第48話 口下手
「山岸さん今度、佐々木君と一緒にご飯行くんですって!」
「佐々木君……?」
定時後のロッカーで後輩の大橋さんが頬を膨らませ不機嫌そうに言った。
でもすぐにころっと表情を変えいつもの彼女の明るい笑顔を見せると「ま、応援してますけど」と言ってペットボトルのお茶を口に含んだ。
「……?」
まったく状況の理解ができなかったわたしは大橋さんに説明を求めた。
大橋さんは「えっ、何でわからないんですか!?」と眉をひそめると「自分の彼氏の後輩君ですよ」と言った。
「……あぁ!」
「思い出しました?」
「佐々木君って言うんだ。クリスマスの日に早瀬さんが連れてきた同僚って」
「え、彼から聞いてないんですか?」
「聞いたんだけど、知らないって言われた」
「……」
ややこしいな。一度整理をしよう。
早瀬さんは鈴村さんの同僚で加奈さんの大学の友人でもある。
早瀬さんと鈴村さん、そして大橋さんとわたしの4人で一度一緒にご飯を食べたことがあって、それ以来早瀬さんと大橋さんが連絡を取り合う様になった。
クリスマスには早瀬さんと大橋さんが友人を呼び合って数人で飲み会をした。
大橋さんは同期の山岸さんと他の友人を誘って、早瀬さんも自分の同僚を連れてきたと聞いていた。
早瀬さんの同僚と言うことは鈴村さんの同僚でもあるのだけど、聞いたけど鈴村さんは何も知らないようだった。早瀬さんがわたしの後輩と会ってることも、その場に他の同僚が来ていたことも。
「佐々木君って……年下だっけ?」
「はい。わたしたちとタメです」
「二人はいい感じなの?」
「まだわかんないけど……でも二人で会おうって誘われたってことは何かあるかもしんないですよ?」
「……大丈夫かな」
「失恋には新しい恋しかないですって! 大丈夫ですよ、早瀬さんがそんな変な人連れてくるとも思えないし」
山岸さんは失恋したばかりで、その傷もきっとまだ癒えないまま、別の人と会おうとしているのかな。
佐々木君がどんな人かはわからないけど立ち直るきっかけになるような人なのかな。無理、していないのかな。
「ずいぶん早瀬さんのこと信用してるね?」
「もう、あの人超いい人なんですよ! 友達になれてよかった!」
「友達かぁ。大橋さん、自分はいいの? 他人のことばっかりで……」
「それ言わないでくださーい……」
大橋さんは壁にもたれかかると大袈裟に項垂れた。
色々な男の人の話をしてくれる大橋さんは出会いの場に積極的に行っているように思えるけど、他人に出会いの機会を提供してばかりで彼女自身のいい話を聞けることはほとんどなかった。
「早瀬さんは? いい人なんでしょ?」
「「ゆいちゃんは妹みたいで可愛いー!」って言って、可愛がってはくれますけど?」
「妹」という言葉に自分の昔を思い出して、自然と苦笑いを浮かべた。
そうなっちゃうと……厳しいよね。
でも大橋さんは早瀬さんのことを好きというわけではないみたいで妹だって言われ可愛がられて満足しているようだった。
「それはそうと秋元さん。のんびりしてていいんですか?」
「……はっ!」
「いいな、定時後のデート。わたしもしたーい!」
そうだ、今日はこの後昨日の可笑しな電話の説明を兼ねて定時後に鈴村さんと会う約束をしていた。
新年始まって一日目から帰りが遅くなるということはないから会おうかって言ってくれたんだ。
「ご、ごめん、先行くね!!」
「あ、秋元さん!!」
コートを羽織りロッカーを閉め慌てて外に出ようとすると大橋さんに止められた。
振り返ると「コートのボタンが、すごいことになってますけど」と言われ自分の目で確認する。
1つだけ留めたボタンは、3つもズレて留まっていた。
「な、なにこれ!!」
「もう、秋元さん。落ち着いてくださいよ~。好きな人に会いに行くからって興奮しすぎです」
「別に、興奮とか……!」
大橋さんはわたしのかけ違っているコートのボタンを正しく留め直すと「行ってらっしゃーい」と言って手を振った。
わたしは「ありがとう」と一言お礼を言い、ロッカーを出て走り出した。
そしてしばらくして思った。
どっちが年上だか分からないな……って。
駅で待ち合わせをして、合流したわたしたちはその足でそのまま鈴村さんの家へと向かった。
車を取りに行く目的で、帰りもそのまま送ってくれるみたい。
静かな夜道に鈴村さんの笑い声が響いた。
「……笑いすぎ」
「だって……。前はたしか靴を履きかえずに帰ろうとしたところを止められてなかった?」
「そ、そんなこともあったような……」
以前、仕事中に履くオフィスサンダルを履いたまま帰ろうとして大橋さんに指摘された日のことだ。
あの日もたしか、仕事後に鈴村さんと会う約束をして……焦っていた。
「心ちゃんっておっとりしててマイペースそうなのに」
「普段はそうなんだけど……」
「時々落ち着きなくなるの?」
「うん、時々ね……」
時々、あなたに会う時だけだって心の中で呟いておいた。
陽は完全に沈み、街灯の灯るこの道を並んで歩くのはこれで2度目。
大雪の日に同じ道を歩き鈴村さんのお家に行ったことを思い出し、首を振ってその日の記憶を今は振り払った。
あの日のことは今は考えない方がいい。
じゃないと、また焦って何かを失敗する……。
「そういえば、佐々木君だったよ?」
「……え?」
「早瀬さんが大橋さんたちと過ごしたクリスマスの日に連れてきた同僚。知ってる?」
「うん。すごく知ってる」
「あはは、すごくって」
わたしが肩を揺らして笑う様子を見て、同じように鈴村さんも笑った。
「今度、山岸さんと会うんだって」
「そうなんだ。そんなに話が進んで……」
「うん、わたしもびっくりしちゃった」
「へぇ~……」
鈴村さんは再び「そうなんだ」と呟くとそのまま何かを考えるように沈黙した。
「どうしたの?」と問いかけると、目を合わせた彼が「ううん」と穏やかに言って首を横に振った。
そして「もしかしたらその二人あっさりうまく行っちゃうかもね」と言った。
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく?」
「……なにそれ、よくわかんない」
うまく行くって……どうして? 見た目がお似合だからとか?
でも鈴村さんは山岸さんの話は何度もしたことがあるけど彼女に会ったことはないし……。
「ただの勘だよ、勘」
なんだ、勘か……。
ずいぶんと大雑把な勘だなぁ。
「あ、そういえば昨日電話で言っていた……」
「そ、そう! それ。あのね修ちゃんと加奈さんの二人に挙式に誘われたの」
「俺も一緒に?」
「う、うん……。やっぱ、変かな?」
「……まぁ。会ったことないからね。むしろこっちが行ってもいいんだろうかって……」
「うん。だから今度会おうって。ずっと会いたいって言ってるの、二人とも」
「よく心ちゃんから話を聞くから、もう他人には思えないけどね」
「そんなに話してる……?」
「うん」
無意識だ。
加奈さんの話は何度かしたことがあったと思うけど。あ、早瀬さんの話をするときに自然に出て……
「幼馴染の……修ちゃんって言うんだ。その人の話は聞いていて本当の兄妹みたいで楽しかったよ」
「……えっ」
「すごくいいお兄さんだなって」
「い、家が隣同士だったから、小さい頃の記憶っていうとほとんど……」
「幼馴染かぁ~」
「幼馴染、いないの?」
「うーん、昔はいたかもしんないけど。大人になってからは会わないからな~ほら、家出ちゃってたり、引っ越しちゃったりしちゃうとなかなか」
「そっか……」
「大人になってまでずっと子供の頃と同じように仲がいいって珍しいよね」
修ちゃんの話、そんなにしていたかな。
無意識に話に出せるってことは自分が前に進めたってことでもあるけど……
かつて好きだった人の話を、今好きな人の前でするなんて良くないよね。気をつけなきゃ。
でも今、その彼の挙式に一緒に行こうって話をしているわけで……なんだか、複雑だ。
鈴村さんはそういうの、気にするのかな……。
過去の恋にやきもち妬いたりとかするのかな。
話した方がいいことなのかな。
「もしかして、昔好きだったりした? その、修ちゃんのこと」
「……えっ!!」
やだ……すでにもうバレてる!?
勢いよく鈴村さんを見上げると、わたしの不自然な態度で答えを悟ったのかウンウンと頷いた。
そして「分かりやすいね」と言って優しい笑顔を見せた。
「心ちゃんが好きになる人ってどんな人なんだろう。会うの楽しみ」
「好きになる人って……自分じゃん」
「……まぁ、うん」
「……あ」
う、恥ずかしいことを言ってしまったような気がするけど、事実だ。
「自分のことはよくわからないからなぁ……」
「わたしだって……。わたしだって鈴村さんがかつてどんな人を好きになってきたのかちょっとだけ気になる」
「え?」
「でもやっぱいいかな……。自分なんかが叶わないような素敵な人なんだろうなって思うし」
「うーん、どうだろうね?」
「……あ。教えてくれる気ないね?」
「よく分かったね」
「ずるい!!」
わたしたちの笑い声が静かな歩道に響いた。
わたしはやっぱり、きっと鈴村さんの過去の話を聞いても、その過去に嫉妬をしてしまうだけだから……知らないままでもいいかな。
それなのに自分は、鈴村さんが修ちゃんに会いたいと思ってくれたころがとても嬉しかった。
叶わなかった恋だけど、今その時間が無駄だったとは思わない。
これからもずっとずっとわたしは修ちゃんの幼馴染で、血の繋がらない妹だから。
その人と、鈴村さんが仲良くしてくれたらとても嬉しいし、幸せ。
「ねぇ。もうすぐお家着いちゃうかな?」
「あと5分くらいかな」
「あの……5分でいいから、その……」
「ん?」
「あ、でも。やっぱアレかな。家族の人に見られちゃったりすると……アレかな」
「アレって」
うわ、自分何言ってるんだろう。
手を繋いでもいい? って伝えるだけでも恥ずかしいのに、それがうまく伝えられず意味がわからないことを口走って更に恥ずかしいことになってるよ。
「いいよ、アレでも」
「……え?」
握りしめた右手を鈴村さんのん手が包んで、力を解くとやわらかく手が絡まった。
目を合わせると「正解?」と問われ、頷いた。
頷いた顔を上げた時、一気に幸せな気持ちがこみ上げてくる。
「というか、アレって何?」
「それは………アレだよ」
「えっ!?」
あ、アレっていうのは、その……自分の家の近所で手を繋ぐのって嫌かなとか、家族に見られちゃったりしたら恥ずかしいよね、という意味で……。
鈴村さんは「あはは」と声を上げて笑っている。
きっとわたしの言いたいことなんて、全部分かっているんだ。
言いたいことがはっきりと伝えられなくても、分かってくれる人っていいな……とか、自惚れてみる。
でもそんな彼に甘えて大事なことを自分の口で伝えられなくなたらダメだって思うの。
だから……
「お腹空いたね、今日わたし麺類が食べたい。ラーメンとか」
「ラーメン好き?」
「うん。大好き」
「俺も好きー」
口下手なわたしだけれどずっとずっと何度でも挑戦したい。
失敗も空回りもせず好きだって気持ちだけはいつでもはっきりと伝えられるようになりたいな。
手をぎゅっと握りしめると、同じようにぎゅっと握り返してくれる。
瞳を合わせれば互いに自然に笑顔になる。
今「好き」って伝えたらラーメンのついでみたいになってしまいそうだから、あとにしよう。
今日が無理でも明日も明後日も、チャンスはいくらでもある。
「どうしたの? ニヤニヤして」
「いや、好きだなって思って。あの、ラーメンがね」
「そんなにお腹空いてるんだ」
「う、うん」
無意識に頬が緩んでしまってたみたい。
好きって気持ちを受け止めてくれる人がいるって幸せだなってそう思ったから。




