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光 -ひかり-  作者: 美波
番外 : 春はすぐそこ
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(3)触れ合える距離まで

 目を合わせたまま少しの沈黙。蒼生君の表情にはこれといった変化も見られず、普段通りの様子で「どうしたの?」とわたしに問いかけた。


「どうって……」

「眠れないなら話相手になるけど?」


 掴んだ浴衣の袖を離すと蒼生君は「テレビつけよっか」と言って、二つ並んだベッドの間にあるサイドテーブルに置いてあったリモコンを手に取ってテレビをつけた。

 そしてそのままテレビに向かい合うようにベッドの脇に腰を下ろした。

 わたしは一人一歩も動かずに、じっと和室の窓際からその様子を見ていた。今の気持ちをどう伝えたらいいか分からなくて、もどかしくて。ただじっと蒼生君を見ていた。


「こっちおいでよ」


 様子がおかしいわたしに気が付いた蒼生君がわたしを呼ぶ。それなのにまだ動けずにいると「早く」といたずらっぽく言った。

 小さな笑みをこぼして、わたしは蒼生君の元へ行って隣に座った。


「誰かに、何か言われた?」

「え……?」

「恋人同士なら普通こうあるべきだとか」

「ううん」

「じゃあ俺に気を遣って?」

「ううん」

「じゃあ……もしかしてまた、自分には魅力がないとか」

「ううん」


 わたしは最後に大きく首を横に振った。


「ほんとにそうじゃないの。誰かに何か言われて気にしているわけでも、幼稚な自分に合わせてくれている蒼生君に悪いと思っているわけでもなくて、……そんな自分に嫌気をさしているわけでもないの」


 言葉に力が入ると同時に、膝の上に置いた自分の手を握る力も込められる。


「ただ……っ」


 ただただ自然な気持ちで近づきたいって思っただけだ。触れ合える、距離まで。

 それなのに肝心の最後の一言が出なくて堪らず俯いたとき、まるでわたしの心の声が届いたかのような台詞が耳に響いた。


「抱きしめてもいい?」


 そして俯いていた顔を上げる間も、返事をする間もなくふわりと優しく腕の中に閉じ込められた。

 望んだことだけど、突然のことにわたしはただ身を固めて瞬きだけを繰り返す。

 しばらくして先に口を開いたのは蒼生君だった。


「嫌だ?」

「……」

「怖い?」

「……っ」


 耳元で囁くその問いかけに、わたしはただ腕の中で首を横に振った。

 見た目よりも広くて大きいわたしの心も身体もすっぽりと包みこんでしまう腕の中で、はじめて聞く相手の心音はわたしと同じ速さ。ただそれだけで相手を好きだという熱い思いがこみ上げてくる。


「嫌なわけない。怖くなんかもない」


 高まる鼓動と上がる熱。でもいつもみたいに取り乱すことも逃げ出したいという気持ちも少しもない。


「前に夜一緒にいたとき、大事に思ってくれてるって言ってくれて、それを態度で示してくれて。とても嬉しかった。あの時思ったの。蒼生君なら、いいって……あの時にも、そう伝えたと思うんだけど。だから、わたしはとっくに……」


 わたしを抱く腕に一瞬力が込められると、ゆっくりとほどかれた。

 どうして……? 不安に思ったのは一瞬。蒼生君はリモコンを手に取ってテレビを消した。

 寝室と和室が隣接するこの部屋は、今、電気がついているのは和室だけ。テレビが消えた寝室の照度は一気に落ちた。

 そして目を合わせて、逸らすどころかほほ笑むわたしに蒼生君は「別人みたいだ」と呟いて眼鏡をはずした。


「ダメ?」

「ダメじゃないよ」

「ほんとは……さ。自分が今日こんな行動に出るなんて想像もしてなかったの。今日の目標は名前で呼ぶこと、だったし……」

「うん」

「でも今日一日ずっと一緒にいたら、もっと近づきたいって。自然と、そう思えたの」


 そう伝えると、蒼生君は出会った頃と同じ、あったかい笑顔で頷いた。

 どちらからともなく距離を縮めて身を寄せ合う。


「蒼生君は? ちょっとは意識してた?」

「まぁ……。何が起こるかは分かんないよね。俺も男だし」

「ん? どっち?」


 視力が悪い彼でも確実に見えるくらいの距離で、むしろ近すぎて見えないくらいの距離で会話をして、首元に自分の肌をくっつけた。

 頬に蒼生君の肌の熱を感じる。肌が触合うのってこんなにも幸せなんだ。手を繋いでいるときとは比べ物にならない。

 引き寄せあうように自然な形で唇を重ねて、今まで経験したことのない甘いひと時に、いつもとは違うどきどき感にめまいを起こしてしまいそう。

 ゆっくりとパタリとベッドに横たえられて、正面を向くとじっとわたしの様子をうかがうように見つめる蒼生君と目が合う。

 この時のわたしはもう、胸の高鳴りが邪魔して、笑って平気、大丈夫だよって態度で示すことができなくなっていたけど、それでも目を逸らしたりはしなかった。

 ぎゅっと蒼生君の浴衣を掴んだ。

 すると包み込むように抱きしめられて、その重みも、体温も、匂いも全部。その全部に包まれたこの瞬間、胸いっぱいの幸福感で胸が満たされて甘い痺れみたいなものが全身をかけめぐった。

 今の気持ちを言葉で言い表せなくて、わたしも蒼生君の身体に腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。


「……っ、恥ずかしいよ」


 浴衣の帯が緩められる感触に堪らず声が出た。今さらだけど運動してもっと身体を締めておけばよかったとか、肌だってクリーム塗ってスベスベに……。一瞬にしてがっかりされないだろうかという不安に襲われる。


「大丈夫。メガネないと何も見えない」

「うそっ、近くものもは見えるって……」

「そうだね」


 でもそんな自分の不安も、やっぱり、蒼生君はすぐに吹き飛ばしてしまうのだ。

 蒼生君の手がそっとわたしの頬に添えられて、唇が触れるか触れないかの位置で囁くように言った。


「今俺、心ちゃんしか見えてないよ。これからも、ずっと」


 その言葉が深く心に響くと同時に、重なった唇から伝わる熱がとてもあったかくてじわっと目頭が熱くなってそっと目を閉じた。

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