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第六節

 屋敷の主、レーベンスの寝室。

 王族貴族の部屋にしては、さして広くもないその空間は血色の舞う戦場と化していた。

 守備隊長ゼルシンが討ちかかってきた忍の胴を切り落とす。

 部屋の中には死屍累々と守備兵と忍の体が重なるように横たわり、互いの体から漏れた血だまりに沈んでいた。

 部屋の主レーベンスは呑気に演劇を楽しむかのように自分の寝台に腰かけている。


「随分と賑やかなものだな。亜国生き残りの忍衆が勢ぞろいとは」


 愉快気に言う彼に、答えたのは忍を率いていた頭たる一人。


「侵略国の将が失われた故国の名と知っているとは驚きだ」

「自分が殺した相手の名ぐらい知っていて当然だろう。こちらはその名一つで憎しみの矛先にされるのだからな」

「あれだけの悲劇を生んでおいて生きながらえているだけでも驚きだが?」

「そういうお前についてもまた驚きだ。今代の忍の頭が、まさか女とは。お前、俺を憎んでいるか?」

「愚問だ。故国を滅ぼしたお前の首を思わぬ者などない」


 忍頭はゼルシンと対峙しつつ、意識した男言葉で返した。

 声は高く体は華奢で一目で女だと分かるが、そのぶん足さばきは鋭く、回る忍刀の速度が尋常ではなかった。

 家系やしがらみだけで頭に座っているのではないことは、その太刀筋を見れば察せられた。


「憎きトリスヴァレアの悪魔に凄惨なる復讐を。それは亜国の誰もが願うことだ」


 言葉違わず、忍頭たる女、クレナイはぎらついた憎悪の視線をレーベンスに向けた。

 その身は野獣のように、今にも首を狙って飛びかかりそうな激情に満ちていた。


「嬉しいね。そこまで思われるなら俺も本望だ。そういうウマが、あのお坊ちゃんと合った理由か?」


 軽い問いかけに、クレナイは虚をつかれ固まった。

 レーベンスの言葉が誰を指すか、クレナイにはわかり、しかし忍としてわからぬフリをする。

 残ったのは「何故?」という単純な疑問だ。


「そう構えなくてもいい。お前らに依頼してシェルシードへと繋ぎをつけたのは他ならぬ俺だ。依頼主のことなど、知っていて当然だろ」


 疑問するクレナイの雰囲気を感じ取ったのか、レーベンスが飄々と答えを口にした。

 クレナイの瞳が、より赤黒い感情を宿す。


「……全てはお前の掌の上ということか」

「別に遊ばせていたわけではない。どうなるかは丁半。準備のために、多少監視をつけていただけだ」


 クレナイ達忍衆の依頼主、トリスヴァレア国シェリンダ領主たる少年は年若く敗戦を得てトリスヴァレアの傀儡へと成り下がった故シェルシードの王子だ。リゼの弟であり、敗戦により名を失った者の一人でもある。同じく国を失ったクレナイに少年は黒き衝動に駆られた双眸で願った。


「トリスヴァレア第二王子レーベンスの暗殺、か。聞き飽きた話だが、今回は色々と意味が付けられてよかった。それも、ここで終わるがな」

「私たちの復讐を勝手に終わらせるな!」

「ならばどうする? お前一人で俺とそこのヒゲを殺せるのか?」


 狂乱の中、寝室には既にレーベンス、ゼルシン、クレナイ以外に息をする者はいなくなっていた。

 皆が絶命という永遠の眠りにつく中、復讐を誓った忍頭は歯噛みする。

 ガギリ、と奥歯が砕けた。

 砕けた歯の欠片を吐き落とし、クレナイは立ちはだかる騎士に訴える。


「……ゼルシン・フォーレン。故レヴィンの近衛兵長であったあなたが何故、憎き彼を守る」


 問いかけに、答える声は(いわお)のように(かたく)なで、瞳は鋼鉄のように冷たく彼女を見返す。


「私が誓った忠誠は未だ死んでいない。レヴィン王亡き後、私が誓ったのは騎士として王の無念を晴らすこと。この悪魔を斬ることで敗戦を消し、レヴィンの誇りを取り戻すこと……だった」


 妙な切られ方をした言葉に、クレナイの背筋を理由なく怖気がはしる。


「幾度と挑み、私は自覚した。騎士としての剣でこいつに勝つことはできない。なにより、気付けば私は初志であった王への忠誠も忘れ、悪魔を殺すことばかり考えていた。自分の劣化した忠誠の行きつく先は俗物に等しい憎悪に過ぎなかった。復讐に日々を注ぐこの絆を、私はもう切ることができない」


 そして、と復讐に落ちた騎士は続ける。


「思うのが殺意のみならば、この殺意の先を他者に譲るわけにはいかぬ。不本意であろうとも、王の血はこの剣で拭わねばならないのだ」


 譲る気は無い。復讐を遂げるのは自分であり、それ以外を許すわけにはいかない。


「それは、つまり――」


 つまり、この侵略国の悪魔は灼熱の憎悪さえも取り込むということだ。

 クレナイは知らず覚えた怖気に震えようとする両足を押さえつけた。

 レーベンスは寝台に座ったまま、不遜な物言いをする家臣の背をみて笑っている。

 その口が開き、今にも捉えようの無い深淵へと飲みこまれるような感覚がクレナイを襲った。


「どいつもこいつもそのようなものだ。復讐を誓い、故に俺から離れない。俺が応える間は俺を殺し続ける。故に守り、害する者を排除する。それが俺の望んだ形であり、失わせてきた侵略国の、新たなる結束の形だ」


 クレナイは御しきれない巨大な感情を目にした。

 人の憎悪は狂おしく、絶大で感情としては法外の熱量を持っている。

 その全てを受け止めて、家臣との絆としたならば、誰もその国を攻め落とすことはできない。

 歪んでいようと、狂っていようと、誰もが主を守り、誰もが主を殺すならば、誰ひとり主という個人を害することはできない。その感情に匹敵する熱と力を持ってしか、主のもとへ辿りつくことはできない。

 そして辿りついたとしても、この男は誰にも復讐を遂げさせない。


「結束。これが憎悪と復讐により結ばれた侵略の証だ」


 クレナイはもう一歩もそこから動くことができなかった。

 憎悪を向けても飲み込まれる。

 大蛇の口蓋を前にした鼠のように、王子の黒眼に魅入られていた。


「そういうことだ。わかったか、リーゼンティア」


 レーベンスの瞳が不意に外され、部屋の戸口へと向いた。

 振り返ると依頼主の姉君、リーゼンティアが肩で息をした状態で扉に寄りかかっていた。視線は部屋の中の惨状と、その中で笑うレーベンスに向けられている。


「姫……」


 知らず呟いたクレナイは現状と今後を天秤にかけ、己を叱咤し、この場での最良を選択した。




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 リゼはおさまらない動悸に胸を押さえた。

 レーベンスの覚悟。皆の生きざま。

 整理しようとすればこの手を逃れる。

 溢れる自らの感情を抑えつけながら、必死に言葉をひねりだそうとする。

 だがしかし、彼女が何かを言う前に忍が動いた。

 ゼルシンの前から瞬時に身をひるがえすと、戸口に立つリゼに当て身を食らわせ、意識を狩る。

 声を上げる暇さえ与えず、忍は姫を抱えて逃げ去った。




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 風のように去っていったその背を特に慌てた様子もなく見送ったレーベンスに、ゼルシンは不審気な視線を向ける。


「いいのですか? 何事もなく行かせても」

「大方、シェルードの坊ちゃんが次善の成果として命令していたのだろう。どの道、去るなら去るで構わない。復讐を誓う日々を生きられないのであれば、俺の近くにはいられないだろうからな」


 さも面倒くさそうにレーベンスはゆっくりと腰を上げる。


「それに目的である亜国残党も処理できた。一組織とはいえ、忍は敵に回すと面倒だからな」

「……レーベンス様の姫への優しさは少々わかりにく過ぎます」


 絞り出すように苦言を告げると、今度はレーベンスが胡乱気に返す。


「お前こそ、その不遜な礼義作法をどうにかしろ。ころころと変えて。背中がかゆくなる」

「性分ですので」


 迷い無く切って捨てた騎士に、レーベンスは肩をすくめた。




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 月が雲に隠れ、闇が視界を席巻する。

 日が落ちた今となっては不気味極まりない庭をクレナイは走る。

 肩に抱えた姫は力なくうなだれるばかりで荷物としてはひどく抱えにくい。

 女の身にはつらい重荷だが、こんなことで音を上げていては忍頭など務まらない。

 音沙汰のない仲間は皆離脱したのだろうかと、クレナイは疾走の隅で考える。自分以外の忍が全滅した事実を彼女はまだ知らなかった。

 任務の継続が難しいなら、皆見切りをつけて逃げのびているだろう。

 先ほどまで自身も復讐の激情に駆られていた身だというのに、レーベンスの決意にあてられた今となっては今回の依頼にかける仲間たちの覚悟さえも考慮の内になかった。年若くして頭を任されるほどに彼女は非凡ではあったが、同時に若輩でもあった。

 クレナイは記憶していた屋敷の馬屋を目指す。

 逃走の足は別に用意してあったのだが、先ほど上げた撤退の合図に応答がなかった。

 後詰めの隊にトラブルがあったか。

 さしもの彼女であっても、残る家人が総出で屋敷の外を警戒していたことなど知るよしもなかった。

 馬屋に辿り着くと同時、木造の両扉を蹴りとばす。

 外れた金具が音を立てるのを無視して中に進むと、世話係と見える少年が無表情にこちらを眺めていた。


「どけ!」


 姫を抱えるのとは別の手で頬を張りとばす。

 抵抗なく少年の小さな体躯は馬の餌である干し草の山に突っ込む。

 使える馬を物色し、都合良く馬具の外されていない一馬を引いて馬屋を出た。


「……ん?」


 肩に担いでいた彼女を降ろすと同時に、姫が目を覚ました。

 焦点の合わぬ瞳で数度瞬きをし、こちらの顔を正しく認識して目を見開く。


「ご無礼をお許しください。我が主からの依頼を受け、御身の救出を一とさせていただきました」


 クレナイは姫に膝をついて頭を垂れた。

 先の会話を聞いていたのであれば、クレナイの依頼主が誰であるか姫にはわかっているだろう。

 今は時間がない。拘束具も無しに意識のない人間を馬一頭で運んで逃げるのは困難が過ぎるため、ここは姫の協力が必要不可欠だった。


「主より、姫へ言伝を預かっております」


 あまり時間をかけてはいられない。伝える事は最小限に、主の意向を伝えるための手紙を取り出す。

 姫は躊躇いながらも受け取り、封をきる。

 内容については察しがついた。あの少年は今やトレスヴァレアへの復讐鬼と化している。昔の姿がいかようであれ、そこには侵略国への限りない憎悪と、戦を辞さない破滅の意志、そして姉への真摯な愛情がつづられているはずだった。

 読み進める姫の顔は少しずつ驚きに彩られていった。そして最後には納得したように詰めていた息を吐き、力を抜く。


「そう、あの子も……」


 姫は再度手紙をざっと見て、大事そうに折りたたんだ。


「あの方は今、侵略国への反撃の象徴となっておられます。姫殿下としましては、傍らであの方を支えて頂きたいのです」


 頃合いと見て、クレナイは追加の説得をかけた。

 主に命じられた一はレーベンスの抹殺。そして不可能であれば奪われた姉君の奪還が、彼女の任務だった。

 姫は一度大きく息を吸う。

 告げる瞳は何処までもまっすぐで、あの人の姉であること再認識させられる。

 姫は一度目を閉じ、見開く。


「ごめんなさい。わたしは行けないわ」


 クレナイは一瞬何を言われたのかわからなかった。

 祖国への帰還を、弟の伸ばした救済を、反撃への狼煙を、彼女は来ないと言ったのか。

 クレナイは衝動のままに立ち上がり、姫に詰め寄る。


「なぜです!? あの方は今やトリスヴァレアに抗する旗印。シェルシードの者はもとより、亜国、レヴィンの猛者たちが彼の元で復讐を誓っています! 私たちは彼に、レーベンスに勝てるのです!」

「たとえ勝てたとしても、人の復讐はそれで終わらないでしょう。各国の猛者を連れているのは彼も同じ。しかも同じ復讐の意志で連れているのであれば、戦の結果などわかるはずもない」


 それに、と姫は目を伏せる。


「手紙を読んでわかった。あの子はもう、復讐の激情に取りつかれてしまっているのね。戦で失われる命より、結果を求めて奔走している。あの頃の、優しい弟は失われてしまった。わたしも、かつては命を捨てて彼を殺そうとした身だから人のことは言えないのだけれど。……でも皮肉ね。ここまで似てしまうと他人のフリを見て我が身を、ええ、正したくなってしまうわ」


 姫は何事か決意した様子で屋敷を振り返った。

 あの悪魔相手に、何を思うことがあったのだろうか。

 クレナイには姫の心中がわからず、しかし主の描く未来のために問いを重ねる。


「あなたは主の掲げる未来を捨てるのですか」

「それは復讐という未来ね。いいえ、わたしは復讐を捨てないわ。でも自分の復讐を終わらせないであの子に頼るのは、やはり姉として恰好がつかないと思うのよ」


 姫はクレナイから離れるように一歩踏み出す。


「わたしはわたしの始めた復讐を遂げるわ。だから伝えて。復讐に次ぐ復讐の、その先を見たいのならば彼を殺して。その時はわたしもこの国にいるでしょうけれど、それはわたしの選んだ復讐だから、と」


 クレナイは食い下がろうと彼女を見た。だが姫の視線は既にこちらを向いてはいなかった。

 屋敷にいるだろう彼を見据えるようにして立つ姫に、クレナイはこれ以上かける言葉を持たなかった。

「そうそう。一つお願いがあるのだけどいいかしら」


 軽い調子で姫が言った。


「剣を一本貸してくれない? できるだけ軽いのがいいわね。重いとうまく振れなさそうだから」


 クレナイは僅かに躊躇い、無言で腰の愛刀を渡した。

 長くを共にした、女性の腕であっても骨を断ち損ねることのない一品だ。


「ありがとう」


 姫は笑顔で受け取ると、手紙を左に、忍刀を右手に握りしめた。

 その立ち姿を見て、クレナイは彼女が自分の復讐を始めたことを悟った。


「……ご武運を」


 続ける言葉もなく。クレナイは手綱を引いて馬にまたがると、一礼して屋敷から走り去って行った。

読了ありがとうございます。

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