其の参:勇刀と百合
若干遅れました。すいません。
※サブタイトル変えました。
昨日、優梨を含めさらに数人の女子が行方不明になった。登校してきた生徒も不安だらけなのだろう。いつもは騒がしい昼休みも重たい沈黙が教室内を覆っていた。通常運転をしているのは、相変わらず寝ている幽斗だけだ。
「秋人君、ちょっとついて来てもらっていいかな?」
「ん? ああ……」
そんな中、珠美は秋人を呼び出して教室から出た。珠美の姿になんとなく違和感を感じた秋人だったが、気のせいだと割りきってついていった。
「綾瀬も行方不明になって、本当は矢口も怖いんだろうな。よく、あそこまで平常心を保ってられるよ」
二人が教室を出ると、一人の男子が呟いた。彼の推測に近くに居た男子は頷き、一部の女子は鼻で笑った。
クラスメイトが立て続けに行方不明になって、二-Aの面々が気分が沈むのは当然のことだ。
だが、彼らのテンションを一気に引き上げる現象が起こった。
「はぁ……え?」
窓際の席の男子が溜息を漏らしてなんとなく前方に目を向けた瞬間、彼は固まった。
「おい……鬼塚が定位置にいねえぞ」
「「はっ!?」」
それは衝撃の一言だった。あの「不動の鬼塚」が定位置である、窓際から二列目の一番前の席にいない、だと? そんなことはありえない。机と一体化しているとすら言われている、あの「不動の鬼塚」が彼の席で寝ていないなど、そんなことがあるはずがないのだ。
八割ほどの否定の意思を持ってゆっくりと視線をその席に向ける。
だが、そこにあったのは、よだれだらけの机と引いたままの椅子だった。
「「って、本当にいねえええっ!!」」
それは、現在教室にいるクラスメイト全員の心がシンクロした瞬間だった。
二-Aの教室がある東棟から西棟へと移る。HR教室はなく実習室などで構成されているこの棟は実際のところ、使われていない教室が結構多い。
そのいくつかある空き教室のうち一つのドアを開け、珠美はその中に入っていった。秋人も不信感を抱きながらも後に続く。入った瞬間にドアが急に大きな音を立てて閉まり、秋人は一瞬体を震わせたが、気を取り直して珠美を見つめる。
「で、なんの用だよ? こんなとこに呼び出して……」
わざわざこの空き教室に呼び出したのだ。それなりに重大なことがあって呼んだはずだろう。
その思考を汲んでか、珠美はゆっくりと振り返って口を開く。
「秋人君、私は秋人君のことが好きなの」
「えあっ? あ、ああ……」
まさか再び告白されるとは思わなかったので、秋人はどぎまぎしてしまう。この甘酸っぱい感じは何度あっても慣れることがない。尤も、相手が珠美だったからだが。
しかし、その直後に秋人は驚愕する。
「……だから秋人君に近づこうとする邪魔な女達は捕まえていったわ。――秋人君が私だけを見てくれるように」
「んなっ……!」
愛の告白の次に言われたのは罪の告白だった。尤も、彼女に罪意識などなかったが。
珠美の告白とその遥か後方に少し見えたものを前に、秋人は絶句せざるを得なかった。
珠美の遥か後方に天井から吊り下げられたもの。――それは、女性の足や手がいくつか飛び出た白い繭のようなものだった。
それはあまりにも強烈過ぎて、秋人が再び口を開けられたのは一分ほど経ってからだった。
「なんでそんな……」
「秋人君を取られるのが嫌だったからよ!」
未だに理解出来ていない状況でなんとか紡ぐ秋人の言葉も、珠美の悲痛な叫びで遮られる。潤んだその瞳は、何故か秋人に心配する心よりも恐怖心を煽らせた。
「お願い……私だけを見て。私には秋人君しかないのよ!」
「…………」
縋り付くような珠美のその姿に秋人は確信を得た。沈黙しながら珠美をゆっくりと見据えて言い放つ。
「……誰だ、珠美にこんなことを言わせているのは!」
怒りを込めたその問いに答えるものなど誰もいないはずだ。この教室には秋人と珠美しかいないのだから。
「……ふふっ、私とあなたよ」
「……っ!?」
しかし、実際のところ答えるものはいた。そう、珠美の中に。
返ってきた答えに秋人は思わず後ずさる。その声は珠美の口から発されたものだが、珠美の意思で話された言葉ではないことを察知したからだ。しかし、秋人は珠美の背後に何物も居ないように見えた。なんとなく背筋に寒気を感じ、さらに一歩後ずさる。
「なんだ、今の状態で見えてるわけじゃないのね。しょうがないわね。……私の本当の姿を見せてあげるわ」
「何か」が珠美の口を使ってそう言った瞬間、珠美の背中から白い膜が現れて珠美の体を包み込んだ。繭のような形になった白い膜の中で、珠美の体はその中に棲んでいたものに覆われていく。
「何が……起きてんだ」
驚愕する秋人を尻目に、繭の中での変化は素早く行われる。
そして、変化が完了すると同時に繭が裂け、中にいた「何か」がその姿を現す。
「何だよ、これ……」
変わり果てた自分の彼女の姿に秋人は言葉を無くす。それを映す自分の目が信じられなかった。――いや、信じたくなかった。
「ふふっ、これが私の本当の姿よ。……この珠美っていう女のおかげでここまで進化出来たわ」
その声の主は巨大な蜘蛛の姿をしていた。赤い球体に八本の脚と白髪の女の顔がくっついたその姿は化け物以外の何者でもなかった。
これが、珠美に取り憑いていた「蜘蛛の鬼」の真の姿だった。
「珠美が……珠美が……」
震える声で何度も珠美の名を口にするが、そこにいるのは珠美の体を依り代に実体化した「蜘蛛の鬼」だ。
「ふふっ……可愛いわね」
「くっ、来るな! くそっ……」
「蜘蛛の鬼」の不気味な言葉に身の危険を感じ、壊れそうな心をなんとか奮い立たせてドアまで駆け寄り手をかける。
「このっ……何でだっ!?」
しかし、そのドアは固定されているかのように固く、到底開きそうにはなかった。
「残念でした。ここはあなた達のいた空間じゃないの。――私達、「鬼」がいつも潜んでいる空間なの」
「何を……っ!」
いまいち意味を理解できなかった秋人だったが、「蜘蛛の鬼」の奥に見えた窓から覗く風景から嫌がおうでも理解させられる。
窓の外の景色は赤一色だった。今は昼休みだし、そうでなくとも地獄をイメージさせるようなこの赤い景色はいつだろうと見れるはずがない。「蜘蛛の鬼」という化け物に現在進行形で遭遇している秋人にとって、空間が違うということは意外と理解しやすいことだった。
「くっ、来るな!」
「逃げられはしないわ。……あなたが消えたら、この女はどうなるんでしょうね」
床に尻をつけて叫ぶ秋人に、「蜘蛛の鬼」は悠然と近づく。球体の体にくっついた顔は恍惚の表情を浮かべ、この状況を目一杯楽しんでいるようにも見えた。
しかし、もう我慢できない。この男を血肉ごと食らい、その生命力を全て我が物にする。生者を自分の糧にする瞬間はいつでも堪らない。
「もう我慢できないわあっ!」
抑えられぬ食欲に従い、「蜘蛛の鬼」は牙を剥き出して秋人に飛び掛かった。
「くっ……」
秋人は今から自分の身に起こる惨劇から目を逸らすように、両目を閉じて肘を突き出した。
――こんな蜘蛛の化け物に食われて死ぬなんてなぁ。
秋人には非現実的な終わり方を迎える自分の人生に自嘲するしかない。
だが、「蜘蛛の鬼」の牙がその体に突き刺さることはなかった。
「ヴギャアアアアッ!」
「……なっ」
響き渡る絶叫は「蜘蛛の鬼」のもの。恐る恐る目を開けた秋人はその目を大きく見開く。 自分の目の前まで飛び掛かってきた「蜘蛛の鬼」が、額に白い刀が突き刺さった状態で停止していたのだ。
その刀の持ち主は秋人に力強い背中を見せて悠然と立っていた。そして、その頭には毛玉のごときもっさりヘアーが。
「……鬼塚、なのか?」
そう問い掛ける秋人だったが、実のところたくさんの疑問で頭がパンクしそうになっていた。対する幽斗は沈黙を貫きながら、左手で開かないドアに触れていた。
「おい、幽……とわあっ!」
何も答えない幽斗に痺れを切らした秋人はさらに何か言おうとするが突然右側頭部を蹴飛ばされる。そして、左方向に転がるように吹っ飛ばされて、閉まっていたはずのドアから外に放り出されてしまう。
ドアの外に放り出される最後の瞬間に見たのは、血のように赤い目を爛々と輝かせて抜き取った刀を右の腰辺りに構えて「蜘蛛の鬼」に斬りかかる幽斗の姿だった。
「くっ、痛て……えっ……」
頭を押さえて起き上がる秋人は、見慣れた校舎の廊下にいた。
「何なんだよ……」
訳の分からないことが立て続けに起こり、秋人はただ床にへたりこむしかなかった。
右足を引きながら、刃先が後ろに向くように両手で持った刀を回して、鍔を右腰の位置につける。日本剣道形における「脇構え」に似たその構えの特徴は、刃を自分の体で隠す形になること――つまり、相手に刃筋を読ませにくくすることだ。
幽斗はこの構えから一気に跳躍し、「蜘蛛の鬼」に接近した瞬間に素早く刀を振り抜いていた。元来の素早さに加えて前述の通りの構えの利点があったために、「蜘蛛の鬼」が反撃に出る前に一太刀浴びせていた。
「チィッ……鬱陶しいわよっ!」
前から二本目の右脚を切り落とされながらも、「蜘蛛の鬼」は口から糸を吐いて幽斗を捕らえようとする。――蜘蛛はお尻から糸を出すものだが、彼女はあくまで「蜘蛛の鬼」なのであまり関係ないのだろう。
「……ふっ」
「ガファッ……」
しかし、それが幽斗を捕らえることはなく、逆に「蜘蛛の鬼」が背中に一太刀浴びせられるのだった。
「ギャッ……ガッ……グハッ……」
白刃が煌めき、「蜘蛛の鬼」の体に幾つもの斬撃の跡が刻まれていく。この空間で行われているのは、一方的な蹂躙だった。
「はあっ、はあっ……グヌッ……」
全身に来る激痛に奥歯を噛み締めながら、ここまで自分を傷つけた乱入者を見る。脚を二、三本切り落とされたが、それでもこのままくたばる気はない。
――この動き、人間では有り得ないわ。確かに人間の匂いもするけど……。それ以上に感じるわ、私と同じ「鬼」の匂いを。……どっかの「祓い人」の式神? いや、でもなんか……
四方八方から来る斬撃を必死にしのぎながら、「蜘蛛の鬼」はその乱入者の違和感を感じていた。
「ん……ふっ」
壁から飛び降りて床に着地した幽斗はその瞬間にすぐさま跳躍の準備をする。相手はなかなかスタミナがあるようだ。これ以上はゆっくりしていられない。
刀を右腰に構えて、曲げた両膝を伸ばそうとしたそのときだった。
「……ぐっ!?」
幽斗の体がびくんと不自然に上下動し、直後に一瞬止まったのだ。その表情はわずかに歪み、口元が不自然に膨らんでいる。
「くっ……かはっ」
数秒の後、幽斗は少し前のめりになりながら吐血した。一撃も加えられていないにも関わらずだ。
「ん? ……まあ、いいわ。シャアアアッ」
突然吐血した幽斗に一瞬戸惑うが、この隙を逃しはしない。構えが崩れた幽斗の手元に向けて、素早く糸を吐き出す。
「く……っ!」
「捕まえたわよ」
なんとか体勢を立て直した幽斗は気づく。自分の両手首が刀ごと、糸で括りつけられていたことに。そして、その糸の先が「蜘蛛の鬼」の口の中に繋がっていることに。
「……まずい」
刀を扱う者は手元を押さえてしまえば自由な動きは出来ない。この状況が今まさにそうだった。
この瞬間、立場は逆転した。
「今までのお返し……よっ!」
「ぐはっ……」
「蜘蛛の鬼」は首を振り上げて、糸の先の幽斗を壁に叩きつける。それも、一度ではない。
「ほら、ほら、ほらあっ」
「……がっ、ぐっ、がはっ――」
今まで自分が浴びたダメージの分、何度も何度も幽斗を壁や天井に叩きつけていた。
「ほらあっ!」
「ぐほっ……くっ」
床に強く叩きつけられた幽斗は震える足でなんとか立ち上がる。顔から鮮血を流しながらも、その目は「蜘蛛の鬼」を見つめていた。
「まだ、やるの? じゃあ……っ!」
再び立ち上がる幽斗に止めを刺そうと糸を振り上げようとするが、背後に気配を感じて反射的に右に体を反らした。その数ミリ左を、炎を纏った矢が走る。
「……まさかっ! ……くっ、誰なの!?」
「蜘蛛の鬼」の予想通り、炎の矢は幽斗の手元の糸を焼き払った。糸を通じてその炎はこちらにも迫っていたので炎が来る手前で糸を切り、その炎の矢が放たれた方向に振り返る。
「――だらしないわね、幽斗」
「……うるさい」
そこにいたのは、左手に火雁弾弓を装備した綾瀬優梨だった。あの繭から脱出したのだろう。ブレザーの至るところに蜘蛛の糸がくっついていた。
「やっぱり、あなたが『祓い人』だったのね」
「蜘蛛の鬼」は振り向き優梨を見据える。昨日のことも踏まえて考えていたパターンだったが、確認して改めて納得した。これで、何かと辻褄が合う。
「最初、幽斗にぼこぼこにされてた割には随分余裕ね。……二対一ってこと、分かってるの?」
意外と冷静な相手の様子に優梨は訝る。幽斗が窮地に追い込まれたのは、彼が突然吐血して隙が出来たため。現時点の「蜘蛛の鬼」の実力は、幽斗と優梨の二人相手に敵わないはずだ。だが、当の「蜘蛛の鬼」は至って冷静に対応している。
そして、その理由はすぐに分かった。――最悪の形で。
「――なんで、優梨が出てるの?」
「……っ!?」
「蜘蛛の鬼」の口から漏れたのは「蜘蛛の鬼」自身の声ではない。聞き慣れたその声に優梨は思わず息を止める。
「珠美っ!?」
「あ、他の女もいない。……どうしよう、これじゃ秋人君が私のことなんか蔑ろにしちゃう……どうしよう、どうしよう――」
震える珠美の声は、優梨の呼び掛けに応えることはなくただただ怯えるように呟く。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――」
その声は次第に激しく悲愴なものに変わっていく。
「いやああああっ! っ……」
最大の声量で叫んだ後、「蜘蛛の鬼」は頭を垂れる。嵐の後の静けさのような沈黙が辺りを支配した。
「フフ……」
再び「蜘蛛の鬼」から聞こえる声。背筋を凍らせるようなその笑い声は当然、珠美のものではない。
「フフッ……やっぱり、この女は最高の食糧だわ。この女の不安な心が私にさらに力を与えてくれる」
「あんた……」
その声はやはり「蜘蛛の鬼」のものだった。睨みつける優梨にも、たっぷりの余裕を込めて不気味な笑みで返す。
そして、珠美の感情を利用した再生が、「蜘蛛の鬼」に行われた。
「フフッ……アハハハハ――」
幽斗に斬られた脚が再び生え、体に刻まれた傷が全て塞がっていく。体自体も一回り大きくなり、その漲る力に「蜘蛛の鬼」は思わず笑い声を上げる。
「アハハッ、お待たせ」
再生による充実感のあまり、下卑た笑みを浮かべるその表情は狂っているようにしか見えなかった。
「……ふっ」
その間にふらつく足取りながらも、なんとか構えを取り直した幽斗が、一息で背後から一気に間合いを詰める。ダメージのせいで再生を許してしまったが、再び斬ってしまえばいいだけ。序盤の実力差を踏まえれば問題は無いはずだ。
一瞬で「蜘蛛の鬼」の背後に迫り、一番後ろの右脚目掛けて振り下ろす。
「……っ!」
しかし、その脚を切り落とすことはできず、逆に弾き返されてしまう。脚が異常に硬くなっていたのだ。
「ん、何かしたの?」
「蜘蛛の鬼」は振り返らずに問い掛ける。小馬鹿にしたようなその声は、それほど余裕なのだと示していた。
「簡単にはいかないようね。……行きなさい、狼煙」
その様子を見ながら、優梨は右手で御札を取り出し、その中に宿りしものの名を呼ぶ。
「グルァウォォン」
現れし煙の狼は一度吠えて、「蜘蛛の鬼」に飛び掛かった。その体に食らいつかんと大きな口を開けて一気に迫る。
「フッ……」
「ガフッ……」
しかし、「蜘蛛の鬼」が前脚を一振りするだけで、煙の狼は縦二つに断ち切られてしまった。
「フフッ、この程度?」
「……まさか」
だが、これは優梨の予想通りの結果だ。狼煙の本領はこの後発揮されるのだ。
「「グオオオッ」」
「……なッ!?」
突然響く二つの唸り声に、「蜘蛛の鬼」は慌てて振り向く。眼前に迫るは二つに分裂した狼。
「痛ッ、邪魔ねっ」
両方の前脚に噛みつかれながらも、勢いをつけてその狼を振り払う。脚をもぎ取られはしなかったが、痛いものはやはり痛い。
「よし……もう一発いけぇ」
「「グルオオオッ」」
優梨の命令を聞いて、二体の狼が再び「蜘蛛の鬼」に襲い掛かる。
「この……シャハアアッ」
迫る二体の狼に「蜘蛛の鬼」は糸を布のようにまとめて吐き出す。広範囲に広げられたそれは包み込むように二体の狼を迎え撃つ。
「「グアガッ……」」
二体の狼はそのままその布に包まれて、繭のようになって床に転がった。
「フフッ、狙い通り」
先程の接触でこの狼に斬撃が効かないことが分かったので捕獲する形にしたのだが、どうやらうまくいったようだ。
「駄目か……仕方ないわね」
繭に捕われた式神を一瞥し、優梨は左手の弓を構え直す。そして、右手を近づけて矢を生成し弓につがえた。
「火群ノ羽撃」
狙いを定めて放つは、爆散して襲い掛かる無数の火の矢。「蜘蛛の鬼」目掛けて、まさに火群の如く迫りくる。
「チッ……シャハアアアッ」
「蜘蛛の鬼」はこの量の矢は躱せないと悟り先程のように、口の中で糸を編んで布のようにし、盾のように吐き出した。ほぼ全ての矢が直撃したその布は矢の炎に焼かれて十秒足らずで灰となった。
「ちっ……っ!?」
一度舌打ちして、布の奥にいるはずの「蜘蛛の鬼」に再び狙いを定めようとした優梨だったが、そう上手くはいかなかった。――「蜘蛛の鬼」がいなかったのだ。どうやら布を盾にしたあのときにどこかに退避したようだ。
「どこに……」
「ここよ!」
見失ってしまった優梨は焦るが、あちらから姿を現してくれた。
「なっ!?」
優梨の頭上に、だが。どうやら、布を盾にした瞬間に跳び上がり、天井に張り付いていたようだ。
「あなたの命も頂くわ、『祓い人』!」
ここまで接近すれば弓を構えても間に合いはしない。勝利を確信し、牙を剥き出して襲い掛かる。
「シャアアアッ」
「ちっ……だから、三下は嫌なのよ」
が、優梨が言い放ったのは敗北を前にした者の台詞ではなかった。
そして、「蜘蛛の鬼」がその台詞を嘲笑う前にことは起こった。
「シャ……ゴファガッ!」
「蜘蛛の鬼」が牙を突き立てる前に、突如現れた鉄塊がその額を撲り飛ばした。その強烈な一撃は「蜘蛛の鬼」の体を何度も回転させ、天井と壁に連続に叩きつけ、床に転がらせた。
「グヌッ……何がどうなった……の?」
よろめきながらもなんとか立ち上がった「蜘蛛の鬼」は、自らを吹き飛ばした鉄塊の持ち主であろう優梨を見て目を見開いた。
「やっぱりこっちの方がしっくり来るわね」
ブレザーは藍色の着物に変わり、ポニーテールに結わえていた黒髪は下ろされ、雪のような白色になっていた。「蜘蛛の鬼」を撲り飛ばしたと思われる身の丈ほどある金棒を振り回し、血のように赤い目で「蜘蛛の鬼」を見据える優梨の頭には禍禍しき二本の角が。
「あなた、鬼だったの?」
「そ。今は『祓い人』の式神やらされてるけど」
「『祓い人』?」
信じがたいことだが、そう印象づける容姿と嫌でも感じる同族特有の匂いが現実を突き付ける。
だが、まだ疑問が残る。優梨が鬼ならば、彼女を式神とする「祓い人」はどこなのだろうか。
「何言ってんの。本当は分かってるんでしょ」
「……ッ!」
優梨の言う通りだ。本当は分かっていた。だが、それを認めてしまえば、自分がとんでもない勘違いをしていたことも認めることになってしまうので、知らず知らずのうちに目を逸らしていたのだ。
「あんたが勝手に勘違いしてただけ。あたしの主はあいつよ」
「やっぱり……」
優梨がその方向を指差すと、「蜘蛛の鬼」は観念したように振り返り、その人物を視界に入れた。
そこにいたのは、前方に突き出した白い刀――白眉の先に乗せた赤い鳥――火雁と見つめ合う幽斗だった。火雁は優梨が真の姿を現したときに分離したのだろう。
「……憑依武装」
ぼそっと呟くその言葉とともに、火雁は白眉とともに炎に包まれる。赤き炎は少し不安定に揺らめき、そして次第に一つの形を成していく。
「……紅緋」
右手でそれを大きく振って纏いし炎を振り払い、幽斗は静かにその名を宣言する。
その手に握られていたのはその名の如く、刃先から柄頭まで全てが紅緋色に染まった刀だった。地獄を彷彿させる周囲の赤の中でも、一際異彩を放つその刀は紅蓮の炎を体言したかのようだった。
「……というわけで、俺が本当の『祓い人』だったって訳だ」
深紅の刀をだらりと垂らし、幽斗は改めて名乗る。その目には血のような赤さはなく、髪と同じ黒色になっていた。もう鬼独特の匂いは感じない。
「互いの力を取っ替えてたのね」
「ん~、半分くらいは正解ね。ま、いろいろあるのよ」
「鬼」としての力と「祓い人」の持つ式神を交換し合っていたのか知らないが、総合力ではまだ珠美の精神エネルギーを利用した自分の方が上だ。そう考えているはずなのに、体の震えが止まらない。
「だ、だから何だと言うの? まだ私に勝った訳じゃないわ」
「何、勝手に喋ってんの? ま、そのつもりだけど」
「……ッ!」
強がって言った言葉も、優梨の指摘で逆に自分に突き刺さるかのように感じてしまう。
――なんで、私はそんなことを言ったの? 私自身が負けを覚悟してるって言うの?
そんな思考を遮るように幽斗は宣言する。
「……悪いが、とっととカタをつけさせてもらう」
幽斗は刀を右手でだらりと垂らしながら、ゆっくりと擦り足で距離を詰めていく。ゆらりゆらりと不規則な動きをしているその身体には無駄な力は抜けていた。……まあ、虚ろな目で間抜けに口を開けている様子を見ると、別のものまで抜けているようにも見えた。
「くっ、ふざけないでっ……シャハアアッ」
見るからに馬鹿にしているようなその姿に苛立ちながらも、「蜘蛛の鬼」は以前と同じように手元に狙いを定めて糸を吐き出す。
勢いをつけて放たれた糸は幽斗を捕縛せんと迫る。一秒も立たずに距離を詰め、そして――幽斗に届くことなく静かに消え去った。
「なっ……」
目の前で起こった不可解な現象に「蜘蛛の鬼」は絶句する。
確かに幽斗に狙いを定めて糸を放った。幽斗はゆらりゆらりと動いてはいたが、右手の刀を振るったようには見えなかった……はずだ。だのに、狙いをつけて放った糸は空を捉え、静かに消えた。
「くそっ、くそっ……」
「蜘蛛の鬼」は、変わらずゆらりゆらりと距離を詰める幽斗に恐怖を駆られ、半ば自棄になりながら糸を何度も吐き出す。――「鬼」が恐怖を抱くとはなかなか滑稽な話だが、先程の不可解な現象もあったために「蜘蛛の鬼」は恐怖心と焦燥感に支配されていたのだ。
「……ふっ」
やはり、どれも幽斗に当たることなく消えうせる。闇雲に何度糸を放とうが、幽斗をそれが捉えることはない。幽斗はゆらりゆらりと揺れながら少しずつ前進する。
「このっ……ッ!」
そして、「蜘蛛の鬼」は気づく。幽斗がもう目と鼻の先にいたことに。
「ヒッ……」
こちらから仕掛けようにも既に遅い。幽斗はもう紅蓮の刀を諸手で上段に振りかぶっていたのだ。
「……弐ノ太刀――陽炎」
そして、幽斗は深紅の刀を振り下ろした。火雁を憑依させる前の白い刀――白眉では一度弾かれた「蜘蛛の鬼」も、火の力を持つこの深紅の刀――紅緋でなら両断することが出来たようだ。ブスブスと音を立てながら、頭頂から眉間、鼻を通って見事に縦に真っすぐ切れ目が入る。
「ギィヤァッ……」
絶叫とともに「蜘蛛の鬼」の二つに斬られた体は門のように動き始めた。
それを確認した幽斗は洞窟か何かに入るように、その奥へと進んでいく。
「……ふんっ」
「ギガギャッ……」
「蜘蛛の鬼」の体に赤い斬撃が奔る。背中から尻にかけて奔ったそれは、そのまま亀裂となってその境目からまた「蜘蛛の鬼」の体が開いていく。
「……回収完了」
真っすぐ縦に裂けた尻から現れたのは、力無く腕を垂らす珠美を左脇に抱えた幽斗だった。そのまま、これまでの様子を静かに見ていた優梨に近づく。珠美は優梨が人間の姿をしているときに特に親しい人物だった。
だから、さぞかし心配していると考えた幽斗は珠美を抱えたまま体の左半分を少し引いて、準備ね体勢を取った。
「……安心しろ。気を失ってる、だけだっ」
そして、そう言って満面の笑みを浮かべながら、左半身を一気に前方に押し出して珠美を放り投げた。
「って、何してんのあんたはぁっ!」
突然の主の暴挙に絶叫しながらも、優梨はなんとか珠美をスライディングキャッチすることが出来た。
何はともあれ、今度の標的である「蜘蛛の鬼」は真っ二つ。憑依されていた珠美は救出した。
これでもう闘いは終わったかのように見えたが、そうはいかなかった。
「「返しなさい……返しなさいよぉっ!」」
悲痛な叫びとともに優梨に飛び掛かったのは、真っ二つに斬られた「蜘蛛の鬼」の半身二つ。最高の食糧であり、力の源であった珠美を抜き取られ、「蜘蛛の鬼」は激昂していた。
力の源を絶たれれば、後に待つのは消滅のみ。
存在するということへの凄まじい執着だけで、二つに斬られた体を動かしていたのだ。
「返せええっ!」
「……邪魔っ」
「「ギギャハッ……」」
まあ、その二つとも優梨の金棒の一振りで纏めて反対の壁まで撲り飛ばされたのだが。
「しつこいわね。だから、三下は嫌なのよ。……もう、この『獄潰し』の錆にしてやるわ」
そうぼやいた優梨は一旦珠美を床に下ろして前方に跳躍。壁の辺りで上手く身動きの取れない「蜘蛛の鬼」の半身の一つを軽く蹴飛ばして、またさらに上に跳び上がり。
「塵も残さず全てを消してやるわ」
滞空している時間で「獄潰し」の名を持つ金棒を何度か振るった後に、その先端を「蜘蛛の鬼」の二つの半身に向けて狙いを定める。不敵な笑みを浮かべるその姿は、まさに鬼の残虐な一面を現していた。
「終わりよ……煉獄潰し」
繰り出されるは、機関銃のような突きの連撃。一撃一撃が大地を抉るほどの威力を持ち、際限無く繰り出されるので、「蜘蛛の鬼」は一切の悲鳴を上げる間もなく粉砕されていく。
数秒で原形が無くなり、十秒経った頃にはその全てが塵と化していた。
「珠美があんたの食糧って言うなら、あんたもあたしの食糧なのよね」
山のように積もった塵に手を翳し、優梨は塵となってしまったものに語りかける。その瞬間、塵は青白く光って翳した手に吸い込まれていく。吸収したものに呼応するように優梨の体が何度か光を放った後、静かにその光は収束していった。
後には「蜘蛛の鬼」の存在は完全に消え、二人の人間と一人の人外がいるだけになった。
「これで、やっと終わりのようね」
「……そうだな」
少しの静寂の後、二人はこの闘いの終わりを今度こそ確認する。もともと含有していた力自体はたいしたことはなかったが、捕らえていた珠美の精神エネルギーによる強化はなかなか厄介だった。幽斗の僅かな隙を突いたところも簡単には侮れない。
「やっぱりさ、あたしの力をあんたに半分背負わせんの止めにしない?」
幽斗が戦闘中に吐血したのは、優梨が背負わせた力に肉体が耐えられなかったからだ。やはり、無茶なことなのだろう。
「……だが、断る。お前が常に全部持ってたら、それはそれで面倒臭いだろ」
「はぁ……確かにそうね」
優梨が全ての力を持っていれば、幽斗が吐血することはないだろうが、優梨が「鬼」であることが同業者にばれてしまうだろう。
仕方ないとはいえ、面倒臭いことになったものだ。
「仕方ない……のね」
「……あの時からもう決めたからな。――これは、俺達の贖罪だと」
その言葉で二人が思い出すのは、数年前のあの時。――篠崎勇刀が鬼塚幽斗となり、百合の異名を持つ強大な力を持つ鬼が綾瀬優梨となったあの時のことだ。
「さてと……帰りますか」
「……だな」
そうして、「祓い人」とその式神たる「鬼」は今回の被害者を連れて、元の校舎へと帰っていった。もちろん、仮の姿に戻ってだが。
「しまった……」
教室に戻った優梨はその中の風景を見た瞬間、頭を押さえて項垂れた。
優梨の視界に入ったのは、いつもの何倍も騒がしいクラスメイトの様子だった。そして、聞こえてくるその会話の内容は頭を押さえたくなる内容ばかりだった。
「あの『不動の鬼塚』が姿を消しただって! なあ、どこ行ったんだ」
「加賀美君、蜘蛛の化け物ってマジでいたの? ……えっ、そこに鬼塚が!?」
「真美~、行方不明になってて、心配したんだよ~」
そう、それは全て幽斗と「蜘蛛の鬼」に関することばかりだったのだ。
「……じゃ、俺寝るから、後の記憶処理は任せた。俺、もう限界だから」
「ちょっ……幽斗っ!?」
優梨が制止を掛けようとしたその時には、幽斗は既に定位置で夢の世界へ旅立っていた。優梨の鬼の力を肩代わりすることは非常にやはり負担がかかるようだ。
「はあ、仕方ない……」
一つ溜息を着いて、優梨は薄く「獄潰し」を具現化させる。そして、気づかれないようにクラスメイトの頭を撲りつけていった。
全員が意識を失って、床に倒れたのを確認して優梨は呟く。
「我ながら荒い記憶の飛ばし方ね……」
二-A二大ミステリーの一つ、「集団記憶喪失」は実際のところ、優梨がクラスメイトの頭を撲って意識ごと記憶を飛ばしていたのだった。
――余計な面倒事を増やさないためには仕方ないわよね。
自分達はあまりにも特殊なので、関わられる前に手を打って置かなくてはいけないのだ。
――こいつも、頑張ってんのよ。あんたに対する贖罪のためにね……優梨。
隣で爆睡する主を見て、綾瀬優梨となった「鬼」は柔らかく微笑んだ。