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光 -ひかり-  作者: 美波
第四章 ねがい
31/65

第31話 伝えたいこと

 鈴村さんが話し出すと同時に車内に流れる音楽のボリュームが下げられた。

 言葉の一つ一つがはっきりと耳に届くようになった。


「実はさ、時々話に出る姪のみずほの父親、いないんだよね」


「夏前だったかな。うちの姉とダンナさん離婚しちゃってさ」


 いきなり告げられた事実に、思わず息を飲んだ。

 思えば、みずほちゃんの父親の話は一切聞いたことがなかった。

 考えてみたら鈴村さんと結婚しているお姉さん、みずほちゃんが今一緒に暮らしているのも不自然な話だったのかもしれない。


「いきなり結論を話してしまったんだけど」

「うん」

「離婚に至るまでに色々思うことがあったんだ」


 鈴村さんは一呼吸置くと「ちょっと昔の話するね」とフロントガラスの先に見える景色を見つめてそう言った。


「姉が結婚したのが結構前で、まだ俺学生だったんだよね。院生だったかな……いや、まだ二十歳くらいだった」

「うん」

「姉弟仲も特別いいわけではなかったし、悪くもなかったし。俺は研究が忙しかったし姉はもう働いてたから家に居ても会わないことも多くて」

「うん」

「当然その時の俺はまわりで誰かが結婚するなんて話もなかったから、急に姉が結婚するって聞いたときピンとこなかったし驚いた。両親は婚約者に会ったこともあるし知ってたみたいだけど」

「驚いたって……どうして?」

「だって今まで当然のように家にいて一緒に住んでた人間が家を出るってことだからね」


 兄弟がいない自分にはわからない話だった。


「結婚式に出席するのもはじめてで、恥ずかしいんだけどものすごく感動したんだよね」

「うん、結婚式の感動ってすごいよね」

「特に俺は挙式で二人が神父の前で愛を誓い合うっていうのが印象に残って」

「永遠の愛を誓いますか? ってやつ?」

「うん。神聖な感じがしてさ、こんなにもたくさんの人たちの前で将来を誓い合った二人がまさかその時終わりを迎えるなんて思わないよね」

「……うん」

「だから俺もその時は二人の永遠を疑わなかったと思うよ。たぶん」

「たぶんって」

「俺男だからさ、イマイチそういうロマンに満ちた考えって苦手で」

「ロマンに満ちた……」


 鈴村さんの可笑しな表現に、少し笑いが漏れた。


「でも、まだまだ若くて幼かった俺はたぶん今よりは夢のある考えが出来たとは思う」


 鈴村さんは俯くと一度咳払いをして再び話を続けた。


「旦那さんとも普通に仲良くしてもらってさ。休みの日とか遊びに連れてってもらったり。新居に呼ばれて遊びに行くこともあって、この頃くらいから姉ともまぁまぁ仲良くなって」

「そうだったんだ」

「ダンナさんすごく、真面目でいい人だったよ。二人を見てるといつも幸せそうだったし、当時若かった俺は仲睦まじい二人になぜか嫉妬してたからね。いいなぁって」

「なんか可愛いね」

「……複雑だねそれは」

「ご、ごめん」


 うっすらと照れ笑いを浮かべた鈴村さんの表情がさらに柔らかくなった。


「やがて数年後みずほが生まれて、これははっきり覚えてるけど本当に感動したんだ」

「へぇ~そうなんだぁ」

「不思議な感じだよね。自分と血の繋がった子供が生まれるって」

「うん……」


「家族が一人増えて、元々あたたかかった家庭がさらに明るくあたたかくなってこんな家族理想だなぁって思ったよ」

「……」

「だから俺が知らない間に壊れてたなんて、信じられなかった」

「……」

「働き出してからは最初のうちは勤務地がここから遠くて家出てたし、忙しくて遊びにいく時間もなかなか取れなくて。実家にもなかなか帰れなくて」


「旦那さん、よそで女作って出て行っちゃったんだって。連絡も取れないとか。……こんな話、本当にあるんだね」


 結末を知っていた話だったけど、事実を今改めて聞くと胸が痛んだ。

 鈴村さんとお姉さん本人の心の痛みはどれほどだったのだろう。


「本当に信じられなかった。え、あの人が!? って…」

「……うん」

「なんだか何を信じたらいいのか分からなくなった、俺が。可笑しいよね」

「そんなこと」

「姉はもっと辛かったと思うよ」


 瞳を斜め下へと伏せる鈴村さんの表情に大きな変化は見られなかったけれど、横からでもその瞳が寂しそうに揺れているのが伝わってきた。


「みずほもまだ小さいし、姉はもう働き始めてたけど……やっぱり二人きりの生活はきついからって両親が家に帰って来いって言って、だから今一緒に住んでるんだよね」

「……」

「子供って結構よく病気したりするからね。大きくなると活発になって怪我したりもするし」

「うん、友達に聞いたことある」


「一緒に住むようになってすぐに一度、姉とお酒を飲んだことがあって、鈴村家の人間は全員大酒飲みだから二人で何本も開けたことがあって」

「す、すごい」

「普段は強い姉がベロベロに酔っぱらっちゃってさ、その時俺の部屋に置いたままになってた姉と元ダンナとみずほの写真みて言ったんだ」

「うん」

「何がずっと一緒にいようだ、幸せになろうだ、永遠の愛を誓いますか?だ……って泣きだしてさ。びっくりしたよ」

「……」

「酔いすぎてて言ってることが支離滅裂だったけど…たぶん本心だったと思う」

「……うん」

「何を信じたらいいのって聞かれてさ、何も言えなかった。だって俺も分かんなかったから。…その時思った」


「あの時のあの瞬間の二人だけは本物だって、どうしても信じたかった」


 あの瞬間とは、きっとさっき話していた印象に残ったと言った挙式で永遠の愛を誓い合った瞬間の二人のことだ。


「まだ小さくて何も分からない無邪気に笑うみずほを見たらもっと。この子は二人が愛し合って生まれてきた子なんだって絶対にそう信じたかった」


 感情の起伏もなく淡々としたその口調の中にも彼の切なる思いが込められているのが伝わってきた。


「俺は自分のためにそう思うことにした。決して姉への質問の答えなんかじゃなかった」


 鈴村さんはわたしの方を見て「山岸さんの話の時の俺の発言も、これと同じだよ。自分が他人を信じられなくなるのは嫌だから」と言って再び正面を向いた。


「ごめんね。なんかずっと俺ばっかりしゃべっちゃって」

「わたし、自分が恥ずかしくなった……」

「え?」

「わたしは、夢ばっかり見てたから……」


 後輩に運命だ、赤い糸だと言われて鵜呑みにしてただ浮かれていた。

 山岸さんの件があっても自分は大丈夫だって、ただ呑気に楽しい夢だけを見ていた。


「あの、夢見るのはいいんじゃない? 可愛いよ、女の子だし」

「え?」

「だって、俺が運命とか赤い糸とか信じてたら……気持ち悪くない?」

「え、えっと……」


 鈴村さんは俯くと鼻をこするようにして「俺ってダメなんだよね」と言った。


「永遠って聞けば、こない別れは俺はまだ知らないしそんなのあるわけないって夢のないことを考えるし。あ、これは姉のことがあったからじゃなくて元々、ね」

「こない別れ?」

「あ、ほらまだ独身だし。相手がいたとしても遠い先のことなんて何も分からない」

「それは、いずれ別れはくるって思ってるってこと?」


 胸が痛むのを感じて膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。

 でも「それは違うよ」といつもの鈴村さんの優しい声が耳に響いて堪らなくなって真横にいる彼を見つめた。

 言葉の続きを、息を飲んで待った。


「結局、運命とか永遠とかはあとになってからわかるものだから」

「……あ」

「死ぬ時にしか分かんないよ」


「そりゃあ俺だって先見たいし、理想はあるし。でも夢を見るだけなら簡単だけど、それを叶えてずっと続けて行くのってすごく難しいことなんだと思う」


「だから俺は一瞬一瞬を大事にしていきたいって思うよ。きっとそれが永遠や運命に繋がるんじゃないかな」


 やっぱりこの人の言葉は脳に直接響いて温かく心に染みる。

 何度でも思うよ。

 この人を好きになってよかったって何度も、これからもきっとずっと。


「だから心ちゃんも今その瞬間にちゃんと言いたいこと言わないとだめだよ」

「……うん」

「なんでも遠慮なく話していいんだよ。きっと、心ちゃんの発言なら嫌いになるようなこと一つもないと思う」


 それってどういう意味?と聞きたいけど、胸の高鳴りが邪魔して言葉が出なかった。


「まだ、遠慮してるでしょ。今日だって何かとすぐ謝るし。ただ行きたい場所を聞き出すのに結構苦労……」


 言いたいこと、伝えたいことは山ほどある。

 一番は、ずっとずっと一緒にいたいってこと。

 でもそれを叶えるためには、この時間の一瞬一瞬を大事にしていかなきゃいけないんだ。


 だったら今一番、言いたいことがあるよ。

 わたしに対しての不満を語る鈴村さんの言葉を遮ってわたしが今一番叶えたいことを勇気を出して言ってみた。


「手袋が、はずしたい……な」

「ど、どうぞ……ご自由に」

「あ、じゃあ……」


 不可解なわたしの言葉に二人の間に気まずさを含んだ微妙な空気が流れ出した。

 でも、ちゃんと言わなきゃ。

 手袋をはずし大きく息を吸って決意を決めた。


「手袋なしで、……手が、繋ぎたい」

「……え」

「あ、正確には繋ぎたかった、……かな。さっき」


 数秒の沈黙の間、静かな車内に自分の心臓の音が響き渡っているのではないかという感覚に陥った。

 何を言っているんだろうという動揺と、何てことを言ってしまったんだろうという恥ずかしさが入り混じって自然と首元に手が伸びたけど、こんな時に顔を隠すマフラーは車に乗ったと同時にはずしてしまっていた。


 今が夜で車内が暗くてよかった。

 火照った顔は熱くきっと真っ赤だ。

 握りしめた手には汗がにじんでいた。


「いいよ」


 静かな車内に響いた優しい声に反応して振り向くと当時に、手を取られた。

 突然のことに何も考えられなくなってただ固まるようにしてその握られた手を見つめた。


「指先が冷たいな」

「そ、そうかな」

「うん」

「汗かいてベタついて気持ちが悪いよね!? ご、ごめんね?」

「うんうん」

「どうしよう……! 鈴村さんの手までどんどんベタベタに……」

「……っ」


 小さく吹き出す音がして、視線を繋がる手から隣の人物へと移した。

 目をぎゅっと閉じて片手で顔を隠すようにして肩を震わしていた。

 普段見せるような優しい笑顔ではなくて、時折見せるどこか可愛く無邪気で少年のような眩しい笑顔だった。

 やがて口を大きく横に広げて歯を見せて笑うと「心ちゃんてアレだよね」と言った。


「あれ?」

「何て言うのかな、純粋というか」

「子供……っぽいよね」

「俺はいいと思うけど」


 瞳を合わせると、唇を噛むようにしてほほ笑んだ。


「そんなところが、すごく好き」

「……へっ」


 瞬きが不自然に増え、いつの間にか空いていた口が驚きから塞がらなくなった。

 唇は僅かに震えているような気もした。

 恥ずかしくて目が合わせていられなくなって勢いよく俯くと、再び目に入ったのは繋がったわたしたちの手で、やっぱり顔は熱くなるばかりだった。


「そんな反応されると……もっと言いたくなっちゃうな」

「え」

「俺さ、本当はあまり好きとか言うの得意じゃないんだけど……照れ屋だし」

「う、嘘だ」

「本当だよ」


「でも心ちゃんの純粋な反応がとても好きだから、これからも時々言おうかな」


 わずかに手に込められた力を感じた。

 冷たかった指先も彼の温かい手に温められて、手汗は全開、止まらなくなった。

 わたしの手を包む込む大きな手とその指先が僅かに動くのを感じるだけで泣きそうになるほどの喜びを感じる。


 こんな時にわたしは俯いて、繋がった手をじっと見つめることしか今はできないでいるけど……

 今はまだ夢だけを見て先ばかりを想像して浮かれたり不安になったりするのはやめようって思った。


 今はこの繋がった手が一秒でも長く、繋がっていられますようにって。

 こんな幸せな時間が一秒でも長く続きますようにって。


 この大切な時間の一瞬一瞬を、大事にしてきたい。


 だからちゃんと伝えようと思うの。

 顔を上げてわたしもすごく好きだ、ってこと。


「わたしも、好き」


 鈴村さんは僅かに目を見開いたあと、「あ、どうも」と言って俯いてはにかんだ照れ笑いを浮かべた。



【光 -ひかり- 第四章 終】




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