ヒッチハイク
日が暮れ始めていた―――
もう何時になるだろうと、青年は時計を見た。夕方の6時である。思わず舌打ちした。
ヒッチハイクをして、無料で同乗してくれる車を求めて彼は田舎の道路を一人、とぼとぼと歩いていた。右手は広大な麦畑で、左手は森で奥に山肌が見える。旅になれているとはいえ、もう足が動かない。
車どおりの少ないところではヒッチハイクは期待できない。長距離トラックも地元の車も通りかからない。
太陽が出ている間にモーテルを探しておくべきだった。後悔して八つ当たり気味に歩道に座り込んだ。
日の暮れた道の向こうに明かりの輪が見えた。車のヘッドライトだ。ぐんぐんこちらに近づいてくる。少しぼやけて見えたのは、疲れで目がかすんだのだろう。右手の親指を立てて車の運転手にアピールする。
青年を憐れに思ったのか、好奇心をそそられたのか、あっさり停車してくれた。なにせ、強盗には見えないやせた青年だ。モーテルのある次の町まで同乗してもらえることになった。
乗せて貰った車は高級車なので、仕事で成功したか裕福な家柄なのであろう。運転手はスーツ姿の中年紳士だった。挨拶して、話してみると、運転手は退屈な帰り道で話し相手が欲しかったという。
「ところできみは―――家出青年かい?」
「まさか……こんな身なりですが、学校の夏休みに無銭旅行で遠くの地を旅したいと思っていたので……」
「ほう、それは素晴らしい!私もキミぐらいの年ごろに一人旅をしてみたいと思ったものだが、家庭の事情でアルバイトに明け暮れていたものでね……うらやましいよ……」
「でも、今はこんな高い車に乗っているって事は……仕事で成功なされたのですね?」
「まあ、成功したってほどじゃないが、クリスマスに七面鳥は食べられるようにはなったがね」
高級車の中年男と旅の青年は天気、野球、フットボール、自動車の話を持ち出して場が盛り上がった。中年男も話がうまいが、青年もヒッチハイク常連者だから、口がうまい。なるべく運転手の機嫌をとって、遠くまで乗せて貰おうという魂胆である。
彼は基本的に、人が好きで、おしゃべりが好きで、旅が好きだった。
「へえ、キミは『禅』を習ったことがあるのかい?」
「ええ、学生時代に好きだった女の子が禅の講座に通っていたので、ボクも……彼女とは親密になれなかったのですが、すっかり『禅』の世界にはまりまして……」
「禅とはどういうものなんだい?」
「え~~っと、簡単にいうと座禅を組んで、精神を統一して無我の域に達することですね。頭がクリアになります。それをきっかけに日本文化に興味を持ちまして、いつか日本にも旅がしてみたいです」
希望に満ちた眼差しで遠くをみる青年。中年男は右の口角をあげた。
「ほう、私も日本は言ったことがないが、父は軍人で、若い頃、沖縄基地に五年勤務したことがあってね……東洋人の顔は判で押したみたいに同じ顔をしているが、見分けるためには三年以上住んで親しくならないと区別がつかないそうだ」
「なるほど……東洋人は単一民族が多いという話ですからね。でも、少数民族もいて独自の文化を持っているそうですよ」
「へえ……そうなんだ。まあ、あの小さな島に一億人以上住んでいるというからね」
話が弾み、いつしか怪談話を話題にしていた……
「ところで、きみはこの辺の怖い話を知っているかい?」
温和な中年男がヒッチハイカーの青年に、ニヤリと笑いかけ話題をふった。
「いえ……この土地へ来るのは初めてで……怖い話って、幽霊話ですか?」
「いやいや、ヨーロッパの妖怪だね。人狼という奴さ」
「人狼?ホラー映画に登場する狼男のことですか?この国に?聞いたことがないな……」
青年は眉を潜めて記憶を呼び起こす仕草をみせたが、知らないと答えた。
「この地方は元々、ヨーロッパの清教徒の開拓地でね……彼らは宗教上の理由から故郷を追われたが、人狼の一族も西欧諸国を追われて、新天地に移植する彼らにまぎれてやって来たらしい」
「では、この国についてから、開拓民たちに正体を現して襲ったのですか?」
「そう、私は子供の頃大人たちのヒソヒソ話を聞いたのだよ。旅人が野生のコヨーテに殺されて無残な死体となったのを処理していたのだが、食い殺したのはコヨーテではない、人狼を見たとね……」
「……………」
窓からは真っ暗な夜の森が両側に見える。
夜道の高級車の中ではじめて沈黙があった――
「ふふふ……キミは人狼の話を信じていないね?」
「えっ?まあ……映画や民話の中の世界の住人としか思えないですねえ……」
「仮に……仮に私がその人狼を追いかけて噛まれてしまった、と言ったら信じるかい?」
「……まさか……でも、だとしたら、あなたが映画のように満月の夜に、月の光を浴びて毛むくじゃらの人喰いモンスターに変身するとでも?やだなあ……高級車に乗った紳士的な男性が、モンスターに変身するはずないですよ……」」
「ふむ、はたしてそう言い切れるのかな?映画だと普段は良心的な人物で、月の光を浴びると狂暴な怪物に変身するものだぜ?」
青年はごくりと咽喉を鳴らした。
「そうだっ!……月!月ですよ……窓の外に満月が見えるじゃないですか……あなたが仮に狼男だったら、すでに毛むくじゃらの怪物に変身しているところですよ」
フロントガラスには満月が煌々とあたりを照らしていた。
「ふふふふふふふふっ……そりゃそうだっ!」
ヒッチハイクの青年は温和に見えた中年男の異様な雰囲気に焦ったが、車の前から見えるお月様に安堵したように肩の力が抜ける。
「私は人狼ではない。だが、子供の頃の体験が人狼を極度に恐れさせ、性格が閉じこもった時期がある。やがて、恐怖心は敬いに変わり、憧れるようになった―――古代人が自然の天災を恐れつつも、神として崇め、少年が暴力を恐れつつも、不良やギャングの世界に憧れるようにね……恐怖心は崇拝の対象に変わっていくようだね」
「では、あなたも人狼を恐れるうちに、崇拝の対象になっていったとでも?」
「そう!私は人狼に変身はできないが、人狼のように人間を狩ることはできる……」
中年紳士は車を停めた。
「あの……なぜ、車をとめたのです?」
「この辺りは旧道でね。車は通らない。過疎地なのであたりに人家はない」
ヒッチハイカーの青年がギョッとして中年紳士に顔を向けると、銃口が心臓部を狙っていた。座席の下に銃を隠しもっていたのだ。
「ドアはロックしていない……早く逃げたほうが利口だよ……」
「ごくっ……逃げる?逃げるって何からです?」
「私だよ、私から逃げるのだよ」
「じょ、冗談ですよ……ね?」
「冗談なものか……遠くから来た旅の青年……誰もいない田舎道……今夜は満月、狩り日和だ。すでに九人のヒッチハイカーや旅人を標的にしたよ」
「そんな……罪のない旅人を拳銃で……ひどい……ひどいよ………」
「ふふふ……この期に及んで他人の心配をするとは、よっぽどお人好しなのか、よっぽどの愚か者だな。夜道は暗い、懐中電灯をあげよう」
殺人鬼の紳士は懐中電灯を青年に渡した。
「五分たったら、追いかける。フェアにいこうじゃないか。人のいない旧道だが、運が良ければ車が通るかもよ……それまで逃げたまえ」
紳士は狂暴な殺人鬼の素顔をさらけ出した。
青年は震えながらも、意を決し、車を飛び出して夜道を駆け出した。途中、横の繁みの中に潜りこむ。障害物のない広い舗装道路では銃弾の的だ。
「おやおや……舗装道路から夜の森に逃げるとはね……利口なのか、愚か者なのか……」
紳士は約束通り、五分たってから外へ出た。暗視ゴーグルをかけている。
「ふふふふふ……キミに渡した懐中電灯には発信機がついている。直に追いつくよ……」
悠然と中年男は降車して、青年を追跡しはじめた。
森の奥で、懐中電灯の明かりが蛍の光のように淡く輝いている。青年の上着が見える。
「ふふふ……動転して懐中電灯を点けたまま、繁みに隠れているようだね……まあ、消しても私には居所がわかるのだが……」
サイコキラーは暗視ゴーグルを外して、明かりのある繁みに銃弾を撃ち込む
一発。二発。三発……
硝煙が消えて、繁みの中を覗くと、そこに青年の銃弾で打ち抜かれた無残きわまる死体が…………………無かった!
「なにっ!どこへいった!」
繁みには青年の上着と懐中電灯しかなかった。その時、背後から異様な気配がした。
「懐中電灯に発信機を仕込むなんてフェアじゃないですね。まあ、人殺しを楽しむ人間にフェアもアンフェアも無いでしょうけど……」
声の方向に振り返った中年紳士は銃を持った右手をしたたかに打ち据えられ、武器を落とした。
「教えてあげましょう。あなたが普段は紳士面をして社会生活にまぎれ、時に殺人鬼と変わるように、人狼もまた、普段は社会にまぎれて暮らしているのです……」
暗い繁みに青年のシルエットが浮かぶ。
「人狼も……だと?」
「人狼に変身する種族というのは実際います。だけど彼らは平和を求める種族です。人間にもごくわずかに殺人鬼がいるように、人狼の種族にもごくわすかに殺人狂の者がいます。それが有名になってしまい、まるで、人狼すべてが人喰いの化け物だと思われるのは悲しい偏見ですよ。アメリカ人がすべて銃を携帯しているわけではないし、日本人がすべて柔道の使い手ではないように、ね」
「もしかして……まさか……まさか……きみは……その人狼の一族なのか?しかし、今日は満月だぞっ!」
「満月に変身するのは人間が勝手に作った伝承、銀の銃弾に弱いというのは映画会社が作ったでっち上げですよ。本物は感情の昂ぶりで変化します。もっとも、私は禅などの精神修行をしてそう簡単には変身しませんがね……」
「では……では……本物なのか……私が恐怖し、崇拝する……」
「勝手に崇拝されては迷惑ですが、その通りです。あなたは警察に引き渡そうと思いましたが、怒りで感情が昂ぶってしまったようです……」
彼は基本的に、人が好きで、おしゃべりが好きで、旅が好きだった。しかし、彼のような人のいい旅人が九人も殺されたと知ってしまった。狂信的で無慈悲な殺人鬼に対する怒りの感情に支配されていく……
「頼む……頼む……最後に……最後に人狼に変身する姿を見せてくれ……」
「……いいでしょう……最後ですし……」
繁みから姿を現した青年は、高速度撮影のように全身から剛毛が生えてきて毛むくじゃらになった……口が前にせり上がり、歯は鋭い牙に変わっていった……耳が上に移動して狼の耳となり、目が爛々(らんらん)と光輝く……
月光のした、ひ弱な体格の青年がみるみるうちに筋骨隆々たる獣人に変化していく……
―――アォオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォ………ン
満月の夜の森に、肉食獣の咆哮が響きわたる。大気が震え、原初的な野生の恐怖におそわれる。殺人鬼は歓喜に打ち震えた。
「おぉぉ……おおおぉぉぉ……これだ……これを……待っていたんだ……」
了
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