第52話 嬉しい知らせ
春から夏にかけての過ごしやすい気候は一瞬で終わってしまう。
最近では昼間は上着がいらないくらいに暑い日もあって、来週にはついに梅雨入りするとの予報。
ジメジメとした空気は好きじゃないけど、雨の日は好きだ。雨空の日に出会ったあの人のことを思い出すから。
去年の秋に出会って、この夏を過ぎれば一年。初めて一緒に過ごす季節を、沢山の思い出とともに歩んできた。
来年も、そのまた次の年も。
ずっと一緒にいたいという漠然とした思いは前からあったけど、それがどういうことかって具体的に意識しだすようになったのはこの頃だった。
【 光-ひかり- 第八章 少し先の未来 】
珍しい人に誘われて、定時後に会社近くの和風パスタのお店にご飯を食べに来ていた。
「秋元さん、奥どうぞ」
「ううん。わたしはこっちでいいよ」
二人掛けの奥のソファ席を勧めてくれたけど、断って通路側の席に座った。
「山岸さん、今日荷物多いよね?」
「……あ。ロッカーの整理したらいらないものがたくさん入っててそのままに……」
「意外だなぁ。山岸さんってもっときちんとしてそうなイメージなのに」
「他の人にも同じこと言われました。……実は結構、だらしないんです」
山岸さんは「すみません、じゃあ」と言うとソファ席に座って荷物を下ろした。
二つあるメニュー表を手に取ると、一つをわたしに手渡してくれた。
「ここの生パスタ、モチモチしてて美味しいんですよ!」
笑顔でメニューに目を向ける山岸さんを見ながら、「今日はどうしたの?」と問いかけた。
「用がなきゃ、秋元さんを誘っちゃだめですか?」
「そういうわけじゃないけど」
「大橋さんにバレたら怒るだろうなぁ。ぬけがけだぁ!って……あの子、秋元さんのこと大好きだから」
「そういえば、いつもここには大橋さんがいるもんね。いつも三人だから変な感じがしちゃっただけみたい。ごめんね。誘ってくれてありがとう。嬉しい」
「いえいえ」
注文を済ませると山岸さんの方から口を開いた。
「実は……お話があって」
「はは、やっぱり。うん、なぁに?」
「佐々木さんって……知ってますよね?」
「……あぁ! 前に大橋さんが話してた……彼女、佐々木君って呼んで同い年だって言ってたけど……」
「歳は一緒だけど学年は上です。一つだけですけど。大橋さんはそんなの関係ないって感じで初対面から超タメ口でしゃべってましたけど……」
「そ、そうなんだ……」
ここまででいったん会話が途切れる。
本当は話の続きを聞きたくて仕方がなかったけど、ここは辛抱強く耐える。
佐々木君と山岸さんは、鈴村さんの同僚である早瀬さんを介して知り合った。だから佐々木君は鈴村さんの後輩でもあるのだ。
すると、少し待って、山岸さんが意を決したように口を開いた。
「お付き合い……してみようかなって思ってて」
「おめでとう!!」
「ち、ちょっと待ってください。まだ付き合ってませんから!」
「ご、ごめん……つい」
前向きな言葉に、興奮して思わず乗り出してしまった。
山岸さんの前の恋愛を知っているから、嬉しくなってしまって……つい。反省。
山岸さんは一息つくと佐々木君とのいきさつを順番に語りだした。
「彼と出会ったときは、わたしまだ傷心中で。外に出て遊べるまでには回復していたけど、恋愛することはとても考えられませんでした」
わたしはただ黙って頷きながら山岸さんの話に耳を傾けた。
「出会ってすぐに彼からの好意には気づきました。とてもいい人だから振り回すようなことはしたくなくて……だからすぐに理由を話して、今はしばらく恋愛はできないって伝えました。面倒な奴だって思われて連絡も途絶えると思ったけどそれでも彼は毎日メールをくれました。忙しいのに、予定があえば会ってくれて。……元彼にはしてもらえなかったこと全部してくれました」
佐々木はきっと素敵な人なんだなと思った。話をする間、山岸さんの表情はずっと穏やかなものだった。安心して聞いていられた。
「出会って三か月が過ぎたころに、彼、打ち明けてくれたんです。実は、って……。彼も、わたしと同じくらいの時期に失恋していたんです。それも、同じような理由で」
同じような理由。それはおそらく、信じていた人に裏切られるようなことがあったということだろう。詳しくは聞かなかったけど、だいたいの想像はついた。
視線をテーブルの上に向けていると正面から強い視線を感じて顔を上げた。すると目を合わせた山岸さんがにっこりとほほ笑んだ。
「そのどん底の時に、彼が相談したのが秋元さんの彼氏さんなんですって。鈴村さん、ですよね?」
「……えぇ!?」
「何も聞いていません?」
「う、うん……あまり、ヒトのことベラベラ話す人じゃないから……」
初耳だ。
でもそういえば、前に山岸さんが佐々木君と会うらしいという話をした時に、二人はうまくいくような気がする、みたいなことを言っていたような……。
「最初は、悩みを聞いてくださいって言ったら忙しいから他をあたってくれって冷たくあしらわれたみたいで……クールな人なんですか?」
「ぜ、全然! とても優しい人だよ!?」
「……ふふ、知ってます」
「??」
「断られても無理やり追い回して捕まえて聞いてもらったらしくて……佐々木さんがそこまでするなんて。それ聞くだけで、信頼できる人なんだなって思いました」
なぜかわたしが赤面。そんな様子のわたしを見て山岸さんは笑った。
「わたしと同じように、もう誰も信用出来ないって自暴自棄になって。さらに、その元カノとは付き合いが長かったみたいで、自分だけが一途に思って馬鹿みたいだって。それまでの時間が無駄だった。自分ももっと遊んでやればよかった、これからは遊んでやるみたいなことを言ったみたいで……お酒が入っていたせいもあるみたいなんですけど」
「……そう」
「それを聞いた鈴村さんは怒る様子もなく淡々とこう言ったそうです。おまえは裏切られた人の辛さが分かるのに、同じ思いを他に誰かにさせようなんてことよく言えるよな、って。前の彼女を恨むのは分かるけど、その人のせいでこれから先の自分を腐らせるようなことしたらほんとの馬鹿だよって」
「……」
「嫌なことされたらそれを仕返すんじゃなくて、同じような思いを他の人にはしない、同じ思いをしている人がいたらやさしくしてあげようね、って。うちの姪っ子でも分かるよーって言われたらしくて……佐々木さん、鈴村さんの意外な一面を見たって言ってて……」
「意外? どうして? 姪っ子ちゃんにとても優しいお兄ちゃんだよ?」
「うー……。この秋元さんの彼氏っていう天使の鈴村さんと、佐々木さんが語る尊敬する職場のデキル先輩の鈴村さん……どっちが本当なの?」
混乱する山岸さんを呼び戻して話も元に戻した。
「すぐには納得できない佐々木さんは言いました。俺は子供じゃないし、それに言ってること全部体裁ばかりを整えた綺麗事ですねって。鈴村さんはその通りだと大きく頷いたそうです。でもすぐに笑って、でも俺は子供っぽい綺麗事の方が好きって言ったみたいです。……その話を聞いた時秋元さんの顔が浮かんで。なんとなく、秋元さんの影響なのかなって思っちゃいました」
「……わたし、綺麗事ばかり言う?」
「いいえ。秋元さんのはただの綺麗事なんかじゃなくて、本当に心からそう思って言ってくれるからわたしも好きです」
「……は、話がズレてるよ!」
「おっと。それで、佐々木さんの失恋についての話はこれだけで。ほんとに一瞬だけで終わって、せっかく一緒に飲みに行けたのにほとんど時間を別のことを話して過ごしたみたいなんですけど……でも短い時間でも鈴村さんと過ごしたら悩みもふわっと軽くなったらしく……やっぱり、信頼してる人の言葉はどんなものでも心に響いたみたいです」
「そうなの。……よかった、のかな?」
「はい。その直後に出会ったのがわたしで、すぐにわたしは失恋のことを打ち明けて……だから余計に、気持ちが盛り上がっちゃったのもあったみたいで」
「きっと、山岸さんの気持ちが分かるからこそ誠実にしてあげなきゃって思ったんだと思うよ」
「同情じゃ……」
「同情のどこがいけないの? 感情をともにするってことでしょ? 同じ痛みを分かってる同士、きっとうまくいくよ!」
「秋元さん……」
「あ……ごめん。熱くなっちゃった……」
「いえ」
山岸さんは少しだけ目を潤ませて「ありがとうございます」とか細いけどしっかりとした口調で言った。
ちょうどのこタイミングで注文していた料理が届く。
「この後……彼に、佐々木さんに会いに行ってこようかな」
「うん! それがいいよ! 行った方がいい!」
頷き合って、フォークを手にパスタを頬張る。美味しいねと笑い合いながら、自然と思うことは同じ。
「いつか、佐々木君に会わせてね。会ってみたい」
「もちろんです。わたしだって鈴村さんに会ってみたいです」
「うん」
「大橋さんには……ヒミツにしておきましょうね」
「あははっ! でも彼氏が出来た報告しないわけにはいかないでしょお?」
「どうしたらいいのかなぁ……」
「大橋さんにも彼氏作ってもらうしかないね!」
この日一番のわたしたちの笑い声が店内に響く。
山岸さんのいい報告に、自分のことのように嬉しくなった。これからはもっともっと幸せな報告がたくさん届くんだろうな。
「秋元さんも、この後鈴村さんに会いに行きましょうよ! 今日は金曜日だし。今鈴村さんの話をいっぱいしたから会いたくて仕方がないんじゃないですか?」
「で、でも無理だよぉ……きっと仕事終わるの遅いだろうし」
「それなら佐々木さんも一緒ですよ」
「なぁに? もしかして、彼が仕事終わるまでの間の時間を付き合って欲しいってこと? それなら仕方がな……」
「はーい! そういうことにしておきます!」
「わ! なんか悔しい!」
ゆっくりパスタを味わって、食後のデザートのドリンクも楽しんだ。その間、会話は尽きることはなかった。
そして佐々木君から仕事が終わったというメールの受信を待って店を出て、山岸さんは佐々木君に会いに彼の待つ元へと向かった。
わたしはそんな彼女を見送ってから、自分の携帯をバッグから取り出した。