⑤
人間、誰もがその過去に何かしらの苦い経験を持っている。決して思い出したくもない悪夢から、自らの話のネタとして披露できる軽い失敗談まで、そのないような実に様々である。そして、それらの経験を基に、様々な教訓を得て、明日の自分に役立てていく。大企業であるゲンマーン社の『社長』も、技術者から始まり、今のトップの座に就く間の会社での激動の人生の中で様々な経験をしていた。しかし、どんなに様々な困難や苦しみ、喜びや楽しみを味わっていても、それらを全て排除したとしても、どうしても心の中で一つだけ大きなわだかまりが残り続けている。
人間の基本的な三つの欲求は、食べる、寝る、そして「恋をする」事。
社長が自ら恋に落ち、そして自ら終止符を打った、恋の相手は……
「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「久しぶりー!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「元気だった?」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「疲れてない?」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「大丈夫?」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「変わってないねー!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「いよっ、社長!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」「あはは!」……
……今、数え切れないほどにまで増えて、未来都市を模したドームの中を埋め尽くしていた。
「こ、これは……」
すらりとした体つき、背中まで伸びる長髪、白のブラウスに黒のズボン、その上から羽織った白衣。研究施設で見せる『博士』と全く同じ姿、そして彼女と全く同じ声で『社長』の周りを次第に取り囲み始める女性たち。そこから次々に話しかけられると言う、ある意味非常に羨ましい環境下にある彼は、地獄と天国、水と油が混ざり合ったような非常に複雑な感情の中にいた。だが、まずこの異常な状況を説明してもらわないと話は始まらない。一体君たちは何者なのかと言う質問よりも先に、彼の口から別の言葉が飛び出した。
「ほ、本物の『博士』はいるのかい……?」
状況が中々把握しきれていない様子で尋ねた彼の言葉を聞いた途端、一斉に『博士』の動きが止まった。大量の人間が突然全く同じ事をするというのは通常では中々有り得ない事、しかも全員外見はほぼ同一という訳で、『社長』が一瞬冷や汗を流したのは言うまでもない。しかし、その後彼女たちが取った行動のお陰で、今までずっと抱いていた自分の予想がだいたい合ってた事を確認する事が出来た。
服の袖をまくって肌色の腕を見せ、さらにその腕その物をまくった中にあったのは、全員とも眩い銀色で包まれた様々な工業用の部品の数々……この場にいる『博士』は、全員とも本物の『博士』を模して造られた、ロボットたちだったのである。
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ドーム内の全てを司るメインコンピュータである「ハイコン」には、未来都市のあらゆる物を維持管理し、そこに暮らす人たちの生活を守るために様々な機能が内蔵されている。当然、そのためには古い部品を新しく作り直したり、必要な食べ物や物資を新規に調達、精製する必要がある。企業秘密なので詳細はここに書く事が出来ないが、このハイコンには、そのようなあらゆる状況に応じ、ドームの地下を覆い尽す工場の中で自在に様々な物を精製できる能力が秘められている。夢の都市を作るために、絶対に欠かせなかったシステムである。
ただ、どうも現在、その使い方を間違っているようだ。
「どうもー」
「や、やぁ……」
「元気してる、社長?」
「ま、まぁね……」
「久しぶりー」「やっほー」「久しぶりー」「やっほー」「元気?」「久しぶりー」「やっほー」「元気?」「久しぶりー」「やっほー」「元気?」「久しぶりー」「やっほー」「元気?」「元気?」……
本物の場所へ連れて行って欲しいと言う彼の言葉に応え、あまりにも盛大に彼を出迎えまくった何百何千、下手すると何万体もいたかもしれない博士型のロボットのうち数体が代表して目的地までの案内を買って出てくれた。正直、『社長』にとってはかつて恋焦がれ、そして自らそれを拒否してしまった相手と共に進むと言う、人によっては拷問に近い取り合わせとなっている。しかも、その数は一つだけでは無く、彼の四方にそれぞれ一人づつ、さらにその後ろから数人と言う大所帯、どれも全く同じ姿で、彼女たちに導かれて進む間もなかなか慣れない。
しかも問題は、このドームの内部に存在する『博士』型のロボットは、彼女たちだけでは無いという事である。大通りをイメージして作られた場所や、カフェテラスをモチーフにデザインされた箇所など、街を彩る様々な状況を再現したものが、この理想の未来都市モデルには点在しているのだが、どこに視界を向けても、必ずそこには『博士』の姿があったのである。
一人だけならまだ良い、二人組でコーヒーを飲んで談笑していれば、三人組でベンチで休憩している彼女、四人組でソフトクリームを舐めている彼女、あちこちに彼女と同じ存在が溢れている。その全てが『社長』の姿に気付いた途端にこちらに向けて声をかけてくる。まるで監視カメラのように、どこへ行っても『博士』の目から逃れる事が出来なくなっているようだ。
ただ、その心の内にはまた別の複雑な気分が湧きあがっていた。
あの時、彼は確かに『博士』を様々な思いの中で振ってしまった。自分が恋に落ちた存在を、自分の勝手な意志でその関係を破棄してしまったのである。身分の違いや職場の違いなど様々な理由で会う機会はそうなかったものの、その後ずっと『社長』は『博士』に対し、直接的にも間接的にも連絡を取らないままでいたのである。だが、このプロジェクトで『博士』……一度は別れた彼女に、自らが指示を与える事になった。今はこうやって普通に会話が出来るようにまで心は落ち着いているものの、やはり未練と言う物は残ってしまっていたようだ。
こうやって、『博士』と同じ外見や声を持つロボットたちは、自分に向けて優しく笑い、声をかけてくれる。しかし、本物の『博士』は自分と出会った時、どうやって声をかけるのだろうか。いや、もしかしたら、自分の考えていた予想は……。
再び考えに浸り始めた時、視線の先にあった『博士』たちの行動がふと目に留まった。
「まだ出ないのー?」
「早くしてよー」
二人の彼女が、椅子に座って何かをせがんでいる。どうやらあそこはレストランのオープンデッキ、このロボットたちは自らの体内でご飯や飲み物と言った人間の食料も燃料として吸収が可能な設計のようである。非常に高性能な物まで簡単に作れてしまうハイコンの実力の凄さも驚くべき所だが、『社長』が目にしたのはその部分では無かった。彼女たちがせがんでいると、机の中に穴が開き、そこから注文していたであろうスパゲッティが現れた。早速それを食べ始める二人だが、それと同じ声が別の場所からも聞こえてきた。
「ねえ、まだー?」
「遅いじゃん、もう」
その言葉を聞いて慌てるかのように、そちらの『博士』たちの方にはピラフやサラダセットが現れた。しかも、そればかりでは無かった。
「まだー?」「早くしてよもうー」「じれったいなー」「もう……」「遅いよー」「もっとスピードアップ!」
たくさんの彼女が駄々をこね、それに呼応するかのように料理が急いで現れる。そんな光景が、あちこちで繰り広げられていたのである。それはまるで、ハイコンを自らの尻に敷いてこき使っているかのように見えてしまう。普段見せる、自分に厳しく仲間には優しいしっかり者の『博士』とは正反対の様相だ。だが、これで『社長』はある確信を中に抱いていた。自分の予想が、見事に的中した、と。
それを示す証拠がもう一つあった。
この未来都市には、多数の建物を繋ぐように地上から空中まで何層にも渡って道路が通っている。まさにイラストなどでよく見られる未来都市のイメージそのものなのだが、その道路には、彼が以前訪れた時には走っていなかったはずの車のようなものが何台も行き来し続けていた。いつの間にああいう物を作ったのか、と指摘されて笑顔を返す何人もの『博士』型ロボットだが、それを確認しながらその車……正確にはトラックのような乗り物の荷台を見た時、一瞬『社長』は驚いてしまった。何故なら、屋根のない荷台にある大きな空間を覆うかのように、そこには何十、何百体もの『博士』がぎっしりと立っていたからである。それも、同じ方向から来る全てのトラックに、全て同じように彼女の同型ロボが大量に積まれ、どこかに運ばれている。
「あれは……」
「ん、あれ?」「さっき作られたばかりの『私』だよ」「そーそー」
この視界から見えるトラックの数からすれば、恐らくは一時間だけで何百体、下手すると千体もの『彼女』が製造され、次々にこの町へと排出され続けている可能性がある。下手すれば、このドーム自体が『博士』で埋もれてしまう事も考えられるだろう。だが、そう言った異常事態は普通ハイコンは望んでいない。可能性があるとすれば、外部から何らかの接触があると言う事のみである。
そして、理想の未来都市や白衣やスーツ姿をした大量の『博士』を抜け、ようやく『社長』は今回の目的地へと辿りついた。この巨大なドームの全てを管理する存在であるハイコンの中枢へ向かう事の出来る入口が存在するビルの前だ。閉じられたドアの前に立った数人の『博士』型ロボットは、再び自らの腕を展開し、肌色の外皮の中に埋め込まれた黒色や鋼色の機械群を見せた。そこから発せられる規則正しい光が、巨大な門を開くための鍵となっているからである。ただ、そこに入ったからと言ってまだ終わりでは無い。あくまでこのビルは単なるハリボテ的存在で、中にあるのは地下へとつながるエレベータと、二階から上を覆う多数の機器のみである。
数名の『博士』と共に少々小さなエレベータに入る事数十秒。とうとう今回の全ての元凶の前に辿りついた『社長』を待ちうけていたのは……
「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」「ようこそ!」……
地上で出会った同じ姿の個体よりもさらに数を増して、彼を出迎えてくれた『博士』型ロボットと、彼女たちが左右から笑顔で見守る道の果てにある一つの椅子の上から立ち上がり、こちらに近づいてくる一人の女性だった。
「……ようこそ、『社長』」
すらりとした体つき、背中まで伸びる長髪、白のブラウスに黒のズボン、その上から羽織った白衣。全く同じ姿の存在に何重も囲まれている彼女こそ、正真正銘、本物の『博士』である。




