第56話 赤面のワケ
柔らかな綺麗な髪をシュシュで一つにまとめ肩から流す。そして湯呑を両手で取って口元へと運ぶ。
外見もそうだけど、動作の一つ一つもとても女性らしく上品で、つい見入ってしまう。
そんなわたしのテーブルを挟んだ正面からまじまじと見つめる視線に気が付いたお姉さんは目を合わせてにっこりとほほ笑んだ。
「どうしたの? じっと見て」
「ご、ごめんなさい……! えっと、どことなく似てるなぁって思って……」
「似てるって、蒼生に?」
「はい」
「そうかな? あまり言われたことないんだけどなぁ」
「そんなこと……」
「聞いてるかもしれないけど、昔は真逆だったの。子供の頃は蒼生は身体も小さくて色白でまつ毛だってわたしより長くて……逆にわたしは身体も大きくて日に焼けて、男の子みたいだったの」
「想像つかないです……だって今はとても綺麗で」
「ふふ、ありがとう。うん。無事に女の子になれました」
目の前に座るお姉さんはどこからどう見ても女性。自分なんかよりずっと女性らしいもの。
「心さんは昔はどうだったの?」
「わたしですか? わたしは……今とあんまり変わってないと思います」
「ということは、清楚で、ふんわりおっとりしていて」
「そんな、全然……」
「蒼生が好きそう」
「えっ」
「わたしとかすごくせっかちだから。短気だし……感情が高ぶるとわーって誰かに八つ当たりしちゃったり……」
「そうなんですか……」
見た目からも、今日接したお姉さんからはあまり想像できない言葉に小さな衝撃を受ける。
「酔っぱらうと特に、ね。そのせいか蒼生は最近全然一緒に飲んでくれなくて……家族旅行にもまず一緒に来ないわ。って、男の子は家族で旅行は普通行かないかな」
お姉さんはお茶を一口口に運び一呼吸置いてから再び口を開いた。
「みずほにも結構ガミガミ口うるさくしちゃうことが多くて。だからあの子が蒼生に懐くのも仕方ないのかなって……ほら、蒼生はあまり感情的になることってないし……」
「口うるさくしちゃうのは、みずほちゃんのことを思ってのことだと思います。必死だったり、一生懸命だからこそ。……みずほちゃんには、ちゃんと伝わっていると思います」
お姉さんの言葉が自身を責めるような言い方に聞こえて、堪らず少し熱の入った物言いになってしまった。お姉さんはゆっくりと表情を和らげ「ありがとう、心さん」と言った。
「みずほの父親のこと、聞いてる?」
言葉が出なくて、動揺した挙句頷くことが精いっぱいのわたしに、お姉さんは優しく微笑んで「いいのよ」と言った。
「心さんには、知っておいてもらいたい」
「……え? どういう意味ですか……?」
お姉さんはわたしの質問にはにっこりとほほ笑むだけで何も答えず、話をみずほちゃんとのことに戻した。
「元夫と別れたあとのわたしはとにかく必死で、仕事に没頭してみずほのことは母にまかせっきりで……たまにみずほが甘えてきても突き放すようなこと、平気でしてたわ。どこか意地になってたの。家族に頼るしかない自分が情けなくて……でも頼らなきゃその時はやっていけなくて……。一日も早く、またみずほと二人で家を出なきゃって必死になってた」
そう語るお姉さんの表情に曇りは見えなかった。私の方が曇った表情になっていたと思う。
「みずほにやさしくできない時期があったの。何をしても気に入らなくて一緒にいれば怒ってばっかで……そんな時、親がふたりいればどちらかがかばってあげるポジションにつくでしょ? でもうちには、みずほには父親がいないから……そんな時、みずほが逃げ道に飛び込むのが両親や、特に蒼生だった。みずほはわたしのこと、何回も嫌いになりかけたと思う。わたしより蒼生に懐いたっておかしくなかった。でも、どれだけイライラしたわたしがみずほにあたって怒っても、必ず、みずほの方から謝って泣きついてきたの。抱きついてきた」
寂しげな表情を見せたのは一瞬で、お姉さんはすぐに穏やかな笑みを見せた。
「たぶん、ずっと蒼生がみずほがわたしのこと嫌いにならないようにしてくれてた。どんなにみずほが泣いてもわたしのことを悪く言うようなことはしなかったし、みずほの前で、わたしに説教してみずほをかばうようなこともしなかった。今思えばすごく救われてたなって。わたしのあの時のやり場のないどうしようもない苦しい気持ちも、理解してくれてたのだと思う。自分の子供にも優しくできなくて自己嫌悪。そこにさらに説教までされたらたまらないもの。自分が悪いのは分かってるんだから」
お姉さんがなぜ今わたしにこの話をし出したのかは分からなかったけど、前にお姉さんのことは聞いていたから他人ごとには思えなくて感情移入して聞き入っていた。
「大人になってまで、家族に迷惑かけて支えられてるんだって思ったら情けなくて……でも心がふわっと軽くなった。しっかりしなきゃって。いつまでも引きずってただめだって。最低な男のせいでほかの誰も信じられなくて頼れなくなるなんて馬鹿みたいだって。わたしには甘えられる家族がいるんだもの。すぐには無理だけど今度は、いつかみずほと二人で暮らしていける自信がある。そう思えるようになったのは、家族と……蒼生のおかげだと思う」
話がここで止まると、お姉さんはわたしと目を合わせてにっこりとほほ笑んだ。
「女心があまり分かってなくて、言葉が足りなかったり気が利かなかったり鈍感なところがあって勘違いされることがあると思うけど……でも、心根は本当に優しくて、なかなか、伝わらないかもしれないんだけど……」
「あの……優しさは、十分に伝わってます。出会った時から……」
「あら、そう? ……意外だわ」
「え?」
お姉さんはぷっと吹き出すと「ううん、ならいいや」と言って、そろっとわたしを見上げるようにして視線を向けた。
「姉のわたしは……今話した通り。ほんとに……なんというか。不幸な上に、母親としてもほんと情けなくて……でも、敬遠しないで受け入れてもらえたら嬉しいな……って……」
「情けなくなんてないです!」
「えっ」
「料理上手だし、初対面のわたしもとてもにこやかに迎えてくれて、さっきみずほちゃん叱ってる時もどこか微笑ましくて、可愛くて、わたしもあんな素敵なお母さんになれたらいいなぁって思ったくらいで……!」
思わず感情が高ぶってしまった。でも、わたしの正直な気持ちだった。
「不幸とか、言わないでください……! お姉さんと一緒にいるみずほちゃんとても幸せそうだったし、お姉さんだって。これから、まだまだたくさんの幸せ……っ」
「こ、心さん!?」
「ご、ごめんなさい……!」
感情が高ぶり過ぎて、涙が出てしまった。慌てたお姉さんはいったん席を離れるとバッグからハンカチを取り出してわたしに渡してくれた。
「……すみません」
「……ううん。わたしのこと、そこまで思ってくれてありがとう。嬉しかった。……優しいのね」
「わ、わたしのほうこそ……こんなんですけど嫌いにならないでください……うぅっ」
「……あははっ!」
笑顔で笑い声を上げるお姉さんを見て、わたしの気持ちも落ち着いてくる。
「心さん可愛いわぁ! この短時間で、もっと好きになった」
嬉しくて、恥ずかしくて、涙も流していて。色々な感情が入り混じった変な顔をしているんだろうな。でも明るい笑顔のお姉さんを前に、わたしの表情も少しずつ、自然な笑顔になっていっていると思う。
「さっき、話していたけど……いつかお家出ちゃうんですか? このまま一緒に住んでも……蒼生君も、自分の部屋はいずれみずほちゃんに譲るって言ってましたよ」
「だーめ。蒼生にはお嫁さんもらってもらってこのウチに来てもらうの」
「……?」
「すぐにとは言わないよ? 新婚のうちは二人きりがいいと思うし、まだまだ先の将来の話をしてるだけで……」
「あ、あの……」
「なぁに? あ、もしかしてうちの両親が不安?」
「そ、そうじゃなくて……誰と、誰の話をしているんですか……?」
お姉さんは目をパチパチとさせ「誰って」と言いながらじっとわたしを見据えた。
わ、わたし!? わたしたち、まだそこまで……!
ちょうどその時、部屋の扉が開く音がして振り返ると蒼生君が入ってきた。わたしは顔を隠すようにさっと背を向けて、代わりにお姉さんが立ち上がった。
「ごめんね。みずほ寝た?」
「うん。どうしよう、俺の部屋で寝てるんだけど。部屋移動させる?」
「まだ寝ないからいいでしょ? あとでわたしが寝る時に連れて行くよ」
「うん……って、心ちゃんどうしたの?」
わたしはびくりと肩を震わせる。蒼生君はわたしの隣に立つと顔を覗き込んできた。
「泣いたの? 顔も真っ赤だし……」
「どうしたの?」と聞かれるとさらに顔が熱くなった。何も答えないわたしを不思議そうに見つめる蒼生君と、そんなわたしたちを見て笑うお姉さんの笑い声。
「……何話したんだよ」
「さぁね? 女同士のヒミツ!」
姉弟の会話を聞きながら、わたしは気持ちを落ち着けようと必死だった。