究者の調査で判明していた。

 過去の歴史に影響を与えてはならないと、隊員達は当時の服装や髪型をそれぞれ再現して、少人数で目立たぬようにその通路を使い、三日間という短期間で調査をして帰って来た。

 その結果、判明したのは、以下のようなことだった。


1 通路の先にある時代と現在の時間がシンクロしており、通路の先での三日間はやはり現在の時間の三日間に該当、浦島太郎のような事態にはならない。


2 通路の先の土地は、現在の通路の入口の場所と同じ地域の同じ場所であり、空間の歪みがない。


3 通路の先の土地では、大気の組成は現代とほぼ変わらず、現在と同じように飲食ができ、排泄行為ができる。


4 通路の先の土地にいる人々のDNAは現在の日本人とほぼ変わらない。


 他にもあるらしいが、防衛上の機密ということでそれ以上のことは聞けなかった。

 この調査の結果、過去への通路を使い現代から過去に支障なく行けるとわかったものの、これを広く国民に発表するのは影響の大きさを考えると時期尚早と総理大臣は結論を出した。四か所の通路周辺は国有地とし、防衛庁の施設が作られ、厳重に守られることとなった。

 ここで最初に発見した研究者が友人を通じて総理に提言をした。

 過去の歴史に影響を与えず、現代にこの通路を役立たせる方法があると。

 過去に存在していた絶滅生物や植物のDNAを研究し、新薬の開発や動植物学の発展につなげるべきだと彼は述べた。また、過去の火山噴火、地震等の大災害の研究にも役立つとも付け加えた。

 総理大臣は世界的権威のある賞を受賞した科学者らに、過去への通路の存在を明かした。科学者らも、研究者同様、過去の遺産を使って現代の人類の福祉に寄与する研究に役立てるべきだと提言した。

 総理も、その提言を受け入れた。

 ところが、その矢先に総理は与党総裁の任期が切れ、バトンを受けた次の総裁は、提言を引き継いだものの、他の重要案件を優先し、過去への通路の件は先送りにされた。その後、短い内閣が続き、野党が政権を取ったこともあり、通路の件はごく少数の防衛関係者の間にしか知らされなかった。

 今から十五年前に政権を握った与党出身の総理の時になって、再び通路の利用が検討された。父親が防衛庁の関係者であった総理は就任以前から通路の存在を知らされており、総理になったら取り組まねばならぬ懸案として意識していたのである。

 早速、日本科学学術支援協会が外郭団体として設立され、研究者が過去への通路を使い、過去に行き、現在では絶滅した生物のDNAを採取したり、それを研究して、新薬の開発に利用したりといったことが可能になったのだった。

 通路の存在は国民には一切知らされていない。ごくわずかの研究者たちと政府の上層部しか知らぬまま、協会は成果をあげていた。






 だが、問題も次第に明らかになってきた。

 過去に行くということは危険もあった。同じ日本でも言語の問題があった。言葉が通じないのだ。一番近い江戸時代でも、江戸っ子の話は早口で訛っていて聞き取りにくかった。多忙な研究者たちにはとても、その言葉を学習する暇もなかった。

 勿論、習慣の問題もある。現代のような水・電気などが使える社会ではないし、治安の悪い時代もあるので、現代日本人のような行動をしていたら、当時の人に怪しまれ捕まる、あるいは最悪の事態も起きかねない。

 というわけで、研究者だけでなく、案内と警護を兼ねたスタッフが研究者と一緒に行くことになったのである。スタッフは現地の言葉を学習し、研究に支障がないようにするのだ。幸い、その時代の音声を録音してあるので、事前学習ができるということだった。警護のほうは基本は逃げること。危険を察知したら、研究者の身の安全を確保し、逃げる。それが鉄則だった。刀等の武器の扱いはその時代の人間が優れているから、戦えば負けるに決まっている。もし、こちらが銃などの武器を所持して、その時代の人間を殺せば、後々の歴史を改変することになりかねないので、それも絶対に避けねばならない。とにかく、逃げて逃げて生きて帰って来る、それが最大の仕事だった。

 さて、さらに大きな問題があった。

 それは、伝染病である。

 現代は予防接種が普及していて、たいていの伝染病は予防できるから、海外旅行に行く時と同じような予防接種を受ければ、過去の世界に行っても大丈夫だと思うかもしれない。

 俺もそれでいいと思っていた。

 だが、それでは済まない問題があった。

 現在、地球上から撲滅されたと思われる伝染病がある。

 その予防接種も久しく行われていない。

 その病気の名は……。

 






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