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村上春樹作 短篇『蛍』を読む 前篇

一つの作品を分析的に読むものです。読み物というよりもレポートですので、かなり退屈に感じるかもしれません。それでもよろしければお読みください。

1 はじめに


 久々に読書関係の企画を載せることにしました。

 今回は村上春樹の『蛍』という短篇に焦点をあて、この物語を出来るだけ細かく読んでみようと思います。その狙いですが、いちばんの目的は村上春樹の小説を読みこんな魅力があり、それがどこから出ているのか、そこらあたりを詳らかにしたいと思うことです。あと、出来れば『蛍』か『ノルウェイの森』の二章と三章を読むとより理解が広がります。なぜ、村上春樹かと言うと、幾つか理由があります。一つは読む価値があるテキストかと言う問題です。もっと言えば、物語らしいもの、より小説らしいものと言う点で選びました。実はここ最近は太宰や三島に惹かれていましたから、それらでも良かったのですが、現代性が果たしてどうなのかと思いました。山田詠美なんかも良いかなと思いましたが、手元になくて断念しました。


 以前、自分はここに「書くために、僕たちはどう読むべきなのか」という短い文章を載せましたが、その中で小説に対して出来うる限り、細かく読んで見る事が小説を書く研究には重要だと書いたわけです。それを実践したものが今回の小論にあたります。そのため、もしこの文を読まれる方は「書くために、僕たちはどう読むべきなのか」を読むとかやまの意図がさらによく分ると思います。


 かやまは小説を書く力を付けるのに一番良いのは真剣に小説を読むことだと考えます。書き方本、ハリウッド式だの、ライトノベルのなんたらだの、文章読本だのけっこう読みました。それで小説が書けたかと言うと、半分書けましたみたいな感じです。なぜなのかと言うと、こうした創作本の知識は知識なんですね。必要ではあるけど、実際にはもうワンステップあるよというような感じです。


 前から思っていましたが、小説書くのは車の運転に似ているところがあります。まあかやまの考えですけどね。自動車学校に行った事のある人は分るとおもうけど、あそこでは、学科と教習をやり運転をおぼえます。学科は知識です。言わば書き方本みたいなものです。教習は小説を書くことです。でも、それだけではやはり半分で、免許を取り、小説を自由に乗りこなして行くためには、書きながらよく読む必要があります。公道に出て、他の運転を見ながら、実際に様々な状況下で運転しながら、総合的に運転技術を身につけていくわけです。

 

 それと、小説を細かく分析的に読む訓練は思考を綿密にします。自分に合わない気に入らないを別にして、きっちりと読めないと、思考が安易になり、当然、それが自分の作品にあらわれます。かやま自身が良い例です。思考が短絡的なんですね。


 ここは締めるべきところ、ここは緩めて流してしまうところ、この言葉が効いている。ライトノベルだったら見せ場にいたる伏線や細かいキャラ創りなど、意識して細かく読むべきです。そして、自分の中に落とし込んで行きます。捕食したスライムみたいな感じでね。まあ見方を変えると嫌な読みです。普通の読者の読みではありませんね。

 

 なので、出来ればこの文章を綴ることで、かやま自身の小説を発展させるものに役立てたいと言うわけです。プロの文学研究者が自分の研究を進めにあたって、具体的にどのようなメモや記録をとって作業しているのかわかりませんが、自分になりメモを作成して読み込んでみたいと思います。

 前置きが長くなりましたが、それではスタートします。


2 『蛍』について


 この『蛍』という小説は、文庫本で38ページあまりの短篇小説ですので、長いものではありません。まず、『蛍』の作品として解説します。『蛍』は新潮文庫『蛍・納屋を焼く・その他の短篇』に収められています。調べてみますと『中央公論』の一九八三年一月号に発表され、一九八四年七月に新潮社から刊行されたことがわかります。この短篇小説が特徴的なのは、後の一九八七年に発表される長編小説の『ノルウェイの森』の二章と三章と内容がほぼ同じであるという事です。この『ノルウェイの森』との関係については後述したいと思います。簡単ではありますが、『蛍』はこのような短篇小説なのです。


3 『蛍』の筋


 東京の大学に入学し、寮生活をおくる主人公「僕」は「彼女」と中央線の車中で偶然再会する。高校時代「僕」と「彼」は友人で、「彼女」と「「彼」は幼馴染で恋人同士であった。しかし、高校二年の時、「彼」は自殺してしまう。再会した「僕」は「彼女」と付き合うようになるのだが、「彼女」の心は狂気に蝕まれていて、施設に入所することになり、別れを迎える事になる。そして、「彼女」は「僕」を愛してはいなかったのだ。「彼女」からきた手紙を何度も読み返す。「僕」は喪失感を抱えたまま、寮の「同居人」のくれた蛍を給水塔からそっと放してやる。蛍は闇に光の軌跡を描いて消えた。


4 『蛍』の筋、プロットへの分解


 次に構成について見てみたいと思います。プロットに分解してみます。もちろん、かやまが勝手に作成したものです。村上春樹が作ったものではありません。自分も小説書くときはプロットを作りますが、既存の他人の小説をプロットに還元してあげることも出来ます。まあ、それが本人の作ったものと一致しないと思います。プロットを作らない人もいますから。今回はかなり回りくどいですが、構成を把握し、細かく読むために必要かと思いますので作りました。


導入部


第一 回想から 昔々、たかだか十四、五年前 主人公「僕」の暮らす学生寮(モデル和敬寮)の様子 大きなケヤキ 建物など概観の様子から この寮の問題点 うさんくさい右翼的な特徴へ、しかし、真実はわからない 一九六七年春から翌年の秋、僕は暮らした


第二 寮の一日 中野学校氏による国旗の掲揚と君が代から始まる 夜には降ろされる国旗、夜働くものには国家の庇護があるのか? 男子学生のみの殺伐とした寮生活、しかし、僕の部屋は清潔だった


第三 それは同居人の存在 同居人の風変わりでユーモラスな性格 地図、どもり、ラジオ体操 安眠できない朝のラジオ体操への僕の抗議 かみ合わない話


本筋の展開


第四 彼女と中央線の電車の中で偶然の再会 半年前よりも痩せていた彼女 四ッ谷駅から飯田橋、神保町、御茶ノ水、駒込へ歩く 寮の共同生活について会話 蕎麦屋で夕飯 自分のことがうまく話せない彼女(狂気の兆候) また会いたいと僕は言う


第五 過去へ 彼女と出会い 公平な男である彼と僕そして彼女 人の話の中から面白い部分を見つける男 僕がゲストで彼がホスト 彼女がアシスタントの役回り 彼はN360の中で死んだ 『死は生の対極としてではなくその一部として存在している』 十八歳、全てを忘れる事にした


第六 現在へ 再会後、月に一度か二度、彼女と会う 実質のデート 彼女の求めるのは僕の温もりでなく誰かの温もりだった 大学の講義 プレゼント 同居人が突然発熱、彼女とのコンサートは流れてしまう 寮での喧嘩から微妙な立場へ


第七 二十歳になる 雨の誕生日 レコードをかけ、話し続ける彼女(彼女の狂気)


第八 彼女と寝た 僕から彼女への手紙 大学の休学(彼女は狂気に蝕まれている)七月のはじめ彼女からの手紙(療養所への入所、僕への感謝、いつか会えれば話せるかもしれない)


第九 たまらない気持ち 何百回となく手紙を読み返した 何をしていいか分らない


おわり


第十 七月の終わりに同居人が蛍をくれた 近くのホテルが放したもの 給水塔に登り、瓶に入った蛍を見る


第十一 最後に蛍を見たのはいつだろうか思い出せない 夜の暗い水門だけが浮かんでくる 蛍を見たのはいつだろうか 蛍を放す 光を残して消える蛍 闇に手を伸ばす僕 


5 実際に『蛍』を読んでみる


 さて、ここからがメインにあたります。目に付くものを拾って行きます。ここでは読みの深さが分ってしまうところですので、正直、かやまは冷や汗ものですが、勇気を出して進めていきます。(pは文庫本のページでどこに当たるかです)

 

 第一パートでは、昔々と昔話の語り調から入ります。初っ端から説明の巧みさが目に付きます。説明といえば三島由紀夫なんかもうまいです。説明なんてと思いますがうまい作家は数行で小説の世界に引き込んでしまいます。


 さて主人公僕の入寮の訳から、寮の立地や建物の配置や大きなケヤキがあることなどわずか文庫の1ページ半くらいですが、頭にスッと入ってきます。これはなかなか並みの作家には出来ない事なのです。かやまさんやあんたやってくれったって出来ません。しかも、『窓のカーテンはどの部屋も同じクリーム色―――日焼けが一番目立たない色だ』p10という一文がありますが、これもなかなかの部分です。そして、主人公の僕が入寮したのは右翼的な傾向を持った財団法人であったというわけです。この寮にはモデルがあって和敬塾というかなり大きな学生向けの寮です。文京区の目白台にあり、作者の村上春樹自身も半年ほどここで寮生活をおくります。それが、モデルになっています。かやまも中は見た事はありませんが、池袋の自由学園本館を見学に行った時に前を通ったことがあります。


 『そして、日常生活というレベルから眺めてみれば、右翼だろうが偽善だろうが偽悪だろうが、なんだってたいして変りはないのだ』p11という一文も面白い。これは政治的デタッチメントとかかわりがあるかもしれません。


 第二パートではこの寮の右翼的な側面が国旗の掲揚を通じてコミカルに描かれます。東棟の寮長、中野学校氏が小太りの青年と一緒に毎朝国旗を揚げます。中野学校氏の中野学校とは旧陸軍の工作員養成所のことです。この二人が6時の時報と共に、ソニーのテープレコーダーで、「君が代」を再生させ敬礼して国旗が登っていきます。なかなか映像的でコミカルなシーンとして描かれています。そして、僕はこの国旗が夜には収納されてしまう事に、夜にも国家は存続し、多くが働いていると思います。この辺りは、村上春樹が政治的なものを遠ざけていた時代から、徐々に政治的なものも書いていこうとしていると見るのか、ただ、ちょっと風刺しているのか分らないところです。たぶん研究者的にはこの辺りは分析の机上に乗せたくなる部分かもしれません。


 打って変って、今度は寮の部屋割と部屋の具体的に描写に移り、男所帯の非衛生的な様子から、僕の住む部屋がそれと思わせ、実は違うことが描かれていきます。それは同居人の存在です。同居人は病的に清潔好きな人物で『僕が缶ビールを飲み干して空缶をテーブルの上に置くと、次の瞬間それはゴミ箱の中に消えているという具合だった』p14この同居人は風変わりないわゆる道化の性格を持った人物として描かれます。同居人はレスラーの故ジャイアント馬場さん似です。


 第三パートです。ここではこの同居人との日々の生活が書かれていきます。同居人は地図の勉強していて、将来は国土地理院に就職を希望しています。同居人は地図という単語を話すたびにどもってしまいます。どうでも良い事ですが、かやまは測量士というとカフカの『城』の主人公のKを思い出します。道化である同居人が地図つくりという精緻な仕事を希望しているというちぐはぐさがコミカルです。


 同居人は何を専攻しているのかと僕に尋ねます。演劇を主人公は専攻しておりこれは村上春樹自身と同じです。ここで、同居人は地図が好きだから、君も演劇が好きだから専攻しているんだろうという話になります。しかし、僕はたまたま演劇だったと答えます。これに同居人は混乱してしまいます。ここで僕は同居人が正論だとします。同居人は角刈りで学生服だったので、寮では右翼と思われていましたが、実際はめんどくさがっていただけでした。同居人が興味を感じるのは海岸線の変化や鉄道トンネルの完成ぐらいのものです。まあ、こういう人っていますよね。

同居人は毎朝6時に例の国歌と共に目を覚まし、ラジオ体操を部屋でします。それが僕にとっては、苦痛な出来事でした。特にまだ寝ているのに、跳躍をされると寝ていられません。たまりかねた僕はラジオ体操を他でやるように頼みますが、ラジオが電源式だと断られます。跳躍の部分だけでも、というと同居人は跳躍がわかりません。

『ほら、これだよ。ちゃんとあるだろう?』p16と僕は言います。

『そ、そうだな。たしかにあるな。気がつかなかった』p16と同居人は返します。


 跳躍をやめてと僕はお願いしますが、一つ抜かすと出来なくなってしまうと同居人は言い張ります。結局、同居人は折れず、一緒におきて体操をすれば良いんじゃないか?とおちがつきます。ここは面白い笑劇的なパートでした。


参考文献 村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短篇」新潮社(新潮文庫)

しばらく読んでいきます。中篇に続きます。


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