第43話 このままでいいの?
普段は15分ほどの道のりも倍以上かけてゆっくりと歩いた。
足は雪に埋もれて冷たくて、降り続ける雪とその低い気温にどんどんと体温が奪われる。
こんなにも雪が積もること、生まれてはじめてかもしれない。
それほどまでにこの日の積雪量はすごかった。
普段雪が降ることなんてめったにない土地に住んでいるから、こういうとき街は混乱する。
夜だからよくわからないけど明日はきっと交通機関は機能しないだろうな。よかった、会社が休みで。
家に連絡をしたら「帰ってこなくていい」と言われた。
あまりにも冷たい母親の言葉に思わず「なんで?」と聞き返してしまったくらいだ。
そしたら「迎えにも行けないし危ないから無理して帰ってこなくていいよ」とのことだった。
「お友達も今一緒にいるんでしょ? 彼女はどうするの? 一緒にビジネスホテルにでも泊まりなさい」と言われ一方的に電話は切られた。
わたし、嘘、ついちゃったのかな。
お母さんが勝手に勘違いして電話を切っただけだよね?
隣で母親との会話を聞いてい鈴村さんは「心ちゃんはお母さんに信用されてるんだね」と言って笑った。
信用されていると言うか……たぶん、わたしが男性と一緒にいるなんてこと夢にも思っていないだけだと思う。
「ここだよ」
鈴村さんの声に促されて立ち止まる。
外は真っ暗で街灯の光しかなかったからよく見えなかったけど、鈴村さんの家の外観はまだ新しいように見えた。聞いたら1年ほど前に建て替えたばかりとのことだ。
門をくぐると広めの庭もあって、庭には子供用の滑り台も見える。
車も3台停めるスペースがあって、玄関に入るときちんと靴は靴箱に入れられ綺麗に整理された玄関だった。
人のお家を見ると、比べる基準ってやっぱり自分の家だけど、まだ新築のお家にはわたしの家が勝てるところは見当たらなかった。
「すごい綺麗にしてるね。うちとは大違い」
「そうかな」
「わたしの家は玄関に靴がたくさん並んでて……ほとんどわたしの靴なんだけどね。いつもしまいなさいって怒られてるの」
「心ちゃんってO型?」
「Aなんだけど……」
「あ、ごめん」
「ううん」
血液型ほどあてにならないものはないと思う!
家へと上がると鈴村さんは「ちょっと待っててね」と言うとタオルを持って戻ってきた。差し出されたタオルを受け取る。
「寒かったよね、大丈夫?」
「うん」
リビングの電気をつけると一気に部屋が明るくなった。
シンプルだけどところどころに花が飾られたとてもオシャレな部屋。庭も綺麗に手入れされていたしお母さんってどんな人なんだろう。
鈴村さんはエアコンのスイッチを入れ、床に置いてある石油ヒーターの電源も入れた。
「あの……」
「え?」
「家の人がいないときに勝手に上がり込んで大丈夫かな」
「いいよ別に」
「ば、ばれたら困らない?」
「どうなんだろう、想像つかないけど平気だよ。事情話すだけだし」
「そ、そっか……」
「俺だって心ちゃんの家族に申し訳ないと言うか……一緒にいるのが女性じゃなくて」
「あはは……」
濡れたコートを脱ぐと鈴村さんが「どこかにかけて乾かしておくよ」と言ってくれたので手渡した。
「着替える? 寒いよね?」
「あ、中は濡れてないから大丈夫。ストッキングだけ脱いできてもいいかな。床汚しちゃったかな……?」
「いいよいいよ、そんなの。トイレは出てすぐ右の方にあるよ」
湿ったストッキングを脱ぐためにトイレへ行こうと部屋を出ると一緒に鈴村さんもついて部屋を出て「俺ちょっと着替えてきてもいい?」と言って彼は階段を上って2階へ向かった。
トイレに入って一人になると、急に緊張が押し寄せてくる。
な、なんで普通に会話してるんだろ……。というか平然としてられるのかな!?
しかもわたし、鈴村さん家のトイレでストッキング脱いでるよ!? 何してるのかな!?
急に押し寄せてくる緊張とどきどきとした胸の高鳴りを感じながらスットキングを脱ぐとリビングへと戻る。
まだ鈴村さんの姿はなくて、わたしは温風に誘われる様にヒーターの前に腰を下ろした。
立っていると落ち着かなくて無駄にウロウロしてしまうから。
冷え切った身体をじわじわと温めるヒーターの風がとても心地よい。
じっとしているとリビングの扉が開く音がして目を向けると着替えを済ませた鈴村さんが再びやってきた。
「普段、家ではそういう格好してるんだ」
「うん。だいたいスウェットかジャージ」
「すごく若く見える。学生さんみたい」
下は黒地で青のラインが入ったジャージに上は白いロング丈のTシャツをきていた。
部屋着でも、爽やかだ。
「よかった」
「え? なに?」
「いや、どういう格好すればいいのかなって思ってちょっと悩んでさ。心ちゃんの反応が普通で安心した」
「気合い入れた格好して現れた方がびっくりするよ」
「はは、たしかに」
「心ちゃんは家ではどんな格好してるの?」
「わたしは普通にパジャマ着てるよ」
「そんな感じする」
「え?」
「ジャージとか着てるイメージ沸かないや」
鈴村さんはチャンネルを手に取ってほほ笑むとテレビをつけた。
「ちゃんと、拭いた?」
そしてわたしの手に持ったまま膝の上に置かれたタオルを見てそう言った。
「髪が……雪が溶けてだいぶ濡れてるけど」
「う、嘘っ!」
手で実際に触れてみるとかなり湿っていた。
このままここで乾いても……髪が膨張しそうだ。いやだな、そんな姿見られたくないよ……。
「あ。お風呂入れようか? 温まっておいでよ」
その言葉に目を見開いて、硬直した。
「そ、それはっ、悪いよ」
「いいよ、俺もあとから入るし」
「……で、でも」
お、お風呂を借りるなんてこと……考えもしなかった。
不自然に瞳を泳がせて無意識に両頬を手で覆っていた。
「あのー……そんなに顔を赤くされると、俺がまるでイケナイことを言ってしまったような気がするんだけど……」
「あ、赤い!?」
「うん、とても」
どうしよう、みるみると赤くなるこの顔を、どうやったら止められる?
恥ずかしい。
わたしは一体何を考えているんだろう。
鈴村さんはただ、雪に濡れたわたしの身体を心配して勧めてくれているのに。
「あんまり意識されると……俺も意識しちゃうよ」
そう言いながらわたしの膝の上のタオルを手に取り、髪からわたしの頬へと落ちた雫を拭った。
自分の揺れる瞳の先に、鈴村さんの瞳が映ってじっとこちらを見ている。
そうだ……これが男性と二人きりになると言うことだ。
何も考えず、ただ一緒にいたいからってわがまま言って着いて来てしまったけど────
「緊張しないでね。大丈夫?」
「あ、う、うん。大丈夫じゃない顔……してた?」
「うん」
「何もしないよ、安心して」
そんなことを言われたら、何も言えなくなる。
でもいつまでも、この人の優しい笑顔に安心して甘えたままでいいのだろうか。
愛想をつかされたりしないだろうか。
「うん、じゃあちょっとお風呂入れてくるね」
立ち上がり部屋を出ようとする鈴村さんの手に手を伸ばしてみたけれど、触れることは叶わなかった。
このままじゃダメだって心では強くそう思うのに、緊張を感じる身体が思うように動いてくれない。