第45話 失言
お風呂上がりの上に、部屋もだいぶ暖まって身体が火照って熱い。
手渡された冷たい缶ジュースの感触がとても気持ちがよくて頬にあてた。
わたしの熱を、一秒でも早く冷まして欲しい。
「普段、コンタクトなんだね?」
「え?」
お風呂を上がった鈴村さんは缶ビールを片手に、つけっぱなしになっていたテレビでやっていた海ガメの産卵のシーンを食い入るように観ていた。
わたしは鈴村さんを待つ間ずっと観ていたけど、ひたすら色々な動物の生態についての説明をしているテレビ番組だった。
「うん。家の中では眼鏡がないと何も見えないんだ」
「何にも!? どんな世界なんだろう」
「心ちゃんは視力よかったっけ。大事にした方がいいよ、目は」
部屋姿に眼鏡姿。普段絶対に見ることがない彼の姿に動悸がする。息切れまでし出したら大変。ふぅとゆっくり息を吐いて気持ちを落ち着ける。
少しすると動物のテレビ番組は終わってコマーシャルになった。
「ねぇ、これ」
「ん?」
わたしは一枚の画用紙を両手で胸の位置に手にもって見せた。
「テーブルの下に落ちてたの」
「あぁ、それはうちの画伯の作品だよ」
「ははっ、画伯?」
子供が一生懸命描いた人物画にひらがなで「あおいおにいちゃん」って書いてある絵だった。
「最近画家とモデルっていうシチュエーションにはまってるみたいで」
「えー? ふふ、なにそれ。鈴村さんがモデル?」
「そう。少しでも動くとすっごい怒られるよ」
わたしが「かわいい!」と言うと「そうかな」と一度険しい不満顔を見せてからほほ笑んだ。
「でも鈴村家の画伯はなかなか才能ありますな。とても上手」
「えっ」
「そっくりだよ」
「俺そんなオバケみたいな顔してる? なぜかリボンついてるし」
「でも、とっても笑顔だよ? みずほちゃんの目にはいつも笑顔のお兄ちゃんが映ってるんだね?」
「……そ、そうなのかな」
鈴村さんは一瞬照れ笑いを浮かべると手渡した画用紙を手に取って優しい瞳でじっと見つめた。
「みずほちゃん、また会いたいな」
無意識に出た言葉はわたしの本心だった。
呟いた後じっと鈴村さんの手の内にある画用紙を見つめていると「今度会いにおいでよ」という声が耳に響いた。
「今度?」
「うん。みずほが家にいる時に。だいたいいるけど」
「で、でも。困らない?」
「どうして?」
どうしてって……みずほちゃんの他にも、家族がいるのにわたしが会いに来ちゃってもいいのかな。
頭の中に疑問を浮かべて黙っていると缶ビールがテーブルの上にコンと音を立てて置かれる音がして顔を上げた。
「別に俺、今日家族が家にいても連れてこられたよ」
「………え」
「むしろ、いない時に連れてきちゃってごめんね。何ももてなしも気遣いも出来ないで」
わたしは無言で首を横に振った。
穏やかな会話の中でいつの間にか落ち着いていた心臓がまた、高鳴りだした。
どういう意味? って何度も何度も頭の中で問いかけてみたけど、口に出してしまったらきっと……動悸に加えて心配した息切れの症状も出てきそうだったからぐっとこらえた。
だから今出来る精一杯の返事をした。
「うん、今度会いにくる」
「喜ぶよ、きっと。男よりお姉ちゃんの方が好きだから」
心臓はどきどきと音を鳴らして落ち着かないのに、こんな時になぜだか鼻の奥がツンとして目がしらが熱くなった。
胸がいっぱいで心が満たされる。
「あ、ひらがなが間違ってる。いつも間違えるんだ」
鈴村さんがみずほちゃんの描いた絵に書かれたひらがなを見て指を差した。
ひらがなを教えてあげたりしてるのかなって思ってその姿を想像するだけで頬が緩んだ。
また少しの胸の高鳴りを残して穏やかな気持ちになる。
「ねぇ、どんな子供だった?」
「子供って……俺?」
「うん」
「そうだなぁ……あ。子供の頃はよく、女の子と間違えられたらしいよ」
「え?」
鈴村さんはみずほちゃんの描いた絵をテーブルへ置くと片膝を立てて膝を包む様にして背中を丸めた。
「昔は身体も小さかったし声も高くて色も白かったし」
「そうなんだ。ちょっと見てみたい」
「名前も女か男かはっきりしない名前だからよく間違えられたらしいよ。俺はあまり覚えてないけど」
「あ、たしかに。でも漢字にすると男の子だよね?」
「ちなみに姉も「まこと」って言って……姉は逆に俺と違って子供の頃は身体も大きくて髪も短かったから男とよく間違えられてた」
「それは…ご両親の趣味?」
「趣味と言うか。生まれる瞬間まで出来るだけ性別は内緒にしてくれって医者にお願いしてたんだって」
「ちょっと分かる気もする」
「でも、名前は決めておきたいから男女どっちでもいける名前だけ考えて、生まれて性別が分かってから漢字をつけたらしいよ」
鈴村さんは「ちょっと変わってるよね」と言って再び缶ビールを手に取って残りを一気に飲み干すようにして飲み込んだ。
「でも、雰囲気にとっても似合ってるよ」
「え……そ、そう?」
「わたしの中ではもう鈴村さんで固定されちゃってるからすぐに変えるのは難しいかもだけど……蒼生くんって呼ぶのも、いいな」
ピタリと会話が止まった瞬間。
今日のわたしは、気持ちが高ぶったり穏やかになったりと浮き沈みが激しすぎて、色々な感覚がおかしくなっているのかもしれない。
今はまた、とてつもなく恥ずかしいことを口走ってしまった気がする。
鈴村さんの「ちょっと、恥ずかしいな」と言う声だけが耳に響いて、一気に身体中の熱が上がった。
「そろそろ寝ようか」
発熱中のわたしを置き去りにしたまま鈴村さんが立ちあがって、勢いよく頭を上げて彼を見上げた。
「あ、まず布団を探してこなくちゃ……心ちゃんどこで寝ようか」
「す、鈴村さんはどこで?」
「どこって。自分の部屋だけど」
本当ならいつもはもう寝ている時間だけど、やっぱりまだ話したいことがたくさんある。
その思いだけがわたしの次の発言に繋がったの。
「あ、あの……! 一緒の部屋で寝たらダメ!?」
「……え」
自分がまたとんでもない発言をしてしまったことに気がつき頭を抱えるのは、この数秒後のことだった。