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凹凸の少ないすらりとした体つきに背中まで伸びる長髪、白のブラウスに黒のズボン、その上から羽織った白衣。この外見を持つ存在は、世界を探しても彼女……ユビキリ・ゲンマーン社に雇われ、企業プロジェクトであるハイパーコンピュータ、通称「ハイコン」の研究を行っている『博士』しかいない、絶対にいないはずであった。しかし、彼女の中で考えるまでも無い常識としてきたその判断が今、もろくも崩れ去った。『博士』の横に居る女性もまた、全く同じ服装や顔つき、そして同じ声を有する存在だったのである。こういうときの流れは、当然もう一人の『博士』が何者かと大きい声で問い詰める事、そして返答は……
「見て分かるでしょ?私も『博士』よ」
もう一方も、自分が本物だと伝えるというものである。こう言う偽者が出る場合のお約束の展開だ。
ただ、それで博士……この場所にやってきて先程まで息切れしていた本物の『博士』が納得するはずが無い。混乱して沸騰しそうな頭を何とか押さえつけ、この異常事態を納得しようとしていた。この巨大なドームを支配しているハイコンに託された能力は、理想都市の維持管理のみならず、それを支える様々な製品を作り続けることも含まれている。配管や電気のみならず、建物、飲み物、お望みならばエロ本だって作り出すことが出来る、そんな機能を内蔵しているのである。そこから導き出される結論はただ一つ、目の前に居るもう一人の……
「あ、おまたせー」
「うふふ♪」
……いや、いつの間にかその数は「二人」になっていた。
「!?」
一度目よりも二度目のほうが、本物の彼女にとっての衝撃は大きかった。何の前触れもなしに、自分と同じ姿をした存在が一人のみならず二人も現れてしまえば当然かもしれない。双方とも、全く同じ衣装や白衣、髪型、そして同じ顔と声を有しており、『博士』本人でもどちらがどっちか見分けが出来ない状況になっている。口元を震わせ、ベンチに背中をくっつけたまま、彼女は目の前の光景から逃げ出すことが出来なくなっていた。そんな本物の『博士』の前に、何か言葉を交わしていた二人の『博士』はおもむろに顔を近づけた。全く同じ二つの美貌が近寄るという光景、普通の男性なら顔が興奮で沸騰しそうなほどだろうがあいにく彼女は異性愛を求める女性。口元から小さな悲鳴が出るほどなのだが、お構い無しにもう二人の彼女は口元に笑みを見せながら、全く同じタイミングで言葉を発した。
「「中心部、行きたいんでしょ?」」
「……え?」
次に二人から発せられた言葉に、一瞬『博士』は耳を疑った。目の前に居る偽者の自分は、本物である自身を目的地である中心部……ハイコンの本体や生産拠点が人知れず稼動し続けているという地下深くへと案内するというのである。信用して良いのかと一瞬は疑ったものの、一つだけ確かなことが分かった。目の前の偽者たちは、自分がどこへ向かおうとしているのかを既に把握しているのだ。恐らくここから自分がどう動こうとも、偽者たちの掌の中なのは間違いないだろう。そうなると、ここで反抗して一人で向かうよりは無理をせずに従ったほうが遥かにましである。何より、偽者の自分の正体が何なのか、確証がまだ掴めないからだ。
そして、『博士』は両側の『博士』に抱きかかえられる格好で立ち上がり、そのまま三名の中央で歩く形で地下へと繋がる場所へと向かい始めた。
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このドームの入り口と同様、情報管理や防衛を考慮してハイコンへと向かう経路は毎回変わっており、向こうからの指示を受けない限りはほとんどの人は入ることは出来ない。その数少ない例外の一人が彼女、ハイコンと長い間向き合ってきた『博士』である。自身がずっと暖めてきた理想を実現させるために、ずっと彼女はハイコンの傍で研究を重ね、都市を一丸で管理できる優れた機能を持たせるべく奮闘を重ね続けていた。どんな緊急事態になっても柔軟な対応をし、最良でなくとも人命や大事なものを守り通す勇気や正義感を持たせる。まさに『博士』にとって、ハイコンは理想の具現化であったのである……。
ただ、『博士』には一つだけ、ずっと考えてもみなかったことがある。彼女が率いる研究チームが理論を立てたこの都市は、この巨大な都市を一人の「市長」によって任せるという場所。例えて言えば、この場所はひとつの巨大な「生命」のようなものである。そして、柔軟な維持管理をするべく作り上げたハイコンに埋め込まれた機能というのは、言い換えるとコンピュータ自身が物事を考え、試行錯誤し、やがて最善のものをもたらすと言う「心」を作り出す事……。
まだその事実に気づいていない彼女の頭の中は、両側に二人の「自分」が並んで歩いているというこの状況に慣れるために精一杯の様子であった。正直なところ、何とか両側の偽者の正体が何なのかというところは目星がついている。しかし、ならばどうして、その姿が自分……『博士』なのか、それだけがどうしても分からなかった。しかし、その理由が分からないまま、彼女はよりこのドームで起きている事実を触れてしまう事になった。いや、相手のほうから事実を教えている、といったほうが良いかもしれない。
「「「やっほー♪」」」
道の横から聞こえてきた声の主を見て、『博士』の体に悪寒が走った。このドームの中に居る偽者の自分は、左右に並ぶ二人の自分以外だけでは無かったのである。しかも、一気に三人もの自分自身……白衣をまとった『博士』が、オープンテラスにあるテーブルを挟んでくつろいでいるのだ。それもごく自然に。そして、これを引き金としたかのように、一切の人影が見えていなかった町の中に、次々に「人影」が現れ始めたのである。すらりとした体つき、長髪、白のブラウスに黒のズボン、そして白衣。ドアの向こうでこちらを見つめる存在も、その上の階から窓を開けて声をかける存在も、道の向こうからやってくる数名の存在も、そして道の横にあるベンチで佇んでいる存在も、あらゆる「人影」が『博士』と同じ姿を形作っていたのである。
「うふふ♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「うふふ♪」「やっほー♪」「うふふ♪」「やっほー♪」……
あちこちで声をかけ、自分に向かって微笑んでくる何十、いや下手すると何百もいるかもしれない偽者たちの様子に、『博士』は目眩を感じたのも仕方ないだろう。あらゆる場所に自分と同じ姿かたちをした存在がいる、と言うだけでも常識では考えられない事態なのだが、それ以上に偽者たちがあまりにも「偽者」過ぎる、という事がより気分を悪くさせていた。あのような馴れ馴れしい空気は、少なくとも本物の自分が形作ることは出来ないはず、そう彼女は考えていたのである。それを包み隠さずに見せ付ける、自分と同じ姿で自分と全く違う心を持っているような存在……正直、このアンバランスさが本物の『博士』の平衡神経を悪い方向に刺激し続けているのは間違いないだろう。早くこの異様な空間を通り過ぎて目的地に向かいたい……
「ねえ、まだなの!?」
声を荒げた直後、両側の『博士』の歩みが止まった。そして、双方から目的地に着いたとユニゾンが返ってきた。
幸いにも、変な所につれて来られていると言うことは無く、目の前にはこの巨大なドームを管理する存在であり、この異常事態を作り上げた真犯人でもあるハイパーコンピュータ……通称「ハイコン」の中枢へと向かう入り口が存在するビルだ。もしここへ向かう経路が分かったとしても、この先へ向かうことは出来ない。何故なら、巨大な扉を開くためには絶対に解かれることがない暗号「量子暗号」を基にした鍵を使わないと……その鍵を……
「あ、あれ……!?」
開かなかった。このドームを設計したはずの自分の鍵が、一切の反応を返してくれなかったのである。焦りかけた彼女の左右で、偽者の『博士』が動き出した。一体何をするつもりなのか、慌てていた本物の彼女には最初予想が出来なかった。しかし、次の瞬間、今までずっと抱いていたある一つの可能性が正しかったと示す事が、彼女の目の前で怒り始めたのである。左右に立つ二人の『博士』が白衣ごとそれぞれの左腕をまくって腕を露出させた直後、その肌色の部分が突如として「展開」し、内部の構造が露になったのだ。もうこれで察しがついた人もいるかもしれない。肌色の部分の内部に広がっていたのは、黒色や鋼色で彩られた、多種多様な機械群だったのである。
そして、その中にあるデジタルコードのような物体が規則的に光り輝いた直後、開かずの扉は封印を解かれた。ドームの中で何が起こっているのか、これで『博士』は確信を持つことが出来た。ハイコンはこの巨大な理想都市の住民を、『博士』を模して作ったこのロボット……正確には女性を模して作った「ガイノイド」と呼ばれる種類に託していたのだ。ただ、研究員を全て追い出すまでに至ると言う事態にまでなった理由だけは、どうしても察することは出来なかったのである。そしてそのまま、偽者……いや、ロボットの『博士』に両側を固められるような形で彼女はビルの内部へと足を進めていった。とは言え、このダミーのビルの中にあるのは地下に繋がるエレベータだけなのだが。
そして、このエレベータが最下部に辿り着き、ドアが開いたところが本番だった。いや、『博士』にとっては悪夢の始まりだったかもしれない。何せ、ハイコンの本体へと向かうための廊下の左右に並んでいたのは……
「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」「ようこそ♪」……
何十何百……地上よりも多い、『博士』を模して作られたロボットの大群だったからである。しかも全員、あらん限りの笑顔をこちらに見せ付けてくる。あまりにもユニゾンしすぎている光景に、再び小さな悲鳴が出たのも仕方が無いかもしれない。そして、大群を潜り抜けた後、横を固める二人の『博士』型ロボットから離れ、『博士』は急いでハイコンの本体へと駆け寄った。無機質な巨大な灰色の箱がいくつも重なり、まるで摩天楼の模型のような構造をしている下に、大量のタッチパネルやコード、キーボードなどが存在している。これが、巨大なドームを包み込む主であるハイパーコンピュータ、通称「ハイコン」の全体像である。
辿り着くや否や、早速彼女はキーボードに向かって乱暴にプログラムを打ち込み始めた。この最後の鍵を入力しないと、ハイコンへのアクセス……と言うよりハイコンとの交渉は不可能なように設定しているのだ。機械が壊れそうな勢いだが何とか入力に成功し、巨大な構造物がうなり声を上げ始めた。人間で言う目覚めのあくびのようなものだ。それを打ち砕くかのごとく、『博士』は大きな声で怒鳴りつけた。
「一体何をしたの!?すぐに元に戻しなさい!」
研究者を内部に入れ、偽者の自分を全て処分しろ。要点を的確に伝える『博士』に、無機質ながらも滑らかな音声が返ってきた。ただし、その内容は……
「残念デスガ、ソレハ不可能デス」




