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第五節

 その場は静寂に満ちていた。

 大人四人が肩を並べて通れるほどの広さを持つ屋敷一階の廊下で、内部制圧部隊たる彼らは足を止めていた。


「屋敷に入るのに挨拶もなしとは、無粋な客人にはお帰りを願います」


 いや、彼らは望んで足を止めていたのではない。異常な事態に止まらざる得なくなっていた。

 彼らの正面、廊下の真ん中に立ちはだかるようにして立つ侍女が一礼する。

 侍女の足元には屍のように動かなくなった黒装束が六つ転がっていた。

 全ては彼らの仲間で、制圧のために飛びかかったところ、崩れるようにして倒れたのだ。


「……貴様、何をした」

「少々不作法が過ぎましたので眠って頂きました。無論完璧に。そして永遠に」


 侍女は何も気負うことなく言い放った。

 思い起こす限り、仲間たちは侍女に触れられたと同時に倒れた。

 制圧部隊の長であり、仲間内で最も知識に富む彼は侍女の手元を見て、目を細める。


「……毒針か。それも、防刃効果のある我らの装束をも貫く強度の」

「針はレヴィン製、ヴェルシン製法によるガユム銀。致死量で言わせて頂ければ、小指の爪先と言ったところでしょうか。かの海生生物はまったく粋なものを抱えています」

「毒に精通する我らの解毒剤でさえ通じないのは、貴様の加工によるものか」

「サントメイヤ家伝来の製法に手を加えたオリジナルです。……毒の由来を教えた意味を、お解りいただけますね?」


 解る。この侍女はこう言っているのだ。「私の毒を超えられますか?」と。


「この屋敷に仕える侍女は、みな暗殺術でも嗜んでいるのか?」

「いえ。このような技を用いるのは侍女長たる私だけで。他にはそう、できて上階から壺を落とすぐらいです」


 つまり、この侍女が特別危険だという事だ。

 断固排除する。

 覚悟を胸に彼は侍女のセリフから思い当たった疑問を投げる。


「サントメイヤと言えば、軍事方面に多大な影響力を持ったトリスヴァレア貴族院の名家。だがシェルシードとの戦いの最中に謀反を起こして粛清され、家は断絶されたはず……」

「よくご存じですね。ええ、サントメイヤ家は確かに無くなりました。今の私は貴族でもない一人の侍女にございます」


 素で驚いた様子を見せたのも刹那、侍女はただの使用人にしては高貴に鮮麗された動作でゆったりと頭を下げ、スカートの裾を持ち上げる。


「トリスヴァレア第二王子レーベンス様にお仕えする侍女長メイラ。過去には、粛清され、おとり潰しになった貴族家でメイリス・フォン・サントメイヤを名乗っておりました」

「……貴族の御令嬢か」


 彼は答えつつ、倒れた仲間が侍女の言うように一向に起きあがる様子のない事を、視線を動かさずに確認する。


「それが何故、こんな所にいる」




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 問いかけられ、メイラは内心で頷きを作った。

 こちらが名乗ったのに名乗り返さないとは、なんとも礼儀のないお客人です、と。


「サントメイヤ家粛清の理由は王家への反意とそれによる謀反の疑い。ですがそれは体面に過ぎません。真なる理由は大量殺人手段として毒物の研究をしていたサントメイヤ家を利用した、他国への見せしめです」


 サントメイヤ家は代々トリスヴァレアの裏の軍事を任されてきた家系だ。

 放逐された身とはいえ、その暗部を語るとは随分と柄にもないことをしている。

 メイラは自分語りがあまり好きではない。だが今言葉を重ねる事には意味がある。彼らをレーベンスの元に行かせないことが今のメイラの役目だ。時間は味方であり稼ぐ意味はある。

 彼らにしてみれば倒れた仲間の様子をうかがっているのだろうが、サントメイヤの毒はそんなに甘いものではない。脈は既に無いだろう。

 それを成果として、メイラは小さな満足を得る。


「大量殺人手段としての毒。アゾルには同じく暗殺を生業とする忍があり、騎士国レヴィンとの戦では兵力で劣っていたトリスヴァレアにとって、毒はいい武器となりました。ですが戦場での毒物の使用は非人道的手段として他国の反感を買う。レヴィンとの戦いで大規模にそれを用いたトリスヴァレアは他国からの追及を逸らすために毒物兵器使用の主役となったサントメイヤ家を身代わりにしたのです」


 それは歴史に葬られた侵略国の真実。


「粛清は凄惨を極めました。一族は皆殺し、縁者は晒し者にされて財をむしり取られ放逐の目に。非道の責任を全てサントメイヤに押しつけて。あまりの残虐さに現場を見た各国の王族子息は追及のための言葉を失ったと言います」


 自分の背負った悲劇をメイラはなんでもないことのように淡々と話す。


「そうして家を失った私はしかし生き残りました。レーベンス様が私を拾い、私はこうしてここにいます」

「何故だ。貴様は主を恨んでいないのか」

「ええ、憎み、恨んでいますよ。でもだからこそ、続けさせてくれる彼に感謝しています。殺伐としたこの場所を、愛情なく執念だけで生きられるこの屋敷を私は愛しています」


 理解できないといった顔をする彼らに言い聞かせる。

 ここ以上に素晴らしい場所はないのだと。


「サントメイヤ家は私が生まれる前から軍の暗部を支えてきました。ですから私が生まれた時点で次の必要技術は決まっており、私はそのために育てられました」


 貴族の娘として必要なのは礼儀作法だけではない。

 サントメイヤ家の者として必要なのは王家の求める力そのものだ。


「物心ついた時、私は蔵に放り込まれました。中にはありとあらゆる種類の毒蛇がいて、それがお前のご飯だと言われました。毒を知る者は毒を制さなくてはならず、私の体には少量ずつ億万種の毒が仕込まれました。サラダは毒草でした。オヤツは錠剤でした。それがわたしにとっての普通だったのです」


 別に何も不幸自慢をしたいわけではない。それがサントメイヤ息女にとっての普通だったというだけの事だ。


「ですが、私は楽しかったのです。次の味を知るのが嬉しかった。更に強く、更に解けない無双の害毒。その真理を追究するのが楽しかった。何より、私は人が私の毒で死んでいくのが愉快でたまりませんでした。どんな武人であれ聖者であれ、一匙で等しく喘ぎ、苦しみ、死に絶えて逝く。人体の無力感が私の幸福でした。私の毒は誰にも解けず、誰も抗えない。それが私の、サントメイヤとしての誇りであり力でした。並ぶもののない不解毒。そんな私が家を失って得た思いは、この生活が終わってしまうことへの落胆だけでした」


 ですが、と侍女は一息につなげる。


「レーベンス様はそんな私を拾い上げてくださいました。最後の抗いとしてサントメイヤが王家の晩餐に盛った毒を彼は食らい、生死の淵をさまよい、しかし生き残りました。それまで破られることのなかったサントメイヤの毒は彼の前に屈したのです」


 だからここにいるのだとメイラは告げる。


「彼は私の毒に抗います。私を解き、私の復讐に応えてくださいます。私には失った家族を思う気持ちなどありません。私の復讐は、私の毒に抗ったことへの復讐です。解けない毒をひも解き、私を近くに置き続ける事への復讐です」


 メイラはもはや歌うように奏でていた。

 表情は恍惚として、常人には理解できない陶酔を語る。


「絶対に解けないと自負した私の力を、彼は打ち砕いてみせました。私の激情に常に応えてくれる、こんな人が他にいるでしょうか?彼の解毒剤は彼お手製のもので、食事時には常に懐に備えてくださいます。私の復讐を受け止め、応え、私に何も問う事なく正面から私の毒を食らって生き抜く。私の復讐にここまで応えてくれるのは彼だけです」


 目の前の忍の生き残りが怯えた様子を見せる。

 常の彼女を知る者であれば、今のその顔を見ただけで度肝を抜かれ、目を疑った事だろう。 

 メイラは神と対面した聖女のような、絶望を見届けた悪魔のような、希望を見つけ出した人のような、壮絶な笑みを浮かべていた。


「私は彼を愛しています。私は彼を害しています。だからこそ私は彼を守り、だからこそ私は彼を殺します」


 故に、


「私以外に彼を殺す者は私の敵です。屋敷の者であれば彼を信頼して我慢もしましょう。ですが不作法な客人が相手となれば話は別です。外野は外野らしく散ってくださいますよう、お願い申しあげます」


 礼儀としての貴族令嬢の一礼。長い話の、この場の終わりとして、メイラは深々と頭を下げた。




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「――ッ」

 侍女が頭を下げる。

 その瞬間、彼らは放たれた矢のように飛び出していた。

 侍女の言う事に対して抱く思いがあるとすれば、それは一言で片づけられる。

 異常だ。こいつは異常だ。

 自らの毒を生きがいとし、それに抗った事への復讐を続ける。その復讐に応えることを至高とするなど、他者に自分の預けるかのような行為だ。

 胸を焦がす激情に全てを賭ける。

 復讐者にはありがちな思考回路だが、彼女のそれはもはや常軌を逸していた。

 忍達は広い廊下を低い前傾姿勢で駆け抜ける。

 前と後ろにそれぞれ二人。並んで、腰の忍刀を抜く。

 すれ違いざまに走らせた銀線を、侍女はくぐるようにして抜ける。

 前がすれ違うと同時、後ろを走っていた二人が体勢の崩れた侍女に追い打ちをかける。

 追加ではしった銀線を侍女は受けず、足元に転がっていた死体を蹴りあげる事で壁とした。

 躊躇いなく、後ろ二人の忍は仲間の死体を切り捨てる。

 侍女を追い抜いた前の二人が振り返る刹那、侍女は蹴り上げた姿勢からそのまま体を回し軸足を残したまま、左前の忍に回し蹴りを叩きこんだ。

 当然のように忍は腕でガードする。

 衝撃を受けて、少し後ろに流れた身はしかし、そのまま抗う事なく力を失ったように倒れていく。


「ちぃ!」


 隣で振り返った右前の一人は侍女の靴先に光る針に舌打ちした。

 先出し式の仕込みか。これでは侍女の全身に毒があってもおかしくない。


「戦技として、先当ての体術を習いましたので。ちなみに針の総数は全身で百二十六本になります」


 残る三人は咄嗟の判断として侍女から距離をとった。

 足にパンプス、手にミトン、頭にカチューシャ。この分ではエプロンにもどれほどの仕込みがあるかわかったものではない。

 投じた苦無は足さばき一つで避けられ、返しに鋭く振るわれた腕から放たれた毒針が三本宙を裂いて飛んだ。

 刀や苦無で拳を受けることも考えられたが、こちらが腕一つ切り落とす間に相手は心臓を止めにくる。

 忍道具にも毒はあるが、この相手に効くか試す気にはなれなかった。

 既に七人が命を落としていることを考え、彼らは一つの決断をする。

 一拍の静寂。メイラの視界が黒で埋まった。

 地面に落とされた白球が破裂。途端に生まれた煙幕がたちどころに廊下を埋めつくす。

 視界を奪われ、立ち竦む侍女めがけて忍達は一斉に間合いを詰める。

 暗闇での戦闘は彼らの十八番だ。そのまま首筋をかき切りに行く。

 上段を狙って振り上げた忍刀はしかし、力無く廊下の上に落ちた。


「……な?」


 煙の中で、彼らは自分の掌を見た。

 痙攣して、指先に力が入らない。

 腕は上がらず、いつの間にか足が震えている。


「煙で視界を塞ぐとは、あなた達はいったい誰を相手にしているおつもりですか?」


 侍女は動かず、言葉を投げる。


「名を失おうとも、サントメイヤの毒は失われず。布一枚で防げると思ったのが間違いです」


 言われ、彼らは気付いた。

 粉じんの中に見慣れない粉がまぎれている。

 侍女の袖口から流れる煙が煙幕にまぎれて廊下に充満していた。

 侍女が腕の一振りで廊下の窓を開ける。

 煙が外へと吸い出されていく一間に、彼らは意識を失った。

読了ありがとうございます。

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