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光 -ひかり-  作者: 美波
第四章 ねがい
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第25話 小さな不安

 目が腫れている理由を「寝不足だ」とバレバレの嘘を他の社員に説明する山岸さんを見ているのが辛かった。

 それでもほとんどの人間が他人事だと納得して普段通りに接しているように見えたけど、大橋さんだけ は何か勘づいているようだった。

 お昼休みに山岸さんの姿は見当たらなくて、わたしたちに気を遣ってどこかで一人で泣いているのかなと思うと辛かった。

 大橋さんも同じ気持ちなのか、今日は彼女にしては口数が少なくて静かなお昼休みになった。


 昼休みが終わり、静かな昼一番の事務所内に大きな上司の怒鳴り声が聞こえた。

 何事かとそちらへ足を向ける他の社員と一緒に見に行ってみると、女性社員でも容赦なく怒鳴りつける総務部の鬼部長と山岸さんが向かい合っていた。

 山岸さんが頭を下げている様子から、彼女が何か仕事でミスをしたことはすぐに分かった。

 「やる気がないなら帰れ」という容赦のない叱責に山岸さんがぐっと感情を堪えるようにして何度も謝る。

 部長がその場から立ち去ると山岸さんも同じようにして俯きながら小走りで事務所を出た。

 


 状況を把握したのち、山岸さんを探して半開きのロッカーの戸を軽くノックして中へと入った。


「お昼から、一緒にやろ?」


 わたしの声に、ハンカチで涙を拭いながら山岸さんが顔を上げた。


「でも秋元さんだって仕事が」

「いいの。わたしもよく部長に同じミスして怒鳴られたもん」

「すみません……」


 一瞬だけ山岸さんの表情が和らいでほほ笑んだように見えた。

 少しだけほっとしたのもつかの間、


「秋元さん、ありがとうござ……っ」


 「ありがとう」と半分いいかけたところで再び涙をポロポロと流し出した。

 わたしの余計な気遣いが、彼女に余計な涙を流させてしまっているのでは、とふと思った。

 こう言う時は一人にしておいて欲しいって思うこともあるだろう。


「えっと」

「……え?」

「あの、こういうの嫌だったら……言ってね? ホラ、わたしちょっと空気読めないところがあるって前に大橋さんあたりに言われた気がするし……」


 山岸さんはただ無言で首を振るだけだった。

 そして「大橋さん失礼なこと言いすぎです」と言って再び笑った。

 その笑顔に何を少しだけ安心してしまったのだろう。

 わたしのちょっとした行動で彼女の心の傷が癒えるわけなんてないのに。


「なんか、ダメだな。失恋くらいで仕事が出来なくなって……社会人失格ですよね」


「ちょっと前までは、想いが叶って毎日が楽しくて浮かれていたのに、……どうしてこうなっちゃったんだろう」


 彼女の言葉に当たり前のことを痛感した。

 想いが通じて、相手が振り向いてくれたとしても、

 幸せな結末ハッピーエンドが待ってるとは限らないんだってことを。



 翌日、山岸さんはきちんと会社へ出社した。

 昼休みに事情を知った大橋さんが「その男許せない!」と怒る様子を見て「もう、いいの」と弱々しく言うだけだった。

 わたしと二人になると大橋さんは「納得いかない!」と言って息を荒げたけれど、でも自分も過去に同じようなことがあって見抜けなかった自分が悪いと思って納得したと言った。

 わたしは、それこそ納得がいかなかった。

 どうして、土足で心を踏みにじられなければならないんだろうって。

 自分が悪いって、何も悪いことなんてしていない。

 ただ、好きなだけなのに。


 一日浮かない気分のまま鈴村さんとの約束の時間を迎えた。

 待ち合わせはお互いの自宅の最寄り駅。

 同じ最寄り駅でも以前会話をした際もしかして、と思って聞いてみたけれど出身中学は違っていたことが判明した。

 だから結構家の距離は離れていると思う。

 駅を挟んで正反対に家がある感じかな?

 まだ、彼については知らないことばかりだ。


 鈴村さんは昨日の夜電話で「オヤジ同士が行くような飲み屋なら詳しいけど」と冗談を言ったのちに、わたしがレバ刺しが好きだと以前に言ったことを覚えていたらしく、鮮度抜群のおいしいレバ刺しが食べられる飲み屋さんを知っているとのことだった。

 「結局、飲み屋なんだけど」と笑っていたけれど、わたしは「飲めないけどいいですか?」と恐る恐る聞いたら「前も言ったけど俺家で寂しく一人飲み派だから」の言葉に安心して笑ってしまった。


 浮かなかった気分も、彼に会ったら少しだけ浮上した。

 連れてきてもらったお店がイメージしていたオヤジが集まるようなお店ではなく、駅から少し歩いた裏路地にあるお洒落な隠れ家的なお店だった。

 先ほど少し浮上した気分がさらに上がって通常通りになって……結果、ドキドキと忙しく胸が高鳴り出した。

 落ち込んでいたままの方がよかったかもしれない……。

 でもそんなわたしの変化にも彼はすぐに気がついてしまっていたようだ。


「なんか今日、元気ないよね?」

「そ、そうですか?」

「いつもよりなんて言うのかな。落ち着いていると言うか」

「いつもは落ち着きがないってことでしょうか……」

「あー、うーん……」


 ひ、否定しない。

 落ち着かないのは仕方がないよ。

 心臓が言うこと聞かないんだもん。


 最初のドリンク注文で、甘くて飲みやすそうなカクテルを注文した。

 注文を通したあと鈴村さんが「別に気を遣わなくてもいいんだよ」と言った。


「いや、さすがに少しは飲めるようにならないと」

「別にいいのに、本当に」

「あ、でも。わたし両親もそのおじいちゃんおばあちゃんも、かなり飲むんです。だからわたしも飲むようになれば普通には飲めるようになると思うんです」

「ふーん……でもあまり無理しないでね」

「はい」


「鈴村さんは毎日飲むんですか?」

「うん、でも最近は週四くらいかな」

「結構な割合ですね」

「前、姉が一緒に住んでるって言ったよね」

「あ、はい」

「昨日さ会社の会議かなんかで帰りが遅くて、家族ももうみんな寝てる時間に駅まで迎えに来てとか頼まれてさ」

「はぁ」

「たいてい俺飲んでるから昨日も飲んでて「チャリでいい?」って言って断るかと思ったら「いいよ」とか言うから、姉弟で二人乗りとかぞっとするけど仕方ないから夜中に自転車乗って迎えに行ったんだけど……」

「じ、自転車!?」

「でも途中で「あ、自転車も飲酒いけなかったんじゃないか?」ってお互いに思って結局自転車引いて歩いたんだよね。無言で。……何やってるんだろうね」

「あはは。あ、でも二人乗りも違反じゃないですか?」

「あっ……」


 お姉さんには会ったことがないけれど、なんとなく想像したら可笑しくて笑ってしまった。


「でも、優しいですね。迎えに行くなんて」

「心ちゃんもいつでも言ってくれれば、自転車でよければ」

「あ、結局歩くことになるんで遠慮しておきます」

「はやっ」


 お互いの笑い声で昨日からずっとモヤモヤして落ち込んだ気持ちが一気に洗われるように和む。


「あ、でも遅くなる日とか前もって言ってくれれば、飲まずに待つよ」

「え?」

「帰りが遅くなる日は、危ないから。迎えに行く」

「あ、あの」

「暇人って言っても会社の飲み会とか、遅くなる日はあるよね?」


 この人の優しさは、本物だよね?

 人柄も言葉も態度も全部。


 注文したドリンクが届いて、グラスを片手に「おつかれさま」と言って小さな乾杯をした。

 一口飲んでグラスの中でシュワシュワとはじける気泡をぼーっと眺めていると正面からの目線を感じて顔を上げた。

 目を合わせると鈴村さんが小さくほほ笑んだ。


「どうしたの? やっぱり、何かあったよね」

「えっ」

「無理に話せなんて言わないけど、もし話してくれるなら出来るだけ力になれたらって思うけど」


 しばらく彼の真っ直ぐな瞳から目を逸らせずにいると注文を取りにきた若いお兄さんがわたしたちの座るテーブルの横に着いた。

 今日もきっと好きな人を目の前にしてきっとあまり食べることができないと思ったから、軽いメニューを選んであとは鈴村さんにお願いすることにした。

 店員の若いお兄さんと会話する彼の様子をじっと見ていた。

 店員さんのオススメだと言うメニューの説明も頷きながらしっかりと聞いて、結局注文はしなかったけれど「ありがとう」と一言言える彼に好感が持てた。

 こんな小さな発見にすら、好きって気持ちが一層強くなる。

 きっとこれからこんなことがどんどん積み重なって行って、もっともっと彼の事を好きになって一体わたしの心はどうなっちゃうんだろう。

 注文を終え、お兄さんが去ると再び目を合わせた鈴村さんが「何、見つめて」と言ってよく見せる人懐っこい笑顔を見せた。

 胸の奥がきゅっとなって、これが俗に言う胸のときめきなんだって今なら分かる。


 山岸さんだって今のわたしと同じ気持ちのはずだったんだ。

 まだまだ始まったばかりの彼とのこれから先の、遠い未来までは見えていなくても想いが通じ合った明日くらいは見ていたはずなんだ。

 そんな明日が急になくなっちゃうなんて。


「ほら、また」

「……えっ!?」


 鈴村さんのちょっと大きめの声に少しだけ驚いて顔を上げると鈴村さんがテーブルに肘をついて頬づえをついていた。


「俺、エスパーじゃないからさ。さすがに分かんない」

「あ……」

「心ちゃんが何かを悩んでいるのは分かるけどそれが何なのかまではさすがに分からない」


 「言いなさい」。そう言った彼の口調は命令口調だったけど、その表情は優しくてわたしを見つめる瞳は温かかった。




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