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第四節

 宵闇の庭園。

 闇に包まれたその場所で、彼らは常にない驚愕と混乱を得ていた。

 計画通りの侵攻。

 囮として正面の前庭から敷地内へと侵入した彼ら八人は庭の半分を進んだところで人数をも同じく半分に減らされていた。


「なんだ……これは」


 闇にまぎれる黒装束。顔を隠すようにまいた布の下で先鋒である彼は呟いた。

 隠密を常とする彼らにとって自ら声を出すということ自体、本来であれば信条に背く行為だ。それでもなおその口を突き動かしたのは、不可解極まりないこの状況に対する苦悶に他ならなかった。


「ここは、いったいなんなんだ」


 続けて言った彼の足元には首を剪定バサミで刈られた同胞が転がっている。

 一人は隠し穴落ちて底にあった剣山に貫かれ、一人は斧によって脳天を割られ、一人は仕掛け火薬によって全身を吹き飛ばされた。

 今は無き故国にて忍と呼ばれた彼らはこれらの仕掛けには精通しているはずだった。

 侵入者除けの罠など路傍の小石。

 障害をかいくぐり、標的をすみやかに葬るのが彼らの仕事だった。

 ここまで見事に、完膚なきまでに敵の罠に嵌まるなど、考えたことのない事態だった。


「なんなんだよ、これは!?」


 声に反応してか、闇の中に風切り音が混じる。

 咄嗟に地面へと伏せた、経験からそうした彼の横で、仲間の苦鳴があがった。

 見れば、隣で同じく伏せていた仲間の顔に太い針のようなもの――建築用の大きな杭が刺さっていた。

 上を見ると、振り子のようにして縄に吊るした杭を引きずる鳥、そう見える機械仕掛けのカラクリが刺さった杭をより押し込もうとするかのようにして宙でもがいていた。

 鳥は数秒もせず繋がった縄に引かれて地面へと落ちる。


「くッ!!」


 彼は仲間を助けに向かおうとし、身を反転させて再び伏せた。

 同時、悲鳴を上げながら必死に杭を抜こうとしていた仲間の顔面が爆裂。

 杭に仕掛けられた爆雷弾が反対側から助けに向かっていたもう一人もろとも吹き飛ばす。

 寸前の判断で難を逃れた彼は這い上がってくる戦慄を押し殺す。

 音にしゃがめば下に爆雷。

 敵はこちらのことを知り尽くしていた。

 味方であるはずの暗闇が、今はただただ恐ろしかった。

 唯一生き残った彼の副官が手信号である一方を指す。

 目をむけると、茂みの中に小さな人影が見えた。

 彼は腰からこぶし大の玉を取り出した。副官が目を丸くする。

 彼は自分の判断を疑うことなく玉を前へと投げ上げた。

 上がった玉が宙で眩いばかりの光を放つ。漆黒の空に小さな白い太陽が生まれた。

 忍である彼らが自ら周囲を明るくすることはほぼない。

 常であればあり得ない照明弾の使用に、副官が目を押さえた。

 暴かれた闇の真ん中では、腰の曲がった老人が穏やかな笑みで空を見上げていた。


「おやおや。随分と思い切ったことをするものですなぁ」


 老人は後ろ手から伸びる無数の仕掛け糸を揺らして笑った。

 全ての糸が庭のいたる所に張り巡らされている。


「これはあなたのものか?」


 彼は壊れた鳥のカラクリを拾い上げて老人に訊いた。

 本来であれば即座に肉薄して首筋をかき切るべきだったが、老人の泰然とした佇まいがそれを押しとどめていた。


「ええ、いかにも。無粋な輩をこらしめるために、わしがこしらえた物ですな」


 老人は余裕さえともなって悠々と答えた。

 姿を暴かれたことに対する動揺など欠片も見られない。


「この細工、造りは亜国のモノと見受けるが」

「亜国……トリスヴァレアにて、訛って『アゾル』と称される国ですな。いや、懐かしや。今は無き一番目。始まりの被害国ですわ」

「その名がわかるということは、あなたも亜国の出なのだろう?」

「いかにも。カワシマ・アキノブと申します」

「……カワシマ、だと?」


 彼と副官は揃ってその名を口にし、顔色をなくした。

 トリスヴァレアとの戦時中。亜国にて、「個にて軍を待つ」と言われた天才カラクリ師。

 それはかつて、武将としてではなく、暗器、特に仕掛け罠の創作者として知られていた名前だった。


「懐かしいのぅ。わしの名を知る者が忍の中にまだいたか」


 戦死したとされていた天才技師を前に、彼は足の震えを抑えることができない。


「……なぜ、あなたほどの人がこんなところに?」


 彼としては至極当然なその問いに、老人はくつくつと笑い、健気に燃える一時の白色太陽を見上げ、呟く。


「復讐の意味を、おわかりかな?」

「…………?」

「仇討とは一時の快楽。憎しみに身を任せるのは楽の道に逃げることによぅ似ている。何も考えず、ただ一つだけを追い求めれば、人はそれなりに強く、それなりに楽に生きることができる」


 彼はわからないながらも老人の言葉に頷いた。

 亜国が滅ぼされたのは十年ほど前のことだ。

 当時前線に立った兵士たちは忍である彼らも含めて多くが今は隊を指揮する年齢にある。

 トリスヴァレアへの報復。

 それは今を生きる亜国の将校であれば誰もが思い焦がれることだった。


「復讐の道は暗く、楽しい。ただ『彼を殺そう』と、それだけを考えて手を尽くせばいい。……本当はそれだけでよかったのにのぅ。年をくうと、いらんものまで見えてくる」


 老人は視線を落として自嘲するように笑みをすぼめる。


「終わったらどうしようかと、先のない身で思ってしまう。この道楽が終わったらどうしようかと。わしはいい。だが若い者はどうなる? 復讐を一心に追い求めて、それが終わった時、人はそこで死人となってしまうのではないか?」


 老人の問いに対し、彼は感じたものに手を加えずに返す。


「……復讐者など、既に死人のようなものではないか」




‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡




 若き忍の言葉に、庭師アキノブは「なるほどなぁ」と内心で頷く。

「確かにのぅ。だが考えてみぃ。夢の終わった者など廃人ぞ。復讐は安易で、何も考えなくていい。だが終わったら、穴はそのままだ。そこで終わり。心の中心に据えていたものを失って、後はゆったりと枯れ行くのみ。戦火を過ぎて、そんな風に腐っていったやつらを、わしは何人も見てきた」


「だがの」と、アキノブは続ける。


「だが終わらん。ここの主人は終わらさんのだ。全力を尽くし、死力を賭して挑んだ仕掛けを、あやつは超えやがる。常に死なず、復讐者としての現役を許してくれる。これほど嬉しいことが他にあろうかね」


 アキノブは「なぁ」と続け、「なぁ」と問う。


「なぁ。わかるか? 殺せば終わってしまう、負ければ終わってしまう。憎しみに捕らわれて次の見えない復讐者に、あやつは終わりを与えん。心の中心に穴を空けさせん。空いた暗闇をいつまでも燃やさせてくれる。いつまでも。終わらない復讐は悪夢だろうか。それとも救いだろうか。なぁ、若造。お前さんなら廃人になるのと、火の車の上で走り続けるのと、どちらを至高とするのだろうな?」


 問いに対する答えはない。返す言葉を彼らは持ち合わせてはいないようだった。

 考えたことはあるだろう。祖国を滅ぼした憎き相手に同じ死を与えること。だが恨んでも憎んでも終わらない道など、想像したこともないに違いない。

 かつては自分もそうだったと、アキノブは己を振り返る。

 考え得る全ての仕掛けを施し、万全の構えでのぞんだ防衛戦。亜国長重(ながえ)城の戦いにおいて、トリスヴァレアの第二王子、レーベンスはそのことごとくを砕いていった。

 鬼神かと、最初はそう思った。

 自分の仕掛けをものともせず、ただ攻めを続ける彼の姿勢を恐怖した。

 作った玩具の試験場でしかなかった戦場を、初めて恐ろしいと感じた。

 負けて、逃げのびてからはこの技を封じようと決めた。通じなかった技だ。この先の時代、必要になることもない。

 諦めたのだ。

 祖国を追われたことに憎しみはあった。だが通じなかった自分に何ができる。そう決めつけ、激情を抑えて憎しみを捨てた。

 逃げていただけだと、アキノブは過去の己を叱咤する。

 復讐に生きて死んだようになった者は山ほど見た。

 終わった者は悲惨だ。

 返り討ちにあうか、憎しみの果てに死ぬか。

 復讐を成し遂げても、その次の目的を見つけられる者は少ない。

 ほとんどが、身をゆだねていた激情を失い、廃人のように流れて消える。

 自分はそうなりたくなかっただけだ。

 終えて空白になることが怖かった。

 自分の仕掛けが通じないことより、仕掛けが意味を終えてしまうことが恐ろしかった。

 この先の時代にお前の仕掛けは必要ないと、そう言われてしまう事が恐ろしかった。

 そういった意味では、自分は復讐者にはなれなかったのかもしれない。

 終わった後を恐れ、激情を否定した。

 だがそんな隠居を彼は許さなかった。

 三国目のシェルシードへと戦いを挑んでいた彼は片田舎でひっそりと暮らしていたアキノブを見つけ出し、言った。

『これがお前の生きざまか? 娯楽を捨て、通じないと引き籠っていたのでは空白と同じだ。憎いなら、俺を殺せ』

 それを聞いた時、思った。

 ああ、通じなくても、届かなくても、この男もただの人間に過ぎなかったのだ。

 罪悪感に潰れる人間。人間なら殺せる。娯楽を続けられる。

 それ以上などなかった。最上の最善がそこにあった。


「わしはな、このアキノブはな、終わりたくないのよ。現役で有り続けるからこその復讐者。終わらない歯車の上で永遠と走り続けてみせようぞ」


 アキノブは舞う桜の花びらに手を伸ばして苦笑する。

 あの隠居こそ、終えたつもりになって死んだ時間だったと今になって思う。


「ついでに、花も好きだしの。老後と現役が同時にやって来る場所など、そうはあるまい」


 手の平に乗せられた花びらが、風にのってひゅうと消える。

 ここにいるからこそ、自分の娯楽を死なせずにすむ。終わらずに最上の現役を続けられる。後の空白を見ないですむ。

 ふと、随分長く話しこんでいた事に気付く。年をとると話が長くなっていけない。

 アキノブは息を一つ入れ、空気を切り替える。

 この復讐は終わらせない。

 それだけを胸に、一人たりとも逃さぬよう、残る仕掛けに老人は殺意を入れた。

読了ありがとうございます。

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