第55話 お姉さんと
「何か、手伝えることありますか?」
蒼生君はテレビに飽きたみずほちゃんに手を引かれ庭に出て行ってしまった。
室内にお姉さんと二人きりになって、キッチンで調理をするお姉さんを座ってただ黙って見ているわけにもいかず隣に言って声をかけた。
「え? いいの、座っていてください。蒼生はどこに行ったの? 心さんを放ってどっか行っちゃうなんて……ごめんなさいね」
「いいんです。わたしが、みずほちゃんと行ってあげてって言ったので」
「あぁ、みずほが……本当にごめんなさい」
「いいえ、いいんです」
座ってていいと言われたけど……すんなり聞き入れて座る気にはなれず戸惑っているとお姉さんに「心さんはお料理するの?」と質問される。
「……いえ、まったく。実家なので……って、そんなの言い訳ですよね」
「ううん、そういうものよね」
「会社にお弁当を持って行っているので、まずはお弁当から自分で作ってみようかなって思ったことはあるんですけど……なかなか」
「うん。無理しなくてもいいんじゃないかな。結婚したら嫌でもやらなきゃいけなくなるんだもの。今出来なくたってやろうと思えば誰でも出来るわ。ちなみに、わたしも結婚前は母に甘えてばかりで何もしたことなかったの」
お姉さんはわたしと目を合わせるとにっと口角を上げていたずらに微笑んだ。ほぼ初対面なのに壁を感じない気さくな雰囲気と、あったかくて優しい笑顔。
「やっぱりお客さんに手伝わせることなんて出来ないわ。じゃあ……その代わりに、話相手になってくれる?」
「はい!」
この時にはもう、お姉さんと会話するときに緊張することはなくなっていた。
「心さんって歳は……?」
「二十八です。今年、二十九になります」
「そう。じゃあ……蒼生とは一個違いね」
お姉さんは手際よく野菜や肉を切り分け鍋に入れていく。会話をしながらなのに、早いスピードでどんどんと料理が作り上げられていく。
……お姉さんは、結婚するまで何もしなかったけど大丈夫みたいなことを言っていたけど……わたしはやっぱり、早めに練習をした方が良さそうだ。
その後はお互いの仕事の話などをしてしばらく会話に夢中になっていた時だった。
バタバタと騒がしい足音が玄関の方から聞こえてきて、勢いよく部屋の扉が開くと服も顔も砂にまみれたみずほちゃんの姿があった。
お姉さんは慌ててみずほちゃんに駆け寄る。
「ちょ、ちょっともう……! また何して遊んできたのよぉ!」
少し遅れて蒼生君が部屋に入ってきて「ごめん、止めれなかった」と言ってお姉さんを見る。お姉さんはキッチンに立ったままその場から様子を伺うわたしに目を向けた。
「ごめんなさい、心さん。お鍋の火だけ見ててもらえる? 適当なところで切ってもらえればそれでいいから」
「あ、はい。分かりました」
「わたしはみずほをお風呂に入れてくるね。ほら、いらっしゃい!」
部屋を出て行ったお姉さんの「やだ、もーう! 部屋の中まで砂だらけじゃない!」と言う怒ってるのだろうけど、全然怖くなくて、困ってるのだろうけど……どこか笑ってしまう可愛らしい叫び声に、思わず蒼生君と目を合わせて笑ってしまった。
「掃除機でもかけようかな~」
「掃除機、かけれるんだ……」
「どういう意味? 掃除機くらいかけれるよ!」
蒼生君はいったん部屋を出ると掃除機を持ってすぐに戻ってきた。
プラグをリビングの出入り口付近にあるコンセントに差す蒼生君を見ながら、ふとした疑問を投げかけた。
「蒼生君、もしかして料理も出来る?」
「料理? 料理は出来ないよ」
「でも前に……家を出てた時期もあったって」
「あぁ、あったけど……料理はしなかったな」
「そう……」
「? どうしたの?」
「じゃあやっぱり……女の子は、料理が出来た方がいいよね」
「……へ?」
「……はっ。な、なんでもない!」
わ、わたしはいきなり何を言っているんだろう……。蒼生君が料理が出来ないと聞いてどこか安心して、だったら余計に自分ががんばらなくっちゃって思って……
大丈夫よね、ほら、お姉さんも結婚したら嫌でもやらなくちゃいけなくなって嫌でも出来るようになるって言ってたし……って、結婚ってナニ!? わたしは何を考えてるの!?
「こ、心ちゃん!」
「ごめん、なんでもないの……!」
「ちょ、ちょっと! 鍋がふきこぼれてるよ!」
「……あぁっ!!」
火をかけた鍋もまともに見ていられないわたしはやっぱり、お姉さんの言葉に安心して怠けていたらだめだ。
短時間で作り上げたとは思えないたくさんのメニューが並ぶ食卓。いつもこんなにも豪華なのかと聞いたらお姉さんから「まさか! 今日はトクベツ」と返事が返ってきてなぜかほっとする。
みずほちゃんも含めた四人で談笑しあいながらご飯を食べて、片付けは積極的に手伝ってお姉さんと協力して短い時間で済ませた。
食後はコーヒーを入れてもらってわたしと蒼生君は片付けの終わったテーブルで並んで座って会話をして、お姉さんとみずほちゃんはリビングで絵本を読んでのんびりとした時間を過ごしていた。
「ごめんね。いきなり家でご飯食べることになっちゃって……」
「ううん、全然。楽しかったし、料理も美味しかったし。来てよかった!」
「ならいいんだけど」
そして続けて「ありがとう」と言うとカップを手に取って視線をカップへと落とした。ふと、あることを思い出して「あ、そうだ」と呟くと再びわたしに目を向けた。
「昨日、山岸さんとご飯食べてきたって言ったでしょ?」
「あぁ、うん」
「たぶん。今頃佐々木君と恋人同士になってると思うよ」
蒼生君はそれを聞いても驚いた様子は一切見せず、「へぇ~」と言って少さな笑みを見せただけだった。
「あれ? 反応が薄い。もっと驚くかと思ったのに」
「驚くと言うより……あぁ、よかったなぁって思ったよ」
「うん。そうだね、ほんとに」
「うんうん」
「……あのさぁ」
わたしは身体をくるりと反転させて、蒼生君の顔を覗き込むように言った。
「もっと盛り上がろうよ! わたしなんて話聞いた時きゃーっ! ってなっちゃったのに」
「ははっ。きゃー?」
「なるでしょ、普通!」
「ならないでしょ~」
「一緒にきゃーってなりたかったのに……!」
「なんだそれ!」
気付けば可笑しくなっている会話に笑顔がこぼれ、会話自体は盛り上がってないんだけど、ハタから見たら一見、盛り上がりを見せているようなわたしたち。
「……でも。心ちゃんよかったね」
「え? よかった?」
「うん。すごく心配してたじゃん。山岸さんのこと」
「……うん」
「佐々木クンはいい子だから安心していいよ」
「うん!」
その言葉にわたしはにんまりと笑ってカップに口をつけた。
ちょうどいい温度になったコーヒーを一口飲むと隣から蒼生君の「どうしたの? みずほ」と言う声が聞こえてきた。隣を見ると、蒼生君が座るイスの横にみずほちゃんが立って、蒼生君の手を引いていた。
「絵本読んでたんじゃないの?」
「おにいちゃん、もうねむたい。おふとんいく」
「そっか」
みずほちゃんは蒼生君の手を掴んだままグイグイと引っ張っている。するとお姉さんがこっちにやってきて「上行こうか、みずほ」と言ってみずほちゃんを呼んだけど、みずほちゃんは首を横に振った。
「おにいちゃんとねるの!」
「どうしたの、みずほ。いつもそんなこと言わないじゃん」
「おにいちゃんとねるの~!」
みずほちゃんはついに駄々をこねはじめる。蒼生君はいつもはそんなこと言わないとみずほちゃんに言っていた通り、みずほちゃんに一緒に寝ようと言われるのが初めてらしくお姉さんに向かって「どうしたらいい?」と少し困惑気味だ。
「もしかしたら……妬いちゃったのかしら」
「え……?」
お姉さんはポツリと呟く。妬くって……もしかしてわたしに!?
お姉さんはしゃがんで涙目になるみずほちゃんと目を合わせると「だめよ、みずほ。おにいちゃんはこれから心ちゃんをお家に送っていかなきゃいけないの」と言った。
すると「やだやだぁ~!!」と大声で泣き始めてしまった。
お姉さんはため息をつくと無理やりみずほちゃんの手を引こうとした。わたしは慌てて止めに入った。
「あのっ、わたしはいいんで……!」
「でも……」
「蒼生君、一緒に行ってあげて?」
そう言って蒼生君を見上げると、迷いながらも頷いて「ごめん、ちょっと待ってて」と言って泣きぐずるみずほちゃんを抱き上げてリビングを出て行った。
二人きりになるとお姉さんは頭を下げた。
「本当に今日は……色々と、ごめんなさい」
「い、いいんです! 本当に、わたしは何とも思っていないので……!」
「みずほだけじゃなく……わたしも無理言って引き留めてしまったから」
「それもいいんです! こっちこそ、ご飯までご馳走になっちゃうのは迷惑かなって、思って……」
「全然! 迷惑だなんて。そんなこと思っていたら誘ったりなんてしないわ」
「なら、よかったです……。だったら、素直に嬉しいです。ご飯も、とっても美味しかったですし」
お互いに目を合わせて、固かった表情が徐々に和らいで笑顔に変わる。
お姉さんはキッチンへ行きお茶を淹れると、わたしの分と自分の分を持ってテーブルに置いた。
「コーヒー冷めちゃったでしょ。どうぞ」
「ありがとうございます」
「そういえば、さっき話の途中だったわね」
「はい」
わたしたちは蒼生君が戻ってくるのを待つまでの間、さっきのお互いの仕事の話の続きを少しした。あとは、お姉さんの口から語られる蒼生君や家族の話題に、わたしは釘付けになって聞き入ってしまった。