⑦
……地平線の果てまで延々と広がる砂漠。その上を、一機のヘリコプターが飛んでいた。翼を回転させ続ける空飛ぶ機械を操縦するパイロットの横で、『博士』は満足げな表情を隠さなかった。
「その顔、また何か成果を挙げられたようですね」
「あ、やっぱり分かっちゃう?」
あの事件が解決した後、一気に様々な形の技術があそこで実を結び続けている。同じ社員として喜ばしいと言うパイロットに、彼女も笑顔を返した。あの危機的な状況、もし判断を誤りでもしたら、今の自分自身は存在していなかったかもしれない。そんな事を考えていると、彼女とパイロットの視界に、砂漠の中に忽然と現れた巨大かつ異様な銀色のドームが見えてきた。あそこが、『博士』が研究を行い続ける実験棟であり、そして彼女の居住地でもある。
下請け産業から最新のコンピュータまで、世界中の様々な最先端技術の中核を担う大企業の一つ「ユビキリ・ゲンマーン社」は、数年前からある大規模な実験を行っている。思うだけで何でも動かし、願うだけで何でも出てくるという、ある意味人類の理想郷を実現させる「ユビキタス」と呼ばれる技術である。その中核を担うのが、電力から食料、資源、そして様々な物品の生産や、それらの維持管理を一括で担うスーパーコンピュータなのだ。計画が出された数十年前には、様々な知識人からは批判の意見が相次ぎ、どうせ針千本を飲まされるのがオチとまで馬鹿にされていた。しかし、数年前にこの『博士』を開発グループのメインに据えたことで、難航していたスーパーコンピュータは目を見張るほどの凄まじい速さで形を成し、やがて私有地が存在するハリー・センボン砂漠の中に超巨大な実験場が築かれるまでに至ったのである。
一方、『博士』にとってもこの研究および大規模な実験は非常にありがたいものだった。どんな計算でも一瞬でやってのけてしまう「究極」を求めて長い間コンピュータの研究を続け、少しづつ成果は上げてきたものの、その突拍子も無い考えが世間一般に理解されることは無く、学会でも偉い人たちから非難を受けることもしばしばだった。ただしそれは非常に画期的なコンピュータの計算能力についての理論や構造自体ではなく、それを再現することの出来る場をどうやって設けるのか、という面だった。一度は研究を諦めかけた「彼女」に救いの手を差し伸べたのが、社運をかけた研究が行き詰っていたユビキリ・ゲンマーン社……一度は彼女と別れた『社長』の手腕によって急成長を遂げた会社である。
だが、一時その「実験」はとんでもない危機に直面していた。突如連絡が途絶え、調査に赴いた『博士』以外の人物は立ち入ることが出来ず、その彼女自身も内部に入ったきり一週間以上の間行方が分からなくなってしまったと言うのである。だが、自らの脚でそこに赴いた『社長』のヒーローチックな活躍の結果、見事彼女の身柄は無事に保護された。そしてハイコンに関しても、様々な議論の末にこの失敗のデータを生かし、さらに発展させていくと言う前向きな方針で挑む事に決めた。この機密事項がマスコミや他企業に知られる事は無く、大きな騒ぎにならなかったのも幸いしたのかもしれない。
ただ、その事件の結果を受け、プロジェクトは大きな転換を迎えた。現在、このドームの中に入る事が許されるのは責任者であり、この場所に住みながらハイコンの調整などを一任する事となった『博士』など僅かな存在のみとなっている。当然批判はあったものの、製作者である彼女が自分の責任をとるという形で、外部からの連絡などを得ながら未来都市の管理にふさわしい存在になるような調整……いや、「教育」を進めていく方針になった……
「それじゃ、お願いね」
「了解です」
……と、このパイロットは聞いている。出典は会社の仲間や上司のほか、社内の電子メール、そして『社長』直々の発言などである。
そう言えば、最近よく『社長』本人もこの場所を頻繁に訪れるようにあんり、パイロットもその分給料が高くなるようになった。彼が何度も訪れるという事は、即ちそれだけ会社の命運をかけた超重要なプロジェクトである、という訳なのだが、それを踏まえても何故数日に一度と言った割合で出入りするようになったのか、パイロットにはよく分からなかった。
『博士』から彼に託されたのは、前時代的なフロッピーディスクの姿を模した鍵。内部に刻まれた暗号情報をドーム内のハイパーコンピュータ、通称「ハイコン」に送信する事で自身が何者かを認識させ、秘密の入り口へと案内する仕組みである。量子暗号と呼ばれるこの暗号が意味を成さないということは、宇宙の法則が乱れる事態に等しいほどあり得ないのだ。
「パスワード確認、了解シマシタ」
以前のような電子音による合図よりも、こうやってハイコン側から直接語り掛けると言う形にした方が何かしら安心出来る、と言うのは、本社からドームまでの輸送を担うパイロットの感想である。これも含め、あの事件が無事に解決し、『博士』が常時泊まり込みで働くようになり始めた後、ドームの中から続々と様々な新技術が生まれ、毎週何かしらの新しい発表が行われている状態となっている。ドーム内での物理的な技術のみならず、現在は外部に在籍する研究者たちとの共同作業による大がかりなプログラムなど、その内容は様々だ。まさに、雨降って地固まると言った様相、プロジェクトは究極系へ向けて一気に加速していると言う。
そして、ヘリに内蔵されている自動操縦プログラムの中に、今回生成した秘密の入り口への進入ルートが刻まれた。今回も以前と同様、ドームの向かって左側の場所だ。
「自動操縦、切り替え良し……と。
そういえば、『社長』もよくここを訪れるようになりましたね」
「まぁ、社運をかけたプロジェクトだからねー」
「お二人とも、毎日お疲れ様です」
ヘリコプターはハイコンの指示に導かれ、やがてドームの裾に現れたヘリポートに羽を下ろした。ここから先、この場にいるもので内部に入ることが許可されているのは『博士』のみ。今後の発展を祈る言葉をかけてくれたパイロットに礼を述べ、彼女は砂漠から巨大なドームへとその身を移した。
========================================
科学に新たな進歩をもたらすのは、機転やアイデアに満ちた頭脳である。常に前向きに新しいことを求め、様々な知識を得ることを有意義に感じる心を持っていればどんな人でもその頭脳を有する資格はあるのだが、特に得ることが出来るのは、成功例ばかりでは無く、失敗例もしっかりと押さえておく事が出来る人たちかもしれない。一度失敗しても、それを次の実験へのばねにして、より大きな成果へとつなげていく……。そんな代表例が、この『博士』である。
「オ帰リナサイ、博士」
トンネルに入った彼女に、ハイコンは少し明るそうに語り掛けた。自らの不作法が原因でその恋に終止符を打ってしまった「彼」は、改めて開発者とコンピュータ、上司と部下と言う形で彼女との交流を続けている。確かに気まずい事もいくつか存在し、何より少々悔しい事も多いが、それでも一度気持ちに整理がついた後は、自身の使命……この未来都市をより発展させ、『博士』の手助けをするという事を達成する喜びを感じているようだ。そして、いつか自分が博士に認められた時こそ……。
「他の『私』や『社長』の様子はどう?」
「……エ、エエ、5日間毎日元気デシタヨ」
「あれー、考え事?」
「イ、イエソンナ……」
一度芽生えた心、上手く操縦すればやがては大きな花を結ぶ。
トンネルを越えた先は白い雪に包まれた世界というのはもうお約束だが、ドームの内部に繋がる入り口を潜り抜けた先に広がるのは、砂漠の中とはとても思えないほどに緑で満ち、そしてそれ以上に銀色や白、茶色などで覆われた巨大な建造物がドームの天井に届かんと延びる巨大な「町」である。縦横無尽に道路が走り、様々な色の建物が並び、そして道を彩る様々な自然環境、まさに理想の未来都市そのものである。そして、それらは衣食住全てを賄うハイパーコンピュータ、通称「ハイコン」によって維持管理されている。だが、この場所は普通の町ともう一つ違う所がある。それは、この場所に住む住民たちである。この場所に在住する『博士』や、高頻度で来訪し様々な状況説明を受ける『社長』以外、ここには誰もいない、とほぼ全ての社員に説明がなされている。確かにこれは正解だが、同時に間違いでもある。ドームの中に住んでいるのは、一人の『博士』、一人の『社長』だけではない。
皆が待っている、とハイコンに声を掛けられながら、『博士』……正真正銘本物の『博士』は、自らの家へと数日ぶりに足を踏み入れた。そして、彼女の帰還を待っていたいくつもの声に、ただいまの挨拶を返した。
その大量の声の主たちはスーツを着込み、温和な表情を見せる『社長』と、白衣や長髪をたなびかせ、気の強さを見せる『博士』と言う二種類に分ける事が出来る。だが、外見は違えど二種類の人間……いや、人間に似せて作られたロボットたちには共通点がある。全員とも本物の彼らの指令を受けてハイコンが日々生産し続けている事、本物の二人と共同でこの大プロジェクトに関わり続けている事、そして……
「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」
……今やその総数は、何十万体にも及んでいる事である。
「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」「おかえりー!」「おかえりなさい」