勇者の死
その日、王宮に勇者の死が早馬によって伝えられた。
宰相はすぐに国中の鐘を鳴らすように命令を下した。
リーンゴーンリーンゴーン
王国中に鐘の音が鳴り響き、勇者の死は伝えられた。やがて鐘の音を聞いた隣国も鐘を打ち鳴らす。
リーンゴーンリーンゴーンリーンゴーン
世界中に鐘の音が鳴り響いた。
異世界より来た勇者の始まりは、辺境の小さな町だった。
たくさんの魔獣の皮を持って現れた黒い髪の少年は、誰も敵うことのない魔法を使い、誰よりも速く剣を振るった。
やがて少年は薄汚れた奴隷の少女を盗賊から助けた。少年の作った石鹸で身を清めた少女は、とても美しかった。少年は奴隷の少女を仲間とした。
王国の第三王女が魔族に襲われている場に居合わせた少年は、それを鮮やかな魔法で退け王女を助けた。王女はこの国の宝石と讃えられる美しい少女だった。謁見の間で王に労われ、少年は勇者となって魔王を倒すこととなった。美しい近衞騎士の少女と第二魔術師の少女がその旅に伴うこととなった。王女も勇者の旅についていくこととなった。
旅の途中、エルフの里をオークとゴブリンの襲撃から守り、エルフの長の美しい孫娘が勇者の旅に加わった。
また、鉱山に立ち寄った際には暴れるサラマンダーを打ち破り、ドワーフの長の娘の幼くも美しい少女が旅に加わった。
やがて勇者は魔国に入り、あっさりと魔王を倒した。魔王の美しい娘は、魔王に牢に閉じ込められていた。人と共存したいという魔王の娘は勇者に付き従うこととなった。
そして勇者は盛大に国に迎え入れられ、美しい7人の少女達と結婚をした。
勇者はその後も、時に襲い来る竜を倒し、民を苦しめる貴族を倒した。
それから長い長い時が経ち、勇者は7人の嫁に看取られて老衰で死んだ。
王宮、謁見の間。
そこには喪服に身を包んだ7人の女がいた。年老いたが、いまだかつての美しさの残る女達だった。
王は世代を変え、当時の王女の兄であった。
「久しいな、皆の者。この場は楽にしてほしい。そして今は亡き先王と先王妃、それから全ての者からの感謝と謝罪を受け取ってほしい」
「お兄様、いいえ、陛下。私達は私達の為すべき事をしたまでです」
伏したまま、かつて王女だった女が代表して答えた。
「宰相、此度の報告を」
王の脇に控えていた老人が、チラリと伏したままの女の一人を見た後に巻物を読み上げた。
「ゴブリン族200名、オーク族150名、魔族180名、精霊族6名、竜族2名、ヒト族180名でございます」
一瞬痛ましい顔をした王だったがすぐさまに表情を繕い、朗々と宣言した。
「本日にて、勇者の時の終了を宣言する」
途端に、謁見の間に集められた人々のあちこちからすすり泣く声が零れ出す。
王の顔にも、滂沱の涙が流れている。
「この度の勇者の時は、過去、最も被害が抑えられた。これは世界中の皆のおかげである。逝った者への感謝を忘れず、我らは生きていかねばならぬ。今、この時だけは俯き泣いてもかまわぬ。しかし、我らは決して勇者を忘れてはならぬ」
王の許しを得て、すすり泣きは号泣に、そして慟哭へと変わっていった。
喪服の女達は、互いにすがりついて泣いている。
過去、この世界はなす術もなく三度の滅びの時を迎え辛くも滅びを免れた。
そして四度目からは、まず王国が。五度目はヒト族全てが。六度目に至り世界中が力を合わせて滅びに対処することとなった。
そして迎えた七度目の今回。
黒髪の少年の発見の報せが秘密裏に世界を駆け巡った。
教会で大切に育てられた美しい巫女がまず志願した。
「私が奴隷として一番側で。いえ、いいのです。大切に育てられた私は、この世界が大切なのです。愛おしい世界を守るのに、なんのためらいがございましょうか」
そしてそれを聞いた第三王女も志願した。
「王家の娘として義務を果たしとうございます。私も、父様も母様も兄様も姉様達が大切なのです。姉様達は結婚をされたばかり、私以外適役はおりませぬ」
側に控えていた近衞騎士と第二魔術師も進み出た。
「王女様ばかりに辛い目に合わせるわけにはいきませぬ。何卒私にもご下命を」
近衞騎士が跪いて王に許しを乞う。
「私にもご下命を。この命を懸けてお役目を果たしてみせます」
魔術師も近衞騎士に倣う。
エルフの里では、エルフの長の孫娘が必死に里中を説得していた。
「私が一番若くヒト族にとって見た目も美しい。私が行かねばならぬのじゃ」
「しかしお主には竜族の婚約者が……」
「世界の命運がかかったこの場で婚約などあるまい。それに……あいつはわかってくれると信じている」
ドワーフの鉱山では、厳ついドワーフ達が男泣きに泣いていた。
「泣かないで、おじさん達。私、大丈夫だから。私ね、おじさん達が死んじゃう方がイヤだから行くね」
魔国の王は、ひしと娘を抱きしめた。
魔王も、その娘も何も言葉にしなかった。
ただ限りある時間を互いを抱きしめ合っていた。
やがて魔王が倒れしばらくした頃。
竜族の国。
「俺が行く」
「お主はまだ若い、行くなら私が」
まだ若い青年を別の初老の男が止めようとしていた。
「あいつが戦っているのに、俺は何もできないのか。いや、違う。俺の番はあいつだけ。あいつが今もまだ戦っているなら俺も戦わなくてはならない」
勇者は悪竜を倒した後、その竜の鱗を使って装備を作り、嫁達に意気揚々とプレゼントした。
「泣くほど喜んでくれるなんて嬉しいな。あ、僕が心配だったの?僕ならかすり傷一つないから大丈夫だよ」
リーンゴーンリーンゴーン
鐘の音が世界に響く。
鐘の音を聞きながら、オーク族とゴブリン族はただ黙って盃を傾ける。
勇敢に戦い死んでいった仲間達へと。
全ての記憶はこの水晶に。
かつての奴隷の少女、否、巫女だった女はそう言って宰相に水晶を手渡した。
「本当に、いくのですか」
「ええ、私達はこの世界の犠牲の象徴。忌まわしい悲しみの象徴ですもの。これからの世界に悲しみは不要です」
かつて誰よりも愛おしく思っていた美しい少女が、その当時の面影を残した美しい微笑みを浮かべるのを見て宰相は言葉を飲み込んだ。
そして女の後ろ姿をずっと見送っていた。
そう広くない部屋に、7人の女が集まっていた。
「みんな、今までありがとうね」
かつての巫女がそう言うと、かつての第三王女が首を横に振った。
「いいえ、あなたが一番私達を助けてくれたのに。お礼の言葉を言うのは私の方よ」
「ううん、みんな私を庇ってくれたじゃない。『勇者様は私のものよ』なんて言って」
かつてもっとも幼かったドワーフの女がそう言った。
「いまだ見た目は幼いが、当時は本当に子供だったからのう」
エルフの女が当時と変わらぬ容貌のまま、同じく見た目があまり変わらぬドワーフの女の頭をクシャリと撫でた。
「そうそう。剣の鍛錬だ、魔法の鍛錬だってたくさん勇者を引き止めてくれたりしてね。あなた達にも本当に感謝しているわ」
第三王女だった女の側には、かつてと同じように近衞騎士だった女と第二魔術師だった女が控えている。
「いいの?エルフのあなたはまだ多くの寿命が残っているんじゃないの?」
「いいんじゃ。あいつが待っているからな」
エルフの女が竜の鱗を使った籠手を見つめながら言った。
女達は顔を見合わせてから、一息にグラスを飲み干した。