第35話 昔の友人
あまりよく眠れなくて、いつもより何本か遅い電車での出勤になってしまった。
会社に着くと、狭いロッカーはすでに定員オーバー。
それでも遅刻するわけにはいかないから、誰かが出てくるのを待たずに中へ入り、身体をぶつけ合いながら制服に着替える。
「珍しい、秋元さんがこの時間の出勤なんて」
大胆に服を脱ぎ、下着姿で「さむっ!」と隣で肩を震わしているのは大橋さんだ。
「大橋さん、おはよう」
「おはようございます! あっ! ネイル行ったんですね、可愛い!!」
「うん、ありがとう」
「そうそう、同窓会会場、決まりました?」
「うん、すぐに決まったよ」
「そうですかぁ」
「う、うん」
大橋さんは着替え終えるとまだ何かを言いたげだったけど、ロッカーに掛けられた時計を見て「お先に!」と慌ててロッカーを出て行った。
少しほっとしたけど、わたしものんびりしている場合じゃない。
昨日さんざん注意しろと言われたのに、昨日の今日で、再び会う約束をしてしまった。
自分のダメさ加減に泣きそうになる。
脚の力が抜けそうになりその場にしゃがみ込む。
そんなわたしにさらに追い打ちだ。
いつの間にかたった一人になってしまったロッカーで、始業のチャイムを聞いていた。
ち、遅刻だ!
定時ぴったりに仕事を終え、私服に着替え足早にロッカーをあとにした。
年末のためか、珍しく仕事が忙しく一日中バタバタしていて、大橋さんや山岸さんと話をする時間が取れなかった。
でも、よかったかも。今日はあまり二人と顔を合わせたくなかったから。合わせる顔がないと言うか……
外に出ると、思わず身震いする冷たい空気に足が止まる。
バッグに入ったマフラーを取り出すと、ポツリと冷たい水滴が頭皮に染みる。
空を見上げると頬に一粒、二粒と水滴が落ちてくる。
嘘、雨? 傘、持ってない。置き傘もない。
会社に戻って、誰かに置き傘を貸してもらおうかな。
でも今日は雨の予報ではなかったから、きっと誰も傘なんて持ってきてないよね。
幸い雨は弱い、よし、待ち合わせの駅前まで走ろう。
周りの目を気にしつつ、マフラーを頭に巻きつけて目的地まで走った。
待ち合わせの場所に着くと、すでに池田君の姿があった。
彼は開口一番に雨に濡れたわたしの姿を見て大丈夫かと心配してくれた。
平気だと笑顔で答えるとほっとした表情を見せた。
「待たせちゃったかな。池田君、早いね?」
「うん、今日は定時で上がってきた」
「大丈夫だった?」
「いいよ、今日くらい。秋元さんと話せる機会なんてそうそうないし」
「あ、……っと」
思わず言葉に詰まる。
そうだね、って軽く返事をすればいいだけなのに、昨日の大橋さんたちとの会話を思い出して変に意識をしてしまう。
行こうか、と声をかけられ不自然に慌てる。
もしかしてわたし挙動不審? しっかりしなきゃ。
「よかったら、傘……入る?」
「……え?」
傘、と言われて顔を上げると先ほど降り始めた雨が強くなっていることに気付く。
目的の店までは、今いる駅の構内を抜けて五分ほど歩かなくてはいけない。
「うん、ありがとう。でも、……うん、大丈夫。うん、あの、ちょっと待ってて? そこのコンビニで傘買ってくるから! うんうん」
「……あ、うん」
「すぐ戻ってくるね!」
動揺が言葉に表れる。「うん」って言い過ぎだ。
逃げるようにしてコンビニに向かう。
「何やってんだ~……!」
絞り出すような小声で自分を叱責し頭を抱える。
しっかりしよう。
よく考えて?
わたしみたいな地味な女の子に、好意を持つわけなんてないよ!
高校時代なんて今よりもっと地味だったんだ。今だってさほど変わってない。
自分なんて、自分なんか……そう自分で自分をけなしながら大丈夫だと自分に言い聞かせる。
すると自然にうぬぼれている自分が恥ずかしくなって、今度は自己嫌悪に陥る。
はぁ、と自然にため息が漏れる。
屋根がなくなった場所を小走りで走りコンビニに入って傘を買う。
外に出て一番に視界に飛び込んでくるのは、いつの間にか雨足の強くなった大粒の雨。
急にどきどきと高鳴りだす胸の痛みを感じながら、雨空を見て思い出す。
鈴村さんと出会ったのは、雨の日だった。
イブ前日の、雨の日でも賑やかに彩られた街の喧騒が、気持ちを盛り上げるどころか込み上げてきた寂しさを倍増させる。
今日こそ連絡できるかな。
このまま、連絡できないまま、明日も会えなくてクリスマスも過ぎ去ってしまうのかな。
会えなかった日々が、ここまで自分を弱気にしてしまうなんて。
俯いたまま動かずにいると、他の誰かの肩がぶつかる。
コンビニの入り口で立ち止まり、コンビニに出入りする人たちの邪魔になっていることに気が付く。
たった今買ったばかりの傘を差し、急いで待たせている池田君の元へと向かった。
吹き抜けのある二階建ての建物は解放感があって、一階のフロアを見渡せる二階が同窓会会場だ。
一階はレストラン営業をしていて、二階もパーティーの予約がない日は通常のレストラン営業をしている。今日は通常営業だ。
幸い二階席しか席が空いていなくて、店だけでなく同窓会会場を下見することも出来た。
階段を上った真正面に高さ二メートルくらいのステージがあって、たしか音響設備もきちんと整っていたはず。
エキゾチックな空間は優雅でオシャレな雰囲気だし、うん、いいお店が見つかってよかった。
どちらからともなく同窓会が楽しみだと言う言葉が出ると、しばらくまた高校時代の話題で盛り上がる。
高校時代に仲がよかった友達とは長年連絡を取っていないけれど、話をしていると昔を思い出して会いたくなってくる。
地味だったと言っても、ちゃんと思い出は残っているんだ。
「たしか秋元さんが仲良かった……河野さん」
「あ! 河野さん! 懐かしい……」
「又聞きなんだけど今度結婚するらしいよ」
「え、嘘! そうなんだぁ」
「ずっと会ってない?」
「うん。彼女、大学で県外に行っちゃったから卒業以来一回も会ってないの。同窓会にも一回も来なかったね」
「今回は来てくれるといいね」
「うん」
食事を済ませデザートを待つ間、久々に聞く昔の友達の名前にテンションが上がる。
そうか、あの彼女が結婚か。
ふふ、高校時代、一番の仲良しだったのにお互いに「秋元さん」「河野さん」って呼び合って、いつも静かに教室の隅っこで最近読んだ本の話をしていた。
お互いに浮いた話なんて一つもなかったのに。
「秋元さんは、どうなの?」
「え? どうって……何が?」
「な、何がって。ほら、明日はイブだよ」
「あっ」
そういうことか。
昔の友達は結婚をするらしいが、わたしにはその予定はあるのか、ということかな。
結婚の予定はないけれど……
口を開こうとすると、先に池田君が言葉を発した。
「オシャレしてるし、いるんでしょ? そういう相手」
「え……? あっ」
池田君の視線が自分の手元に向けられていた。
なぜか心が急に晴れてきて「可愛いでしょ」と言って見せるようにして手を差し出す。
そして、胸を張って言えた。
「うん、いるよ。クリスマスに、一緒に過ごしたい人」
今のわたしは以前のわたしとは違う。
いつも先に幸せを掴んでいく友達を見て、祝福しつつもどこか寂しさを感じていた頃のわたしとは違うんだ。
笑顔のわたしに、池田君は「きっと、喜ぶよ」と嬉しそうな表情を見せた。
きっと喜ぶ? 何のこと? 誰が?
聞いても、池田君ははぐらかしてはっきりとは答えてくれない。
「池田君はどうなの? クリスマス前日に、わたしなんかと一緒にいていいの? ほら、準備とか」
「じ、準備って、何をするの? だったら秋元だって準備しなくていいの?」
「わたしは準備は済ませてるの」
「準備って……何を? あ、プレゼントとか?」
「さぁ? 秘密」
「なんだよ~」と言う池田君の声と二人の笑い声。
高校時代の友達の朗報が聞けて、わたしも同じように素敵な人に出会うことができたんだよって思うと、元気が出てきた。
今日こそ、何が何でも連絡をしようって思える。
「俺、実はさ、……春に結婚するんだ」
「……ぇえっ!」
突然の告白に、思わず声を上げる。
さらに……
「その相手なんだけど……」
「う、うん」
「相手なんだけど……」
「……うん?」
池田君の頬がみるみる赤く染まる。
……もしかして。
呆れるほど鈍感なわたしでも、さすがにピンとくるものがあった。
「もしかして池田君の結婚相手って……」
名前を言わずとも相手には伝わって、池田君は頷いた。
「彼女、時々秋元さんの話をするんだ。どうしてるかなって、元気かなって」
驚きに言葉が出なかった。
「だからこの間偶然秋元さんを街で見かけた時は思わず声をかけてしまった。……何か会話をするきっかけが欲しくて幹事手伝えだなんて無理なお願いしてごめんね。でも、困ってたし本気で助かったのは事実」
嘘嘘……池田君と、いつの間に?
あの頃は恋の話なんて一度もしたことなかったのに。
でも……
「大学を出てそのまま県外で就職して、今も遠方に住んでるから同窓会には一度も来られなかったけど、今度の同窓会には必ず出席するから。だから秋元さんも絶対に来てね」
今度再会した時は、あの頃とは違う、たくさんの幸せな報告がお互いに出来るんだね。
「うんうん! 河野さんに伝えて。絶対に出席するからねって」
自宅に着き、リビングに顔を出さずに真っ先に自分の部屋へと向かった。
通話履歴から鈴村さんの名前を探して通話ボタンを押した。
未だおさまらない興奮を必死に落ち着かせようと深呼吸をする。
嬉しいことがあると誰かに話したくなる、聞いてほしくなる。
特に、他でもない鈴村さんに聞いてほしい。
でも、肝心なことを伝え忘れないようにしなくちゃ。
話にまったく出ないけど明日はクリスマスイブですよ、気づいてますか? って。
そして、会いたいですって。