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第一節

サークルでの同人誌として発行した内容です。

 桃色の花弁が舞う始まりの季節。

 故国を離れ、彼女は遠い異国の地を踏んでいた。

 長旅で痛む尻を解放し、馬車から降りて見上げた屋敷はいささか風情に欠くものだった。

 赤錆の見えるこぢんまりとした表門。

 開ければギィと音の鳴るような手入れの行き届いていない赤錆びの浮いた鉄柵は開け放たれ、常時の開閉がない事をうかがわせる。

 白い漆喰の壁には緑のツタが這いまわり、所々には汚れともラクガキとも見える黒ずみが目立つ。

 王家に連なる者の離宮とは思えない屋敷の外観になんとも苦々しい思いになりつつ、彼女、リゼは出迎えに立つ青年に目を移した。


「ようこそ、我が居城へ」


 平凡な、どこか埋もれてしまいそうな感のある青年は仰々しく貴族の礼をとると、さして間も開けずに頭を戻した。

 胸に手を当て、腰を引き、姿勢を曲げ、戻す。しなやかな、しかし軽い礼。

 こちらにとる礼儀などないと言外に語る態度だ。

 だがそれも当然。


「丁重なお出迎えに感謝いたしますわ。トリスヴァレア第二王子、レーベンス・セス・オーナ・トリスヴァレア様」


 リゼはことさら丁寧に教本をなぞるような動きで長いドレスの裾を持ち上げた。

 淑女に見える笑みを浮かべたまま維持する。

 この場においては彼が勝者で、リゼが敗者だ。

 祖国は負け、敵国が勝った。

 頭を下げ服従することこそが正しい役目。いかに相手が慇懃無礼だろうと、いかに心が軋みをあげようと、自分から頭を上げることなどできるはずがない。


「ご丁寧な挨拶痛み入る。だがここではそんな礼はいらん。王宮と離別した俺の個人的な住まい故な」


 皮肉気な口調。小さな笑みの気配を感じてなおリゼは顔をあげなかった。

 そんなリゼに何を思ったのか、青年、レーベンスは戸惑ったように付け足す。


「ああ、先のを皮肉と思ったのか? それはすまない。単にここでは堅苦しくなくていいと、そういうつもりだったのだが……」


 どうやら含みなく本当に困惑している様子だったので、リゼはゆっくりと姿勢を戻した。

 トリスヴァレア王家、三子息の最後の生き残り。

 第二王子レーベンスは肖像画で知られる通りくすんだ銀髪に黒の瞳をしていた。ただ彼を描いた画家は、誰の指図か、彼の容姿を実物より少々過分に美化して描いていたようだった。


「この離宮は王都中心にある王宮から外れ、郊外の端にある。しがらみも何も、ここでは無用と思ってくれていい」


 トリスヴァレア王家は血をあまり重視しない。

 侵略の証として外から女を側室としてとるなど日常茶飯事で、王家の中でも違った身体的特徴の出る者は少なくない。

 そんな中でレーベンスは内外ともに生粋の異端として知られていた。


「ともあれ、来訪を歓迎しよう。シェルシード国、第一王女リーゼンティア・フォア・ヴィウト・シェルシード殿」


 今はない国の名で呼ばれ、リゼは口の端が上がるのをおさえられなかった。

 何を、侵略者が。

 内心で思い、自分がはっきりとした皮肉の笑みを浮かべている事に気付いたリゼはハッとして口元を押さえる。

 レーベンスはそれに気付いてか知らずか、微笑を浮べて手を差し出した。


「屋敷を案内しよう」


 彼が無防備に背中を向けた瞬間、破裂しかけた感情がリゼの右手を懐へと導いていた。

 指先が固い柄に触れる。

 握り込みかけた指を必死におさえ、リゼはレーベンスに連れられて門をくぐり前庭を行く。

 庭園は思いのほか彩り華やかで、門扉とは異なりきちんと整えられていた。


「庭師の腕が良くてね。仕事は各家人に任せてあるのだが、存外きちんとやってくれている」


 我が事のように誇るレーベンスは傍目には鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌だった。


「アケスイレンが今は見ごろか? シダザクラの散りざまはいつの年も見事なものだ」


 両脇の垣根越しに見える池と傍らにある桃色の木を指す。

 聞いたことのない名だ。リゼはそれに愛想笑いで返した。

 背丈ほどもある茂みの横を通った時、前を歩くレーベンスの頭が不意に消えた。

 一瞬の空白。

 強い勢いでハサミの噛み合わさる硬質な音。金属の刃に映った碧眼がリゼを見返す。

 はらはらと、くすんだ銀髪が風に踊った。


「あれぇ? し損ないましたか。申し訳ありません、ぼっちゃん」


 横合いから現れた頭の禿げた老人がとぼけた声を出した。

 老人の横合いから伸びた木材造りの仕掛け。板の斜めに交差したマジックハンドのような形状のカラクリの先には、今しがた突き出された形の剪定バサミが備え付けられていた。

 レーベンスは咄嗟にしゃがんだと見える姿勢から立ち上がり、髪を払って老人を見返す。


「狙いが狂い過ぎだ。人の首は枝ほど細くないんだぞ」

「えぇ、気をつけますよ」


 口調も軽く、何事もなかったかのように老人はハサミを引っ込める。

 リゼは背筋が凍る思いだった。

 老人の笑みの中には殺気しかない。

 好老爺とした雰囲気は中に執念という毒を含んで空気を侵す。

 陽光に照り返す手入れの行き届いた鉄バサミよりも、老人の老獪とした微笑の方がリゼには数倍恐ろしかった。


「樹木だけでなく今の時期はラッパスイセンがまた綺麗ですぞ」

「好きにしろと言ったら、また好きなだけ金をかけて……。値相応のものでなければ嘘だぞ」

「ええ。このアキノブ、己にだけは忠実でありますぞ」

「それは良く知っている」


 言い合いながら二人は当然のように歩を進める。

 置いて行かれそうになり、リゼは我に返って早足であとを追った。

 二人の会話は続き、そのまま屋敷の前に辿り着く。

 正面玄関と見える扉の前で老人は一礼すると微笑を浮べたまま庭へ戻って行った。


「ああ、言い忘れていたな」


 リゼの事も忘れて老人との会話を楽しんでいたように見えたレーベンスは思い出したように振り返る。


「忌み嫌われし略奪の国。侵略国、トリスヴァレア第二王子の離宮へようこそ」


 口にする皮肉を嘲笑に乗せて、


「ようこそ、我が妻よ。歓迎するぞ」


 そのセリフこそ愉快という彼の笑みにリゼは心中の熱を押し殺し、ことさら丁寧な礼で返したのだった。




‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡




「屋敷にいる間は好きにするといい」

 レーベンスの言に従い、リゼは案内された自室へと向かった。

 屋敷の中は綺麗に片づけられていて、チリ一つないという賛辞を送らねばならないほどだった。それをまた彼は「家人が優秀でね」と言い、彼自身は何もしていないことを誇っていた。

 案内の途中、適当な説明をされる屋敷の調度品は品こそ一級だが年代も流派も系列もバラバラで、絵画だろうが花瓶だろうが、与えられたものを適当に置いてみましたと言わんばかり。

 レーベンスがその類に興味がない事は、二百万エリンはするだろうマニア垂涎の品である故ヴェルシムの銀鎧を前にして、

「こんな骨董品ばかり多い」

 と、手の甲でガンと叩いたことで明らかだった。

 見る人が見れば卒倒するような、そんなやり取りを経て夕食までは一先ず旅の疲れを癒せと自由な時間が与えられた。

 リゼは真っ先に運ばれてきた旅荷の中から丁寧に畳まれたいくつものドレスを広げて見繕った。

 重荷を気にせず自国から遠慮なく持たされた衣服の数々は付けられた宝石や布地、刺繍の緻密さから国庫の十分の一にも匹敵する代物だったが、ことここに至って出し惜しみをする理由もなく、リゼは奥から二番目に入れられた深い蒼色のドレスを取り出した。

 手に取って掲げる。

 母の秘蔵であったお気に入りのドレス。本来の持ち主はもうこの世にはいない。

 最後の装束にはいいだろう。

 身にまとい、元着ていた衣服の懐に在ったモノを忍ばせ、リゼは食堂に向かった。

 国家間の会食の場であっても恥ずかしくない会心の艶姿で現れたリゼを見て、レーベンスは開口一番、

「なんだ、戦争でもするつもりか?」

 などと言い、興味を失ったように目を逸らした。

 王女リーゼンティアといえば、シェルシードの誇る一花。『湖畔の秘め薔薇』と呼ばれ、大小問わず十を超える国の王族嫡子から求められたと噂される姫だ。

 ある貴族など彼女の実物画を一枚描くために土地一つ手放したと言われている。

 リゼにしてみればそれらの噂は全て事実だった。

 額に浮かぼうとする青筋を消しつつ、リゼは丁寧に礼をして席につく。

 運ばれてきたのは派手さのない、堅実質素な料理だった。

 食材も街の市場で買ってきたと見えるものばかりで贅沢としては食前のワインが精々と見えたが、パンもスープも味は悪くなく、王宮の金ばかりかけた料理に慣れたリゼにとってはむしろ好ましいものだった。


「そこのメイドがウチの侍女長兼料理長でね。掃除洗濯と料理に関しては十分な腕前だ」


 後ろに控えていた侍女が頭を下げる。

 リゼと同じ金髪碧眼。

 シェルシードかトリスヴァレアの血を引いている、背の高い女性だ。


「侍女長のメイラと申します」


 無表情に言う彼女の目鼻立ちはくっきりとしていて、メイドというよりはどこぞのご令嬢とでも言うべき空気を持っていた。


「本日のお料理には歓迎の意味を込めて〝特に〟手をかけさせていただきましたので、ご随意にお楽しみください」


 特に、の部分が強調され、レーベンスは一瞬眉を寄せたが、またスプーンを口に運ぶ。

 そして、吐いた。

 スープを一口。口に含んだ瞬間に吐き出し、目をむき、あえぎながら懐から薬ビンを幾本も取り出す。

 貼られたラベルに一瞬で目を通し、選んだビンの口から直接錠剤を放り込む。

 飲み下し、噛み砕き、呆気にとられるリゼの前でレーベンスは切り替えるように一息ついた。


「愚者の害毒か。また初心に戻ったな」


 答えるのは控えたまま微動だにしない侍女。


「はい。姫様の加わったここが、また一つの分岐点ですので」

「だが俺には今更こんな備えは効かないぞ? 生憎と腹は丈夫だからな」

「承知の上です」

「特製は俺のだけだろうな」

「ご安心ください。わたくしの特別はレーベンス様だけです」


 すました態度で答えるメイラにレーベンスは苦笑する。

 僅かな怖気に、まただ、とリゼはメイラの憎しみに染まった瞳を眺める。

 似ている。そう何気なく思ったことにリゼは自分で驚く。

 ああ、きっとわたしもあんな目をしているんだ。

 思い、怯えた自分が可笑しくて、リゼは小さく口元を歪める。

 メイラはレーベンスを無視して、勧めるようにリゼに視線を向けた。


「些事ですので、どうぞお食事をお続け下さい」


 言われてそれ以上食指が動くはずもなく、リゼは頭を振って席を立つ。

 同時に立ち上がったレーベンスは腹を押さえて一言。


「トイレだ」


 そんな最悪の晩餐を経て、このままではいけないとリゼは確信した。




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 その夜、浴室で体の穢れを落としたリゼはとっておきの芳香をただよわせ、レーベンスの寝室へと向かった。

 あんなさまで初夜を終えたとあっては王家の名折れ。

 扉を叩くと誰何される間もなく「入れ」と返事がきて、リゼはドアノブを回す。

 天蓋などない、簡素なベッドに横たわりレーベンスは本を読んでいた。

 燭台の明かりが彼を照らす。

 薄汚れた銀板のような髪。平凡な容姿。

 身に付けた寝具も安物で、どこかの書生と言っても通じそうな風情だ。

 月明かりを雲が隠した間を狙い、リゼは寝台に歩み寄る。


「どうした?」

「……婚約者の責務を、果たしに」


 声は震えてなどいない。


「初日からか。長旅の疲れを癒せと言ったはずだが」

「疲れなど、これほどの歓待を受けて残るはずありません」

「そうか」


 本を閉じて彼が向き直る。

 リゼは覆いかぶさるようにして彼に唇を寄せた。

 考えるな。リゼは自らに言い聞かせる。

 考えるな。脳裏に描くのは燃え落ちた故郷。

 父は嘆いた。母は崩れた。残された弟の悲しみはどれほどだ? 

 なんのために来た。この手を振りおろせば戦いは終わる。

 自然と回される男の手。

 雲は月を隠している。

 震えは怒りだと言い聞かせ、リゼは顔をずらして燭台の灯を吹き消し、鼓動の伝わる位置に手を置いた。

 何気なく、右手を体の正面から逃がす。

 指を滑らせ、握り、振り上げ、


「――っ!」


 レーベンスの手が、リゼの細い手首をとった。

 懐剣を振り上げた右手首を掴み、一瞬腰を浮かせた彼に押されてリゼの体が宙を舞う。


「きゃ!」


 気付けばリゼは床に大の字になり、ベッドに座る彼を見上げていた。

 背中から落とされ、握っていた懐剣は彼の手元にある。

 呆然とするのも一瞬。

 体を起こしたリゼは立ち上がることなく、寝巻の膝を握りしめた。


「負け、た……」


 焦っていたのだと、リゼは自覚する。

 このままではいけないと。誰かに先を越されてしまうかもしれないと。

 復讐を急いたことは否定できない。

 闇雲であったことは無視できない。

 だが負けた。懐剣はなく、力では勝てない。

 ここまでだったか。

 元々無理だったのだ。

 蝶よ、花よと。温室で育った箱入り娘が敗戦から急に祖国を追い出され、復讐の剣を握ってここまできた。

 父の形見である装飾過多な懐剣は値こそ張るが凶器としてはナマクラもいいところだ。

 そんなもので歴戦の将たる彼を殺せるはずがない。

 故国を失ったリゼに、残されたのは復讐だけだった。

 安直な憎しみにすがった代償はここで払われる。

 どこか晴ればれとして死さえも覚悟したリゼに落とされた言葉はしかし、完全に予想外なものだった。


「もう終わりか?」


 つい顔を上げる。

 レーベンスの横顔が月明かりに照らされていた。

 月の銀色が彼の髪を白く染めあげる。


「一国を背負ったお前の憎悪は、もう終わりなのか?」


 試すような嘲笑。反射のように答えてしまう。


「そんなわけ、ないでしょ!」


 故国シェルシード。

 鏡面湖畔の国と呼ばれた水の都に朱色の水が流れたのは彼のせいだ。

 侵略国。他国を食い物に自国を富ませる。

 常勝無敗と言われるその国風の象徴として知られるのが、第二王子レーベンスだ。

 駆け抜けた戦場は無敗。その度に恨みを積み上げ、憎しみを甘受する。

 悪魔と呼ばれ、非道を罵られてなお喰らい続ける。

 その悪夢を殺すのがリゼの使命だ。

 復讐。果たすべき役目であり報復。人生の終着。

 安直な終わり。


「父を殺し、母をなぶりものにしたあなたに、屈するわけがない!!」


 諦め、忘れようとしていた黒々とした炎が再び燃え上がり、リゼの臓腑を焼く。

 自分を睨みあげたリゼにレーベンスは満足気に頷く。


「その憎悪は結構。期待通りだ。だがあえて一つ言おう」


 この時彼が浮べた嘲りを、リゼは生涯忘れない。


「お前じゃ、俺は殺せない」


 月明かりに映えるその双眸を、リゼは脳裏に焼き付けた。

読了ありがとうございます。

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